いつもの静かな朝がやって来た,
夜を越え,人は何を語りだす?
まだ静寂が残るこの冷えた空気へと
紡がれ行く愛の讃歌.
1.
その日は生憎,激しい暴風雨だった.雨風を防ぐ手段を何も持たないで家を出た私は,身を叩
きつけるような雨粒にさらされ,すぐさまびしょ濡れになった.でも,憎しみや欲望が渦巻く
あの世界にいるよりは,雨風にさらされている方がまだマシだった.
私,マドリーヌ・ブランフォードは,あの世界・・・人間界を忌み嫌い,また,同時に人間界
からのけ者にされて生きてきた.私はこの世の異端者なんだと,ある時から自分に言い聞かせ
てきた.そうすることで,自分から人間の住む世界を遠ざけ,また同時に私は此処・・・人間
界にいてはいけない存在なんだと強く思えるようにしてきた.そうすれば,世界中の人から突
き放されても,彼らを嫌いになっても,至極当たり前のようにその事実を受け入れられる.私
は,「異端者」なんだから・・・・・・.
雨風でびしょ濡れになった私は,いつの間にか森の中へ入っていた.
これも過去のことを思い出したせいね.
嫌なことがあった日は,近くの森へ訪れ,自然と解け合った.その時だけは,私は人間である
ことを忘れ,色々な動植物たちと心を通わせることが出来たように思えたからだ.・・・森に
住む動植物たち・・・彼らは,私がそこにいることを何も気にせず,当たり前のように受け入
れてくれた.子どもの頃・・・確か8才かそのくらいだっけ,私が初めて森へ訪れた時,彼らに
受け入れられてもらって,すごく嬉しかった・・・.
森の中で雨宿りをして,この嵐が通り過ぎるのを待とう,と思った時だった.森の奥から神秘
的な何かを感じた私は,木々に雨風から守られながら,どんどん森の奥へと進んでいった.も
ともと病弱だった私は,雨風に打たれ風邪をこじらせているのが分かっていた・・・ちょっと熱
っぽいから・・・が,気にせず歩いていった.
神秘的な何か・・・果たしてそれはなんだろう?昔子どもの,これも確か8才の頃だと思う.祖
母から聞いた,魔大戦という,かつてこの星全体を揺るがすにした大きな戦争があったことを.
人間が,幻獣という魔物を使役して,数々の戦を起こしたという,愚かしい歴史を知ってから
だった.私が幻獣という存在に僅かながらに惹かれ始めていったのは.私はもともと神秘的な
ものが好きだった.人間という俗物なんかより,彼らの方が私にとっては一段と興味を引く存
在だった.だけど,祖母はその大戦の話をした度に,こう言うのだった.
"人間と幻獣は決して相容れぬ存在じゃ"
と.
森の奥地へと着いた私は,そこに大きな岩盤が埋め尽くされているのを見た.
更にそこへ近付くと,岩肌が崩れかけているのが目にとれた.
神秘的な何か・・・を思い浮かべる度に真っ先に出るのは,幻獣という存在だった.祖母の話
では,彼らは自らの力を使役されているのを恐れて,幻獣界という世界へ閉じ篭ってしまった
という.私はいつの間にか,この岩壁の向こうが幻獣界だと信じて止まなかった.何故そう思
ったのだろう.風邪が悪化しているのが分かりつつも,私は前に進むのを止めなかった.神秘
的なものに出会うために.
… … …
崩れかけた岩肌の中に,飛び込んだ.最早私の命は風前の灯.ああ・・・この岩の向こうにい
る誰か・・・私を,私を拒まないで・・・!!!
2.
私は最近,よく夢を覚えていた.金髪で白い衣を身に纏った女性と,
封魔壁の門で私が何かを話している,そんな夢だ.
