【20才になったぼくへ  四年2組 榛名 颯】 文責:榛名 颯


20才になったぼくへ  四年2組 榛名 颯

おとなのぼくへ。
どうして学校で同じ作文を書いたのに家でこれを書いているかというと、先生に見られる作文ではくわしい家のことが書けないからです。
20才になったぼくへの手紙なのに、10才のぼくをちゃんと書けないのはもったいないと思ったので、本番の長い手紙を書くことにしました。
嵐兄からは、情報を記録にしてのこすのは危ないと教わったので、ぜったい見つからないところにかくしておくことにします。

10才のぼくの夢は、お兄ちゃん2人と同じ仕事をして、2人のことを一番近くで守る人になることです。

どうしてそう思うのかというと、小さい頃のぼくはとても泣き虫でした。
ものすごく人見知りで、家族以外の人を見ればお兄ちゃん達の背中にかくれて出てこなくなるので、けんさの時はぼくだけすごく時間がかかりました。
注射になれた後でも、それが男のお医者さんだとぼくがにげるから、しんさつの時は女のお医者さんにしてもらわないといけませんでした。
5歳ごろに一度だけ担当のお医者さんに強く言い返したときは、それだけで周りをびっくりさせたぐらいでした。
神足通についてしらべる時も、壁とか足場のない空気の上を歩くのがすごく怖くて、天井にはりついて泣きながらだだをこねて、ずっと降りてきませんでした。
色々なことをやらされる訓練そのものは大丈夫になっても、こわいことにチャレンジするような、高いところを移動する訓練になった時はとたんにダメになりました。
ぼくらみたいに変なことができる人は、おとなになったら悪い妖怪ともたたかうことがあるから、強くなっておかなくちゃいけないんだと何度も教わったけど、ぼくは一日でも長く、そんな日が来なかったらいいと思ってました。
テレビに出ている正義のヒーローはかっこよかったけど、自分がそんな風にするのは、殴られたりけられたりすると考えただけでぞっとしました。

それに昔のぼくは、力を使うのもすごく下手でした。
『立ちたいと思った場所には空気の上でも立てる』ということは、逆に言えば、『立ちたいという集中がとぎれたら、力も切れてしまう』ということになります。
家でも、壁をとことこ歩いている時にテレビ番組が目に入ったら、そっちを気にしただけですぐに床に落ちてしまったり、少し気が散っただけで天井から落ちてしまいます。
打ちどころによってはすごく危ないので、訓練のとき以外は力を使うことを禁止にされました。
外で遊ぶ時も、木のぼりや公園の遊具で遊ぶとどうしても力を使いたくなるけど、それもダメでした。
ぼくは人見知りで弱虫のくせに、すぐに色んなものにきょうみを持ってしまうので、木にのぼったネコをおいかけて引っかかれて落ちてケガをしたり、あずまやの上にとまっている小鳥をさわりたくて屋根にのぼったら、鳥がとびたったのにびっくりして受け止めてもらったこともありました。
だからぼくは、家の人がいっしょでないと外に行くこともできませんでした。
ぼくの力は、ぼくの事しか操れないけど、その代わりぼくの事だけはいつでも殺せてしまうからです。
父さん母さんは、力のことがバレる以外ではきびしく怒らなかったし、できないと言えば訓練もゆるいものにするように頼んでくれました。
ただ、世の中のほかの子はこんな訓練なんか通わないと聞いて、ぼくもそうしたいと言うと、『ふつうの子みたいなことを言うんじゃないよ』って笑いながら言われました。
ふつうの子って何なのかを聞いたら、『危ない目にあわないように、守らなきゃいけない人たち』だそうです。
その理くつだと、ぼくらは危ない目にあっていい人になると思ったけど、小さかったぼくはそれを言葉にできませんでした。

