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<No.01 ラノベ研の7人>
ここは校舎の4階。南向きの日当たりのよい、しかし冷房のよく効いた、涼しい喫茶室。俺、篠原荒太(しのはら こうた)は、皿にもう残り1/3ほどとなった冷製パスタを、間もなく食べきってしまう事を惜しみつつ、少量を恭しく口に運んだ。
「う~~~ん………………毎年のことながら、美味い。」
料理の仕上りは勿論のことだが、今年はメニュー選びの面でも大成功と言えそうだ。9月も下旬とは言え、まだ残暑の厳しいこの季節。よく冷えたパスタは実に涼やかで、特に喉越しの清涼感が何ともいえない。
「それでまた、トマトの酸味とアスパラのしゃっきり感が実に素晴らしい。」
また一口。このアスパラのゆがき具合も絶妙だ。パスタの完璧な茹で加減といい、一夏をかけた研究の労苦が伺われる。投票上位入賞を狙うライバルを褒め称えるのは少し気が引けるが、これ程のものを出されては、敵ながらあっぱれな出来栄えと認めてやらねばなるまい。
「あのぉ………………」
無心にパスタを口に運ぶ俺を、向かいの席でさっきからじっと見つめていた彼女が、ちょっと遠慮がちに口を開いた。
「薫ちゃん、食事いいの? ほんと美味いよ、これ。」
彼女の前にあるのは、もうほとんど空になったアイスコーヒーの器。大分長いこと並んでようやく席を確保したにも関わらず、彼女が頼んだのはそれだけだった。
最初、俺の財布の中身の心許なさを察して……ということかと思ったが、その考えはすぐに打ち消した。彼女の金銭感覚……否、『お金にかかる常識』というものを、常人の物差しで計ることは不可能である。例えば、食事の支払いは男がするのがエチケット…なんていう世の多くの女性にとっての常識も、彼女は丸っきりどこ吹く風で、自分が食べたいものを食べる代わりに、会計が1万円だろうが2万円だろうが、支払いは全て自分で済ませてしまう。男としてはちょっとみじめさを感じるものの、庶民とはランクの違う財力と、素寒貧にとっては女神とでも言うべき鷹揚さとを、彼女は兼ね備えているのだ。
しかし、だとすれば一体何でコーヒーしか頼まないのだろう。さっきはそこまで考えたところで注文の品が出てきたので、その事は一旦脇に置いておいたのだが、彼女の方から話しかけてきたので、改めて水を向けてみる。
「……ごめん、ひょっとしてパスタは好きじゃなかった?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど…………その……」
「何?」
「……時間…………」
時間?
言われて壁時計に目をやる。今は午後1時……半を少し回ったところか。
「まだもう一皿ぐらい頼む時間はあると思うよ?まぁ、前の方の席は埋まっちゃうかもしれないけど。」
時間の心配をしている彼女に、努めて楽観的な答えを返す俺。しかし彼女の表情はどうにも冴えないままだ。そして彼女は、少し俯きながら言葉を続けた。
「発表…………1時からじゃなかったでしたっけ…………?」
え?そんな馬鹿な。確か公開発表の時間は2時からだったはずだ。
俺は手提げ鞄の中から文化祭パンフを取り出し、自分の記憶に間違いがないことを確かめようとする。視聴覚教室での公開発表のタイムスケジュール……12ページ目。
「……………………」
瞬間、冷製パスタなぞ比べ物にならないぐらいに冷たいものが俺の背中を覆い尽くす。つい先ほどまで俺の心の中にあった優雅で緩やかな午後の時間の流れは、いまや粉微塵に砕け散り跡形もない。
俺は皿に残ったパスタを一息でかき込むと、大慌てで席を立った。
~~~~~~~~~~
視聴覚教室は校舎の地下1階。喫茶室との位置関係で言えば校舎内では概ね対角線上の位置にあり、更にこの人ごみの中では、普通に歩いたら10分はかかる。俺は彼女の手を引いて可能な限り急いだが、視聴覚教室の前にようやく辿りつく頃には1時40分を回ろうとしていた。
既に息も切れ切れだったが、教室の戸口に見知った顔を見つけ、どうにか声を絞り出す。
「ハァ……ハァ…………す、すんません、大和(やまと)さん…………」
「ったく………! ともかく話は後だ、早く!」
そう言うと大和 圭祐(やまと けいすけ)先輩は、その戸口の前を通り過ぎ奥の扉へと急ぐ。慌てて俺達もついて行った。
この視聴覚教室には一種の「舞台袖」的な荷物置き用の小スペースが用意されており、そこにも専用の扉がついていて、そちらに直接入れるようになっている。普段は教職員専用なのだが、今日のように、文化祭のようなイベントの際には、発表内容に応じて生徒が使用することも出来た。……尤も、俺は中学3年間の間にここを使う機会はなかったので、中に入るのは今日が初めてだ。