「・・・一体何度,・・・を戦争に巻き込ませる・・・なのだ?」
「今回で・・・です」
「そうか・・・.少し・・・があるのだが,この異空間が・・・した世界・・・.あの・・・
には・・・と言って誤魔化したが,この世界を生み出したのは,・・・の仕業なのか?」
「・・・ではありません」
「では―」
そしていつも,相手の女性のこの言葉で夢は終わるのだった.
「全ては・・・の幻想への悠久なる・・・の為・・・」
「マ・・・ンさん,マディンさん,起きてください!」
私は仲間に促されるまま起きた.
「うむ.何事だ?」
「長老会がもうすぐ始まりますよ!」
「そうであったな,カーバンクル.大儀であった」
私は此処,幻獣界の長である長老の家へ赴いた.
幻獣界では,幻獣としての力を大きく有する幻獣たちによる「長老会」なるものが存在する.
前回の長老会が行われて久しいが・・・今日は何用で長老会
が行われるというのだ?と思っていた,長老の家へ行く途中,幻獣界の出口の向こう側から僅
かな空気の漏れを感じた.その時の私は,それは瑣末なものだとしか感じなかった.それより
も,早く長老の家へ行かなければ,という思いの方が強かったからだ.そうやって,やがて私
は長老の家へ辿り着いた.
「力が弱まっておる・・・」
私が座するとまもなく,長老がそう呟いた.
「力,といいますと?」
私が尋ね,長老が続けた.
「此処・・・幻獣界の結界の力じゃよ・・・.マディンよ,そなたも感じなかったか?嵐が来
ているのを・・・」
「はい.確かに,僅かな空気の漏れを感じました」
「これは妖星かもしれぬ・・・.皆の者,今宵は食卓をラム肉で満たすのじゃ.これも幻獣ア
リエース様の思し召し,我々に吉兆が来ているのか妖星が来ているのかすぐに分かる.行動に
移すのはそれ以降じゃ,分かったな?」
はい,と私を含む数名の幻獣たちが頷き,そしてそれぞれの家へと帰って行った.私が家に帰
ると,カーバンクルが元気良く迎えてくれた.
「マディンさん,おかえりなさい!長老会はどうでしたか?」
「今宵の飯はラム肉だそうだ」
「ではやはり,あの空気の漏れは・・・」
「お前も感じていたか.もしかするとこれは吉兆かもしれぬ」
私は胸のペンダントを見つめた.長老会に参加できる者のみが持つことを許されるペンダント.
星々の最中に,幻獣アリエースがいる今,食卓をラム肉で満たすと,このペンダントは吉兆で
あれば赤,妖星であれば黒く光る.今宵,それが判明する.
それにしても今朝見た夢も気になるところだ.長老会で話すべきだったか・・・?いや,これ
は私個人の問題に過ぎぬ.それでも・・・あの夢と,この幻獣界の結界の弱まりは何か関係で
もあるのだろうか?,と思わずにはいられなかった.
そう思いながら,毎日の日課をこなしに,外へ出かける.カーバンクルに留守を頼み,その日
は畑仕事に精を尽くした.
…そして,時刻は宵時となった.私が家に帰ると,
カーバンクルはまたもや元気な声で迎えてくれた.
「おかえりなさい!先程,長老様がおいでになりラム肉を持ってきて下さいました」
「そうだったか」
…カーバンクルは私の為によく働いてくれる召し使いだ.ラム肉の調理まで行ってくれた彼は,
やがて食卓にかの肉を持って来てくれた.ペンダントの煌きは,大きな力を有する幻獣のみが
見られることになっている.それを察してくれたカーバンクルは,私の家の門まで行ってこの
場を離れてくれた.ラム肉で満たされた食卓を前にペンダントが・・・光り出した.
その光の色は,赤,だった.
私の予想通りに,吉兆が来た!早く長老にお知らせせねば,と,急いで私は家を出た.長老の
家には既に他の者たちが座していた.長老は,私の姿を見るなり,尋ねてきた.マディン,そ
なたのペンダントは何色に光ったのだ?,と.私は,赤です,と答えると,その場の空気が重
苦しい雰囲気に感じられた.どうして皆・・・まさか・・・と思うと,他の者たちは皆,黒く
鈍く光ったペンダントを首から提げていた.
