【交わった時のこと】 文責:光園寺 満衣


純光学園高等部に置いて光園寺 満衣の名を知る者は多い。
容姿端麗で成績も優秀、人当たりも良くて礼儀正しい。
しかし彼女が有名である所以はそこにはない。

「へー、お家復興ってマジだったんだ」

隣の席の多智花さんが身をよじらせて机のプリントに覗き込んでくる。
進路希望調査にいつも通りに第一志望を書き込んでいた最中のことだ。
高等部に上がってからいつからだったか定期的に配られており、
自分の学力と相談して志望校を色々と検討しているところだが
最終的な進路は昔からずっと変わらない。

「ええご存知の通り私は光園寺家を復興させようと思っておりますわ。
 それより多智花さん自身はどうなのですか?」
「私はこれから書くところ」

半笑いで真っ白なプリントを見せられる。
これは恐らく明日になっても提出できそうにないだろう。

「私には光園寺さんみたいな壮大な目標は想像できないんだよねー
 なんだか非現実的というか、自分がそうなった姿が想像できないっていうか……」
「とりあえず進学先は決めておいた方が良いかと思いますわよ?」
「そうだね!大学入ればまたしばらく遊べるし」

軽くため息をついて荷物を鞄に仕舞う。
今日の授業で使用した教科書とノートが入っていることを確認し、
彼女に軽く挨拶をしてから教室の扉に手を掛けた。

「もう行くの?」
「約束がございますのでそろそろ失礼させて頂きますわ」
「なになにまた新聞部?」
「部活ではなく私用です。もう行きますわよ?
 あまり待たせるわけには行きませんので」
「ほ~う?」

何やら多智花さんが意味深な視線を向けてきているが、
どうせ大したことではないのだろう。
口に出さないのであればわざわざ足を止める必要はない。

「ふむふむガードが堅い光園寺さんにもようやく春が……ん?」
「では御機嫌よう」

独り言を呟く彼女を後目に足早に歩きだした。
気づけばもう夕方。
少し遅くなってしまったが、今からなら十分間に合うだろう。


「そういえば光園寺さんって……」



◆ ◆ ◆



「貴女の生きる姿は美しい」

初めて受けたプロポーズは幼き私には鮮烈だった。
夏の夕暮れ、生徒達がほとんど下校を済ませた学校の屋上で、
王子様のような彼にブーケを授けられた。
当時のお小遣いではとても買いきれないほど多い薔薇が敷き詰められて、
正直彼自身持っているのがやっとってぐらいだ。

「貴女の旅路を、どうか傍で見守らせて欲しい」

随分と”きざ”な言い回しだが、
足を震わせたままではせっかくの整った顔立ちも台無しだ。
暫しの静寂、頭を下げたままの彼に一呼吸置き開口する。

「この身に余る御光栄、至極嬉しく存じます。
 ですが私はその言葉を受け取るわけにはいきません」
「何故だ!?」

思わず花束を落として驚愕の声を上げる、
と同時に”周囲の彼の護衛の表情が一瞬強張った”
何やら小言で話していたようだが、私を見る視線は厳しいものではないので
今私がどうこうされることはないだろう。多分。

「この次期鳳グループ会長の妻になれるのだぞ!
 一体どこに不満があるというのだ!」

と言うが、脅し立ててくることも無い様子。
周囲の黒服の男達は静かに見守ってくれているらしい。
彼らに一礼つつ、私は目の前の御曹司の少年に返答する。

「先に調べて頂いた通り、今の私はただの一人の庶民の女に過ぎません。
 従って貴方が婚姻を結ぶメリットが何もございません」
「そんなことは問題じゃない!僕が好きと言ったらそれだけで十分なんだ!」

