真夏だというのに、いやに空気の冷たい日だった。
『スタンド』の気配を感じる方向へと、なじみのない街を駆け……やがて、俺は『そこ』にたどり着いた。
比較的作りの新しい、二階建てのアパート。……『ゴッド・ロック』の意識が感知した『スタンド』の気配は、この建物から発せられている。
二階。ゆっくりと、一歩づつ、確認するかのように、階段を上る……一歩ごとに、『気配』は強くなっている。
いったい、どうなっているんだ。何故、そこに『スタンド』の気配があるというんだ……?
まさか、佐々木か橘かのどちらかが、『スタンド』を……?
「……ここだ」
階段を上った、目の前の部屋。表札には、何の名前もない……しかし、確かに、この部屋の中から感じる。
ゆっくりと、ドアノブを掴む……
「ひっ」
同時に。扉の向こうから、声がした。
ドアの隙間から室内を覗き込むと……玄関の目の前に座り込み、自らの体を抱いている、俺の見知った少女の姿があった。
「キョン……怖い、怖いよ……橘さんが……橘さんが……」
それは、つい十数分ほど前、俺を眠りから覚ました人物。
……『佐々木』だ。
「佐々木……大丈夫か? 俺が来るまでに、誰も来なかったか?」
震える声帯を押さえながら、俺がたずねると。佐々木は、泣きはらした顔面で俺を見上げ、二度、肯いた。
よかった……間に合ったのか。だが、まだ問題がある。
俺は意を決すると、半開きにしてあった戸を閉め、念のために施錠をし、『橘の部屋』に足を踏み入れた。
……女子高生の部屋にしては、いやに落ち着いているな。それが、俺の第一印象だった。
そう部屋は多くない。キッチンと合体したフローリングのダイニングの奥に、小さな和室と、カーペットの敷かれた居間があるのみだ。
その、居間に置かれた、ベッドの上。力なく四肢を放り出し、空ろな瞳で空中を見つめる少女の姿が、俺にも見て取れた。
橘だ。橘京子が、ベッドの上に横たわっている。
「橘!」
声を荒げながら、俺は、その元へと駆け寄る。
……様態は、佐々木に聞いたとおり。青白い顔で、空中を見つめている。
「……キョン、さん……」
空ろな瞳が、ふと、俺の目と合い、橘は、ぽつりと言葉を零す。どうやら、意識はあるようだ。しかし……
橘の衣服と、ベッドと掛け布団を染める、真紅の液体。これは……おそらく、橘の血液なのだろう。
その出所は……俺は、躊躇せずに、橘の上半身を覆うカットソーを、『ゴッド・ロック』の力で引きちぎる。
まともに脱がせるよりは、こちらのほうが、傷に影響をもたらさずにすむだろう。
スポーツ・ブラジャーのみを身に付けた橘の上半身。白い肌。その透き通った肌色を汚す、いくつかの傷。
これは……銃創だ。右肩と、左わき腹。見ると、右手の甲にも、同様の傷跡が或る。
それらの傷からあふれ出した血液が彼女の体と、その周囲を、真紅に染めたのだろう。
そして、最後の。四つ目の傷跡……橘の『喉』に刻まれた、切り傷。
半分近く閉じ掛かっているものの、いまだ血液を滲ませることをやめていない傷。
「なんだ、こりゃ……橘に、何があったって言うんだよ!?」
……ふと。気づく。
首の傷は別として、橘の体を汚している、三つの銃創。
その、位置。
「これは……!!」
そうだ、この位置には、見覚えがある……
これは! 昨夜、ミスタの『セックス・ピストルズ』が、『小野大輔』に撃ち込んだのと、同じ『傷』だ!!