「他の者たちは妖星が出た」
長老は続けて言った.
「だがそなたにだけは,吉兆が現われた.マディンよ,そなたには何か大きな運命が待ち受け
ているだろう・・・」と.
晩の長老会が終わり,私が長老の家を出た,その時だった.
「大変です,長老様にマディンさん!ゲートの向こうから・・・」
とカーバンクルが急遽駆けつけてくれた.
3.
これは・・・?人の声が聞こえる・・・.とても温かい声・・・.
「もしもし・・・しっかりするんだ」
他の人の声も聞こえる・・・.
「これは・・・人間か?!」
「かなり弱っているようだ.しばらく休ませるとよかろう」
そこで,私は誰かの肩に担がれ,どこかに運ばれたようだ.・・・この人たちは,一体誰なの
?・・・でも良かった.私を拒まずに,優しく抱きかかえ,ベッドに寝かせてくれる人が傍に
いるのが分かって.
私の命は,風前の灯だった.おかげで声を出すことはおろか,目を開くことすらままならなか
った.まぶたの向こうにいる誰か・・・.私を助けてくれてありがとう.命を終える前に,少
しの幸せをくれてありがとう.これで安らかに眠れる・・・.
何か,ヒィィンという音が聞こえる.人間界でのけ者扱いされてきた私が,ついに旅立つ時が
来たのかしら?私はかろうじて目を開けることが出来た.
「起こしてしまったかい?」
私は不思議と喋れるようになっていた.
「あなたはもしかして・・・幻獣?それに・・・この胸のペンダントは・・・?」
「君にプレゼントしよう.この幻獣界でも,限られた者が持つことを許される,お守りさ」
「幻獣界・・・やっぱりそうだったのね.神秘的な何かの正体は・・・」
「君のことでこの幻獣界の者たちは皆,戸惑っているんだ.
人間である君とどう接すれば良いのか・・・」
「あなたが私を助けてくれたのね?」
「いかにも.この幻獣界のゲート近くで倒れていた君をここまで運んだのも,回復の魔法で君
を黄泉の国から連れ帰ってきたのも,全部私がしたことだ」
「そうだったのね・・・ありがとう.私はマドリーヌ」
それから私は,彼・・・マディン,といった・・・に話した.
どういった経緯で此処までやって来たのかを.
「なるほどな・・・」
「どうしたの?」
「いや,君の祖母という人が話していたことだよ.幻獣と人間は決して相容れぬ存在だと…」
「私はこの幻獣界でも邪魔者なの・・・かしら」
「いや・・・分からないさ」
それから普段の体力を取り戻した私は,幻獣界の色々なところを,マディンと一緒に回った.
マディンは私に優しく接してくれたけれども,他の幻獣たちはなんだか私によそよそしい態度
を示しているように感じた.私が余所者だから?やっぱり私は此処でも邪魔者なようね・・・.
「マディン」
私は彼に呼びかけた.
「明日,人間界に戻るわ」
彼なら多分,いえ,きっと私を呼び止めてくれると信じていた.でも・・・.
「ああ.誰かに道案内させよう」
彼は私を引き止めてはくれなかった・・・.
人間界に絶望して,やっとのことで辿り着いた幻獣界・・・.そこで出会った,一人の幻獣.
彼だけは,私を裏切らずに,私の信じるまま応えてくれる人だと思っていた.だけどその彼も
…いともあっさりと,私の言葉を真に受けてしまって・・・.
私の最後の望みが潰えてしまった.
その日は,彼は私の容態を気遣ってかベッドに寝かせてくれた.彼はその後,他の幻獣と,私
が寝ている洞窟の入り口に立って,見張りをしていたようだった.
… … …
次の日の朝,私は早起きをして,幻獣界のゲートのすぐ内側まで来ていた.
