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【向井敏】
日記 :: 2002年 :: 01月 :: 05日(土曜日)
評論家、向井敏氏死去、71歳。開高健、谷沢永一との読書鼎談『書斎のポ・ト・フ』や講談社新書『贅沢な読書』はずっと私の読書指針になっていた。つまり、立派な本というものはない、自分にとって面白いものがいい本である、という価値相対主義である。大学時代からの莫逆の友である谷沢・開高に少し点が甘すぎたのが瑕疵だったが、その直截な物言いはこちらの胸にモヤついている思いをスパッと言い切ってくれる快感があった。例えばSFについては“1950年代にピークを迎えて、その後衰退し、社会学や生態学などのヒサシを借りて、あんなに楽しかったセンス・オブ・ワンダーの世界を小難しい一部のマニアだけのものにして細々と命脈をつないでいるジャンル”という、ミもフタもない言い切りをしていて、その当時かなりディープなSFファンであった私は、逆に大笑いしてこの人のファンになってしまったほどだった。ワルクチを言うなら、ここまで言わなければダメである。
【加賀邦男】
日記 :: 2002年 :: 01月 :: 09日(水曜日)
7日に俳優・加賀邦男氏死去。88歳。息子の志賀勝は最近見ないが、どうしてるんだろう。親父さんの方はルックス、演技力とも十分に主役でいける人だったと思うが、浅草出身の器用さで何でも演じられるところがわざわいし、便利に使い回されてワキの名優で終わってしまった感がある。惜しいなあ。同じ日に『クリちゃん』の根本進氏も死去。年齢的にギリギリでこの人の全盛期に引っ掛かっているのだが、サイレントに徹した四コママンガは、さすがの私にもあまりにモダン・シンプルすぎて、面白いと思ったことは正直言って一回もなかった。あの連載が終わってから、何で食 べていたのだろうか?
【倉田準二】
日記 :: 2002年 :: 01月 :: 22日(火曜日)
と、思っていたらこれも職人監督である倉田準二氏死去の報。72歳。『仮面の忍者赤影』再評価気運の中で、育ての親というべき倉田監督のインタビューがないことが不思議で仕方なかったのだが、東映の関係者に聞いたら、重度の鬱病にかかって、人と話すことも困難な状態であったそうだ。非常に残念であり、もう少し再評価が早く行われていたら、という思いで一杯に なる。
【倉田準二】
日記 :: 2002年 :: 01月 :: 23日(水曜日)
朝刊に倉田準二監督の訃報はなし。調べたら昨日の夕刊に載っていた。訃報でも夕刊に載る人というのはソンのような気がする。
【ペギー・リー】
日記 :: 2002年 :: 01月 :: 23日(水曜日)
朝刊には歌手ペギー・リー死去の報。“ペギー・リーが来た”というシャレはわかりにくいか。Vガンダムにペギー・リーという名前のキャラが出てきた。他にもコニー・フランシスだとかケイト・ブッシュだとか、安直に歌手の名前からとったキャラクターがガンダムには多い。まあ、シャアだって元ネタはシャルル・アズナブールだし。それはともかく、『フィーバー』は高校生以来の愛聴曲である。そのけだるくクールな歌いっぷりにはしびれまくったものだった。歌詞に唐突にロミオとジュリエットが出てくるあたりもよかったなあ。
【漫画家】
日記 :: 2002年 :: 02月 :: 07日(木曜日)
ネットで漫画家の訃報リストのサイトを見つけた。案外、亡くなったことを知らぬままにいた人が多いのに驚く。青春もののはしもとてつじ、テレマガでミクロマンを描いていた森藤よしひろ、漫画ゴラクで料理勝負ものをやたら描いていたたがわ靖之などもみな彼岸の人なのか。鋭角のアゴの描線が特徴的だったはしもと氏などは、私にとってリアルタイムの青春ものマンガ家だった。とりたててストーリィのない、たあいない男女の誤解ものなんかが上手くて、『GORO』でよく読んでいた。『GORO』といえばやはりここでバイク漫画を描いていた小野新二も亡くなったとか。なにか、ガックリと年をとったように感じる。『青春どくだみ荘』の福谷たかしの死はどこかで目にしたかもしれない。なをきとコンビで『
近未来馬鹿』を出したばかりのころ、知人が実は福谷氏と知り合いで、よく一緒に飲むという話をし、“今度カラサワさんも紹介してあげますよ”と言った。そのころ、トンガったギャグばかり考えることに熱中していた私は、あんな絵の汚い三流マンガ家になぞ紹介してもらう必要はない、とかなんとか、かなりひどい言葉を発して、その知人をしらけさせた記憶がある。若かったとはいえ、視野が狭かったなあ、と反省しきり。そうか、もう会うことも出来なくなっていたのだな。