「佐々木……お前が来たときには、もう?」
玄関にうずくまる佐々木を振り返り、訊ねる。
佐々木は、声は出さずに、頭を抱えた体制で、三度ほど肯き、俺の問いかけに答えた。
……何故。『小野』が負っているはずの傷を、橘が負っているというのか。
ひとつの可能性として、俺が、ある仮説を組み立てるのに、そう時間は掛からなかった。
「これは、もしかして……『スタンド』なのか……?」
……妙だとは思っていた。
俺が佐々木からの電話で告げられたのは、『何故かわからないが、橘が傷を負っている』ということだけだ。
そして、俺は『スタンド』の気配を察知し、この場所までやってきた。
つまり……この部屋にいる誰かが。『スタンド能力』を発動しているのだ。
「『ゴッド・ロック』!!」
漆黒の像を発動すると同時に、佐々木の顔を見てから、すっかりと失念していた、『スタンド感知能力』を発動する。
そして、その全神経を、目の前の少女……橘京子に集中させる。
……やはり、だ。
「『わずか』だ……とても『わずか』だが、『スタンド』を感じる……橘から!」
……橘の空ろな瞳が、俺の背後……そこに立つ、黒い『像』を見ている。
橘には、『ゴッド・ロック』が見えているのだ。……間違いない。『橘京子』は、『スタンド使い』だ!
しかし、依然疑問は残る。何故、橘が、『小野大輔』の体に或るはずの傷を負っているのか?
そして、この首の傷は……
「とにかく、手当てを―――」
……俺が開きかけた口を、無理矢理に遮ったのは。
その瞬間、強烈に感じた、『スタンド』の気配と……俺の背後から放たれた、『声』だった。
「WRYYYYYYYYYYY!!!」
……いったい、その声は、『誰』が発したものだったのか。
どこか聞き覚えがあり、それでいて、奇妙に聞き慣れない声。
「きゃあっ!!?」
次に聞こえたのは、佐々木の声だ。普段の声色と比べて、随分と甲高いが、俺には、それが佐々木の声だということが分かる。
長年の付き合いを甘く見るなよ。
「『佐々木』っ!?」
……玄関口を振り返った、俺の目に映ったもの。
それは―――瞬間的には、理解しがたいものだった。
「……『0.5秒』……予定より早く、『時』が『動き出し』てしまったか」
……つい、先ほどまでは。その場にいなかったもの。
佐々木の目の前に立ち……背後に、黄金色の『像』を携えた、男。
その黄金色の『像』は、右手のこぶしを、佐々木に向けて突き降ろそうとしており……
そのこぶしを、俺の『スタンド』……『ゴッド・ロック』の掌が、受け止めていた。
「……『小野ぉぉぉぉぉ』!!」
つい昨晩出会ったばかりの、その男の顔が。まるで、長年の付き合いを経てきたもののように、俺の脳へと染み渡ってゆく。
『小野大輔』。
目を見開き、怯える佐々木の前に……その男が、立っていた。
「ひっ……キョン、なに、これ……わからない、わからないよ……この『人』は、何なの……っ!?」
佐々木が、全身を小刻みに震わせながら、喉を奮わせる。
俺は、橘のいるベッドを離れ、突如として現れた、『小野』を向き直る。
「何故……どうして、お前が『ここ』にいるんだ、小野ォ!」
「……それは、こちらの台詞だ、『ジョン・スミス』。
……いいや、予想はしていたけれどね。まさか、僕よりも早く『ここ』にたどり着いているとは……
君の邪悪な運勢の賜物なのかな、これも。
……いいや。あるいは、『僕』と『君』は、引き寄せあう運命にあるのかもしれない」
小野が言葉をつむぐ間にも、『世界』は、『ゴッド・ロック』の掌によって阻まれたこぶしを突き進めようと、力を込め続ける。
俺は―――俺のスタンド、『ゴッド・ロック』は。それをさせまいと、必死に『世界』のこぶしを握り締める。
こいつは……何をしようとしている?
見れば分かるその疑問を、空中にぶつける……答えは、単純明快だ。
『世界』のこぶしの矛先は……『佐々木』。俺の中学時代の親友である、その少女に向けられている。
「テメーの『目的』は……おれとハルヒじゃあなかったのか!?