先輩に続いて扉をくぐると、薄暗い部屋の中に先客が3名。瞬間、俺の体は刺すような視線に射抜かれる。
「シノッチおっそ~~~~~い!!!」
いの一番に口を開いたのは、ぱっちりした目鼻立ちにポニーテールの髪型がよく似合っている、1つ上の学年の山崎梨緒(やまざき りお)先輩。学内でも美人と評判の高いその顔を険しく歪ませ、声のボリュームを極力抑えつつ、しかしその怒りようがありありと分かるような声で俺を非難する。
「まったく、だからこの2人で行かせるのは危険だと言ったんだ。大方、コウタが1時間ばかり時間を勘違いした挙句、喫茶室でのんきに昼飯でも食ってたんだろう」
「いや………っはははは…………面目ないっす………………」
完全に図星を付かれた俺はぐうの音も出ない。千条寺秀一(せんじょうじ しゅういち)先輩の頭脳は相変わらず今日もキレまくっているようだ。尤も、その切れ者的印象を際立たせている、鋭い眼光を放つ瞳……シャープな眼鏡の奥にのぞくその瞳からは、明確に俺への怒りと呆れの色がにじみ出ている。
うぅぅぅ……今回は全面的に俺が悪いのだが、この2人からの集中砲火を前にしては、肩身が狭いことこの上無い。
「うふふふ、昔から変わらないわねぇ2人とも。」
そんな俺に、余裕を感じさせる笑い声で助け舟を出してくれたのは、スラリとした長身にロングヘアーが印象的な千堂涼子(せんどう りょうこ)先輩。
先輩は在学中から一般生徒と一線を画した知性と大人っぽさを振りまき『女王(クイーン)』の名をほしいままにしていたが、高校卒業後、その風格にはより一層磨きがかかっていた。大学に入って以来愛好するようになったというベレー帽もすごく様になっており、知的で落ち着いた雰囲気作りに一役買っている。
先輩の笑顔のおかげで、お2方の立腹も少しは和らいだようだ。すると大和先輩が、俺と彼女の肩にポン、と手を置いて話を続けてくれた。
「ほんとに、お前は昔から変わんないよなぁ。2人して携帯の電池が切れてるっつーのもまぁ、何と言うか……。だけど、多分サクラちゃんは時間のこと、気付いてたろ? こいつは危なっかしいヤツなんだからさ、どんどん思ったこと言っちゃっていいんだぜ」
「サクラちゃんも昔に比べれば相当喋るようになったけど、シノッチには相変わらずなんだから。こいつについてくと、今に間違った方向に引っ張っていかれちゃうわよー?」
「あ、あの、その…………すみませんでした…………」
言われて少々顔を赤らめながら、彼女はペコリと頭を下げた。言い忘れたが、彼女、桜ヶ原薫(さくらがはら かおる)は、友人の間では名字の頭文字から、もっぱら「サクラ」か「サクラちゃん」と呼ばれている。下の名前の「カオル」で呼ぶのは俺含めごく少数、かく言う俺も二人でいる時以外では下の名前は使わない。この呼び名の使い分けは全て彼女の希望によるものだ。
一通りのバッシングタイムも済んで緊張の糸が少し緩んだせいか、俺はふと、本来ここにいるべきメンバーが一人足りないことに気付く。
「そう言えば、教授は?」
「最前列。ぎりぎりまで観客席から発表を見物するそうだ。紹介のタイミングで客席から直接壇上に上がると言っていたぞ。」
千条寺先輩が客席の方を指差す。外から目立たないように客席をそっと覗くと、なるほど、確かに最前列右側に教授の姿があった。
思えば今年のラノベ研の研究テーマ『涼宮ハルヒシリーズ』は、俺と教授(勿論渾名。俺と同学年の前山伸太郎(まえやま しんたろう)のことである)が揃って後輩に推薦した作品である。特に教授は2003年の小説版発表当時から注目していたそうで、俺にはよくは分からないが、教授曰く「一見ライトな筆致ながら、その実SFとしてなかなか見どころのある作品」なのだそうだ。
俺はと言えば、今年の春から放映された第一期アニメでようやく作品の存在を知った、教授に比べればファン歴の浅いにわかに過ぎない。しかしそれでも、アニゲ・漫画を専門領域とする俺としても、少なくともアニメの出来から判断する限り、この作品は将来有望のように思えた。
正直、放映を開始した直後は(あの第1話のおかげで)作品への先行き不安を感じていたのだが、回を追うごとに物語の設定とキャラクターの魅力にのめり込んでゆき、12話のシークレットライブを待つ間でもなく、俺の心は完全にSOS団により洗脳されきってしまった。「涼宮ハルヒ」ブームの到来を確信した俺は、教授と手を携え、後輩諸子に熱烈にこの作品を推薦したのだ。そしてその読みは見事に的中、客席は立ち見スペースからも人が溢れんばかりの大入り満員となったのである。
