「なんと…これは…?」
なんと…じゃねえ。現実を受け入れろ。
「いえ、確認なのですが、僕は本当に赤のコインを使用していたんでしょうか?」
「殴るぞお前」
「古泉くん強いんだねぇ~」
「今、何と申しましたか可憐なお嬢様?僕が、強いと?」
確かに言ったよ。こいつにしてみりゃお前の方が断然強いだろうさ。
「お前は勝ったんだよ!お前は確かに赤のコインを使ってた。つかさは黒のコインだ。お前は黒のコインを全て取り尽くして勝ったんだよ!」
チェッカーズ、またの名をチェッカーという斜めにコイン状の駒を動かし、相手のコインを飛び越したらそれを取れると、そんなゲームだ。
「ちょっと…つかさ…」
姉の柊かがみが真っ青な顔をしている。というか、SOS団の部室にいる大半が真っ青だった。
朝比奈さんはおろおろしてほぼパニック状態だ。長門の頬をぷにぷにつついて遊んでいた泉こなたも、長門の頬に指をめり込ませたままであんぐり口を開けている。頬に泉の指が突き刺さっている長門までもが、意外そうにこちらを見ていた程だ。
「でも、惜しかったですねつかささん」
この部室内で唯一平静でいるのは高良さんのようだ。
天然なだけかもしれんが。
「つ、つかさはきっと体調悪いのよ。そうでしょ?つかさ!」
現実を受け止めきれないのは何も古泉だけでは無いらしい。ハルヒの奴も『ワナワナ』という表現がぴったり合う程に震えた手でつかさの両頬を掴み、額と額をくっつけた。
「ね、熱ある!熱あるよ!ほ、ほら古泉君、つかさの事保健室連れてったげて!ね!」
「両手を突き上げて伸びをしろ大きく息を吸って吐け目を閉じてよく揉んで目を開いてよ~く全てを見渡せ!」
まさか本当にハルヒが息を大きく吸って吐くとは思わなかった。信じられん。あのハルヒが俺の言葉で失った我を取り戻す日が来ようとは。
「え?あたし熱ある?」
ええいレスポンスが2テンポは遅いぞお嬢さん。
「ごめんね古泉くん。あたし全力でできる体力じゃなかったみたいだね。失礼なことしちゃったよ」
「いえいえお嬢さん、万全ではないというのに私は大苦戦でしたよ?」
板上にある赤のコインも、確かに2枚程しかなかった。それにしても酷いゲームだった。お互いルールをなんとな~く覚えているだけという状態で、戦略も何もあったもんじゃない。しかも普通十五分もあれば勝負がつくような駒数の少ないゲームだというのに、こいつらは延々一時間以上は勝負を続けていた。
「つかさ!いい?こいつはね、将棋なんて駒の動かし方しか知らないあたしに30分くらいで負けたのよ?」
「僕としては30分持った事を評価いただきたい所ですがね」
つかさの中央演算処理装置は今の情報を咀嚼し、結果を吐きだした。
「お姉ちゃん強いもんね」
なんだその結論は。
まあ、予想はつく。17年間姉妹やってて頭を使うものについてはかがみの勝率は100%に近いのだろう。
「とにかくこれは異常事態よ!」
ちっ。やはり俺の言葉程度でハルヒのやつが平静を取り戻す訳がないか。
「異常事態も何もあるか!こいつとつかさは尋常に勝負してそれが決しただけの事だろう。違うか?」
「そ、そうだけど…ちょっと取り乱したわ」
今度こそ本当に落ち着いてくれたらしい。まあ涼宮ハルヒという天上天下唯我独尊女に思慮分別を芽生えさせる程に、古泉一樹という超能力高校生がゲームに勝つという事は驚愕の事態なのだ。
「あれ?キョンくんあたしの事下の名前で呼んでくれてたっけ?分かりやすくて助かるね、お姉ちゃん」
「もう一週間も前からあんたとあたし達の事下の名前で呼んでるわよ!ああもう、姉としてあたしはどうあんたにツッコミを入れていいもんか…!」
分かる。分かるぞかがみ。ツッコミキャラに生まれついた俺達の血塗られたデスティニー。
悲嘆に暮れる俺達を他所に、意外な奴が口を開いた。
「指を収めて。話しにくい」
「お、あ、はひ…」
泉が俺の妹と張るくらい小さな指を長門の頬から離した。
