【Ovali-yomp】 文責:GM



鬼無里市の駅を中心として賑わう繁華街より20分ほど歩いたところ。
大きな通りからひとつ外れたやや上品な住宅が立ち並ぶその中に、紛れるようにその喫茶店はある。
とても古くからあるような、けど真新しくも見える、風景に馴染んだ色合いの店構え。
なにかをアピールするような立て看板の類は一切なく、店名もドアのガラスに刷られたもののみ。
――『Morgana』 その喫茶店の名前はモルガナといった。

ドアを開ければ、耳を澄ましていなければ聞き逃しそうなくらいの控えめなベルの音が出迎えてくれる。
店内は白と明るい木目調で統一されており、上品でいてかつ緊張を強いない優しいい雰囲気。
見渡しはよく、けどボックス席のパーティションが少し高めで内緒話もできそう。
表すなら本を片手に籠るのがよさそうだと思わせるような店だった。
実際、その点に考慮して店内にはあえて聞き覚えがないだろうローテンポの洋楽がかかっていたりする。

さて、この時はもう夕方という頃合いだったが店内に客はひとりもいなかった。
この朝にも、このお昼にだってついぞ客は現れなかった。これはこの店にとって珍しいことではない。
場所柄もそう悪くなく店構えだって人を遠ざけるものではない。
食事や飲み物の価格も常識的な範囲の内で、味についていえば平均よりも確実に上だ。
なのになぜかこの店に客が訪れることは稀なのである。
それはこの喫茶店がただの喫茶店ではないことに理由がある。

モルガナは喫茶店としては普通だが、”場“としては普通ではなかった。
ここは、妖怪やお化けなどと呼ばれるいわゆる怪異全般の為の駆け込み”寺“なのである。

そして今、カウンターを挟んでこの店の主である本田風助と一人の女性とが向かい合っていた。
彼女の目の前にはメロンソーダ。アイスがのった、しかもふたつものったメロンソーダが置かれている。
それを彼女は器用にスプーンでつついているが、しかし客ではないのである。

「あんまり無駄遣いは控えるように――」

カウンターの上を店主から女性の方へ封筒が滑る。それも薄くはないものが。
それを女性――奇抜なオレンジの髪を鼻の頭らへんで切りそろえた彼女は遠慮なく受け取る。

「これでも慎ましく暮らしてるつもりですよ?
 それに、こうして私に”ぶら下がられてる“ことで本田さんもいい思いをしてますよね?」

くすくすと笑う女性とは対照的に店主は苦いものを噛んだような顔をする。
それを客観的に証明する手段はないが、彼女の言っていることは事実だとわかっているからだ。
話題を変えようと別の話をする。

「それで、最近はアルバイトのほうはどうなんだ?」
「あー、本田さんに紹介してもらったのだったらもうクビになっちゃいました」
「え?」
「やっぱりー、私ってば労働に向いてないっぽいみたいですよ?」

それにしたってクビとは……と店主は口にしようとするが、しかしやめることにする。
大体予想していた通りでもあった。それに絶対的に不都合なことだというわけでもない。
目の前の彼女が”健全“に人間社会に溶け込めればとのアプローチの一環だったが、得手不得手は妖怪にもある。

そう、オレンジの髪の彼女は妖怪だ。そしてこの喫茶店に来る者のほとんどが妖怪だ。
妖怪でなければ店主と同じく妖怪に関わる人間か、妖怪に困っている人間であることが多い。
ここは人間社会で生きようとする妖怪にとっての駆け込み寺であり、また一種の役所のような存在でもある。

店主である本田風助はこの喫茶店の店主であり、妖怪の生活保護を請け負う案内人であり、
トラブルバスターでもあるし、妖怪案件の顔役であったり、その他雑用係で、まだ修行中の身でもある。
ちなみに、この駆け込み寺が喫茶店の形態を取っているのは完全に彼自身の趣味である。

今の場面だと、彼が世話をしている妖怪に当座の生活資金を給付したというところだ。
おおよその妖怪は人間社会の中において人間らしく自立することができない。なので手当てが必要となる。
その財源はとなるとこれは多岐に渡るのだが、実は給付される本人からというケースが少なくない。
妖怪は少なからず人間にとって希少なものを持っていることが多い。
そういうものを預かり、現金に換えて生活資金に充ててあげるというのも店主の仕事の一環なのだ。
尤も、このオレンジの髪の彼女の場合はまた特殊な事情があるのだが……。

