「有希、ごめん。今、誰とも話したくないの。用事があるならまたにしてくれない?」
こんな酷い顔、誰にも見られたくなかった。私は有希の横を通り抜けようとして――
「彼と泉こなたの交際に絶望するくらいなら、最初から戦えば良かった」
「……え?」
有希の言葉に、足が縫い付けられた。彼女を振り返る。有希は相変わらずガラス細工のような表情で私の目を見ていた。
「なんであんたが知ってるのよ?」
有希がいつもの素直でいい子の雰囲気のまま、なにか怖い事を喋った気がした。
それより、なんであんたキョンが付き合っているって知ってるのにそんなに平然としていられるの?
有希、あんたキョンのことが好きじゃなかったの?
「わたしだけではない」
すごく嫌な予感がした。まるで、親しい人たちから刃物を向けられているような気分。これ以上は聞いたらいけない。
お願い有希、それ以上は喋らないで。あんた、普段はすごく無口じゃない……!
「朝比奈みくると古泉一樹も知っている。三か月と四日前、彼から報告を受けたから」
私が口を開くよりも早く、有希の言葉が私の心臓を撃ち抜いた。
「知らなかったのは涼宮ハルヒ。あなた一人だけ」
「……は、あはははは……」
私一人だけが仲間外れ。――なんで? 私たちは仲間じゃなかったの? ねえ、キョン、なんで私にだけ教えてくれなかったのよ?
そんなに私のことが嫌いだったの?
「なんで? なんで誰も教えてくれなかったの? ねえ?」
「あなたは不戦敗だったから」
――不戦敗。一体、有希は私の事をどこまで見抜いているの? 怖くなって、目を逸らした。
「あなたは慢心した。彼をSOS団に留めて置けば、誰にも手を出されないと考えた」
そう。キョンがSOS団に居るのは、それは私のすぐ近くにいることと同じ。だから安心していた。
「しかし、現実はそこまで甘くはない。あなたが彼を想うことと同じように、彼に好意を寄せる人間は少なからず居た。
例えば柊かがみ。そして泉こなた」
柊かがみ……? あの子もキョンのことが好きだったの? 今日、キョンたちの事を話していたときの彼女を思い出す。
――ならなんで、柊さんはあんなにサバサバとしていられたんだろう?
「彼女たちは正々堂々、熾烈に戦った。結果、泉こなたが彼を射止めた。柊かがみは戦って負けた。彼女はそれを納得している」
「私だって……」
私だって、きちんと戦えたなら――戦いに参加することができたなら、きっと今みたいなみじめな思いはしなかった。
「あなたは臆病だった。彼に自らの想いを打ち明けようとすらしなかった――あなたは彼に対して好意を抱く自分に溺れていただけ。いつしかあなたは自分の抱える想いばかりを見つめ、彼を見ることすら忘れていた。彼を見ていたなら、彼女たちの存在に気付かないわけがない。」
有希の言葉は、容赦なく私の心を正確に穿ってくる。痛い。痛いのよ。私が悪いことは解っている。けれど、なにもそんなに責めなくてもいいじゃない!
「うるさい! うるさい! あんたに何がわかるってのよ!」
きっと有希は何もかも解っていると思う。けれど私は叫ぶしかなかった。これ以上ダメージを受けたくない。もう今日は十分傷ついた。だから許してよ。もう、私は限界なんだから!
「彼を巡る戦いから逃げたあなたが泉こなたに嫉妬する権利はなく、彼に裏切られたと絶望するのは筋違いだということはわかる」
「――」
心が、完全に叩き潰された。私が責めることのできる相手は私しかいない。誰も私を救ってくれない。
「あなたと彼との間にある絆は、もうSOS団だけ。彼はこの集まりを大変重要に思っている。SOS団はこれからも変わらない」
SOS団は続く。その言葉は、今の私には残酷すぎる。
――キョンは私ではなく、泉こなたを選んだ。私は選ばれなかった。なのに、SOS団がある限りキョンは傍に居る。酷い拷問よ。
――みんなは、キョンと泉こなたの事を私に隠し続けていた。私だけ蚊帳の外、仲間外れ。今までみたいに何も疑うことなく、みんなを信頼なんてできない。
SOS団は、私にとって牢獄へと変わってしまった。こんなつもりで私はこの団を作ったわけじゃないのに……
「そんな……私、耐えられるわけないじゃない……」
耐えられない。今後私は、キョンと目が合う度に泉こなたのことで絶望し、有希やみくるちゃん、古泉君と顔を合わせる度に隠し事をされているんじゃないかと
不安になる――もう、仲間ではいられないのよ?
「何故耐えられない? 彼と特別な関係を結ぶことに怯え、拒否したのはあなた。これからも今までと同じ日々は続く。それはあなたの願ったもの」
「ちがう!」
「……」
私は、そんなものを望んでいたんじゃない! そんな上辺だけの関係を築きたかったんじゃないの!