「今の勝負、古泉一樹及び柊つかさ両名にハンディキャップとなる身体的問題は見受けられない。ただ、両名は共に自分の手になると軽微なパニック症状を起こす事が見受けられる。ゲームの概念を理解せずに開始する事が根本的要因。
その他戦略が場当たり的で極めて稚拙。盤面全面を見ておらず、一枚でも手駒を取られるとパニック症状が増大、防御に徹する様になる。これが長期戦化する原因。柊かがみとの将棋による対戦で28分間耐久したのも、一切の攻撃行動を起こさなかったため。両名共に攻撃行動を起こさない今回のケースが65分間の長期戦になった理由」
因みに時間は四捨五入して分単位にして話しましょうとお願いしたのは俺だ。しかし室内の温度を絶対零度まで下げてどうするんだ長門。
「き、キョンの旦那、も、もしかしてながもん…キレてる?それもブチギレ?」
泉が狼狽しつつ、小声で俺に質問してきた。
大丈夫だ。あいつがブチギレまでいくと口を利かなくなる。
「も、もしかして有希ってキレると理詰めで相手を精神的にいたぶるタイプ…?」
小声でかがみも恐る恐る訊いてくる。まあ、正解といえば正解だ。もし長門が本当に怒っているならだが。
突然長門は椅子から立ち上がり、俺の傍らに避難する様に寄り添っていた泉に近づき肩をぽんと叩いた。
「ぬお!?」
慌てて逃げようとするが、長門の手は逃すまいと泉の肩に指を食い込ませる。そして長門の反対側の手は人差し指をピンと立てた状態で泉の頬を襲った。
「は?へ?」
「あなたの指は4分間私の頬に刺さっていた」
「そ、そんなに長かったっけ?」
長門に頬をぷにっと刺された状態で必死に弁解を試みるが、ながもんこと長門有希さんは離してくれはしない。
「正確には約4分間の3分31秒。緊急時以外は分単位で話す様指示を受けている。よって、この状態を4分間続ける」
「そ、そんなご無体な…!4時半になったらネトゲにログインして先生に昨日のペアで稼いだ売り上げ渡さないといけないから!ほら、あと3分しかないよ!先生お金に細かいから勘弁してよぉ!」
無駄にたくさんある我が部室のパソコンの内一つは泉によって私物化されている。しかし黒井先生も学校のパソコンになんてものをインストールしているんだ。
「なら、この指に左右15度ずつのトルク(ねじり回転)を連続で与える。それであれば一分前に解放する」
長門の指がドリルと化して泉の頬に食い込む。
「ひゃええ~!」
しかしすぐに停止して泉は解放された。
「じ、冗談…?」
泉が恐る恐る訊くと、長門はこくんと頷いた。
どうやら、宇宙人はほっぺをプニッとされるのがお気に召さないらしい。諸兄も地球外生命を見かけたら、みだりに頬に指を突き刺したりしないよう、十分注意されたい。
「ながとちゃんながとちゃん!そういう時はこうするんだよ」
つかさが急に立ち上がり、
「ドッキリ!だーい!せー!こー!」
言い表し様が無い程に酷い振り付けだ。見ている方が恥ずかしくなる。4つあるポーズはどれも踊らなければ人類が滅亡するという事態に遭遇しても喜んでは踊れない。
確かローカルテレビで地味に人気があった番組の振り付けだ。ただし人気とは言っても、40名程度のクラスでやっとこさ一名反応するか程度の人気である。そしてその一名程度というのにこの柊つかさ嬢が該当しているのだ。テレビっ子め。
「これやるとね、すっごい怖いラーメン屋の店長さんもいたずらされたのにしょーがないなーって許しちゃうんだよ!」
なんという純真な魂であることよ柊つかさ。
俺はまずハルヒの顔を見た。反対票、了解。
高良さん、反対票、了解。
泉、反対票、了解。
かがみ、賛成票、了解。
古泉、保留、了解。
よって本案件『柊つかさ大人へのステップアップ テレビ番組ヤラセ講座開催』案は反対多数により否決とする。
純真無垢なのは良い事である!
多分な。
「いやあ、それは良い事を聞きました。それではつかささん、拙い試合を見せてしまった事を長門さんにお許し頂きましょう」
「うん!」
おい、古泉、まさか…!