「明日,人間界へ戻るわ」
昨日言ったこと.誰も呼び止めてくれないことが分かった今,私は絶望と共にそれを実行に移
す時を迎えていた.自分で言ったんだからしょうがない・・・.マディン・・・私,あなたの
こと好きになりかけていたのよ.人間界に帰ったら,このペンダントを大切にするわね.…人
間界に帰ったら?私には,人間界に帰るところなんてない・・・.どうしよう,やっぱり戻ろ
うかと,後ろを振り向いた.
「もし,人間界に戻りたくないのなら此処にいてもいいのだぞ」
そこにはマディンがいた.彼は続けた.
「君の気持ちは分かっていたさ.
俺は本当にそうする覚悟があるのかどうか,確かめたかったんだ」
私は応える.
「でも此処は幻獣界・・・人間と幻獣は決して相容れない存在よ・・・」
私がやっとの思いでそう口にした後,彼はこう言ったのだった.嬉し涙でいっぱいだった私に.
「それが誠のことかどうか,俺たちが示してみればいいではないか?」
私は彼の大きな胸に迷わず飛び込んだ.
4.
幻獣界のゲートにて,彼女・・・マドリーヌと私は,互いに愛し合った.冷たい空気の中で,
私とマドリーヌの荒い息づかいだけが聞こえた.やがて私たちは絶頂を迎え,マドリーヌの中
に私は沢山の種を放った.
一時の情事を終え,呼吸が安静を取り戻す頃まで,私たちは静かに抱き合っていた.その間に
交わしていた会話.
「こんな異端者の私を,あなたは精一杯愛してくれた.ありがとう・・・」
「異端者,だって?」
「ううん,なんでもないの.あなたと愛し合っている時,あなたの胸の中が私の唯一の居場所
だと思った.だからもう私は『異端者』なんかじゃない.
マディン,もう一度言わせて.ありがとう.愛してるわ」
「ああ,俺もだ」
それから私たちは手を繋いで幻獣界へ戻り,私の家に帰り,マドリーヌをベッドに寝かせた.
彼女は先刻の情事で激しく体力を消耗していることが分かったからだ.家の門番はカーバンク
ルに任せた.彼女はベッドに横になりながら,私はベッドの傍の椅子に座り,色々なことを話
した.お互い,自分自身の生い立ちから,他人には話せないちょっとした秘密などなど.我々
二人ともまだ出会ってから二日目だというのに,こんなに仲睦まじいまでの関係になるとは思
ってもみなかった.
彼女の祖母が言っていたことがあった.幻獣と人間は決して相容れぬ存在・・・だ,なんて嘘
みたいだ.いや,現に私自身,それが本当のことかどうか示すのを確信を持って言ったのだか
ら・・・こういうところまで,ものごとがすんなりと運ばれたのは,当然といえば当然か.し
かし,マドリーヌの方はどうだろう.彼女は彼女で,もしかしたら別の思いがあったのかもし
れない.私は彼女に訊いてみた.
「マドリーヌ.君は『神秘的な何か』を感じ取って此処幻獣界に辿り着いたと言ったね」
「ええ,そうよ.でもどうしたの?急に」
「いや・・・君も神秘的な何かを持った人だと思っただけさ」
「私が神秘的な何かを・・・?例えば?」
「う~ん,そうだな,例えば魔法,とかね」
「魔法・・・.ねぇマディン,私の祖母が言っていたことを話したわよね?
恐ろしい戦争の話も」
「・・・魔大戦のことかい.魔法は,元来人やものを傷つけたり壊したりするためのものでは
ないんだ.君を死の淵から助けるために俺が使ったのも魔法さ」
「そうだったのね・・・」
「俺たち幻獣の中では,魔法は『心』だとされているんだよ.
心を通わせれば自然と魔法が受け継がれてゆく」
「じゃあ,あなたと愛し合い心を通わせた私にも魔法が使える,ということ・・・?」
「ああ,そのはずさ.心に描いたものを,そのまま両手に神経を集中させてごらん」
彼女は,何を思ったのか分からないが,私の言った通りに,両の手を胸の前へ持っていき,ゆ
っくりと手を前に押し出した.すると彼女は,すぐさま光に包まれた.