その頃のぼくは、お父さんとお母さんの研究が何のためのものか、よく知りませんでした。
『あやかしや異能の私設情報機関』という言葉はよく聞いていたけど、6歳ぐらいまでのぼくには、とてもむずかしい言葉だったからです。
でも、ぼくに説明する時の父さんと母さんは、ほこらしげでした。
『あやかし』という言葉がくっついているのは、『あやかしの血が混ざった人が参加している』ことと、『あやかしが関わる仕事をする』ことの、ふたつがあること。
もともとは、サムライがたくさん戦争をしていた何百年も前の時代に、戦ったり情報を持ってくることに役立てるからと、あやかしの血を入れていた忍者の一族から始まったこと。
あやかしが人間の中でくらすことが当たり前になった今では、『悪い会社から大事な情報をたのまれて盗んでくる』とか『異能がなければ解決できない事件をそうさする』とかでかつやくしていること。
そのためにも、不思議な力を研究して人間もあつかえるような力にすることを大事だと思っていること。
でも、だれにでもあつかえるような力ではないから、各国で『ちょうほう』とか『こくえき』とかに関わるごく一部の人に定着させることがだいじで、あやかしの力が人に知られることはさけたいこと。
(人体実験をやっている組織と国がつながるのはおかしいと今なら聞き返せるけど、どうやら間に色んな人を通してそうと分からないよう情報を流しているようです)
ほかの国でも『いのうのスパイ』を飼っている人たちがいて競い合っているから、実は影で国の危機からたくさんの人の命を守っていること。
お父さんお母さんの話を聞いていると、人知れず歴史の影でかつやくしてきた正義の味方!みたいな言い方でしたが、しょうじき話を盛っているんじゃないかとぼくは思っていました。
たぶん2人は、うそをついているつもりはなかったと思います。
でも、サンタさんのことを話すときと同じ顔をしていたから、きっと子どもが夢を見やすいようにイイ所だけ話しているんだってことはなんとなく分かりました。

でも、嵐兄と楓兄は、本当に大かつやくしていました。
2人とも、ぼくがおぼえているころには、もう優秀な天狗の力の継ぎ手として、仕事場からおむかえが来ては出かけていました。
2人ともまだ未成年で、まだ楓兄は小学生だったけど、情報機関である以上は、『未来が読めれば解決できること』や『心が分かって操れたら何とかなること』はたくさんあって、2人の力はその分野でだれよりも飛びぬけていたので、休みの日にはどこか遠い地方へ出張に連れ出されることもありました。
父さん母さんも、2人をじまんの息子と言っていました。
楓兄の心を操る力のおかげで『いなくならないで済ませられる人やあやかしがすごく増えた』と言われてたのを聞いたことがあります。

ぼくは、ちがいました。
みんな、おとなの優しさでぼくを『落ちこぼれ』とは言わなかったけれど、家族以外からそう思われているのはすぐに分かりました。
『この子はしょうらい苦労しそうだなぁ』みたいな同情は、ダメな子だとバカにするより分かりやすく伝わるからです。
マンガみたいとか忍者みたいだと言われるのが、本当は好きじゃないです。
見た目だけで、役にたたなくて、他にほめるところがないから、みんな気をつかってそう言うからです。
お兄ちゃん達は、ぼくを一度もそんな風に見ませんでした。
ぼくがちゃんとできなくて泣いているときも、頭をなでて『大丈夫だよ』ってなぐさめてくれる2人が、とても好きでした。

だから、ひそかに怒っていました。
最初は、周りからていねいに扱われて、『スパイ』とか『ぼうちょう』だとか何でもないように仕事に行く2人をかっこいいと思いました。
でも、だんだん皆がおとなのくせにお兄ちゃんを頼りきりにしているようで、2人の力ありきでモノを考えているようで、見ているのがいやな感じになりました。
そんなに、ありがたがるなら、おそれるような目で見なければいいのに。
楓兄は、ぼくの知られたくない心を読んでしまうと、『ごめん』と謝ります。
謝らなくていいって、ぼくはいつも言います。
なんで楓兄が謝らないといけないのか、ぼくには分かりません。
知りたくもないことを知らされてしまう楓兄のほうが、しんどいに決まっています。
嵐兄は、ときどき楓兄をつれてこっそり夜中に家を出ていました。
楓兄が、父さんと母さんのイヤな心の声を聞きすぎないように連れ出していたのもあったようだけど、それだけでも無いようでした。
たぶん、上司の人にも言えないような未来を知ってしまって、それをこっそり変えるために、自分にできることをしていたんじゃないかと思います。
未来を1人だけ知ってしまったからには、自分が何とかしないといけない。
嵐兄の心を読める楓兄は、それに付いて行く。
そんな人生を、2人はずっと続けています。
たくさんの人の役に立つ仕事をしている2人が、『秘密を知られる怖い子たち』という目で見られる。
何もできなくて同情されるぼくが、ゆるい訓練をするだけで、その訓練でも失敗すれば2人からかばってもらって、外に遊びに行くだけでも一緒にいて守ってもらう。
世の中はぜんぜん不公平だと思いました。
2人のためにできることは何でもしたい、何でもできると思っていたけど、それでもだめな子のまま、ぼくは小学生になりました。