「だーい!せー!こー!」
「だーい!せー!こー!」
人類の未来は任せたぞ、古泉、つかさ。長門はその謝罪には全く見えぬ謝罪をただ普通に眺めていた。しかし何を思ったか、突然泉の方へ向き直った。
「おぅふ!な、なんだね、ながもんや?」
「くおら泉ぃー!」
部室のドアが弾けた。実際弾けた訳ではないが、それくらいの轟音と共に、職員用パソコンにネットゲームのクライアントソフトをインストールする不良教師が怒鳴り込んで来たのだ。
「昨日出たレア売れたんやろ!売り上げネコババする気かゴラァ!さっさとログインして渡せやボケェ!
その金が無いと回復も買えんのじゃ!お前が火系の敵狩りたい言うから水系装備死ぬ気で揃えたったのになあ!…あん?」
黒井先生の視線の先には、まだ「だーいせーこー」の「こー」の部分のポーズで固まっている古泉とつかさがいた。
「ほ~う。ドッキリ大成功かい。昨日3時まで付きおうてやった上に、水系装備の先行投資で9M一気買いして火の車になってるアタシにドッキリか、ほう!大人しゅう泉を出してもらおか?正義のパチキ入れてやらんと気が済まんわ!」
また視聴者が見つかった。まあ、黒井先生の場合はネトゲをやっている時はテレビつけっぱなしでたまたま見ていたとかそんなレベルだろう。
泉の姿は部室内に無かった…というのは嘘だ。よく見ればやたら長い髪が机の下からはみ出ているのが見える。しかし俺の背後からよくも素早くそこに隠れたもんだ。あの髪の長さにはいつも驚かされるが、実のところは美容院に面倒だから行かずに、前髪は自分で切ったり柊姉妹に切ってもらったりしているらしい。
「つかささん、黒井先生はお怒りの様ですね。許してもらいましょうか?」
なんですと?古泉、そんな万能な踊りではないぞ。
「うん!」
可愛く返事をするつかさに思わず頬が緩んでしまうのは、俺だけじゃないだろう。しかし可哀そうに、俺よりこめかみを抑えている奴がいる。かがみ、太るのは分かるがあとで甘いものを食べて脳をねぎらってやれよ。
「どっきり!だーい!せー!こー!」
「どっきり!だーい!せー!こー!」
まあ、いくらつかさが可愛く踊って見せるとはいえ、俺のこめかみにも違和感が走る。羞恥心メーターがマックスを振りきっているのだ。
「あっはっはっは!苦しい!やめ、やめさせてあれ!」
ハルヒが精神崩壊を起こすのではないかと思うくらいに笑い転げている。こいつの笑いのツボは結構多い。
朝比奈さんはといえばつかさの「こー」のポーズを嬉しそうに携帯カメラで撮影していた。
既に急須に追加のお湯が投入されているらしく、湯気が立っている。まだ先生が乱入してきてから1分も経過していないというのに、なんという素早さだ。
そういえば前に言っていたな。
『なんだか、ちょっと前までの私を見てるみたいで、とっても危なっかしく感じてしまいます。すっごく可愛いし、セミショートの髪がすっごく似合って、無邪気で。かがみちゃんみたいなお姉ちゃん欲しかったなーって思ったりもしますし…あ、いや、過去の私があんなに可愛いかったって意味じゃなくてですよ!私、つかさちゃんのファンになっちゃいました♪』
あなたはそれくらい可愛いとかいっちゃっても許される人類唯一の人ですよ。
例えあなたがどうしようもないナルで女王様タイプでも、俺は喜んでセバスチャン役を買って出て見せますとも!