「私,なんだか体が軽くなったみたい」
「ああ.今君を包んだ光の正体は,回復魔法ケアルさ.
どうだい,ちゃんと魔法が使えるようになっただろう?」
「そうね.私,本当に幻獣であるあなたと心を通わせたのね」
彼女は何故だか分からないがまた涙を流し始めたので,
私が,どうしたんだい,と声をかけると,
「ううん,私はただ嬉しいから泣いてるだけだから.そんなに心配しないで」
と言ってくれた.私は彼女の背中を優しく撫でた.
5.
マディンと愛し合ったその日の昼頃,もうすぐ昼だ.ということで,マディンは私が臥してい
たベッドから離れ,お昼御飯を作りに調理場へ行った.私はというと,まだ安静を取り戻して
ないので,しばらくベッドの上に横になっていた.
ややあって,頭に赤い角を生やした幻獣が私のところへやって来た.
「マドリーヌさん,初めまして!僕,カーバンクルといいます」
「・・・そう,よろしく,カーバンクルさん.マディンから色々聞いているわ.
なんでも,彼の忠実な僕だそうで・・・.それで,どうしたの?」
「あとでこの幻獣界を案内させて下さい!勿論体調が戻ったら,ですが」
「マディンと一緒に,よね?・・・他の幻獣たちからどう思われているか心配で・・・」
「大丈夫ですよ,マディンさんと僕がついてますから!」
そうカーバンクルは言った後,此処マディンの家の入り口へと戻っていった.幻獣界は,最初
にマディンに案内された時は,周囲からキツい眼差しを受けてとても嫌な気分だったけれど…
今度はどうなのかしら.
私がそんな思いを巡らせていると,調理場からはとてもいい匂いを感じた.その時既に普段の
体調を取り戻していた私は,ベッドから起き上がり,居間へと赴いた.
「やぁ,遅くなったね.人間である君に何を作ったらいいのか困っていたよ」
テーブルには沢山のラム肉が並べられ,そして幻獣界でしか,いいえ,幻獣界でこそ採れる野
菜が盛り付けてあった.食べ物なんて食べるの,かなり久し振りだった私は,急にお腹が減っ
て,彼が焼いてくれたラム肉に飛びついた.
「聞いているだけでいいよ.カーバンクルから話を聞いたかもしれないけれど,昼飯を済ませ
たらマドリーヌ,改めて君にこの幻獣界のことを紹介させてくれないか?長老にも会ってもら
いたいんだ.ここ幻獣界には少しばかりか掟があるんだよ.ここに住むには守ってもらわない
と困るもの・・・といっても,慣れてしまえばなんのことはないんだけどね」
一通り,お腹がいっぱいになるまで食べた私は,マディンとほんの少し休憩の時を過ごした.
その後,私とマディンとカーバンクルの三人で,幻獣界を見て回った.私はなんだか楽しくな
ってきて,幻獣界に咲く花を見ては喜び,感動した.マディン・・・彼は,そんな私を見て安
心・・・したのかしら,温かい微笑みを顔に浮かべていた.そして,彼のその微笑みを見て,
私は,ああ,今はなんて幸せなひとときを過ごしているのだろう,と思った.
…前を見ながら延々と幻獣界の掟の話に悦になっているカーバンクルに内緒で,彼の後ろを歩
いていた私たちは,お互いにアイコンタクトを交わし,二人だけで幻獣界を見て回ろうとした
のだった.
カーバンクルを置き去りにして,私たちは,此処幻獣界の展望台へと来た.
周りには誰もいなかった.
「ねぇ,マディン,勢いでこんなところに来ちゃって大丈夫かしら.
長老という人に会わないといけないんでしょう?」
「そんなに気にすることはないさ.
掟っていっても堅苦しいものではないし,さっきも言った通り…」
私は彼の大きな手を握った.