入学してすぐに、ぼくの人生ぜんぶを変えるようなことが起こりました。

△▼△

子どもの話をしよう。
自分のことがこの世で一番嫌いだった子どもの話だ。
自分の異能を、『このそうびは呪われていてはずせない』だと思っている子どもの話だ。

子どもの両親は、普通の親だった。
少なくとも、家での親としての働きぶりを見ていれば、世間的には優等生の親に見えるだろう。
共働きであるにも関わらず子どもの三食はきちんと用意し、子どもの生活ぶりや学校でのこと、体調などはきちんと気に掛ける。
父兄参観や運動会などの学校行事には、手作りのお弁当を携えて駆けつけ、気立てのよい人たちだと他の保護者からの評判もいい。
普通に家事をこなし、普通にだんらんの席を囲み、普通にクリスマスのプレゼントにあれがいいこれがいいと必死に悩む。
そして、普通に息子たちを愛していて、普通に息子たちの幸せを願う。
ただ、その幸せの形が『選ばれた力を宿した息子たちが、世界のための優秀な歯車になる』という一択しか頭になかっただけだ。

いつも兄2人を見送る側だった子どもは、やがて不安に襲われるようになった。
いつか、兄2人が危険な目に遭って帰ってこられなくなる日が来るのではないか。
そんなことが無いとは、いくら考えても否定できなかった。
たくさんの人を助けているということは、その分だけたくさんの悪い人を邪魔して恨まれていることになる。
それに兄達を送迎役に任せる時の両親は、『くれぐれもよろしくお願いします』と神妙な顔をしている。
『力を持った者に、役目を果たすための教育ができる家は幸せだ』とか『痛い目に遭ったとしても修行だ』という持論の両親でも、息子にやらせていることが危ないとは分かるらしい。
だから2人が帰ってくる時は、いつも不安がどっと安心にとって替わり、嬉しいのに切ない気持ちになる。

ある夜。
例によってこっそり抜け出した兄達を、追いかけることにした。
自分の力があれば壁を歩いて隠れることも近道することもできるから、兄達が何をしているのか、危ないことが無いのか確かめられると思った。
結果は、たちまちにはぐれた。
次兄の心読みに引っ掛からないように距離をおけば、どうしたって走る速さで引き離された。愚かだった子どもは、はぐれて初めてそのことに気付いた。
わんわん泣いていたところを、顔を真っ青にした兄達に保護されて、自分がいかに迷惑で、足手まといに過ぎないかを思い知っただけだった。
仮に兄達が危なかったとしても、自分はその場に駆け付けられない。
自分はどこまでも弱いという現実が、心に悔しいという爪痕を残した。

後で分かったのは、兄達はまちがいなく、その夜に未来を変える行動をしたことだ。
なぜなら、翌日に起こったことが、誰にとっても『イレギュラー』の事件だったからだ。
変わったきっかけは、些細な事でしかなかった。
その日は中等部が短縮授業で早く終わる日だったので、次兄が末っ子を初等部まで迎えにきて一緒に帰る約束をしていた。
だが、初等部の授業が終わっても、兄は迎えに来なかった。
中等部まで出向くのも一つの手ではあったが、体格の大きい中学生がゴロゴロいる校舎に出向くのは怖かったので、次兄にメールを送ってから図書室でヒマを潰すことにした。
後で分かったことだが、イレギュラーで迷子の弟を夜中に探し回った緊張の糸が切れて、次兄は珍しく帰りの学活で寝落ちしたらしい。
たったそれだけの事を、次兄がずっと悔やんでいることを子どもは知っている。