どうやら引く気はないらしい。
私を見つめる視線はどこまでも真っ直ぐで、
母親譲りであろう蒼い瞳は吸い込まれてしまいそうなぐらい透き通っている。


純光学園中等部、鳳 鷲弥(おおとり しゅうや)。
数々の電気事業を取りまとめる鳳グループの御曹司。
成績優秀、容姿端麗、おまけに祖父からも気に入られているようで、
なるほどこれでは次期会長と噂されるのも納得だ。
会長になるならそれぐらい出来ていなければならないのだから。

だから猶更、彼に甘えるわけには行かなかった。

「鷲弥様、どうかご無礼をお許しください。

 私は貴方と結ばれるわけにはいきません。
 貴方様は次世代の鳳グループを継ぐ身、
 ただの満衣では貴方の足枷となってしまうでしょう。
 私は、鷲弥様の重荷にはなりたくないの。
 だから……ごめんなさい!」

深く頭を下げて足早にその場を後にする。
黒服達は微動だにせず、追いかけてくる様子は無いようだ。
そういえば彼の顔を見てはいなかったが、傷つけてしまったなら謝った方が良いかも知れない。

結局その後は何事もなく、私は帰路についたのだった。



◆ ◆ ◆



「え~~~!もったいなーい!」
「声が大きいですわよ」
「でも鷲弥くんだよー!」
「そうそうもったいないよ満衣ー」

放課後の教室とは騒がしいものだ。
今日は妙にひそひそ話が聞こえてくると思ったら、
どうやら昨日の告白は学年中に広がっていたらしい。
噂を聞きつけた生徒が次々と押しかけてくる。
ほら、あの教室の扉の後ろにも……

「光園寺満衣、発見しました」
「よし、確保しろ」
「ちょっと!?どこ触っているのですか!」
「失礼しました!ですが命令ですので来て頂いて貰います!」

突如現れた黒服の男達に私の体は簡単に持ち上げられる。
言ってることとは正反対に私に対する行為はどうみても誘拐。
もしみゃーこ先生が見てたら凄まじい金切り声を上げそうですわね、
などと悠長なことを考えていたら、静まり返った教室からあっという間に離れてる。

廊下に階段、下駄箱……あ、靴もちゃんと持っていってくださるのですわね。
履き替えさせてはくれませんが、どうやらこのまま運んで頂ける様子。
ここまで強引なやり口はつい昨日に経験致しました。
まあ元々何事もなく終わるとは思えませんでしたし、
今日こそはしっかり断ってしまいたいものです。






「それで、私をここまで”連れてきた”のですわね?」
「ああそうさ満衣さん、そして今日は恩返しをしに来たんだ」
「私から差し上げられたものは何もございませんが」

高級車の後部座席に乗せられた私は再び鷲弥様と対面した。
さて今度はどのような手段で口説き倒すのかと想像していたら
彼から思わぬ言葉が飛び出した。

「君自身にとっては当然のことだから他愛も無いことのように考えているかも知れない。

 だが、僕がこれを知った時は体中が震えたよ……
 いくらビジネスパートナーとはいえそこまで心身になって考えることができるのかと。
 僕の父上は厳しかった……だが、常に目下の者への配慮を忘れない御方だった。
 例えば路上で倒れている民間人がいたら、車を止めて救急車を呼んで救命処置を行うような人間だった……
 部下でも、取引先でも、そして……家族でも!
 相手が心の内で抱えているものを汲み取って気遣ってくれるような立派な方だった……」
「それはそれはとても素晴らしい御父上なのですね」
「だろう!」

だからと言って熱した視線をこちらに向けられても困る。
現状貴方と付き合うつもりはないのだ。

「そのルーツは満衣さん!君の父親にあるのだ!
 父は君の御父上にお会いするまでは、自分の利益ばかり追求して
 周りを顧みない人間だったと聞く……僕に直接言っていたんだから間違いないない。
 だが!君の父親に会ってから運命の歯車は動き出したのだ!」
「……」

