1.
ちくしょう
ちくしょう
ちくしょう・・・
何が,何がいけなかった?
私はシドが去ってから数十分・・・いや,もっと長い時間だろう,その間中激しい後悔と
憎しみに心が支配されていた.どうして,ひとたび研究所の外から出れば全くの無能に
なる研究者にティナを任せられようか.長い時間が経ちやっと至ったその思いが私を
鉄板床から立ち上がらせた.
立ち上がって前を見ると,ティナとは違った雰囲気だが,同年齢くらいの少女が立っていた.
両手で絵本―おそらく―を大切そうに抱えていた.私がその少女がいることに気付いたこと
に気付いた彼女は,一言,
「シドおじちゃんが待ってる」
と言って手招きをした.年相応の言い方をするティナとは違い,少し突っ放した言い方を
する彼女は,私をシドのところへ導くように私の一歩手前を歩く.・・・と言っても,
子どもと大人では歩幅が違えば歩くスピードも違うわけで,私がすぐ彼女に追いつくと,
彼女は悔しそうに早歩きをする・・・が,またもや私に追いつかれてしまう.
そんな追いかけっこをしている途中,私は初めて魔導研究所の細部を見ることが出来た.
とりわけ目に付いたのが幻獣と何やら訳の分からない液体とを封じた魔導ビーカーだった.
何人もの研究員が顕微鏡を覗いたり,フラスコを振らせたり,そのビーカーの前にある
パネルを操作したりしていた.ティナは・・・果たして何処に連れて行かれたのだろう.
シドのところへ着く頃には,少女は例の追いかけっこのせいだろう,早歩きをし過ぎて
荒い息づかいをしていた.シドはその様子を見て,狼狽し,彼女に何故自分がそんなに
ゼエゼエとしているのかを聞いた.そして次の瞬間,私をギロッとキツい眼差しで
見返し,言った.
「ケフカ様,実験前の披験体には激しい運動はさせぬよう」
「なに・・・?披験体・・・だと?」
私は言い続けた.
「シド博士,まさかこんなか弱い少女を,魔導注入の実験のサンプルにする積もり
なのか?!私は聞いてきた,魔導の力が人体に多大な影響を与えることに!」
「まあそんなに慌てふためくことではありません.ケフカ様,
あなたに我々が得た事実を教えて差し上げましょう.子どもの頃からなら
大丈夫なんですよ,魔導の注入は.ティナや此処にいるセリスの様な幼子の時から魔導
の力を持っても,彼女達には無害なんです」
「だが,私の場合は・・・」
「ご安心下さい,お手柔らかにしますから.・・・さぁセリス,あっちのベッドでお休み」
セリスと呼ばれた少女は,未だ尚,絵本を大事そうに抱えて,休憩所に向かい走っていった.
その様子を見ていた私に,シドはこう言って来たのだ.
ポケットからいくつもの鍵を取り出し,
「ケフカ様,あなたは子どもを手懐けるのがお上手だ・・・.ティナの時は甘く見ていたが
セリスにはそうはさせない.その代わり」
そして,1つの曲がりくねった鍵を私に渡し,
「注入実験後には,ティナの面倒はあなたにお任せしますよ」
と.
2.
この曲がりくねった鍵は・・・多分,ティナを閉じ込めていた檻のものだろう.
有り得ない方向に曲がっているそれは,ティナの秘めたる力を象徴しているかのようだった.
最も,実際に魔導の力を見たのは,ガストラ皇帝が数十人の謀叛者を殺めた時,
一度きりだけなのだが.・・・と鍵を見つめている間にシドはどこかへ行ってしまったようだ.
魔導研究所の研究員達は魔導注入の実験の為に忙しなく動き回っている.しかし,被験体の
対象である私は今のところするべきことは何も無かったので,適当に研究所内を歩き回って
みることにした.
歩くとカタン,カタンと乾いた音がする.魔導研究所は,そこかしこに薄黒い鉄板が部屋を
区切ったり,床にはめ込まれてたりしているので,研究所内は電灯がないと昼間でも真っ暗
だ.そんな中で,魔導ビーカーに入れられた幻獣から,「力」を抽出しようとする研究員達.
…私はひどく陰惨なものを想像し,吐き気を覚えた.
その時近くにいた研究員に,シドは今一体何処にいるのかと尋ねてみたところ,なんでも
帝国の新施設である「魔導工場」の建設現場を見に行っているらしい.魔導工場・・・か.
研究員によれば,魔導アーマーを量産するのが主な目的であるそうだ.南大陸の3国への
侵攻計画が着々と進んでいる事実をつきつけられ,私は思わず生唾を飲み込んだ.
…精神的に具合が悪い,とまた近くの研究員に訴えた私は,休憩所へ通された.休憩所,と
言えば,先刻セリスと呼ばれた少女が休むよう言われた場所だったな.まだセリスはいるの
だろうか.それとも・・・もう回復して,シドについて行ったか・・・?ベッドのカーテン
を少しだけ開け,私は他のベッドの様子を窺ったり,耳を澄ましたりした.しかし,物音
1つ聞こえなかったし,他にベッドの使用者はいないようだった.
そうこうしている内に具合が良くなってきた私は,休憩所の奥の壁から光が漏れているのを
見つけた.ベッドから起き上がり,その壁に近付く.壁を,トン,と押してみると,その壁
はあっけなく回転し,壁の向こうの様子が見えた.これは・・・回転式の隠れ扉か.
その先へ進んだ私は,陰惨な研究所とは一画を成す風景を感じた.温かい空気.色鮮やかな
果実.そして,植物に水をやる少女・・・セリスがいた.此処は一体・・・.