 ★

本田風助はオレンジ髪の彼女が帰ると、グラスをシンクに放り込み一息つく。
すると入れ替わるようにボックス席の影から一匹の妖精が顔を出した。

妖精という言葉から連想される姿からはいささか遠い、見た目だけで言えば魔物寄りのアーチンである。
妖精というように日本の妖怪ではない。ある事情から日本に来て、今はここの同居人であった。

「どうした、人見知りか?」
「いーやいや、けど……そうかもしれねぇな」

場所と彼らの文化や生態にも寄るが、ここ鬼無里市では妖怪その他は人見知りであることが多い。
古くから妖怪がいて当たり前でそれぞれに馴染みがあればそこで妖怪同士のコミュニティが生まれるものだが、
鬼無里市では逆で保護してもらうために他所から来た妖怪が多数である。
出身が違えば生き方も変わり、なにより妖怪同士でも他の妖怪は怖い。面倒を避ける為に人見知りにもなる。

遠く海を渡ってきたアーチンの場合、まだこの国での自分の在り方を模索している途中で
そこらへん慎重にならざるを得ないのだ。”人“になれない怪異はとてもデリケートでか弱いのである。

「にしても、よくわかんねぇのが入れ替わり立ち代わりだな」
「そうか? 俺はもうちょっと店が繁盛してくれたほうが嬉しいんだがな」

諸々の裏方仕事で忙しくないことはないが、喫茶店にもっと客が来てほしいのは彼の本音だった。

「その、ほいほい人間みたいになろうってのがな、俺みたいなのからするととんでもねぇよ」
「確かに、そっちの国じゃ同じ人間の傍にいる怪異だとしても、人間といっしょにとはならないか……」
「成り立ちはそう変わらねぇと思うがよぉ、なんだろうねこの差は」

怪異のほとんどは人間の思い描く”そこになにかいるかも“という思考や不安から生まれる。
家につくものであれば――出したものが片付けられていた。消したと思った火がついていた。
それらは元々勘違いだったのだろうけど、そこから想起される”見えない同居人“が怪異の素だ。
洋の東西に関わらずそこらへんはどこでも共通している。
アーチンもいつか最初のアーチンがそうして生まれ、そこから定着したひとつの種である。

であるなら、妖怪が人間になろうと積極的であるここ日本とそうでない場所でどう違いがあるのか。
一人と一匹の妖精とでしばらく考えてみたものの、その答えは出なかった。

「あの”新聞部“とか普通じゃないよな。
 みんな人間の成りをしちゃあいるが出自もなにもばらばらでよ。
 半人半妖もいればちゃんとした妖怪も、なんだかわかんない人間もいるし、
 くっつけたものやら、俺みたいなのから、物憑きに、はきはき喋る幽霊までいやがる」

本田風助は笑っているような困っているような難しい顔をする。
確かに尋常ではない。一大事でもある。これまであんな風に怪異に関係する者が群れになったことはない。
実際に街に潜む妖怪の数からすれば彼らの中に友人知人ができるのは不思議ではない。
しかし先に言ったとおりにこの街の妖怪は人見知りだ。仲良くなるよう誘導したりもしない。

「カルチャーギャップ、甚だしいぜ。
 まぁ、その分、俺の存在も許容されるのかなって楽観はできるけどよ」

なにかが起こっているのだ。これは流れや偶然、偏りというものではなく意図されたものに違いない。

「早く日本に慣れてくれりゃ、こっちとしても気が楽になるかな。
 なんなら日本のカルチャーに染まって美少女やゆるキャラみたくなってくれていいんだぜ」

本田風助は冗談交じりに応える。
しかし胸中の不安はどれだけ意識を逸らそうとしてもちくちくとした針となって消えてはくれなかった。



陽が暮れかかり、遠くから聞きなれた足音が聞こえてくる。
いくらか賑やかな時間の始まりだ。しかし、

実際のところ――”あれ“はなんの為にあるんだろう?

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最終更新:2020年02月06日 14:18