まるで恋人でも語っているかのようだった。
だが貴方の家のノブレスオブリージュを
強引に自分の父親と結び付けられてもはいそうですかとしか言えない。
奪われることには怒りを感じるが身に覚えのない謝礼というのも非常に胡散臭い。
まず一から説明してくれないものだろうか。

「ははは、そこまで警戒することないさ」

怪訝な表情を浮かべていたのであろう、鷲弥様が愛想笑いを浮かべて私を慰める。
どうやら自分でも気づかない内に彼への不満が顔に現れていたらしい。

しかし直すつもりはない。
私のお父様が人格者なのは当たり前の話なのだ。
それより貴方の御父様との関係を教えてくださいと言いたいのだ。
睨み付けるとまではいかないが、それでも不審に思った眼差しを彼に向ける。

「今、全てを話そう……恩と言うのも君個人からではない。
 察しの通り、光園寺家……即ち君の御父上からのものだ!」
「……要点だけ話してくださりませ」



むかしむかし日本全てを照らしていると言っても過言ではない、鳳グループという企業がありました。
鳳グループは火力、水力、ソーラー発電など様々な電気事業を展開しており、
ついには原子力発電にも手を伸ばそうとしておりました。
でも民間での原子力発電は主にコストやその他諸々の関係で難しいんじゃないかな?
とも世間で言われておりました。

しかし鳳グループは強気でした。
様々な事業を支配していると言われる光園寺グループがスポンサーに入ったからです。
原子力の研究資金や発電所の建設費などは全て光園寺が賄ってくれるため、
一切の出し惜しみをすることなく事業に着手することができたのです。
これには鳳グループ会長 鳳 翔一朗もめっちゃ舞い上がっておりました。
光園寺に照らされてファイヤーバードでした。
このままどこまでも飛び立っていけそうな気分でした。
ぶっちゃけ慢心してました。上を見過ぎて足元が御留守になっておりました。
だからこそ、悲劇は起こったのかも知れません……

『カイチョゥゥゥゥ!大変です!!!!!!
 試作原子炉1号機が故障して中の放射線が漏れてると連絡がががががががが!!!』
『え??????????????』

なんとびっくり。
絶対の自信を込めて造られた試作原子炉1号機が故障して放射線が漏れていたのです。
放射性物質は極少量で付近は誰もいない荒地だったため
幸い被害は最小限に食い止められました。

ですがそうは問屋が卸さない(表現が古い。昔話だからね)
不幸中の幸いで済ますほどマスコミは甘くありません。

どこからか噂を聞きつけた記者達が真相を確かめる建前で会長の前に押し寄せます。
あわや、翼をもがれた鳳グループは地に墜ちるのか!
せっかく光園寺の力を借りたというのに肝心の結果がこの有様である。

”鳳グループ大失態!!光園寺の威光に泥を塗るか!?”なんて
題名の週刊誌のコラムを投げ捨て社長室の片隅で生まれたてのヒヨコになっていた会長。
今だったらSNSに
『原子炉に焼かれて焼き鳥となった鳳グループ』
『ファイアーバードにならず大気圏で燃え尽きた鳥類』
『電線に絡まって感電死したサンダーバード』
などと凄まじい内容の煽りが飛び交い炎上していたことでしょう。
ウェルダンどころか炭まで焼けてしまいますね。
このままではグループは解散、残った子会社は他の大企業や
あるいは国になり買い取られてバラバラに。
先代から築き上げた地位や名誉と言った、形ではない財産は
当然、形に残るはずもなく霧散していくでしょう。

でしたが、それでも救いはあったのです!!