「どうしたんだい?」
「私・・・今なんだか吐き気がするの」
「ラム肉を食べ過ぎたせいかな」
「違うの,そういう吐き気じゃなくって・・・なんだかお腹も変な感じ・・・」
彼は,回復の魔法をかけてくれたけれど,吐き気とお腹の変な痛みは解けなかった.そして,
そこで私は確信した.
「マディン・・・私,赤ちゃんができたみたい・・・」
そこで,彼は一呼吸置いて,こう言った.
「やはり,君の祖母が言っていたことは間違いだったんだ.
幻獣と人間が相容れることを,俺たちが示したんだ」
「えぇ,そうね」
私と彼は,幻獣界の展望台から彼の家へ戻った.カーバンクルは最初こそ置き去りにされて
怒っていたけれど,私たちに赤ちゃんができたことを報せると,大喜びしてくれた.
ああ・・・なんて嬉しいことだろう.愛するひとと結ばれて子どもを授かるなんて.
人間界で散々呪った神様だけど,今は感謝したい言葉でいっぱいだった.
6.A New Story
我々の子を身篭ったマドリーヌを,私は長老の家へと連れて行った.
「長老に色々話さなくてはならないな.俺たちの関係や,俺たちに子どもができたこと」
「ええ,そうね・・・」
「どうした?不安かい?」
「それもあるけど・・・」
マドリーヌは長老の家へ向かっている間,終始顔をうつむかせたままだった.もしかすると…
彼女は,私以外の幻獣からの眼差しを受け,苦しんでいたのかもしれない.しばらく歩いた後,
私たちは長老の家へと辿り着いた.
我々二人が長老の前に座すると,長老はまもなくこう言ったのだ.
「この前,幻獣界のゲート近くで気を失っていた娘か.
マディンよ,この娘を連れ帰った後,何をした?」
それから私は話した.マドリーヌが人間界に絶望して此処へやって来たこと,お互いに愛し合
ったこと,そして子どもをもうけたことを.私がそのことを話している間,長老は静かに,マ
ドリーヌは少し怯えながらいた.私が,話すべきことを話した後,長老はしばらく黙していた
が,ややあって,話し出した.
「運命が・・・動き出した・・・か.まさか幻獣と人との子が誕生するとは.これはわしにも
予知できなかったことじゃ.マディンと・・・マドリーヌよ,これから大きな運命がそなたた
ちを待ち受けているだろう」
私とマドリーヌは長老に礼をし,私の家へ戻っていった.家に着くなり,彼女は言った.
「ねぇマディン,長老が言っていた,『大きな運命』って・・・」
「気になるかい?」
そこで私は,ふと思い出した.最近よく見る夢のことを.金髪で白い服を纏った女性と,封魔
壁の門で私が何か話している,例の夢だ.私はその夢のことを彼女に話した.
「不思議な夢ね・・・.あなたとその女性の話の中に時々やってくるジャミングのところがす
ごく気になるわね」
「そう,そこなんだ.それが気がかりで,偶にそのことばかりを考えるようになっていたんだ
…ところで」
「なに?」
「吐き気はしないかい?そしてお腹の痛みというのも・・・」
「今は両方とも感じないから大丈夫よ」
「そうか・・・でも,安静にしているんだよ」
「そうね,ありがとう」
彼女はベッドに横になり,私はそんな彼女の傍についた.
「ねぇ,マディン」
「ん?なんだい?」
「女の子みたいなのよ,私のお腹の中にいる赤ちゃん」
「そうなのか・・・実は,名前はもう決めてあるんだ」
「なんていう名前?」
「ティナ,だよ.良い名前だろう?」
「ティナ・・・ね.元気に育つといいわ」
「そうだな.私もそう思ってやまないね」
これから,運命が動き出す.私たち三人がそれぞれ,別の道を歩もうとも,我々は家族なのだ.
心の中ではちゃんと繋がっている.
…すべてを,愛のために.
最終更新:2012年01月29日 16:28