普段はあまり行かない図書室は、スクールバスが出た直後であり、たまたま司書も留守にしていた。
それが不幸中の幸いだった。
不幸中の不幸だったのは、たまたま手に取った子ども向け科学の本に、『万有引力の法則』というモノが何なのか、書かれていたことだ。
一年生にしては早熟ながら、子どもは初めて『地面に足がついているのは、地面に引っ張られているからだ』と理解した。
そこで、発想の転換が訪れた。
それまで、『神足通』とは足を置いた場所に貼りつける力だと思っていた。
だが、それなら靴下や靴を履いていれば、能力が使えなくなるはずだ。
ひょっとして、自分の力は、『足場にしたい地点に、引力を発生させる力』なんじゃないのか?
その仮定にたどり着いた子どもは、ひょいっと片足を持ち上げて、天井の方へ向けた。
たとえ足を置いていなくても、天井に着地したいという風に意識して力を使ったらどうなるか興味がわいてきて『学校や屋外で使うな』というルールをその時は忘れた。

それが暴走の引き金になった。
重たいものが壁に激突するような大きな音が聞こえて、それが自分の身体が天井まで打ち上げられた衝撃音だと遅れて気付いた。
背中がつぶれたように肺が絞められて、息ができない。
遅れて、激痛がやってきた。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い

痛覚がそれまで感じたことも無いほどのシグナルを発した次の瞬間、体を取り巻いていた重力がかき消えて、逆方向への落下が始まる。
直後、また床にたたきつけられたところで子どもの記憶は途切れている。



事の発端は、子どもが生まれてしばらくして、地面を這うことができるようになり、能力が発現したての頃にさかのぼる。
子どもが7歳の時にたどり着いた仮説を、大人たちはその時点で既に考え尽くしていた。
そして、疑問が呈された。
本来の『神足通』という異能ではあり得ない形で発現している。
六神通とは決して烏天狗だけに限った異能ではなく、様々な文献に書かれている。
思いどおりのところに至り、思いどおりに姿を変え、思いどおりに外界のものを変えることのできる超人的能力。身如意通。
そのような過去に観測された神足通と比べて、あまりにも使い勝手が悪すぎる。
少なくとも、生来の烏天狗が集中力を切らして落下したり、『足を置いた場所でしか力を操れない』という例は一度もない。

それは遺伝子が移植されるにあたって完全に想定外の結果であり、移植そのものには何ら不備もないことだったが、力が発現してみれば、原因を推測するのに時間もかからなかった。
単純に、遺伝子を植えただけでは同じにならないあやかしと人間の体の違いであり、より単純に言えば、翼を持った生き物かそうでないかの差だった。

たとえあやかしでも、生き物の身体である以上は使い勝手がいいように進化したり退化したりをする。
自前で飛ぶための翼を持っているし、重力や風力を操れる団扇も使える生き物が、ことさら『移動するための神通力』をメインエンジンとして用いる必要はない。
烏天狗の移動手段は、あくまで翼と団扇を主に使ったものにすぎず、『神足通』は、いざという時に接地して身を守ったり、急な方向転換を果たすための補助機能にまで退化しているのではないか。
榛名颯に発現した異能は、すなわち本来は単体で操る力ではない。
翼と併用しなければ、いつ落下死してもおかしくない力である。
のみならず、自身の重力のみ操るという根幹の部分を制御できなかった場合、天井の無いところであれば生身のまま大気圏外まで放り出されるリスクがある。

常に機体に穴のあいた飛行機。
もしくはフットブレーキもサイドブレーキも取り付けられていないエンジンブレーキだけの自動車を運転するような危険に近い。
可能性の上では、いつ能力に殺されてもおかしくない。