「そこに現れたのは光園寺 良光殿!
 記者会見、鳳 翔一朗を助けるために現れて、彼とともに頭を下げた!
 そして自らに落ち度は何もなかったのにも関わらず、鳳グループを庇って頂けたのだ。
 ”安全管理に問題があったのは大変申し訳ありません。
  しかし、だからと言って鳳グループへの投資を諦めるつもりもない。
  これは未来への投資です。
  豊かな暮らしを人々に与えられるようにするために、私達は努力を止めはしません”
 ……と!」
「流石お父様!……コホン。
 では、貴方はその恩を娘である私に返そうとしているのですわね?」
「ああ!」


若干どころではない脚色があった気がしますが彼の気概はわかりました。
今の自分がいるのは私のお父様のおかげ。
ですが今の光園寺家の様子から、彼の御父上は”恩返し”をしなかったそうです。
だからせめて娘の私に奉仕しようとしている、ということでしょうか。

昨日と趣旨が挿げ替わってませんかねそれ?

「満衣さん、僕は君に恋している!
 あの日見た時からずっと好きだ!
 君の事を知れば知るほど好きになっていて、
 そして、僕は知ってしまったんだ!」
「光園寺家のことですわね」
「ああ!
 君はかつてはこの日本を牛耳るほどあの名門、光園寺家の跡取だった。
 かつての光園寺家は莫大な財産を抱えながらも決して私利私欲のためには使わず、
 貧しい者達を助けるために投資したと!
 そのおかげで今も数多くの事業が生き残っている、そして僕もその一員だ!」

軽く息を付いて彼を見据える。
結局のところ私に告白したいのか奉仕したいのかよくはわからない。
だけど、それでも私のために何かしてあげたいと想っているのは確かだった。

「満衣さん!」
「負けましたわ」
「へ?」

鷲弥様は呆けたお顔をなされる。彼の情熱に嘘偽りはないだろう。
笑顔で取り繕っているわけではない素直な言葉に私は断ることをやめた。

「貴方の告白を受け入れます」
「そ、それってどういう!?」

今度は戸惑った。
幼さを残す中性的な美少年は私の想像以上に初心らしい。

「私、光園寺満衣は庶民の身でお恥ずかしながら、
 鳳 鷲弥様と御付き合い致します」
「待ってくれ!恩返しをするというだけでまだ付き合いたいと言ったわけじゃ!」
「あら?」

あたふたしている鷲弥様が可愛らしく見えてきた。
正直な彼のことだから私を騙していきなり妻に迎えるということは無いだろう。
だからもう少しだけ一緒にいてみたくなったのだ。

「女性に尽くすのでしたら恋人同士でなければならないでしょう?」



◆ ◆ ◆



高台の付近に建築された築40年の古いアパート。
ところどころ老朽化しているように思えるが、
土台がしっかりしているのか今のところ崩壊する兆しは見せない。
しかし優美とはとても言えない根城で光園寺 満衣の1日が始まる。

「お父様、おはようございます」

父より早起きして朝の仕度を終わらせる。
家政婦はおろか専業主婦さえもいないこの家では満衣が朝食を用意している。
父は和食派なので光園寺家は米が主食、
おかずは焼き鮭に昨晩の残りの金平ゴボウ。
味噌汁の具に刻んだキャベツを入れれば、昨日よりは少しは変わり映えはする。

「おはよう満衣」

いただきますと合掌してもそもそと箸を動かし始める。
左手でリモコンを動かしながら忙しなくチャンネルを切り替えていく。
落ち着いた雰囲気のニュース番組を見つけるとそのまま手を止め静止した。

ニュースでは企業の不祥事だの不審者がどうとだの
いつもと大して変わらない内容が流れていく。
その中で鳳グループの会長がまた記者会見をしていたのが目に入ったが、
大きな企業なのでいつものことだろうと視線をお父様へと戻した。

「早くお食べにならないと冷めますわよ?」
「あ、ごめんね満衣」

少し情けない薄ら笑いを浮かべたお父様は
今度は忙しなく朝食を口に詰め込み始めた。
今日は休みだからもっとゆっくり食べてもいいのに……
と思いながらも、まだ熱が残った焼き鮭を箸で崩して口に入れる。
舌の上に芳香な鮭の切り身がやんわりと染み込んで、醤油の塩味とぶつかることなく調和している。
今日は美味しく焼けましたわね。