【チャック・ジョーンズ】
日記 :: 2002年 :: 02月 :: 25日(月曜日)
昨日の朝刊にチャック・ジョーンズ死去の報があったのを思い出した。89才。私の立場だといろいろ訃報に接しての感想があってしかるべきなのだろうが、不思議と何もわいてこない。すでに彼の主要作品は全てビデオやLDで所有しているし、60年代からこちらの彼はもはや歴史上の人、という感じだったからだろうか。というより、最近の私が、スマートで精神分裂風なチャック・ジョーンズの都会的ギャグよりも、初期ディズニーやフライシャー兄弟の、古怪とも言うべき作風の方にハマっているせいかもしれない。
【成田亨】
日記 :: 2002年 :: 02月 :: 28日(木曜日)
朝刊に成田亨氏死去の報。われわれの世代にとり、成田氏あってシュールレアリズムは身近であった。異形ながらも生物として、われわれの棲む次元の地平につながっていたゴジラ映画の怪獣群に比べ、ウルトラシリーズの怪獣たちには、その縛りを超越して、作品のメッセージ性がそのまま具象化して存在している、といったダイレクトさがあった。20数分という短い時間ワク内に、初期ウルトラシリーズがあれだけのメッセージを込め得たのは、怪獣の形状そのものがダイレクトにメッセージになっていた成田デザインあってのことだったと思う。あれに科学的なツジツマの点で文句をタレる柳田理科雄のような野暮は論外であろう。それにしても、成田氏死去で、どこかで良心の呵責を逃れホッとしている人々がいると思うとどうにもやるせない気持になる。
【半村良】
日記 :: 2002年 :: 03月 :: 04日(月曜日)
帰宅、ネットニュースで半村良氏死去の報。確かこの人、一時原稿執筆量ひと月1370枚という記録を持っていたはず。怪物というイメージのあった作家さんだったが、近年の作を読んで、そのパワーの衰えに“身体の調子がよくないのではないか”と思っていた。『黄金伝説』を読んで興奮のあまり寝られなかった中学生のころ、『亜空間要塞』を読んでSF作家の仲良しグループ的お遊びにいささかヤッカミを感じた高校生のころ、『うわさ帖』を読んでいつか自分もこういう名人芸的エッセイを書いてやる、と思った大学生のころ、を思い出す。
日記 :: 2002年 :: 03月 :: 05日(火曜日)
新聞で半村良氏の死亡記事を確認。直木賞作家という肩書よりもSF・伝奇作家としての扱いが大きいのはよし。そう言えばこの人、80年代末に北海道に移住したことがあった。なんでも、籍を移してくれれば住民税を安くするという話にのってやってきたらしいが、来てみたら話が違う(そりゃ当たり前だ)、というようなことで地元とトラブルが起こり、結局また東京に帰ってしまった。小説ではあんなに博識の人が、こんな単純なことでだまされるなんて、と、呆れたのを覚えている。それ以来である、半村氏の小説があまりふるわなくなったのは(少なくとも、私にとってはそれほど読む価値のあるものを書いてくれなくなった)。今回の訃報で、北海道の新聞はそのことに触れているのだろうか。
【はせさん治】
日記 :: 2002年 :: 03月 :: 09日(土曜日)
朝刊に声優のはせさん治氏死去の報。ホームページに病状報告はあったが、本人からのメールが飄々たる雰囲気ながらも公演活動への意欲にあふれていたので、これなら大丈夫では、と思っていたのだが。66歳という年齢に改めて驚く。そんな若かったのか。私がものごころつくかつかないかのうちから子供番組に出ていて、顔と声が一致する数少ない声優の一人だった。歌もうまく、『ピコリーノの冒険』で永井一郎とデュエットした『ドラ猫とボロ狐』はわがフェイバリット・ソングのひとつ。『ネコジャラ市の11人』で田谷力三ばりの熱唱を聞かせた吸血鬼シラケラーのテーマも、いまだ二番までソラで歌える。
「血ッ血ッ血ッ血、血血ッ血、血ッ血ッ血ッ血、血血ッ血、おお、赤い血よそなたのヘモグロビンは私に力をくれるそなたの赤血球は私の心をはげますそして血ッ血ッ血ッ血、血血ッ血、オッホッホッホ、赤い血よそなたの白血球は夢を、はぐくむ……」(以上一番)
確か数年前、同じく声優であった長男、長谷有洋を不審な状況下(自殺?)で亡くしている。つらい毎日だったろう。冥福をお祈りする。嗚呼、また私を“作ってくれた”人がこの世から一人、消えた。
【ダドリー・ムーア】
日記 :: 2002年 :: 03月 :: 28日(木曜日)
