甲斐性無しと懐中電灯4


※ノーカット版

 こういう時の気の利いた答えというのはどんな答えなんだろう。
 俺はあんな懐中電灯ごとき全く構いやしないが、今にも涙が決壊しそうな柊かがみの姿を見ていると、彼女にとって俺が考えている数百倍はこの懐中電灯に価値があるって事だ。
「きっかけとか…聞きたいんでしょ」
 俺は思わず頷いた。うつむいているかがみは部屋の隅っこに何故か正座して固まっている俺の方を見てはいなかったが、沈黙を肯定と受け取ったようだ。
「無いわよ」
「は…?」
 小声だが、開き直ったらしく、かがみは少しずつ語り出した。
 最初に気になったのは一年の時で、ちょうど泉こなたが長門に興味を抱いてちょっかいを出し始めた頃だそうだ。
必死に涼宮ハルヒという電波女を統制し、あらゆるイベントで大暴れ。挙句に生徒会と全面戦争となれば俺自身もかなり有名人にならないはずがない。
 とにかく、自然と目で追っていたそうだ。もう少し色々と理由はある様だが、整理がつかなくて話すのが難しいんだろう。
「そ、そうか。あ、いや、なんつーか、すっげえ嬉しいよ…あ、ありがとな。えと、まあ、懐中電灯くらい構わんから、 新しいのが欲しかったら言ってくれ。交換もありだ。気に食わなくなったら新しいやつ買ってやるから、な」
気が付けば、部屋に夕日が差し込んでいた。夕焼け色になったかがみの顔に巻かれたアイスノン入りタオルが、一層痛々しく見えた。
「ありがと」
 先に冷静さを取り戻したのはかがみの方らしい。情けない限りだ。少しの沈黙。
「…昨日ね、喫茶店出た後ハルヒに会ってさ。あいつったらあたしとキョンがデートしてると思ったんだってさ」
 何という事だ。奴ならあっという間に算段を巡らせ、それをネタに遊び尽くす事だろう。俺が見舞いメンバーに入ったのは金づるではなくこのためか。
「釘…刺されちゃった。下撲の独占はSOS団法第二千何条だかに違反するってさ。あはは…」
 そんな法律あるわけがあるまい。第一俺は下撲ではない(と思いたい)。
「ま、でも今日は団長自らあたしが独占していいって許可してるわけだよね」
 まあ、そういう事になるんだろう。
「…ウィットに富んだギャグは言えないがな」
「いいわよそんなん。じゃあ下撲、そこの縁から内側に入る事を許可するわ」
「あ、ああ。サンキュ」
 取り敢えず狭いカーペットがない空間からは解放された。
「あたしの顔からタオルを外して、明日学校行けるくらいまで治ってるかよーく見てくれない?」
 なんという事を言ってくれるんだ柊かがみ嬢…!一瞬躊躇したが、俺は正座でしびれた足を引きずりつつ、ベッドに座るかがみの頭の高さまでしゃがんでタオルの結び目に手を伸ばした。
 女の子の髪の毛なんて初めて触れる。随分細くて柔らかいもんだ。
「どう?」
「だ、大丈夫だと思うぞ」
「日が落ちて暗いんだからもっと近づいて良く見てよ」
 灯りをつけようなんてのはルール違反なんだろうな。
 背後で俺の携帯電話がバイブする。また俺の心拍数が臨界突破しているんだろう。
「お願い。もっと近くで…」
「あ、ああ…分かった」
 息を飲んで顔を近づけていくが、やはり躊躇してしまう。
「そんなに遠かったら見えない!」
 いや、見てるのは俺の方なんだがな。ていうかもう目しか視界に入らないくらい近いんだが。
しかし、今、なんて、なんていうんだろうか。かがみがしゃべると俺の顔に息がかかる。
 それくらい接近しているのだ。かがみの瞳の下は多少落ち窪んではいたが、気にするほどでもないと、男の俺は思った。女の子にとっては結構大事なポイントなのかもしれない。
それにしても、今俺は呼吸すらできん。いや、常用してるミントキャンディーをさっきまで舐めまくっていたが、もうその効果はさっぱり消え、俺の口臭は普段の状態に戻ってしまっているのだ。
しかしかがみの口臭はまるで無いに等しい。男と女はかくも違う様に出来ているのだろうか。
とにかく、見たものを報告しようと、俺はせめて顔を背けようとしたが、
「こっち見なさい下僕」
 かがみさん?いや、ご主人様とお呼びしましょうか?このセバスチャンめはもう30秒程度呼吸を停止させておりまして、運動も何もしていないごく普通の肺活量しか持ち合わせておらぬ故、願わくば女性の部屋に漂う清廉なる酸素を肺いっぱいに取り込みたいのでありますが。
「さっきから息止めてるんでしょ。気遣い屋なんだね」
鼻にかがみの息がかかる。キャンディの匂いも何もない。ただ、人の匂いと表現したらいいのだろうか。その香りは俺の神経をやたらと興奮させる。
「なんかすっごくミントの匂いがするよ?ちゃんとケアしてるんだ」
 そういうことにしていただきたい。しかしミントの効力が残っていたのか。鼻でわずかに呼吸を再開した。目の前が一瞬ぼわっとする。
 少し冷静さを取り戻したところで俺は気がついた。顔を近づける際に俺は両手でかがみの両肩に手を添えていた。