「ねえ、満衣は今幸せかい?」
「お父様と一緒にいられるから幸せですわよ」
「じゃあ鷲弥君とは」
「彼とのひと時も有意義なものではありますが、
 まだそういう段階には至ってはおりませんわ」

鷲弥様と付き合い始めて幾週か経つが、悲しいことに未だに恋心を覚えてはいない。
三ツ星レストランでディナーを頂いたり、プロのレーサーにドライブしてもらったり、
連休にはハワイに連れていかれたことさえあった。

けれども初心な彼のこと、恋人の真似事は出来てもそこから先に進むことは未だにできないでいた。

「満衣は鷲弥君のことが好きじゃないのかい?」
「好きか嫌いかで言えば好きですわね。彼の態度には嘘がありませんもの。
 彼はいつも私に誠意を持って向き合ってくれている。今更突き放す気にはなれません。
 お互いの気持ちが整理できるまでは、いくらでも付き合うつもりですわ」
「ならいいんだ」

何か納得されたようなのかお父様は黙って食事を続けた。
私も皿の上を綺麗に片づける。
味噌汁まで全て飲み込みニュース番組に映された現在時刻を確認した。
約束の時間までにはまだ随分余裕があるが、彼に見てもらうわけだから
お洒落に手を抜くわけにはいかない。

食器を片付けるとお父様に一礼し、洗面所の鏡の前に立つ。
髪を整えネイビーのブラウスが着崩れていないか確認し、
新品のタイトレザースカートを履き直す。
中学生にしては生意気かも知れないが、我ながら様にはなっているとは思う。
気づけばもう時計は10時前。
約束の時間には余裕があるが、遅れていくなんて醜態は晒せない。
行ってきますとお父様に告げると彼は笑顔で見送ってくれた。






休日の鬼無里公園は賑わっており、鷲弥を見つけるまで少し時間がかかった。
噴水前で待ち合わせの約束はしていたがこれだけ目立つスポットだ。
当然満衣以外にも多くの人が集まっており、噴水をぐるんと半周して
ようやく彼の姿を見つけることができた。

「鷲弥様、遅れてしまい申し訳ありません」
「満衣さん!えっと……うん、僕も今来たところさ!」
「鷲弥様?」

彼は少し息を切らしているようであったが、満衣が不思議に思ったのはそこではない。
紫色のシャツにジーンズ、そしてとりあえずつけてみましたってぐらいに浮いた高そうなジャケット。
普段の彼は季節に応じた流行のブランドを年相応に着こなして、
思春期の少年としての最大限の魅力を引き出した装いをしている。
今でも整然としたシルエットが現れているため、見方によっては可愛らしくは映るものの、
いつものデートとは明らかに違った出で立ちには首を傾げざるを得なかった。

「お待たせ、最初の予定は確か映画館だったよね!
 遅れるといけないから早速行こうか」
「はい……」

満衣の疑問を余所に鷲弥は彼女の腕を引っ張っていく。
手は汗ばんでおり見るからに緊張していることがわかる。
もう何度もやっているというのにどうしてこんなにも焦っているのだろう。



その後も不思議なことばかりだった。
彼の護衛である黒服達の姿は一向に見えず、デートスポットは賑わっている映画館。
少し並んで、彼は少し悩みながらぎこしない動作でチケットを購入して、
人が多い劇場の中に足を踏み入れていく。題目は最近流行りのラブロマンスだ。

(いつもはホームシアターで観せて頂けるのですけどね)

