甲斐性無しと懐中電灯3


 柊家の母上に自身では極上の笑顔で挨拶したつもりだ。印象は悪くないだろう。そう思いたい。
 しかしここに来て普段から邪険に扱ってきた古泉のヤツがどれほど貴重な存在だったかを思い知った気分だ。男はこの場に俺一人。何という多勢に無勢、孤軍奮闘であろうことか。
 柊(姉)の部屋の前まで来たところで柊(妹)だけが姉の容態を見に部屋に入り、俺達はしばし待たされた。
「ありゃ、随分厳重ですな。いつもだったらどーんとドア開けてミル=マスカラスを彷彿とさせるプランチャーをかけて叩き起こしてやる所なんだけどねぇ」
 例えが古すぎる。レイ=ミステリオにしておきなさい。
 心の中で突っ込みつつ、俺も内心心配で仕方が無かった。柊(妹)が普通に部屋を出入りしているので、いきなり巨大カマドウマが現れる事は今の所無さそうだ。いや待て俺。心配するのは柊(姉)の容態であって宇宙人未来人その他諸々の引き起こす怪現象ではなかろう。
「いいよ~入って」
 ものの一分足らずで俺達は中に迎え入れられた。
「なにそれ!?誰にやられたの!?新種の昆虫!?宇宙から飛来した謎の物質が衝突した!?まさか宇宙人に拐われてインプラントされた!?キャトルミューティレーション!?」
 柊(姉)は羊じゃないし解剖されてたらこの世におらんだろう。
 とにかく柊(姉)はベッドに突っ伏していると思いきや、普通に服着ていつものリボンで髪の毛結わいて椅子に座っている。ただ、右目を覆う形でタオルを顔に巻いているのが痛々しい。
「んなわけあるか!相変わらずだねハルヒ」
柊(姉)のタオルをひっぺがして検分しようと突進するハルヒの両脇に背後からなんとか腕を入れて抑えつけるが、コイツは本気で心配しているらしく「離せバカキョン!」などと吠えつつ大暴れしやがる。
「かがみがやられたのよ!我らが名誉団員の一人が!しかも相手は宇宙人か異世界人よ!大丈夫!かがみの仇は必ず取るわ、このキョンが驚く程ボッコボコにやっつけてくれるわ!」
 星から星を巡り巡ってきた猛者達に生身のへたれ男子高校生が勝てるか。
「いざとなったらダイナマイト体に巻いてUFOに突っ込めばいいじゃないの!骨なら拾ったげるわ。残ったらね」
「はるにゃん違うよ。お姉ちゃんたらずっとかいちゅ…」
 言いかけた柊(妹)は姉によって口を塞がれた。
「なななんと!まさか世界中のセレブが愛用しているというかの回虫ダイエットというヤツですかい!?」
 意味が分からんぞ泉。なんだそのデンジャラスな香りがするダイエットは。
「少々強引なダイエットとして寄生虫をわざと寄生させて痩せるというダイエット方法があるそうですよ」
 丁寧な解説ありがとう高良さん。セレブって意外とエグいのね。
 話を元に戻さなくてはならんが、俺が「かいちゅ」こと懐中電灯の事を言う訳にはいかんしな…。
「ふーん。こなたの小指くらいしかなさそうなリチウム電池に白色LEDの懐中電灯で夜中中ずぅ~っと
 本読んでたら片頭痛が酷くなって隈が消えなくなったと。そういうワケ?」
 ニヤケ顔でハルヒが真相らしい事をズバリ言い当てた。
「なななややや!」
 柊(姉)がかなり大袈裟に狼狽している所を見ると、図星なのだろう。しかし柊(姉)よ。