そして、俺はもう一つ重大な事に気づいた。両首筋あたりに何かが触れている。これは、こいつの腕だろうか。わずかに震えている。俺の手もあまりの緊張に震えを止められない状態だが、かがみはそれ以上に震えていた。
「ごめんね」
 はっきりとそう聞こえた瞬間。かがみの瞳は閉じられ、その顔は俺の顔にぴったり接触していた。
はっきり言ってやわらかさなんてものは感じない。ただ、すごくいい香りのする物がぴったりと俺の唇にくっついていて、俺の四肢はその香りのせいで麻痺して動けなくなってしまった。というより、何もかもどうでも良くなるくらいに体が
溶かされてしまったようなそんな気分だった。それが俺の唇から離れた時、酷く残念に感じた。
「な、なかなか甲斐性あるじゃない…動かないなんて」
 手の震えは止まらないがな。それよりも今何をしたんだ。俺の脳は吹き飛ぶ寸前まできているぞ。駄目だ。本当に溶けきっているのかもしれない。
「横に座って」
 言われるがままだ。かがみのとなりに密着するように座る。ベッドがわずかにきしむ音がした。
 どうも甲斐性という言葉を使われると俺は弱いのかもしれん。既にかなり格好悪いが、これ以上格好悪いのはごめんこうむる。
 かがみの両腕が俺の背中に回された。かなり強く食い込む。心臓が破裂しそうな位早鐘を打っているが、それはかがみの方も同じだった。
 体が接触している部分は自分の体温より10度は高いものが接触していると思うくらい熱く感じたが、不思議と気持ちがよかった。俺は自然と、かがみの小さな背中に腕を回し、触れる程度の強さで抱きしめた。
かがみの頭は俺の胸あたりに接触している。泉の奴と並んでいれば誰でも大柄に見えるせいだろうか。こいつ結構小柄だったんだな。
 余計な事を考えていないと、俺は本当に気が遠くなってしまいそうだった。
 俺の心臓は破裂寸前と思っていたが、かがみの心臓はシャツ越しにも分かるくらい早鐘を打ち続け、俺の体に回っている腕も酷く震えている。
 かがみの両腕が俺の体から離れた。また至極残念な気分が脳内に広がっていく。
 だが、その両手は俺の頭に添えられ、顔も俺の方を向いた。
 夕日に染まったその顔は、息を呑むほど可愛かった。きれいとか、美しいでは無い。ひたすら可愛い。全てを捧げていいくらいに思えるほどだ。
 俺の頭はかがみの顔の方へと引っ張られた。また唇同士が接触する。今度は確かに感じた。かがみの柔らかい、柔らかすぎる唇だ。俺は本当にこんな事をしていいのだろうかという、酷い罪悪感に苛まれたが、もう後戻りなんてできない。かがみの思うままにさせるしかなかった。
 不意に唇になにか濡れたものが当たった。かがみが俺の唇を舐めたのだとすぐ分かった。シャミセンが食後の俺の唇を舐めてくるようなザリザリした感触ではなく、なにか柔らかくて甘美な気持ちが広がってくる感触だった。
 そして最後に、口を少し開き、つけた唾液をふき取るように、俺の唇を自分の唇でわずかに挟み込んで離した。
 そしてまた俺の胸に顔を埋めた。
「ありがと…そのなんていうか、とにかく…ありがと。明日もいつもどおりにして何事もなかったようにしなさいよ下僕!」
 俺の胸に顔を埋めたまま、いつもとは少し違うが、かがみの勝気な声は健在だった。
 そのまま一分ほど、俺達はお互いの体を抱きしめあっていた。

 高良さんの家が少々遠いせいか、他の連中は皆かがみの分以外のハーゲンダッツを喰いつくして帰っていた。
 長門達も既に退散してもらっている本当に面目ない。
 夕日は神社を朱に染めていた。その階段に座り、膝に顔を埋めている俺のよく知っているやつの身体も朱に染め上げていた。
 普段なら一番早く帰るくせに何をしているんだ。仕方ない。かなり距離はあるが、こいつの家までひとっ走りしてやろうじゃないか。
「帰るぞ、ハルヒ」
「あっち向け」
 はいはい。俺は自転車に股がったまま、階段とは逆の方を向いた。自転車の後部がぐいっと下がり、おれの腹部に女の細い腕が強めに食い込んだ。
「家まで行って。大通りの使用は禁止」
 奇遇だな。俺も今は人目につく場所は通りたくない。
「アンタ、なんて答えたの?」
 単刀直入だな。もう二言三言やりとりがありそうなもんだが。
 ハルヒは知ってて今日の膳立てをしたのだ。俺がかがみと楽しくくっちゃっべっている姿を見て取り乱したのだろう。下撲がかがみに取られるとでも思ったんだろうか。なかなかの独占欲だ。
 かがみが休んだのは、自分が彼女を深く傷つけたからだと思ったんだろう。柊かがみが俺に対して結構本気だったとは思わなかったんだろうな。当事者の俺自身まだ信じられないくらいだ。
「ふん。あんなシチュエーション用意してやったのに、その様子を見るとなんにも無かったって感じね。かがみの事押し倒しておいしくいただかなかったなんてダッサ。なっさけない。キョン丸出し」
俺の背中に顔を押し付けたままで憎まれ口を叩く。なかなか可愛いことをしてくれるじゃないか。
「俺は紳士だからな。知らなかったか?もし俺がそんな事してたらどうする?」
「赤飯炊いてやるわ。めでたく柊かがみとゴールインってね」
 祝福するってか?