とはいえ満衣本人に特に不満はない。
普段と違ったアプローチに少々戸惑っただけである。

それに満衣も年頃の少女なのか、恋愛事情に全く関心が無いわけではなかった。
自分の目指す道がそういう事柄には縁が薄かったというだけだ。
男性と女性、それぞれの視点からの心理の変化、甘い一時、それが激情に変わる瞬間、
大分柔らかく表現されていたが、それでもまだまだ幼い満衣の気を引くには十分な内容であった。

鷲弥も落ち着かない様子だったが、映画の見せ場にはうっとりと目を奪われていた。
けれども同じく幼い彼には激しすぎたのか、時折両手で顔を覆い隠すこともあった。

(いつまでも一緒に、とは言いますが
 果たしてどこまで一緒にいられるのかしら)

等と余計なことを思ってしまうのは彼女に夢があるからだろう。
満衣の将来の目的は光園寺家の復興なのだ。
かつては輝いていた家名を再び堀り上げて、父が守り切れなかった栄光を取り戻すこと彼女の本懐。
そこにスクリーンのような華々しい場面が割り込む暇はない。
純光学園卒業後は都会の大学で勉強を重ねて優良企業に就職、さらに経験を重ねて起業を遂げてetc…
今ここに彼といることが一種の奇跡のようなもので、
それでも決着がつかなければ結局別れてしまうことになるだろう。

「満衣さん、その……」
「どうか致しましたか?」
「……いや、なんでもないんだ」

満衣は小さくため息をついた。



「行きつけのお店がありますの」

普段はエスコートされる側の満衣であったが、この日ばかりは鷲弥の腕を引いていく。
メモ帳と睨めっこしていた彼はどうやら店に迷っていたらしい。
予約もできていなかったそうなので、ならば自分が決めてしまっても問題なかろう。
進んだ先は繁華街から少し離れたラーメン屋。熟年の老夫婦が経営している隠れた名店だ。

「たまにはこういうところも良いでしょう?」

挙動不審なぐらいに周りを見渡している鷲弥を奥の席に座らせて、自分も対面の座席に着く。
満衣は慣れた手つきでメニューから豚骨ラーメンを注文すると、
鷲弥も「ぼ、僕も同じもので」と老婆の店員に告げる。

「腹を割ってお話しましょうか」

プラスチックに入れられたお冷を飲み干し
未だに緊張している彼に向けて詰め寄るように眼差しを向ける。
店の中は親子連れが何人かと、黒いスーツを脱いだサラリーマンがカウンターに腰かけているだけ。
たまに少し話し声が聞こえる程度の店内に彼をフォローする者はいない。

そんな中だから満衣と二人っきりの世界に没入することは至極簡単なことで、
多少子供が騒いだ程度で彼女以外の声は全く耳に入ってこない。
見ようによっては高校生ぐらいに見える端麗な顔立ち、
普段の鷲弥なら魅入ってしまうのであるが、
ムードもへったくれも無いこの状況では一種の拷問にさえ思えた。


「……ごめん」
「まだ何も言っておりませんわよ?」
「ごめん!満衣さんごめん!」


明日両親の仕事の都合で日本を離れる。だから今日が最後のデートとなる。
要約すると彼の言っていることはそういうことだった。

「だからデートは御一人でプランニングしたんですわね」
「ごめん……」
「その服装も最後だからと鷲弥自身が見立てたのでしょうか」
「うん……」

そうですか、と言って満衣は口を閉じる。
全く隠すのが下手過ぎる。再びため息を付いて満衣は震える鷲弥を見据える。

「ほんとはもっと早く言おうと思ったんだ!
 でも、それを言ったら早く終わってしまうと思って、だから今まで黙っていた!」
「いつ帰って来られるかはわかりませんの?」
「わからない……ずっと前から決められていたことだから。
 もし用事が終わってもその後のことも山積みだから、この町には……戻れないと思う……」