何故、『佐々木』を……お前が狙ってんだよ!? 答えろ、『小野大輔』!!」
俺の怒号を浴びた小野は、やれやれ。とでも言いたげに、頭を振るうと……
「わからないのか、ジョン。その『スタンド感知能力』をもってしても……彼女の、『正体』が」
「何、だって……『佐々木』の、正体?」
……その言葉を聴き、不意に気づく。
この世のものではないものを見るような瞳で、『そいつら』を見比べる、佐々木の視線。
その視線が、明らかに―――『ゴッド・ロック』と、『世界』に向けられていることを。
「……『佐々木』、お前は、まさか……ッ!?」
……即座に、『ゴッド・ロック』の『スタンド感知能力』の標的を広げる。
今まで、『橘』に集中していたそれが、部屋全体に広がり……
そして―――俺は『理解』する。
「……『佐々木』から! 『スタンド』を感じる……それも、特別『グレート』なやつを……!!
なんだ、これは……こんな、『スタンド反応』は、初めてだ……!!」
脳漿が焼きつき、神経が千切れそうに為るほどの、強烈な『反応』。
……以前にも、一度だけ覚えがある。あれは―――そう。『観音崎スミレ』の事件の時。
『岸辺』たちが目を覚ます寸前に、俺が『北高』の位置から感じたもの。
「……ようやく、ぼくにも分かったよ、ジョン。この少女……『佐々木』の正体が」
小野が、『世界』の手を休めずに、呟く。
「……彼女は。『宇宙(ザ・ユニヴァース)』の能力と、とても似た『能力』を持つという、この少女は。
……『スタンド』だった―――。『宇宙』の持ち主である、『涼宮ハルヒ』の『スタンド能力』の化身……
この少女は。おそらく、君が『涼宮ハルヒ』から、『宇宙』を引き出したと同時に発現した……『スタンド』なんだ」
「……何、だって?」
ギリギリギリギリ。と、言葉を交わす間にも、『世界』と『ゴッド・ロック』の腕力の拮抗は留まらない。
漆黒の肉体と、黄金色の肉体が、力を圧し合う……『佐々木』の左胸の寸前で。
「わかるだろう、ジョン。『この少女』の存在が、どんなものなのか。
君の能力なら……把握できるはずだ。
彼女は、そう。涼宮ハルヒのスタンド、『宇宙(ザ・ユニヴァース)』の『像』の一部なんだ。
おそらく、君たちの言う……『閉鎖空間』を作り出す『能力』を操作する個体」
……不思議なほどに。小野の言葉は、俺の脳裏に、容易くしみこんで言った。
『佐々木』は、ハルヒの『一部』……ああ、なるほど。そう肯きたくなるくらいだ。
「……だが。彼女は、同時に『人』でもある…………
自意識を持つ『スタンド』ではない。一人の『人間』としての意識を……持っている。
……僕が、それが。その『事実』が、あまりにも『悲しい』……!!」
……言葉とともに。小野の『左手』が、右胸にあてがわれた。
その、瞬間!
「あ……」
……その瞬間を、『観る』ことはできなかった。
俺の視覚に、次の光景が飛び込んできた時には……
『佐々木』の胸を。『世界』のこぶしが、貫いていたのだ。
「これで……いい。『苦しみ』は一瞬だ。
……そして、『涼宮ハルヒ』も……自らのスタンドの『像』を破壊されれば―――」
小野が、なにやらを呟いている。が、俺の耳には届かない。
俺が『理解』できたのは、ただ一つ―――『世界』が、『佐々木』を、『殺した』ということだけ――――
「……『小野』ォォォォォォォォッ!!!」
……俺の怒声とともに、出現したのは。
『世界』の時止めでも、『ゴッド・ロック』のこぶしでもなかった。
窓ガラスを突き破り、室内へと舞い降りてくる、『赤い』影。
「―――――『ミツケマシタ』ワァ!!」
……それは。鶴屋さんの―――『ファンク・ザ・ピーナッツ一号』だ!
「何ッ……!?」
「なっ……どうして、お前が『ここ』にッ!?」
……驚愕に心を染めたのは、俺だけではなかったようだ。
『小野』……やつの表情も、また。目の前の光景を信じられないという、『驚愕』に染まっていた。
「『セツメイ』は、後デモ『出来ル』!! 『今』スルベキコトは――――『ミスター・キョン』!! アナタヲ『オ連レ』スルコト! デスワァ!」
言葉が早いか、行動が早いか。
『ファン・ピー一号』は、その小さな体躯からは想像もつかない威力の『蹴り』を……俺の脳天に、叩き込んだ!!