両親は嘆いたし悔いた。
それは『最後の最後まで可能性を調べ上げ、違う条件で移植を行うべきだった』という後悔であり『子どもの体に手をつけなければよかった』という後悔ではないところが、両親が両親たるゆえんだったが。
そして、子どもにはそれを伏せていた。
もし自覚すれば、それを契機として悪い想像を現実に再現しないとは限らないからだ。

目覚めたのは両親の職場の入院室のベッドの上で、周囲はかなりの大騒ぎになっていた。
治療を尽くされて包帯やガーゼで覆われた体で、事情のすべてを悲しい顔の母親から聞かされた。
人間でも妖怪でもないとはこういうことかと、理解が身体の底にすとんと落ちた。
人間であり妖怪『でもある』ではなく、どっち『でもない』と表現されたことがある理由。
あやかしならば、力が暴走することはあっても、最初から使うことが体を危険にさらすような体の機能はない。
自分の身体には、生物として半端で、最初から危険な異物がくっついている。

いつ訪れるか分からない余命宣告と、知らなかったのが自分だけだったと聞かされた時にどんな気持ちだったのか、彼は思い出せないでいる。
ただ、血相を変えて駆け付けてきた次兄が、末っ子と眼を合わせたとたんに卒倒してまた大騒ぎになったので、愛する弟の心を把握した次兄が許容値を超えるほどには酷い状態だったことは確かだ。

しかし、本当の絶望は、その後に待っていた。

△▼△

次兄が介抱されて一息ついてから、母親は子どもを安心させるように告げた。
それでもあなたは空に落ちたりしないから、心配することはない、と。
なぜなら、あなたのことは嵐お兄ちゃんが守ってくれるから。

『事の発端』の話には、続きがあった。
当然、事が分かれば子どもの命をどう守るのかという話になる。
たとえ実用には向かない力だったとしても、結果的に『自然交配では決して発現しない能力者』という世界で一人きりのモデルケースが生まれてしまったことには違いない。
人命としても症例としても失われてしまうにはあまりに惜しく、成長経過は要観察の扱いとなった。
母親は直接的な言い方をしなかったけれど、要は窓も何もない密室で、監禁して育てるつもりだったらしいことは想像がつく話だった。
幼いうちは何かの拍子に壁から転落死するかもしれず、日常生活を送ることにさえ危険が伴う。
大人ができるだけ見守るとしても、理論上いきなり空に落下して死ぬかもしれない子どもを外で遊ばせることは、容認できないという意見が多数を占めた。
両親だって子どもにそのような人生を送ってほしくはなかったので、家庭でもきちんと安全に育てると反論したけれど、『明日がどうなるのか』という証明が誰にもできない以上、自由にさせることはできないという主張が優勢だった。
何もなければ、そうなっていた。

「――だったら、『明日の保証』があればいい」

どうやってか割り込んできた、まだ小学生の少年と、もう一回り幼い少年の2人が、子どもの一生を救った。

そう言い放ったのが榛名家の長男だったことで、大人たちは驚いた。
彼に、そこまではできないはずだと、誰もがそう思っていた。
まさか、『弟がその日やけどをするかどうかまで分かる』ほどの力を持っているとは誰もが思わなかった。
2人ともが、その時まで、自らの能力を過少申告していた。
『実用化するには難しい』と思われる程度にまで力を小さく偽り、普通の子どもと大きくは変わらない毎日を送っていた。

兄達は、弟が生まれる前から賢かった。
自分の能力を正確に申告していれば、自分にどのような未来が待っているのか悟っていた。
彼らの異能は当人にしか見えないものだから、見えた結果を偽って報告したところで嘘だという証明はできない。
何より烏天狗の遺伝子を受けた子どもは兄が初めてだったのだから、他の症例とも比べようがない。
嘘発見機の類を使われたり、次兄ではなくとも心を読む異能を使われてしまえばすぐに見破られる嘘ではあったが、そのような手段を使われように長男は細心の注意を払っていた。
まだ受け答えを覚えたばかりの幼児が自分の将来を見越した上で嘘をつくわけがないという先入観も利用して、決して証拠をつかまれないように立ち回っていた。
次男も能力を使って長男の思惑を読み取り、それに右にならえをした。
こと意思疎通という点において、長男と次男はたいそう相性が良かった。
当然、長男が過少申告を露呈するとなれば、次男のそれも露呈するのは時間の問題となる。