「それはそれで祝福すべき事でしょ。アンタがそんじょそこらで時間を無駄にしてる高校生同様の平凡でうたかたの幸せを手にしてね。かがみと」
 なんでお前はそうヘソ曲がりなんだ。大人ぶってるつもりなのか?歓迎する?祝福する?ならお前に質問したい事がある。
 何故お前は泣いているんだ。
 この質問を口に出す程、俺は馬鹿じゃないんだが。
「で、アンタはなんて答えたの?」
「別に。懐中電灯なら好きに使ってくれってだけだ」
「そう…アンタは大切な平団員なんだからね。色恋沙汰に血迷ってるヒマなんてSOS団には無いんだから」
「そうだな。さて、さっさと帰るか。今日はまだ月曜日だって事を忘れてたぜ」
ペダルに足をかけると、俺の体に巻き付いた腕に力が籠った。
「おい、そんなに抱きつかなくても振り落とされるような運転は…い、いや、よく俺が景気良く
ぶっ飛ばしたい気分だって分かったな。振り落とされんなよ」
 なんて言ってはみたものの、俺は人が歩く程度のスピードしか出せやしなかった。やれやれ、ハルヒの家まで何時間かかることか。
 俺の視界も、ぼやけきっていてほとんど前が見えなかった。
 今の俺には隠し事が今まで食ってきたパンの枚数をもし数えていたら、その数だけはある。
 宇宙人未来人超能力者、我が家のシャミセンにまで秘密がある。しかもこの地球の行く末を左右しかねんような秘密だ。
その秘密を守るためには、きっとハルヒが言う様に色恋沙汰に血迷ってる暇なんて俺には無い。
 もし、これまで、そしてこれからの滅茶苦茶が全て片付いて、俺も嘘をつき続ける必要の無い時が来た時、まだ柊かがみの気持ちが繋がっているとしたら、その時の俺は、どんな答えを出すんだろうか。
「ふらふらしないでよ!危ないじゃない!」
「悪い。ティッシュ…もらって…いいか?」
 背後から一枚のティッシュが差し出された。ぐいぐいと顔を拭き、改めて道路を見据えた。
 気持ちもそれに連動して切り替わった。まあ、しばらくはこいつらと楽しくやっていくしかないみたいだな。
「なぁ、そういえばかがみと一つだけ約束したんだが」
「ふーん。名前で呼ぶようにしたわけ。ま、アンタにしては上出来だわ」
 改めて言われると照れるぜ。
「どうせ普段と変わらないように接しろって事でしょ!」
 大正解。心配して損した。
「遅い!もっと速くしてよ!お腹空いた。ファミレス寄って」
「仰せのままに」
 夕日はもうほとんど見えなくなり、俺達を乗せた自転車は、ゆっくりふらふらと神社を離れていった。
 俺が家にたどり着いた頃には、もう月9ドラマも終わっている時間だった。
 ライトが消された真っ暗な玄関のドアの前で、俺はいつものように新調したミニ懐中電灯の出番と思い、キーホルダーを引っ張りだしたが、そこにミニ懐中電灯の姿は無かった。
 慌てて一番近くの街灯の下に行って確認してみると、懐中電灯を吊るしていたリングが、無惨に引きちぎられた状態でキーホルダーにひっかかっていた。こんな事をするやつは、先ほどファミレスで食事をたかったあいつしかいない。
 まったく分からん。ま、いいか。
 家に入ったら俺の方からかがみにメールをしてやろう。それくらい先にしないと男の面子が保てん。
 さて、なんてメールを書いていいものか。



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最終更新:2007年08月26日 23:34
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