「ってぇ!!」
痛みに叫ぶと同時に。俺の体が、物理法則を無視した、不条理な力で、空中へと吹き飛ばされる。
焦る脳裏に、うっすらと浮かぶ……以前、鶴屋さんから聴いた、『ファン・ピー』の能力。
小柄な『一号』が攻撃した対象を、『二号』の元へと引き寄せる能力!!
「ソシテ……『テメー』モダ!! 『小野』ォォォォ!!」
破られた窓ガラスを突き破りながら、空中へと放り出された俺の耳に、その声が届く……何、だって?
次の瞬間。俺の目に飛び込んできたのは……たった今、俺が突き破ったガラス戸の穴を突き抜けながら、空中へ踊りだす、『小野』の姿だった。
「うおおっ!!」
『小野』が猛る声が、俺の耳にも届く。
……察するに。俺の登場はお前の想定内だったとしても、『ファン・ピー』の登場までは、予測していなかったってところか。
「『ミスター・キョン』!! モウシワケアリマセン、独断デ、『ヤツ』もお連れシマシタ!!」
不意に。空中を突き進む俺の耳元で、声がする。『ファン・ピー』の声だ。
「今、オジョウサマは『病院』にイラッシャイマス! ソシテ、『SOS団』のメンバーが『集マリ』ツツアル―――
ワタクシの『引き寄せ』力は、『確実』デス! ヤツハ決して! 逃レラレナイ!!
タトエ『ワタクシガキエヨウ』トモ! アナタタチハ、必ズ『病院』へ『引き寄せ』ラレルノデスワ!」
鶴屋さんとよく似た声で、『ファン・ピー』は言う。『病院』……そこまでたどり着ければ、古泉や鶴屋さん……それに、会長やミスタたちとも合流できる。
ここからあの『病院』まで、どれくらいだ? 『引き寄せ』スピードは……遅くはないが、そう早くはない。自転車程度だ。
直線で向かっても、十数分は掛かる……その間! 俺は小野と『戦わ』なければいけない!!
「ジョン……『ファンク・ザ・ピーナッツ』! 君たちは、僕をそこで『倒そう』というわけだな……っ!
だが、無駄だ! その『病院』へとたどり着くのは、僕一人―――ジョン! 君はこのまま誰とも会えないまま、死んでもらう!」
『引き寄せ』られる力の先に背を向け、俺は背後を振り返る。
右胸に手を当てた体勢で、俺を睨み付ける小野と、その『スタンド』……俺たちの間合いは、10メートルほど。
お互い、同じスピードで『引き寄せ』られているため、その距離は、縮まりも広がりもしない。
俺の『ロック』は、この距離で、『世界』と戦えるか……!?
「『ミスター・キョン』! オシャベリガ長くなって申し訳アリマセン! モウヒトツ……
アナタニ、コレヲ!」
言葉と同時に、俺の手の中に飛び込んでくる、二つの物体。携帯電話と――――『拳銃』!?
「何だ、こりゃあっ!? 『ミスタ』のか!?」
「『セツメイ』をスルベキ時は、いまではゴザイマセン! アナタハ『戦う』ノデス!」
……確かに。眼前に『世界』が迫ってきているこの状況で、のんびりおしゃべりはしていられないな。
「『ゴッド・ロック』!! 『やれ』ぇ!!」
俺の体から噴出す黒い人影が、迫り来る『世界』に向けて、こぶしを繰り出す。
こぶしは『世界』の両腕に着弾する。どうせこの程度ではダメージはないのだろう。
俺が可能な『攻撃』といえば……如何にかして、『世界』に隙を作る! そして、その隙に……この『銃』で、『本体』を『撃つ』しかない!!
「『世界(ザ・ワールド)』……! 『思い知れ』!!」
「ヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレェ!!」
兎に角、『世界』の攻撃を食らったらお仕舞だ! こいつの破壊力は、いわれなくったって、もういやというほど思い知らされている。
『ゴッド・ロック』にできるのは、せめて、攻撃の隙を作らせないために、『殴り』続けること!
「『やれ』ェ――!!!」
ガン。一際大振りに放った一撃が、一瞬、『世界』の体を揺らす。そして―――その『像』が、消えたっ!