「ふもぉ~ふもっふ~!?」
 妹が締め上げられてどこぞの戦闘スーツみたいな声しか出なくなってるぞ。
 とにかく、事の真相を整理すると、柊(姉)は俺が投げ捨てた懐中電灯を見てもったいないと思って拾っておいたわけだ。懐中電灯の腹部に書いてある電池の型番を頼りにリチウム電池を購入し、休憩がてら喫茶店で電池交換しようと四苦八苦していたと。
 しかしこんなミニ懐中電灯だ。親に寝たように見せるために布団を被って本を読んでいたらいつの間にか夢中になり、果ては疲れ目による酷い片頭痛とまあ、そんなんでどうでしょうかねえ。ま、ハズレなんだがな。ハルヒが求める結末はこんなもんじゃないはずだ。
「…死ぬかと思った」
 乱れたリボンを高良さんに直してもらいながら柊(妹)は不満を口にした。
「ご、ごめんつかさ」
 なんかぎこちないな柊(姉)よ。考えてみればこの部屋に入った男は俺が初めてなんじゃないのか(除く父親)?そりゃまあぎこちなくもなるわな。
「さてと、みゆきさん!あのゲームなんていうんだっけ?なんちゃら脳力トレーニングまたやりましょ!」
「ええ、是非。私にあそこまで肉薄したのは涼宮さんが初めてです」
「今日こそ成敗してやるわ!」
「返り討ちにして差し上げますわ」
 可愛い笑顔でハルヒと対等にやりあうとは。お嬢様パワー恐るべし。
「あ、あたしも観戦する~!」
「あ、あたしも!」
 妹の後すぐに立ち上がろうとした姉はハルヒによって両肩を掴まれ、ベッドへと押し倒された。
「病人はベッドで寝てなさい。ただし我らSOS団唯一の貴重な下撲のキョンを置いていくわ。鞭で打つなりヒールで踏むなりチョークスリーパーで沈めるなり好きになさい」
何を言ってるんだこのハルヒという女は。嫁入り前の娘の部屋に健全男子を投げ込んで放置するとはどういう考えだ。
「アンタがかがみ専用下撲になるってことよ。今日だけね。ただしそこのカーペットの縁からは立ち入り禁止!ウィットに富んだギャグでかがみを笑かしてあげるなりなんなりできるでしょ」
 「それじゃあ何にもできん」という反論を見越しての発言だろう。しかもウィットに富んだギャグだ?ハードルを上げるなハードルを!

「おわ!」
 なんとか反論を用意しようと考えを巡らしてる間に柊(姉)と二人きりになってんじゃないか。
 いや待て。ここは柊(姉)の部屋で侵入者は俺なわけだ。どうすりゃいいんだ畜生。
「あ、あの…」
「すまん柊!すぐに退散するから!マジですまん!後でハルヒはきつーく叱っておくから、だからその…」
「ふふっ!そんな事できないくせに」
「え?あ、ああ。できても効果は無いだろうな」
 ベッドに座る柊(姉)はどうやら笑っているらしい事が声から分かる。しかしこの閉鎖空間において血縁者でない女子と二人きりでいるという人生初の状況はあまりにも刺激的過ぎる。
「どわあ!」「わあっ!」
 いきなり飛び上がる俺に驚き、柊(姉)も飛び上がる。
「すまん!メールだ」
 慌てて携帯を引っ張り出すと、長門からのメールだった。
『あなたの心拍数及び血圧に異常値あり。極度の緊張状態と推定。状況を報告せよ』
 急いでなんでもないとメールを返す。
「ふう…すまん…ん?」
 携帯の画面が突然変化した。異常事態だ!あり得ん!