たとえ絶対の未来予測でなくとも、『普通の生活ができる』という仮の保証さえあれば、優勢だった意見を覆すことはできるようになる。
2人の兄がどういうことだと問いただされる代わりに、末っ子の明日は保障された。

そして、母親には愛情と善意があった。
兄のおかげで今日も明日も守られているとなれば、末っ子が負い目を感じるだろうと、心から心配した。
末っ子のおかげで、怠け者だったお兄ちゃん2人が、良い子になったことを教えてあげれば、この子も安心するだろうと考えた。
兄達は絶対に隠しておきたかったはずなのに、2人がかわいそうだと子どもは思う。

全てを伝えられたことで、末っ子は絶望を知った。

兄達が危険にさらされるのも。
兄達が力を目当てにされるのも。
兄達が親の言うままに仕事をしているのも。
兄達が、もしかしたら人に言えないやましい仕事に従事するのも。
兄達が予知した未来を座視して、見て見ぬふりをする生き方ができなくなったのも。
周りが兄達を見る視線に、能力を使われる恐怖だけでなく『なにをやらかすか分からない』という警戒が含まれていたことも。
もしかしたら兄達に有り得たのかもしれない、大人たちを上手くやり過ごしつつ長じては然るべき機関に保護してもらい普通に生活する未来がなくなったのも。

兄達から、楽な人生を奪ったのは。
原因を作ったのは榛名颯だった。

呪いのような力を植え付けたことについて、親を恨んだことは無かった。
自分が死にかけるような異能になったことは不本意だが、少なくとも自分で決められる機会をもらえたとして『兄達を守るための力が欲しいか』と聞かれたら、やはり移植手術を希望しただろう。
異能がなければ兄達を追いかけるスタートラインにさえ立てないのだから、異能者にされたこと自体に恨みごとはない。
だが、兄達に一生外せない『天眼通』と『他心通』という呪いを植え付けたことは恨んだ。
にもかかわらず、日常においては情を抱かざるをえない程度には『いい親』であり、息子たちのことを職場でベラベラと報告するせいで意図せず息子たちの監視役を果たしていることになり、正面からの親子喧嘩もできない、そんな関係も恨めしかった。
何より、兄達のお荷物になるべくしてなった自分のようなものを産み落としたことを、心から恨んだ。
どうして大好きな兄2人は、自分のことなんかを好いてくれていたのか、本当に分からなかった。
兄達は己の背負っているものについて、弱音を吐いたことなど一度も無い。
それどころか、大丈夫じゃない場所にいるのは自分たちなのに、いつも弟が大丈夫かどうか気に掛ける。
どれだけの愛情があれば、そんなに優しくなれるか、分からなかった。

子どもでごめんなさい。
弱くて怖がりでごめんなさい。
普通の子みたいでごめんなさい。
迷惑で足手まといな奴が、2人の弟でごめんなさい。
いっそ本当に落ちて消えてしまいたくなったけど、兄達のやったことが無駄になるから消えることもできない。
母を追い出した病室でそこまで思いつめたところで、長男が病室に駆け込むように入ってきた。
高等部の制服のまま、どうやらイレギュラーが発生した件についての質問責めを振り切ってきたらしく大きく肩を上下させ、その動悸がはっきり伝わるほど強く抱きしめられる。
その時に交わした言葉は、当人同士だけしか知らない。
だが、一番上の兄は、二度目も弟を救うのにどうにか間に合った。

泣くだけ泣いて、立ち直るために決意と脅迫観念が生まれた。
早く大人になる。
自分のことでは泣かない。
兄達から心配されない自分になる。

お前のせいじゃないと何回も言い聞かされて、それでも弱い自分を好きになれないなら、『好きになれるような自分』になる。
守られるだけではなく守れる自分になれたら、きっと『自分が嫌いだ』と考えることで兄達を悲ませることもなくなるだろう。