『今』かっ―――! 俺は、右手の中で、あらかじめ準備しておいた『銃』を、『小野』に向ける……頼む。当たってくれ!
しかし―――『引き金』を引こうとした瞬間。
小野は―――『俺の前』から、『消えて』いたっ!?
「ぐっ……」
同時に、腹部に感じる鈍痛。内臓がかき混ぜられるような、重たい感覚。
……馬鹿か、俺は。こいつの……『世界』の、『これ』を、忘れてたなんて……
「『時止め』ッ……!!」
「……ふうん。確かに、『ファンク・ザ・ピーナッツ』のこの『能力』は、『確実』なようだね。
何しろ……『時』を『止めた』というのに、僕が『引き寄せ』られる力だけは『止まら』なかった。
そして、僕と衝突し、『止まった時』の中を『動かさ』れたと同時に、君の『引き寄せ』も再発動した……たいした『スタンド能力』だ」
……こいつは! 『止まった』時の中で、自分が『引き寄せ』られる事を利用して、俺に『突進』してきたのかっ!
まずい……小野と俺の距離は、『ゼロ』!
「……『ジョン』。安心しろ、このまま、君を『世界』で、一思いに殺したりはしない……
『病院』までは……君の『寿命』までは、まだ少しだけれど時間がある……その間、僕は君に『罰』を下し続ける。
君には自らの『罪』の重さを『思い知ら』せてやる。……この僕の『世界』がッ!」
同時に、小野の体から湧き出す、黄金色の『像』―――!!
「ヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレヤレェ―ッ!!」
「知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れ知れェ―――!!」
密着した俺と小野の頭上で、『ゴッド・ロック』と『世界』が、こぶしの雨を降らせあう!!
……なんてパワーだッ! 一撃一撃が、それこそ、まるで『弾丸』のように熱い……
「思い……知れェッ!!!」
一呼吸の後の咆哮とともに、『世界』が、一際大きく腕を振るう。向かってくるこぶしを、『ゴッド・ロック』が、左拳で殴り返す……!
――――衝突!
「ぐ……うおおおおッ―――!!?」
バキリ。……あまり聞きたくない、鋭い音が頭上から降り注いだ直後。
俺の左手が―――『割れ』た!!
「……今のは、彼女。『橘』さんの分……ってとこかな」
俺の手から噴出した血液で、背中を汚しながら。小野が呟く。
「『橘』だとッ……!?」
「彼女もまた……君に『スタンド』を引き出され、邪悪な運命を身に纏ってしまった人だった。
もっとも……彼女は未だ、昨夜の時点では、『覚醒前』だったけれどね。
君の『妹』の『スタンド攻撃』を目の当たりにして、覚醒してしまったんだろう」
! ……何だと?
今、なんて言った……俺の『妹』!?
「てめぇ、小野……妹を! あいつをどうしたんだ!?」
「どうにもしていないさ。今でも、あの部屋で眠っている……
彼女は今、とても不安定だ。だから、すこし強い『薬』で眠らせてあげているんだよ。
……あの子は、すぐに精神科に診せてやったほうがいい。……全てが終わって、彼女が少し落ち着いたら、僕が連れて行ってやる。だから、安心していい。
昔のコネで、身元のはっきりしない人間を診てくれる宛てはあるからね」
『引き寄せ』によって、俺の胴体に密着した顔面を、ナメクジのように上に向け、俺の顔を見つめながら。小野は言った。
「これも『罰』の一つだ。君に『幸せ』を奪われた人々が、どれほど悲しい運命の下にいるか……教えてやるよ、ジョン。そして、己の罪を『知れ』……
……きっと、まだ混乱していたんだろうね。彼女……君の『妹』は、橘さんの部屋で目覚めて……僕を見た瞬間。『鋏』で、自分の喉を『切った』んだ」
「なっ……!?」
……不意に。昨夜のあいつの姿が。華奢な肉体が、歩道橋から落ちてゆく、その光景が、俺の脳裏を掠める。
「『時』を止める暇も無かった……そして、彼女の『スタンド』は、『僕』を標的と認識した。……喉を切られるってのは、いいもんじゃないと、勉強になったよ。
……君に『負けた』と思ったよ。あの時は……君の生んだ『不幸』の渦を消そうとして、僕は、逆にそれに飲み込まれてしまうのかと……」
小野は、彫刻のような無表情で、俺を見上げながら、淡々と言葉をつむぐ。
そして、俺たちの頭上では……僅かな間合いを取りながら、臨戦態勢の『スタンド』同士が、睨み合い続けている。
「だが。……僕は、助かった。『橘』さんの『スタンド』が、覚醒したんだ。僕の意識がフッ飛ぶ直前に……
……彼女のスタンドも……『悲しみ』しかもたらさないスタンドだ。決して『幸せ』には繋がらない……
そんな『スタンド』のおかげで、僕はこうして、君を『処罰』できているという事実が、とても悲しいよ」
……そこで、気づく。
『小野』の体に……あの、昨夜の『傷』が無いことに!
