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前回第1講

わが国教育崩壊の絵説き,教育の構造の要約

 

「ヒトとして生まれた赤ん坊を人間にまで育てることが教育の基本」だとする考えが「ヒトの教育」が主張し続けている理念である。この教育には人間として生きる力(感性)を目覚めさせる「A教育」と、生きる手段(知性)ための「B教育」とがある。「A教育」は古来、家庭・地域の「善き伝統」がこれを成し遂げてくれていた。「B教育」は明治以来、近代文明を創ることを目的として始められたもので、近代合理主義的「学校教育制度」で行われている。戦後の物質的風潮によって、それまで何とか持ちこたえてきた「善き伝統」の惰性は消失して「A教育」は止まり、見当違いの「ゆとり」の教育行政で「B教育」は混乱し、かくしてわが国の教育は崩壊に瀕している。この人類の危機から脱出するための智慧を「子どもの心の成長生理の仕組み」の理解に求めたい。

 

 

 

 

臥薪嘗胆・・人生の羅針盤 Y君の講演後の司会の言葉〔2009・1・21〕

 

司会 井口

Y君の赤裸々のこれまでの履歴を聞いて、私なりに満足しました。今の若者はダメだとは思えなくなりました。

Y君は中学でもしょっちゅう問題を起こして停学処分となり、ついに3年生で退学となりました。高校でも2回無期停学処分を受けています。学校側から言えば「手のつけられない問題児」でしょう。しかし、彼の中・高校生活をみると、普通の上級学校進学の期間としてではなくて「生きる力」の整備期間として学校生活が十分に生かされたということに、私は大きな感銘を覚えます。

 

その要因はお母さんと学校の先生にあります。Y君が問題を起こすたびにお母さんは学校に呼び出され、そこでお母さんは泣く。その習慣的ともなってしまった構図の中に、何とも言えない深い親子の愛情が感ぜられます。

 

中学のC先生だけが彼をかばってくれた。夜中の二時にステーキ屋に呼び出して「学校をやめるなよ」といって泣いてくれる。師弟関係の深い愛情が感ぜられます。あどけなく、すくすくと育てられた幼年期の感性は、中・高校という別の青年期環境にはいったとき、大きな戸惑いに遭遇します。本人にとって何故それが問題なのかさえわからない「問題行動」をして問題児のレッテルを貼られる。そういう思春期において「本来の生きる力」に目覚めさせてくれたのは、親子や、師弟関係における愛情の「感性の共振」だったのです。

「西国三十三ヶ所霊場まわり」にお母さんが連れて行ってくれたことの背景に、親子を支える「大きな見えない力」が感じられます。

 

彼は今、九大経済の三年生で、しかも在学中に公認会計士の試験を受けるといっています。彼のどこが問題児なのか。手のつけられなかった若者が大きな人格の大人に成長した例はいくつもあります。立派に成人されたY君に心から祝福を贈りたいと思います。

 

最終更新:2009年03月03日 10:39