△▼△

ほんとは、もっと強い力がほしかったなぁ。
もしお兄ちゃんと同じ力をもらっていたら、それはそれで2人を心配させたかもしれないけど。
でも、もっとべんりで、みんなの役に立てるような、そんな力がほしかった。

だけど、無いものをほしがっても仕方ないって何回も考え直して、みんなの前では怖いものなしの末っ子でいることにします。
自分にできることを伸ばすしかないから、あれからずっと、人間の部分を鍛えてきました。
暴走してからしばらくは、普通に歩くことも上手くいかなかったから小児ぜんそくということにして半年間、ふつうに生活できるように練習しました。
床とてんじょうぜんぶに広げたマットとサポーターを用意してもらったけど、三ケタは転んだし、軽く四ケタはかべやマット付きのてんじょうや床や、色んな所にたたきつけられたり落ちたり着地に失敗して苦労したけど、そのかいあって暴走はなおりました。
どこかで外出するたびに行き先をメールしなくてよくなったのは最近のことです。
じゅんちょうに中学にあがれば、外で自由に能力を使えるようにして、夜とか見えないところでなら外で訓練してもいいそうです。
今では飛んでいる時に刃物でさされても集中を切らさない自信があるし、ただ移動に使えるだけの力だけでは任務のときに活かせないから、歩法とか、びこう術とか、かくれ方とか、逃走術とか、とうちょう器の見つけ方とか、聞きこみの仕方とか、人間かんさつを活かすやり方とか、いろいろなことを勉強しています。
本当は武術もおぼえたかったけど、それは『自分を大切にできるまでダメ』と言われたので、おそわれた時のとっさのごしん術をおぼえるだけにしています。
もちろん、学校生活を楽しまないと、閉じこめられずにすんだかいがないから、友達と遊んだりする勉強するのは、できるだけ両立しています。
兄ちゃん達の前では、『お兄ちゃんにすぐたよる弟』のほうが安心させられるから、わざと2人にたよれるときはそうして、べたべたと甘えたりもしています。
わざとだってバレてるかもしれないけど、それでもたよる習慣がつくなら、きっとたよらないよりは安心してくれると思うし、大好きなのは本当だからうそではないです。

色々暗いことも書いたけど、今のぼくは幸せです。
お兄ちゃん達はすごく甘やかしてくれて、何か一つ新しく覚えるたびに家族みんなが喜んでくれます。
たまに『家族』の中から父さん母さんを外して考えるときはあるけれど、それでもぼくの兄2人は、世界一の家族だと思います。

20才のぼくへ。
ちゃんと一人前になって、2人の見ている未来を、教えてもらえるようになりましたか?
ちゃんと家族を守れて、神足通のことも好きになれましたか?
10才のぼくは飛ぶことが好きになってきたけど、飛ぶしかできない力のことはまだ好きじゃないです。
でも、父さん母さんが言うように天狗様がぼくの中にいるのなら、ずっといっしょにいる相手からきらわれたらかわいそうだから、好きになりたいです。

お兄ちゃん達が本当に危ないことになる前に一人前になれるのか、ときどき不安だけど、もっとがんばって、2人を助けるのにまにあわないといけません。
一人前になって、『もう力を使ってもぜったいに死んだりしない』ことが証明できないと、嵐兄がどんな未来を見ているのか教えてもらえません。
2人が何の仕事をしているのかちゃんと知るためにも、もっともっとがんばります。
もし一人前になれるなら、ぼくは相手があやかしでも、正義の味方でも、誰とでもたたかうと思います。

もしも、大事な人を守れるんだという自信ができたら。
その時は、普通じゃないぼくにも、自分が不幸にした人達に守られているだけのぼくにも、すごく弱くて失敗したら死んでしまうかもしれないぼくにも。
ただの友達よりも仲がいい親友とか、恋人とか。
家族以外で、だれかを好きになってもいいと、思えるようになるかもしれません。
おとなのぼくに、そういう人でもいたらぼくはうれしいです。

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最終更新:2019年10月14日 16:57