「ちがうの!」
有希は何も言わない。けれど、有希の目は「これは、あなたの責任」と言っているように思えた。そう、こんな結果を招いた原因は私。それくらい解っている。でも……
「もう一度言う。耐えられないなら最初から戦えば良かった。それをしなかったのはあなた。この結末は必然のこと」
「もういい! どいて! 邪魔しないで!」
そんなに虐めなくてもいいじゃない! 別に慰めてほしいなんて言っていない! 放っておいてよ!
私は有希の横を駆け抜けた。もう、誰とも話したくない。キョンが、私のキョンがきっと校庭で待っている。私に残されたのはそれだけだった。
「……」
有希は私を止めなかった。私はそのまま校門へと駆けより……
ねっとりした感触が全身を襲った。
「え……? なんで? どうしてよ?」
まるで柔らかいものに押し戻される様な感覚。これ、覚えがある。夜の学校にキョンと私しかいなかった、私にとっての特別な夢。あの時も、同じだった。私たちはこれのせいで学校から出られなかったのよ――なんでそれが、ここにあるの?
「あなたが望んだのは彼しかいない世界。そこに涼宮ハルヒ本人の存在は許されていない」
はっとする。
「……なんであんたがそんな事を知ってるのよ? あれは私の――」
「そう。あれはあなたの見た夢だった。そして、これがあなたにとって夢の続きである可能性も否定はできない」
私しか知らないはずの夢。それを有希が知っているのは、あの夢まで壊されそうな気がした。カタカタと足が震える。嫌よ。これ以上、私の中のキョンを壊さないでよ! 夢の中ならいいじゃない!
「中には彼しかいない。これはあなたが望んだ世界。あなたが望んだ世界である以上、あなた本人もここに侵入することは許されない」
キョンが中にいる。そう有希が言った。私だけのキョン。もう、いてもたってもいられなかった。見えない壁を叩く。けれど、壁は私の拳をやわらかく受け止めるだけ。――あの夢にまで私は裏切られるの?
「嫌よ! 入れなさいよ! キョン! キョン!!」
もう、私の逃げ場はここにしかない。それなのに、脱出口は硬く閉ざされ、逃げ込むことができない。なんで? なんで何もかもが私を裏切るの?
「涼宮さん、入口はここですよ」
入口。その言葉に振り向く――生徒会の女、確か、喜緑さん? 何故彼女が? なんて思う余裕はなかった。彼女が指をさす方向へ向かって壁伝いに歩く。
「長門さん、もういいですよね?」
「いい」
腕からすっと壁を伝っている感触がなくなり、転がりこむように敷地へと入った――学校に入れた。私は校庭を目指して、全力で駆けだした。
「はっはっはぁっ、ぜっはっは……」
校門を全力で駆け抜ける。足の裏が痛い。それでも走る。止まったら、ここが壊されそうな気がして――有希にこの夢を壊されそうな気がして、止まれなかった。階段を駆け下り、グラウンドへと出た。真っ暗。目を凝らす――グラウンドの丁度中央、人影があった。
ただの直観、都合のいい想像。だけど、ぽつんと佇むあの人影が、私にはキョンに見えて仕方がなかった。その影へと全力で駆け出す。人影はだんだんと形を得て鮮明になり、私が求めていた人になっていった――涙があふれた。
「キョン!!」
わたしの呼びかけにキョンは――ひどく驚いた顔をしていた。でも、その表情に嫌悪の色はない。純粋に驚いているだけ。それはそうよね。誰だって、こんなに必死に駆け寄ってくる人がいたなら驚くに決まっている。
「……ハルヒ」
ああ、キョンが呼んでくれた。私を、名前で。それがたまらなく嬉しかった。
「キョン、キョン! お願い! そこに居て!」
彼は一歩も動かない。私から逃げないでくれている。私は、キョンに向かって一直線に走る。もう、足の痛みなんかどこかに飛んで行った。
彼まであと七メートル。じれったい。私は思いっきり地面を蹴った。あと五メートル。キョンに抱きつくために、両手を差し出す。後――
「すまない、ハルヒ。俺はこ――」
「はい、そこまで」
二メートル。キョンまでたった二メートルのところで、私の足は止まってしまった。
「え?」
ふっと、私とキョンの間に現れたポニーテール。彼女は、キョンの胸の前で何かを握っていた――なんで?
「……あ、朝く……」
キョンの胸の前で何かをぐりっとねじる。キョンの足が、私の足と同じようにがたがたと震えている――なんで彼女が?
「駄目よ? 余計なこと言ったら。今まで積み上げものが台無しになっちゃうんだから」
彼女――朝倉涼子はキョンの胸から何かを引き抜き、横にずれた。
キョンの胸がべったりと濡れていて――真っ暗なのに、その赤だけは鮮やかだった。
なにが起こったの? キョンの胸からは赤い水が噴水のように噴き出していて。
なんで? がたがたと震えていた膝がとうとう地面について。
なんでこうなるの? そのままキョンは倒れた。
「いやあああああああああああああああ!!」
最終更新:2007年07月28日 12:19