鳳グループは近々海外進出を行おうとしている。
朝のテレビで見た内容そのままだ。
ただ知っていた情報と違っていたのは、鷲弥も視察に同行するということだ。
かつて光園寺家と提携した時にやらかした失態を繰り返すわけにはいかない。
次期会長を期待されている鷲弥には、今の内からプロジェクトの重要性について学んでもらわなければならない。
仏の顔は三度も無い。二度あれば三度目を”期待”される世の中だから、
次は絶対起こらないように徹底しなければならないのだ。

「だからごめん!」

大きな声で席を立つ鷲弥だが満衣は座るように促す。
二人の様子に口を挟まず老婆は静かに豚骨ラーメンを机に置いた。
鷲弥が満衣を振り向くと、割り箸が綺麗に割れる音がする。

「今日で区切りとするのでしたら、せめて一日ぐらいは私に付き合って頂けません?」
「でも僕は」
「冷めないうちにどうぞ」
「はい……」


ラーメンを思いっきり啜る音が聞こえる。
知識には知っていたが音を立てて食べるというのは実際にやられてみると驚きだ。
髪を束ね、くっきり輪郭が見えるようになった額から少し汗が流れている。
食べ方は下品なのに妙に色っぽくも映るから、こんな姿も新鮮だと見惚れてさえしまう。

「食べませんの?」

お前も食べてみろと言わんばかりに微笑みを向けられて、
照れくさくなって思わず目をそらす。
器の中にはドロドロとした、あまり綺麗とは言えない類の白いスープ。
透き通ってはいない、けれども浮いた油の塊がむしろ喉を鳴らしてしまう。

そして我慢できなくなったのか、鷲弥は箸をスープに突っ込む。
豪快に麺を持ち上げ、汁が飛び散るのも気にしない勢いで思いっきり啜る。
ぬるぬるしているけどそれが食欲を刺激して堪らない。
ドロドロしているスープにホウレンソウを付けて、
びちゃびちゃのまま頬張ってみてもこれが中々いけたりする。
後で食べようと思っていた肉の切れ端にも我慢できずガブリつく。
中から肉汁と豚の出汁が入り混じった匂いが溢れてきて胃袋が満たされていくようだ。
光園寺 満衣はそんな鳳 鷲弥の様子を満足気に見守っていたのだった。



◆ ◆ ◆



「満衣さん、今日はありがとう」

夏の日差しが紅く染まり、二人は夕暮れの街を歩いていく。
あれから鷲弥は満衣を連れて様々なところへ行った。

電車に乗って少し遠くの駅まで行って、動物園で様々な動物を見た。
動物保護区よりもずっとのびのびとしたところで、
大きな公園を二人で散歩しているみたいだった。

ゲームセンターというやたら騒がしいところで躍起になって、
予定より多くのお金を使ってしまったことは少し恥ずかしいが、
ぬいぐるみを受け取った満衣が喜んでいたのですごく嬉しかった。
プリクラというものは正直恥ずかしかったが、
今まで撮ったどんな写真よりも満衣と近くにいることができた。

最後は疲れていたのを気遣ってくれたのか、
カフェテラスで時間を忘れてのんびり話すことができた。
結局満衣にリードされっぱなしだったけど、昨日よりは落ち着いた自分がいるのを感じていた。


「庶民なりに頑張ったつもりでしたがお楽しみ頂けたでしょうか?」
「もちろんだよ」

出会った時から変わらない、けれども憑き物が落ちたのか
幾分か落ち着いた微笑みを満衣に向ける。
やっぱり、君はいつだって一人で何でもできる。

「鷲弥様」

壮麗な眼差しを僕に向ける。
僕からしたら君はいつだって輝いていた。
出会った時からずっとそうだった。


始業式から暫くして僕は複数の男女から言われようのない中傷を受けていた。
親の七光り、金持ちの道楽、人を見下しに来ただけ。
僕自身はそんなこと無くただ、人並みに青春を楽しみたいだけだったのに、
彼らは理解してくれなかった。
嫌気が差して逃げ出そうと思った時に、彼女は現れた。