夕刊が早めに届いたので読んでみたらダドリー・ムーア死去の報があり、驚く。66歳は早いような、最近の衰えぶりを見ると予感できていたような。『ファール・プレイ』で主役のチェビー・チェイスを完全に食ってしまう怪演技を見せ(映画を観た知人たちが全員彼のことしか話さなかった)て、コメディアン好きのこちらに“こんな凄いのがいたのか!“と仰天させたのは78年。ピーター・クックと組んで、モンティ・パイソン以前のイギリスでのコメディ番組の王者だった彼がこれ以降ハリウッドに行き、『ミスター・アーサー』などのヒットも飛ばしたが結局先細り。彼に捨てられた相棒のクックは『スーパーガール』などで私好みの喜劇的演技を見せていたがモンティのメンバーの影に隠れて不本意な境遇に甘んじたまま亡くなり、いま相方のムーアも消えるように世を去った。かつてはサンダーバードのシルビア・アンダーソンが“ムーア&クックの『ビヨンド・ザ・フリンジ』で自分たちの番組がパロディされたとき、初めて『サンダーバード』が人気番組になったんだ、と実感した”と言ったほどの寵児だった二人にしては、あまりに寂しい退場である。以前NHK教育でやった、彼のコントで相対性理論を解説するアイザック・アシモフ監修(テレビ欄で“イサク・アシモフ”などと表記されていた)の番組、再放送しねえかなア。
【ビリー・ワイルダー】
日記 :: 2002年 :: 03月 :: 29日(金曜日)
日記をつけるのに、ネットでダドリー・ムーアの死亡記事を参照しようとしたら、それに並んでビリー・ワイルダー死亡という記事があって驚く。今朝の読売にはそんな記事は載ってなかったぞ、と思い、もう一回とっくり返して調べるがやはり無し。14版の段階では間に合わなかったか。まあ、私ごときが今さら追悼の意を述べるのもはばかられるような大物で、逆に感慨がわきにくい。映画史における云々などという大仰な評論は他の人に譲るが、どの作もどの作も神経の徹底して行き届いた珠玉の芸術品という感じで、それだけにツクリモノ感があったのも事実であり、キネ旬で小野耕世氏がワイルダーの『悲愁』を古くさい、否定しなければならないものとやたら激語を発してけなしていた時も、読んだ当時その感情は理解できると思ったものであるし、リバイバルの『情婦』を丸の内に観にいったとき、当時のガールフレンドが観終わって怒って私を置いて一人で帰ってしまったこともあった。まあ、彼女は黙壺子フィルム・アーカイヴなどの常連客で、『ピンク・フラミンゴ』や『フリークス』の大信奉者だったから、こういう王道には反発を感じたのだろう。かのポーリン・ケールがワイルダー映画を徹底して無視したのも、ヌーベルバーグからアメリカン・ニューシネマ全盛のご時世であれば無理もなかったと納得できる。もちろん70年代当時の波をザップリかぶって映画マニアとなった私にとっても、ワイルダーなどというのは旧世代ハリウッドの最後の生き残り、化石まがいの爺さんであり、毎回名画座に足を運ぶときには“ひとつこてんぱんにけなしてくれよう”と意気込んで出かけ、そのたびに手痛い返り討ちにあって、そのまま館内に居座って二回は観て帰るというハメに陥ったものであった。今でも実はワイルダーを絶賛するには、心のどこかに“それでいいのか?”と問いかけてくる声がする。そして“それでいいのだ”と自分で自分に納得させてからおもむろに褒めにかかる。あまりに完璧なものを褒めるのは、どこかにその権威によりかかっているような気恥ずかしさを感じるのである。それほどの名匠であったのだ。
夕刊にはさすがにワイルダー死去、大きく載っている。8時、K子と神山町豆腐料理『二合目』。おぼろ豆腐がさすがにおいしい。刺身、アイナメの木の芽焼きなどはさほどでもなし。NHK関係の客が場所がら多いが、カウンターの隣に座っていたオバサマ二人連れ、“こないだ彼が日本に来たときお会いしたでしょ・・・・・・”などと気取って話しているので、彼って誰かいな、と思っていたらなんとカルザイ議長。スケールの大きいザアマス話である。帰宅9時45分、光文社から打ち合わせ日程電話一本。
日記 :: 2002年 :: 05月 :: 08日(水曜日)
しかし久しぶりに週刊文春を読んだものである。この雑誌らしく執筆陣も変わり映えしないが、小林信彦のビリー・ワイルダー追悼文、どう考えても構成が失敗で、途中でぶった切られたようにして唐突に終わる。この人にしては珍しいとも思うが、最近ほとんど小林信彦のエッセイは読んでないので、こんなになっちゃっているのが普通かも知れない。年をとって長い原稿(と、言っても7枚程度だが)だと文章に緊張感が保てなくなるのはよくあることである。若いうちに長めの評論を書いた方がいい。文章を書くにも基本となるのは体力であり、年をとってからだとキツいのだ。
最終更新:2010年02月19日 22:53