少女が言う.
「ケフカおじさん・・・.どうやって入ってきたの?
ここはわたしとシドおじちゃんだけのひみつのばしょなのに」
「秘密の場所とは驚きだよ.セリスと言ったね,此処は一体何をする場所なのかな?」
「ここは"おんしつ"なんだって.わたしはここで生きるみんながすきだから,みんなが
育つのをせわしてあげてるの」
「なるほど,温室か・・・.シド博士も意外な趣味を持っているものだ」
「おじちゃんをぶじょくしているの?」
「いいや,そういうわけではないよ,セリス.それにしても随分難しい言葉を知っているね」
「おしえてもらったから」
「え?」
「わたしにけんじゅつをおしえてくれているせんせいに,おしえてもらったから」
剣術・・・?
これから魔導の力を入れられる幼子に剣を教えているとは・・・.どれだけ,この少女に
「力」を植えつけようとするのだろうか.なんと重いものを背負わせる積もりなのだ,
帝国は.信じられない.
セリスは,熟した苺の実を口にして,おいしそうに食べている.そこで初めて,セリス
という少女の笑顔を見ることができた.
「はい,ケフカおじさん」
セリスは苺を私に差し出してくれた.こんな無邪気な子に,帝国はなんと残酷なことをする
のだ.私はしばらくこの温室にセリスと一緒にいたいと思った.これから始まる魔導の注入
実験で私達はどうなってしまうのか分からない.せめて,それまでの間は,この「楽園」に
身を寄せていたいと思ったのだ.
3.
魔導研究所の一角にある休憩所から立ち入ることが出来る,秘密の部屋,温室.栽培されている
植物は私にとって色鮮やか過ぎて,目眩を催すほどであった.・・・セリスは大丈夫なの
だろうか.ふとセリスの方を見やると,未だ彼女は平然として植物に水をやっている.その植物
も,見ようによってはグロテスクなものが多かった.
「ねぇセリス」
「なに?」
「セリスはここに生きている皆が好きと言ったね」
「うん」
「セリスの目の前にあるのも好きかい?」
「うん.どうしてそんなことをきくの?」
「おじさんはね,セリスの目の前にある大きな植物が今にも君を襲いそうで怖いんだよ」
「だいじょうぶだよ.
でも,もしそんな風になったら,シドおじちゃんがたすけにきてくれるから」
セリスはそう言い終えると,色鮮やかな植物に再度水をやり始めた.
『シドおじちゃんが助けに来てくれるから』か・・・.そこで私は,先刻シドに言われた言葉を
思い出した.『ティナの時は甘く見ていたが,セリスにはそうさせない』か・・・.シドは
独占欲が強いのだろうか?何故そこまで,彼女達にこだわる?魔導の実験に2人が関っているから?
いや,なんだかもっとこう・・・個人的な感情で彼女達を見ているような気がする.だとしたら
年の差は私以上にあるが,セリスとは上手い具合に想いが通い合っているではないか.しかし
シドはこんなことも言っていた.セリスの事を「披験体」とも.なんというか,実に冷たい言い方
をするものだ.
だが,私の場合は違う.独占欲はシドと同じくらいか或いはそれ以上あるかもしれないが,一度
手にしようと思ったものはなんとしてでも手に入れるし―それで宰相という地位を手に入れた―,
シドがティナを諦めたようなことはしない.絶対に.
「ケフカおじさん.そろそろシドおじちゃんがかえってくる.ここからはなれたほうがいいわ」
「セリス.これから魔導注入の実験が始まるわけだけど」
「うん」
「怖いかい?」
「ううん,だってシドおじちゃんを信じているもの」
「・・・あぁ,そうだね.でも―――」
「?」
「おじさんとセリスが『魔導士』になったら・・・私達は,もう『2人きり』だ」
私はセリスの手の甲に,軽くキスをした.
4.
少女は私がした行為の意味が最初は分からないようだったが,わずかに頬を赤らめて言った.
「っ・・・,ケフカおじさん,早く行かないと・・・」
「そうだね,もう行こうか」
私とセリスの2人は,温室を出て,更に薄暗い休憩所を後にし,研究所に戻って来た.と,その
2人でいるところを研究員に見られ,彼らは私に忠告する.
「ケフカ様.何故少女と一緒に?!主任に見られたらどうなるか分かりませんよ!」
そうだったな,と私は返し,セリスから離れた.そして,言う.
「その主任は未だ魔導工場を見に行っているのか?」
研究員の1人が,
「ちょうどさっき帰られたところです.ケフカ様,本当にギリギリでした」
と返した.なるほど,これから魔導注入の実験がいよいよ始まるわけか.研究員の話では,
準備段階は99%まで出来上がっており,残りの1%はシド主任が研究室に戻ってくることらしい.
私は例の,私の為に設けられた部屋へ戻り,シドの呼び出しを待った.先刻ティナを隠していた
椅子に座り,これまで起こった事を整理しながら,私は冷静になろうとしていた.それだけ
魔導を注入されるのが怖かったのだろうか.しかし,そうされることでティナやセリスの仲間に
なれるのなら,全く怖くはなかった.
彼女達は,私を虜にしてくれた.おかげで味気ないベクタでの,宰相としての生活に潤いが
出来たり,危ない軍事国家を変えようとする使命感を感じさせるようになったのだ.
ありがとう.そして過去の私にさようなら.運良くちゃんとした魔導士になれたら,早くも
それらを実行しなくてはな.
「ケフカ様.実験が始まりますので,シド様のところへ」
部下に促され,私は魔導注入の実験を行う部屋へ足を運んだ.
最終更新:2011年10月01日 20:01