『柊 かがみ さんからプロフィールをBluetoothで受信しました。あなたのプロフィールを返信しますか?』
「ええと、それ、よろしく」
「あ、ああ」
 慌てて俺の携帯番号とアドレスを返信する。
 お互いなんてぎこちない会話だ。しかも携帯番号とメールアドレスをいただいてしまうとは異常事態だ、あり得ん。気まずい空気がこのまま続くんじゃないかと思われたその時、
「ぷっ!なにこれ!携帯のプロフィールまでキョンで登録してるの?」
「な…!」
手元で確認してみると確かに俺の名前はキレイサッパリ消え去り、その代わりに苗字欄に『キョン』、名前欄にも『キョン』と書かれていた。
 もうどうにでもしてくれ。そういえば黒井先生も俺の出席取る時に『キョン』としか言わんし、テストを回収した時も、「あっれぇ?キョンの名前がないでぇ?こりゃ0点やなぁ!」なんていじくられ放題だ。
いっそのこと戸籍も書き換えるか。
「谷口でしょこんな事すんの。決めた、今からあんたの事キョンキョンって呼ぶわ!」
腹を抱えて笑う柊(姉)に釣られて一しきり笑う。ここは谷口の馬鹿に感謝すべきなのか。
なんとなく空気が整ったと感じた俺は、なんとか聞いておきたい事を切り出した。
「ひ、柊、あのな…」
「かがみ!」
「うお!え?」
我ながらなんとわざとらしい「え?」であることか。
「だ、だから、その、ひ、柊は珍しい苗字だけど二名ばかしいて紛らわしいのよ。だから、その、かがみで、いいから…」
 最後の方は消え入りそうでほとんど聞き取れなかったが、とにかくこれはあれだ。俺はこいつのことを下の名前で呼ばにゃならんということだ。果報者という奴なんじゃないのかと思ったが、そういえば隣の組のセバスチャン(本名は知らん)ですらこいつの事をかがみと呼んでいた気がするな。よし、では早速実践しようではないか。柊(姉)はたった今から呼称を変更する。か・か・かかかかかかかか!
何故だ。声に出しているわけではないのにまるで秘孔を突かれて顔が変形し始めているモヒカンの如く俺はこいつの下の名前を呼ぶ事ができない。何故だ。何故これほどまでに素直に口が動かんのだ!
「…い、嫌ならいいから、ごめん…」
「い、い嫌なわけないだろその、か、かがみ」
 鼻の奥が熱い。熱すぎる。灼熱地獄だ。背中に汗が溜まってきた。足以上に脇まで匂って来たらもう俺は立ち直れん…!
「はおわ!」
 再び情けない驚きの声を上げてしまった。床で俺の携帯がバイブ音を立てていた。慌てて拾って確認する。
『心拍・血圧・神経伝達経路に複数の異常を検知。状況を報告せよ。3分以内に報告が無い場合、柊家のプライバシーを侵す行動に移らざるを得ない』
 長門、すまん。何でもないんだ。本当に心配するような事は起こっていないんだ。亜光速でメールを処理した俺は、改めてか、か、かがみに向き合った。
「な、何?あ、あれ?懐中電灯の事?ご、ごめんなんていうか、その…もったいないっていうか、
えっと…」
「い、いや、そんな事いいんだ。だけどな、そんな薄汚れたのじゃなくて今度新しいやつやるからさ。
 もっと本読めるくらい明るいやつでもなんでも…」
「ううん。これでいいの」
 またそれで本を読んで常にタオルで目にアイスノンを巻きつけるわけにも行かないだろう。
「もうそんなことしないってば!とにかくこれがいいの!」
「じゃあ、せめてこれの新しいの買って来るからそれの方がいいだろ?俺の手垢とかついてるし、スイッチのところなんて塗料も削れまくってるし…」
「だからこれがいいの!」
「お、おい、ちょっと、それって…」
「あたしはこれがいいの…。べ、別にいいでしょ、誰の事をその、気にしたって!」
 駄目だ。頭が混乱してきた。
 俺は別に柊かがみに対して特別やさしくしたりだの気を引くような行動をした覚えなんて無いぞ。
 一体何が起こってるんだ?くそ、分からない。いや、分からないって訳じゃあない。ただ、俺は初めて異性から異性としての好意を寄せられたという事なんだろうか。信じられん。というよりも、俺は怯えているというのが正しいだろう。


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最終更新:2007年08月16日 22:53
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