「『しょーがないなぁー』」
黒井先生の言葉に、泉が手足を細かく動かしながら机の下から出てくる。
「古泉、イケメンのアンタがそんなタコ踊りすると女から見た萌え要素はむっちゃ高いで?漫研の女子共に古泉×キョンで801漫画描かれるんちゃうか?はっはっは!」
「それは楽しみにしたいですね」
さり気にデンジャラスな事をいいやがる。高良さん、両手で頬を挟んで目を輝かさんでいただきたい。
俺たち賢しい現代っ子高校生が無垢なる魂を守ろうと奮闘している時に「萌え要素」だの「801」だのという生きる上で全く必要のない用語を並べんでくれ。
「え?古泉君とキョン君って恋人同士!?」
801は知ってるんですかつかささん。
「いやぁ、そういう深い仲ではありあませんよ。残念ながら」
「残念ながらとか言うな!」
「まあそれはさておき、泉、おったんか」
脇が甘い。甘すぎるぞ泉こなた。俺達の中でも特に小賢しいヤツが、何故今の『しょうがないなー』の一言を自分への免罪符と思ってしまったんだろうか。
「ごめんね先生!今すぐログインするから職員室で待機しててくださいな。いやぁ~つかさに古泉の旦那のお陰で命拾いしちゃったねぇ」
頭二つ分ほど上にある黒井先生の表情がみるみるサディスティックに歪んだ笑みになっていく。
「あれぇ…?先生?」
「アタシはなぁ泉、アンタのだいせーこーを見たいんだがな?ひとりで」
「いや、先生『しょーがないなー』って今!」
「ぬかったな泉。アンタにはゆうてないわ!さ、はよ私に謝罪の意を示せ!ひとりで」
「いや、全然振り付けとか知らないしですねぇ…ぬぉい!?」
脅えきった泉の肩をポンと叩いたのは長門だった。
「な、な、なんだねながもん?」
今日の長門はどうもおかしい。泉の毒気に当てられたのだろうか。
「どっきりー、だい、せい、こう」
長門、お前は今何をした。
「謝罪。先程の私の行動には行き過ぎた点があったので謝罪をしたかった。通常の言葉による謝罪より良いと判断した」
泉をじっと見る長門は、いつもと全く変わらない感じだが、何かを求めているのは確かといった視線だった。
さっさと例の台詞を言ってやれ、泉。
「おお、そうであった!ええと、『しょーがないなー』」
「覚えられなかった場合はもう一度してみせる」
「おいキョン、長門ってこんなキャラやったか?」
俺に振られても困ります。
長門の目になんとなく達成感みたいなものが垣間見えるのは気のせいだろうか。良かれと思って自分の謝罪も兼ねて踊ってみせたのだろうが長門よ、場合によってはやさしさが裏目に出る事もあると言う事も、今後のために学んでおいて欲しいんだが。
「ありがとうながもんや…。もうカンペキに覚えたよ…。お父さん…先立つ不孝をお許しください…よよよー」
「はよせ。ひとりで」
つめたっ!ばっさりだな。関西人はもっと突っ込むものかと思っていたんだが。
まあ、ネトゲごときでここまで怒るのもどうかと思う。
「もうお嫁に行けないよぉ!誰もあたしなんてもらってくれないよ!かがみん以外…!」
「ええい鬱陶しい!そんなにお嫁に貰ってほしいなら古泉にでも頼めばいいでしょが!」
珍しい。昨日散々黒井先生にどつき回されたのは確かだが、泉こなたとあろう者がまだ立ち直ってなかったとはな。
「え~古泉の旦那はどうも何考えてるか分からないからねぇ。あたしゃキョンの旦那に頼もうかねえ」
「なっ!」
「ほお~う。『なっ!』だってさ。いやぁ、果報者ですねえ旦那!」
どういじってくれてもいいさ。俺も自分の事を果報者と思ってるくらいだ。正直柊かがみは俺の中では特S級美少女だ。ええい、誰がどう助平心を持とうが構わぬだろうが。
「あ、お姉ちゃん達もういたんだー。探しちゃったよ」
相変わらずのいい笑顔でつかさが入ってきた。でも15分も探すくらいなら携帯電話を使うべきだとお兄さんは思うぞ。同い年の姉がいるもんだからどうしてもつかさは年下に感じてしまう。
「いやあ、遅くなりました」
「あ、古泉君だー!」
「はい、古泉です」
古泉はそう言うなり両手に抱えた荷物を下に置いた。
「だい!せー!こー!」
「だい!せー!こー!」
まさかいきなりあの恥ずかしい踊りを見せられるとは思わなかった。古泉も古泉だ。付き合いが良すぎる。
「つかささん、今日も早速一局お願いしたいのですがいかがでしょう?」
古泉が床に置いた荷物の一つは、見間違い様が無い。オセロだ。
「ねえ、あんたたちって現代っ子らしくDSとかで対戦しないわけ?」
「全くしないな。昨日みたいに先生が突っ込んできたら没収されちまうし」
一応持ってはいるけどな。
「持ってんならテトリス勝負してよ。今日はどうせ先生も来ないし。ほら」
最終更新:2007年08月16日 22:55