俺達二人にとってはまさしくしてやったりの結果となったが、そんな大事な研究発表を、教授が律義に客席の最前列を確保して見物している一方で、時間を勘違いして見事にスルーしてしまった俺……。研究テーマの会議で意見が珍しく一致した時には教授に連帯感を覚えたが、こうして見るとやっぱり教授のようにはいきそうもないな……とちょっと情けなくなった。
~~~~~~~~~~
尤も、嗜好の一致という点で言えば、この作品に関してだけは例外だ。そしてそれはここに居並ぶラノベ研のOB・OG7人に共通する事柄でもある。
気付けば壇上での後輩の発表は、既に「涼宮ハルヒ」からその作品の話題に移っていた。
「……というわけで、今夏、物語の最終章となる『罠降し編』が発表。TVアニメも今年4月から放映開始となるなど、『涼宮ハルヒシリーズ』と同じく、いまや大きな注目を集める作品に成長しました。しかし、今日ご来場の方々の中にはご存知の方も多いことと思いますが、当研究部……いや、当時はまだ『研究会』でしたが、この作品、『
ひぐらしのなく頃に』の草創期からその魅力に注目、物語の真相について様々な検討を行なってきました。その活動が、結果として今日の当研究部の礎となっているわけです……」
そう。この作品の縁がなければ、俺達7人が今、ここにこうしていることもなかっただろう。
「……2002年夏、PCの同人作品として、本作第一章となる『
鬼隠し編』が発表されました。この作品は、厳密に言えば『サウンドノベル』というジャンルでありましたが、当時の研究会員はこの作品をライトノベルの特徴を備えた、ラノベを議論するにあたって取り上げる価値のある作品と考え、我々研究会の記念すべき初の研究テーマとして設定したわけです……」
全ての始まり「鬼隠し編」。初見時は物語の裏側などさっぱりで、ただただ作品のおどろおどろしい魅力に取りつかれ、大和先輩と2人、半ば勢いで研究テーマにしてしまったんだったっけ。
今にして思えば、当時切羽詰まっていたとは言え、真相についてこれっぽちも見当のつかない、それも世間的に全く無名の作品で文化祭に挑むなど、自殺行為もいいところだ。この初年度をどうにか乗り切ることが出来たのは、ひとえに千堂先輩の指導と常人離れした推理力の賜物である。何しろ、今振り返ってみれば、「鬼隠し編」単体から推理できる事柄については、その9割方を正確に言い当てていたのだから、敬服する他はない。
「……同年冬には、シリーズ第二章『
綿流し編』が発表。そして翌2003年夏には第三章『
祟殺し編』が発表され、同年の文化祭ではメインの研究テーマと並行して、同作の出題編三章について検討した増刊号を発刊しました。同年の発表ではこれが大好評を得……」
この2作の発表の過程では、本当にいろいろな事があった。山崎先輩や千条寺先輩、それに薫が研究会に加わったのはこの時期で、研究会の規模は大きくなった。
反面、苦労も多かった。特に、文化祭の直前は本当に洒落にならない、一年目以上に会の存続が危ぶまれる危機的状況に追い込まれており、まぁよく切り抜けたものだと思う。ともあれ、この年を乗り越えたからこそ現在の繁栄があるというのは間違いない。
「……そして翌2004年夏には、出題編の最後となるシリーズ第四章『
暇潰し編』が発表。本作を主題とした同年の文化祭発表をもって、我々は研究部として正式に認可されることとなったわけです。まさしくこの部は、『ひぐらしのなく頃に』という作品と共に歩んできたと言えます……」
そして運命の「暇潰し編」発表。ここでの大功労者は文句なく教授だ。
俺達7人の中では最後にメンバー入りした教授は、当時推理の袋小路に陥っていた俺達にとっては異次元とも言うべき着想で物語の謎に挑んだ。結果、この物語の舞台裏の風景は、2004年冬の解答編「
ひぐらしのなく頃に解」開始に先駆けること約3カ月、俺達の前にその姿を表すこととなったのである。
しかし、改めて振り返ってみて思う。
俺達7人はこの作品の縁でここに集った仲間であると同時に、この中の誰一人欠けても、あの段階で物語の真相に辿りつくことは出来なかった。俺も含めて、誰もが欠かせない存在だった、と。
「……それでは、これまでこの作品を研究して来た当研究部のOB・OGの方々をお呼びして、『罠降し編』の詳細を含め、お話を伺いたいと思います。」
一際大きな拍手が沸き起こるのと同時に、後輩君が俺達に合図を寄越してきた。どうやら出番が来たようだ。
俺は、この物語にいよいよ別れを告げる時が迫りつつあることにほんの僅か寂しさを感じつつも、これまでの活動で得た充実感と誇りを胸に、壇上に歩を進めた。
この4年半の、俺達7人の活動の総決算とも言うべき発表が、いよいよ始まろうとしている。
(No.02へ続く)
最終更新:2011年11月04日 01:55