『随分と賑やかなクラスですわね。
 私とも”仲良く”して頂けませんこと?』

割り込むように入ってきた満衣に僕を含めて暫く唖然としていたが、
彼らはすぐにばつが悪い顔になって去っていった。
今思えば本当に興味本位でからかっていただけかも知れない。
その後彼らが悪事を働いたなどという話は一度も聞いていない。


「もうすぐ迎えが来る。でもその前に少し話をさせてくれないか?」
「ええいくらでも」

それから僕は満衣さんに全てを話した。
彼女に一目惚れをした時のこと、家の事情をずっと黙っていたことの謝罪、
今日のことはこれから先、1日足りとも忘れないということ。
時には昔のことを思い出しながら、僕らは少しも離れようとはしなかった。



「満衣さん、時間だ」

街灯が灯り人通りも随分と少なくなってきた。
すぐ近くに車が止まる音もした。
足跡もだんだんと大きくなってくる。

「どうぞ」

そう言うと満衣さんは両目を瞑る。
だから僕はそっと華奢な細腕を手に取る。
一瞬彼女は驚くが、すぐに真っ白な掌を僕に任せていた。

まだ少女の幼さを残す右手の爪は、短く綺麗に切り揃えられている。
柔らかい手のひらを潰さないように慎重に、優しく握り、
そして、膝を折って腰を下ろした。

「今日までの日々に感謝を。
 そしてこれからの貴女の人生に賞賛を」

繊細な指先に口付けをする。
すると満衣さんはクスリと笑い、

「最後まで誠実な御方」

と僕の片腕を持ち上げて、
指先……と思えば滑ったのか、手の甲へとキスをした。
瑞々しい唇が皮膚に触れるのを感じ、思わず顔全体が熱くなる。

さて、そろそろ迎えが来る時間だ。
明日の黎明には家を出て飛行機に乗らなければならない。
恥ずかしい姿を見せないように従者の方に振り向いて、ありがとうと小さな声で呟いた。
そしてそのまま彼に連れられ車の中に入っていった。


別れ際彼女は手を振っていた。
顔は見えず『さよなら』なんて声はもちろん聞こえない。
『また会いましょう』というのは少し自惚れ過ぎているだろうか。

すぐに見えなくなった彼女の姿を思い出す。
この先僕らが歩む道は違い過ぎている。
ならば交わることはもう二度とないかも知れない。
だけど僕はきっと生涯この恋を忘れることはない。
出来ることは全てやり通したのだから。



◆ ◆ ◆



夜風に吹かれて目を開ける。
そういえば鷲弥様と別れた後もこんな夜だったか。
あれから3年ほど月日が流れたが、未だに彼と再会する気配は見えない。
だけど、鳳グループのニュースは流れていないので概ね上手くやっているのだろう。

彼と別れてほとぼりが冷めてから、また何人かラブレターを受け取ったが、
結局誰とも付き合うことは無かった。
まずは友達から始めて何気ない世間話から始めて夢の話に移っていって……
ああ所詮そんなものなのだ。気づけばその人達はあまり会わない友達になっていた。

光園寺家の復興、やはりこればかりは私一人で行わなければならない。
元々誰かに頼るつもりはなかったが、それぞれ生きている人生があり、
他人をそれに巻き込めるほど彼も私もエゴイストではないのだ。

だけど鳳 鷲弥は良き後継者としての道を進んでいるはず。
ならば彼と一度は交わった私も、彼に負けないよう誇らしく生き続けようとは思う。
貴方が真摯に受け止めようとしていた私であり続けるために。
いつか貴方が見れなかったその先に進んでみせられるように。


少し遠くで手を振っている父の姿を見つけてベンチを立つ。
走らなければ、すぐ雑踏に埋もれてしまうであろう。
ハンカチで汗を拭きとり私はお父様の元へと駆け出した。

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最終更新:2019年10月27日 20:52