「ただいま帰りましたわ、お婆様」
「おばあちゃん、だろ」
「…ただいま、おばあちゃん」

フローリングの床を歩き、案内された部屋の扉を潜る。
大開きの窓から差し込む陽光で照らされる部屋は、掃除が丁寧というだけでは言い表せない高級さがあるだろう。
まるで自分の部屋ではないふかふかのベッドに身を沈めながら、
私はここまでのことを振り返る。

榛名嵐から光園寺家の過去を聞いた後、私はどことも知れない町の中を歩いていた。
目的は無い、ただお父様と顔を合わせたくなかっただけだ。
気づけば知らないビルの中に囲まれていた私をおばあちゃんが拾ってくれた。

(相当みっともない顔をしていたみたいですね)

拾われた私は暫くいい年した女が泣きじゃくるなとか、
あんな無防備に散歩するなとかお叱りを受けたが、最後は無言で抱き締めてくれた。
お父様とは少しお話しをして、私の気が済むまで預かることになったらしい。
最も頑固な彼女のことだ、昔みたいに私が逃げ出さない限りは無理にでも捕まえておくだろう。

とは言え戻る気もしないしまだ夏休みも続いている。
さてどうやって暇を潰そうかスマホを弄っていたところ、アプリに未開封のメッセージがあることに気づく。

(蒔恵さん?どうしてこんな時期に)

蒔恵さんはお父様の会社に勤めている女性だ。
幼い頃から世話になっているお姉さんだが、確かこの時期は忙しい覚えがあるので
こうして彼女から連絡を寄こすのは珍しい。

(隣街のカフェに……特に予定も無いからいいですけど)

中を覗くと明日遊びに行かないかという内容だった。
断る理由も無いので簡単に返事だけして眠りについた。




自然公園に面したオープンカフェはこの街でも人気のスポットだ。
加えて鬼無里市から離れているので知り合いに見つかる心配も無い。
ただ、目の前の人は口が固いとは言えないので不安ではないと言い切れない。

「だから満衣ちゃんは昔から固いんだって!」
「そうでしょうか?」
「そういうところだよ」

そういうところというのは口調のことだ。
稲西 蒔恵、年齢は不詳だがお父様が会社を建てた時にも見覚えがあるので”ナウなヤング”とは言えないだろう。
幼い頃に『”お姉様”と呼んでいいんだよ?』と自己紹介してきた時は怪訝な瞳を浮かべた覚えがある。
年上だから敬語を使うのは当然だが、彼女は昔からこういうところがあるのだ。

「昔から変に真面目なんだよねー
 いつか本物のお嬢様になるために形から入ったりさー」
「あの時は本気で目指していたんです!」
「今はどうなの?」
「それは……」

唐突に触れられたくない部分に踏み込んで来るところも相変わらずだ。
何も知らなかった私は光園寺家の再興を本気で目指していた。
でも結局その歴史は私が信じたものほど綺麗なものではなくて、
奪われたと思ったものも、憧れたものも全部偽物で……

「まあいいや。でも今の満衣ちゃんはあまり可愛くないな。
 初めて会った時みたいにもっと偉そうにしていていいんだよ?」
「貴女そんな風に思っていたんですか!?」
「しょぼいビルにバリバリに正装した幼女が現れた時は何かと思ったわ。
 社長と雰囲気違い過ぎでしょ」

よく自分の会社の社長をそこまでボロクソに言えるなと思いながらもコーヒーを啜る。
すごく甘い、と思ったらカフェオレだこれ。

「お子様にはまだブラックは早い」
「勝手に人のオーダーを変えないでください」
「いいじゃんお子様なんだし。おっとパルフェも食べる?」
「食べません」
「あ、お姉さんこのカップル専用パフェお願い」
「ちょっと」
「冗談冗談、チョコレートサンデー2つね」
「そうではありません」
「まあまあ、今日は私に甘えさせてちょうだいよ」

胸にドーンと拳を当てて任せなさいと微笑む。
そうではない、そうではないが、屈託ない笑顔で見つめてくるから断れないのだ。
結局渋々彼女の要求を受け取るのもいつものことだ。
後でおばあちゃんに今日のデザートは控えて頂くように頼むことになる。
こっちはこっちで断りづらいのに。

「でさ、悩んでいることあるんでしょ?
 この際だからお姉さんに全部ぶちまけてみな」
「先に聞いておきますがお父様の使いではありませんよね?」
「社長がこういうことできるタマだと思う?」
「……」
「じゃあ話してみて」

実際のところ、私としてもどうすればいいのかわからないのが本音だ。
今まで信じていたものが崩れ、何を目指して生きればいいのかがわからない。
おばあちゃんは普通の生き方をすればいいと言うが、普通とは何なのか。
ただ闇雲に今を楽しむということが私にはできないのだ。

別に黙っていたお父様を恨んでいたわけではない。
こんなこと話せるものか。
お前の母親は大きな罪を背負っていて、光園寺家が公にはとても口にできない出来事に手を出していて、
自分はその尻拭いをしていたに過ぎない、など。
こんなバックボーンなど普通の少女には邪魔過ぎる。
精々私は、昔お金持ちだったぐらいの認識でいれば良かったのだ。

「話したくないなら無理には聞かないけどさ、何の目標も無くても私はいいと思うよ?
 私も無いし」
「そんな生き方、私にはわかりませんよ」
「大体の人がそんな生き方しか知らないよ。
 なんとなく遊んで必要になったら勉強して、今の幸せを何よりも大切にしてその場凌ぎで生きていくの。
 満衣ちゃんにもあるでしょ今だけの楽しみってやつ」

無いというわけではない。
今、あの学園で新聞部をやっていることが何よりも楽しい。
健気に頑張るあの娘の想いに答えると胸がとても熱くなる。
あの娘と一緒にいる時間はこれからもずっと守り続けていきたいのだ。

「だからさ、それだけを大切にしていけばいいんだよ。
 例え目標が見つからなくてもさ、大切にできるものがあればそれを楽しみ続ければいいの。
 あ、今思っちゃった?今の自分にそれを大切にできるかって」
「!?」
「顔に出てるよ珍しい。
 そんな難しく考える必要なんてないんだよ。自分が本気で楽しいって思えることをすればいいだけだからね。
「大切に?……そうね、そうですね……」
「私にはそんな青春無かったからね。
 周りが番作っている中私だけ独り身でしたわよー、おっとパフェきた」

店員さんが整えられた笑顔でテーブルにチョコレートサンデーを置いていく。
軽く会釈をして見送ってから蒔恵さんに向き合うと、彼女はサンデーを食べるのに夢中になっていた。

(全く、いつも勝手な方ですね……)

小さくため息を吐くと私もサンデーに手を付ける。
結局今日もオチも意味もない他愛無い小話。だけども少しは楽になった気がする。
何をすればいいかわからなくても、たまにはこうやって戯れに興じるのもいいかも知れない。
まだお父様には顔を合わせられないけど、今は目を逸らしても許されるかもしれない。

流石本場のベルギーから取り寄せたチョコレートだ。
カカオバターの風味が濃厚に舌に溶け込んでくる。
見れば蒔恵さんがスプーンであーんとしてきたがそれだけは丁重にお断りした。

「やっぱり満衣ちゃん青春真っ盛りじゃん」
「意味がわかりませんわ」

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最終更新:2022年08月29日 00:12