【ある晩夏の夜】 文責:北上 信夜


暑い。

(とても蒸し暑い、夏の終わりの夜だった)

暑い。

(風も無く、不快な熱が全身を包み込んでいた)

あつい

(そして)

   あ つ い

(口の中に広がるのは)

「暑っつい…ッ! なんでエアコン止まってんだよ……」

余りの暑さに飛び起きる。誤ってタイマーでも入れてしまっていたのか入れっぱなしにしていたはずの冷房は稼働を止めてその送風口を閉じており、扇風機が生暖かい風をかき混ぜているだけだった。
(……シャワー浴び直すか)
ぶつくさ言いながら冷房を入れ直すも寝汗でベタついた身体のまま寝直す気にはなれず、着替えとタオルを持って風呂場に向かう。

…暑いのは苦手だ。特に夏の終わり(今の時期)の、最期の断末魔のような暑さが残るような夜は殊更に。

ぬるめのシャワーを浴びながら思うことは、あの山荘での一連の出来事。
研究施設とおぼしき地下で榛名が取った行動は信夜にとって人ごとでは無かった。まるで過去の自分自身を見ているような、心の奥底の錆釘を引き抜き出されるような感覚だったのだ。
『河を渡らせてはならない』
あの時の信夜の心を占めていたのはこの一点のみだったと言っても過言ではない。
自分と同じような経験を、それも当時の己よりも年若い少年がしてしまう事を許すわけにはいかない。なによりあの少年には"あやかし"でしかない自分とは違い"人"として生きる道が残っているのだ。
"ヒト"として生きるのなら超えるべきでない一線。結果としてその必要はなくなったものの、そのためなら自身が再び血にまみれることも辞さないつもりだった。
この件に関しては『軽率に動きすぎ』だと当代の長である曾祖母に釘を刺されたが、それでも動かずにはいられず(教師としても看過するわけにいかず)、また動いた事に関して悔いは無い。

…あんな思いをするのは、一人でも少ない方がいいに決まっている。

(くそ、中途半端な時間に目ェ覚めちまったな…)
風呂から上がり、時計を確認すると午前4時を過ぎたところ。あと数時間もすれば教師(ヒト)として新学期の始業式に出なければならない。
起きておくには早すぎるが、かといって二度寝をすればうっかり寝過ごしかねない時間。
「……骨汁の下ごしらえでもしとくか」
沖縄旅行の際に気になっていたものの食べる機会を逃してしまったため、ネットでレシピを見てみたところ圧力鍋があれば比較的楽に作れそうだと材料を買っていたのは幸いだっただろう。
一度茹でこぼしてもう一度火にかけ、冷ますところで丁度良い時間帯になるはずだ。

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最終更新:2022年09月04日 14:02