そして、『橘』の身体に在った、あの『傷』……つまり、橘のスタンドは!
「他人の『傷』を、『自分』に移すッ! ……それが、『橘』のスタンドかッ!?」
「Exactly(そのとおりだよ)」
……小野の声が、わずかに低くなった。
「橘さんは、君の妹の『ローテク・ロマンティカ』が『治し』かけていた、僕の首の傷を、自分に『移した』んだ……きっと、無意識のうちに、だろう。
そして、君たちから貰った傷も、すべて。僕の身体から奪い取った」
まっすぐに俺を見上げる小野の眼の端から、ぽつりと。一滴の涙が零れ、頬を伝って、俺のシャツの生地に染み込んでいく。
「ジョン。これは『手向け』だ……君に引き出された『スタンド』によって、死んでいく彼女への……
君に運命を狂わされた、全ての人への『鎮魂曲(レクイエム)』だ。
僕が……君を『裁く』。それが、たった一つの……
全てを『知る』ことのできる、僕。『ジャスト・ア・スペクタクル』を授かった僕の、使命なんだ……ッ!」
ドン。頭上で鳴り響く、鈍い音……『世界』の放ったこぶしを、『ゴッド・ロック』が、右腕で防御した。
その反動で、俺と小野との距離が、僅かに開いた。
すぐさま体勢を立て直し、『ゴッド・ロック』を眼前に立たせる……『ロック』の『左手』は、もう使い物にならないだろう。
同様に、『世界』を自らの傍へと引き寄せた小野が、明らかな敵意を孕んだ瞳で俺を睨み付けながら、左手を右胸に当てる……
「きっと。僕がこれだけ話をしてやっても……自分には何の罪もないと思っているんだろ。
自分を『悪』だと思っていない『悪』。この僕が、最もおぞましいと思うものの一つだ」
「……その言葉を、そのまんまテメーに返してやるぜ」
……正直なところ。頭が上手く働かない。全てを『理解』しようとしても、しきれない。
『妹』が……あの、うっとうしいくらいに眩しかった、『妹』が。『死』を望むようなことになっちまった。
そうさせてしまったのは、俺……それが事実なら。俺は、あいつの運命を狂わせちまったことになる。
知らずにとはいえ、『罪』に他ならない……妹に、どんな償いをすればいいのかもわからない。――だが!
「……テメーは、おれを『裁く』だとかって目的のために、何人もの人を『利用』した!」
小野は、空中を『引き寄せ』られながら、微動だにせず、俺を睨み続ける。敵意に満ちた目で。
俺の『スタンド』は、やつには敵わないが……ヤツに負けない、とびっきりの『ガン』を飛ばすぐらいなら、俺にだってできる。
「『スミレ』や、『榎本』先輩や、一番初めの、あの『チンピラ』やら、その他にも、無関係なヤツらにおれたちを攻撃させた!
あいつらを巻き込んだのはテメーだ! テメーの都合で、『矢』に『スタンド』を引き出されて、『利用』された!
『幸せ』がどうだと聖人ぶりながら、テメーは無関係の奴らを、非日常に引きずり込んだ!」
血まみれの人差し指を突き出し、叫ぶ。
「それに……テメーは、橘に『手当て』をしてやることもしなかった!
あいつの傷は、何の処置もされていなかった……お前は、動けないようなけが人になっちまったあいつを、丸一日も放置しやがった!
正義感ぶるわけじゃねー……だが、テメーのその行動! おれは『悪』だと認識するぜ!」
頭の中で、ことの顛末が、種明かしのように嵌ってゆく。
先刻、こいつが口にした、佐々木の『正体』。……こいつは、怪我をした橘を『利用』して、佐々木をおびき寄せた。
佐々木がハルヒと似た存在だということを、橘から聞いたのだろう。
そして、佐々木を『殺す』ことが、ハルヒの『死』に繋がる可能性に思い当たった!
そして―――橘の目の前で!
こいつは……『佐々木』を。俺の『親友』を……『殺し』たんだ!!
「テメーは……『悪』だ」
―――忘れちまっていたわけじゃない。
ただ、あまりに事が唐突過ぎて―――未だ、信じられずにいたのかもしれない。
俺は、確かに見た……『世界』に、胸を貫かれた、『佐々木』の姿を……
頭の奥から、炎が湧き上がってくるような感覚。
熱が全身に染み渡っていくのが、わかるかのように思えた。
「橘を『見殺し』にして……佐々木を『殺し』た……」
「彼女たちは、『幸せ』になったじゃあないか」
……小野が、呟く。
「君のいう『スミレ』さんという子や、『榎本』さんたちも、そうだ。
スミレは終わりのない夢から解放され、『榎本』さんはすばらしい『能力』を手に入れた。
……橘さんには、申し訳ないことをしたと思う。
けれど……僕は彼女の目の前で、佐々木さんを殺したくは無かった」
……呟く。
「佐々木さんの死を前にすれば、彼女はとても『不幸』になる……
そして、おそらくその後で、僕は彼女のことも『殺さ』なくてはならなかっただろう。
……彼女は、何も知らないまま。これ以上『不幸』にならないままに。
あのまま『眠っ』てもらおうと、思った。……それだけだよ。
何も『知ら』ずに済むというのは、とても『幸せ』なことだと、思わないかい?」
……ひび割れた左手を、握り締める。……痛みが、一瞬、快感に変わった気がした。
『アドレナリン』ってやつだろうか。ありゃ、確か、『怒る』と出る脳内麻薬だったよな?
多分、正解だろう。
何しろ、俺は……多分、これまでの人生で一番。『プッツン』しているのだから。
「佐々木さんについては……言うまでも無いだろう?
彼女は君の『スタンド』が生み出してしまったものなんだ……
……すべてのことは。ジョン。
『君さえいなければ』起きなかった『不幸』なんだッ!」
「『やれェェェェェェェェェ』ッ!!」
今の俺には、やつが何を言ってるかなんざ、もはや分からない。ただ、湧き出す怒りに任せて。
俺は――『ゴッド・ロック』は、目の前の男を『攻撃』した!
本体名 - 橘京子
スタンド名 - テイタム・オニール 再起不能?
―――――――――――――――――――――――――
スタンド名 - 「テイタム・オニール」
本体 - 橘京子(17歳)
破壊力 - - スピード - - 射程距離 - 視認できる範囲
持続力 - 本体の生命力の限り 精密動作性 - - 成長性 - B
能力 - 本体と一体化しており、像はない。
他人の物理的外傷を自分の身体へと移し、相手の肉体を健康状態に戻す。
ただし、これらの能力は、発現したばかりの時点でのものであり
時が経てば、変化していった可能性もある。
―――――――――――――――――――――――――
スタンド名 - 「スーパー・ノヴァ」
本体 - キョン(発現当時13~12歳?)
破壊力 - - スピード - - 射程距離 - ?
持続力 - - 精密動作性 - - 成長性 - C
能力 - 本体が13歳の頃に発現したと思われるスタンド。
本体と一体化しており、本体と『かかわり』をもった人間から
『スタンド能力』を引き出す能力を持つ。
能力の発動に要される条件は非常に曖昧であり
約一時間ほど行動を共にしたのみで発現したパターンもあれば
本体と知り合ってから、ほぼ毎日顔を合わせていても
半年ほど発現に時間が掛かったパターンもある。
本体が16歳の時、矢に射られたことによって
このスタンドは『ゴッド・ロック』へと変化し、この能力は消滅した。
―――――――――――――――――――――――――
最終更新:2014年06月05日 01:26