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六湛寺復讐戦

高天原・六湛寺復讐戦

交戦勢力

六湛寺軍
神千代軍

主戦場

旧佐治の国
芦津城(神千代軍本陣)
鞆原城
野木堂
閏賀島
星浦
葛見
赤苓山
楚江
安城院

主な指揮官

六湛寺軍

六湛寺 律都

神千代軍

古部 義友
金場 克道
アンドフ・アフバヤル
野々内 嘉晃
天台 小網
神賀 修成
尾杖 勝久
宇島 和以
菟道 松貴
桐下 玄播

戦力

六湛寺軍

1人

神千代軍

5万

損害

六湛寺軍

0

神千代軍

5万

事前の経緯

神千代が国を興すにあたって、まずは周辺を平定するため、腹心の一人である古部義友を佐治の国に遣わせた。
古部は1万の兵を以て佐治の国を攻め、国主である佐治英胤を降伏させ、佐治の国を支配した。そして、最後まで抗った町・怒田を落とした際に、見せしめとして男は全員斬首され、女は奴隷として古部の裁量で各将に授けられた。その女の中に六湛寺律都がいた。父親を桐下玄播によって斬られ、母親を嬲り殺された律都は復讐を決意する。
律都は古部の将の一人・金場克道に下賜された。そこから、古部の惨劇は始まった。

推移

①鞆原襲撃・金場克道殺害

祝勝の宴が終わり、金場克道は下賜された律都たち数百の奴隷を連れ乗っ取った鞆原の城へ帰った。
酒に酔った克道は律都を抱こうと呼び寄せたが、その場で律都は金場克道を殺害し、周りの兵士も殺して首級を取り、鞆原の城に火を放ち、1500余りの兵を殺害した。

②野木堂の戦い・アフバヤル殺害

次の日、鞆原での大火災とそれに伴う金場克道の死を知った古部は多少の疑念を抱きはしたが、まさか奴隷の反逆でそうなったとは考えず、克道の失態を嘆いた。
夜のうちに律都はまず誰か生き残りがいないか確かめる為故郷である怒田を目指した。一眠りした律都は途中の野木堂の集落に立ち寄る。その際、野木堂の民が神千代軍の兵士によって蹂躙されている場面を目撃し、夜に集落へ立ち寄り100余名の兵士を殺害した。100余名の兵士は全員四肢が切断され槍に串刺しにされており、朝死臭で目覚めた野木堂の民は解放に安堵を覚えた後に戦慄した。そして野木堂の北に宿営地を敷いていたアンドフ・アフバヤルに対し体中の皮を剥ぐ・歯を一本一本抜くなど拷問し神千代軍の大将の古部の名と主たる将の名、その全ての野営地を聞き出した後酸を満たした壺に突き落とし殺害した。

③怒田・野々内嘉晃殺害

そして律都が怒田に着いた際、すでに集落の面影はなくただ焼けた跡のみが残っていた。そこに取り残した宝物が無いか探しに来ていた神千代軍の兵士と遭遇、これを殺害し、統率していた野々内嘉晃の両腕を落とし腹部に爆弾を埋め込み、克道の首と挑戦状を咥えさせて古部に届けさせた。嘉晃は瀕死の状態で古部が宿営していた芦津城に辿り着いたものの、全てを伝えた後腹部の爆弾が破裂し下半身と上半身がわかれて死亡した。

④閏賀島の戦い・天台小網殺害

古部は律都を侮り、一笑した後諸将に臨戦の準備を促した。
一方、怒田を後にした律都はまず主たる将を皆殺しにする為閏賀島の野営地を訪れ、9000余りの兵士の首を全て落とした後に女傑・天台小網と一線を交えた。小網は律都の攪乱に簡単に引っかかり、左足を切断され敗北。律都は小網の屈強な部下に小網を暴行・強姦させ、飽きた後裸で磔にして弓の的にし数百の矢を浴びせかけて殺害した。その際、閏賀島の民は「悪魔の所業」と恐れたという。

⑤星浦の戦い・神賀修成殺害

猛将として知られた小網の死にさしもの古部も動揺し、律都を探し出し殺すように配下へ命じた。一方で、この事が本国に知れないよう部下に箝口令を敷いた。神千代の耳に届けば、処刑は免れないからである。星浦の守将である神賀修成は情報の漏洩を察知し、今まで引いていた陣を撤収させ、家族と少数の精鋭と共に星浦の崖下の洞窟に野営を変更した。
その頃、律都はその星浦の集落へ向かう。そこで律都が目撃したのは民を戯れに殺す神千代軍の兵士の姿であった。律都は激昂し、正面から乗り込みそこにいた8000余りの兵士を殺害した。あらかじめ得ていた情報とは違いそこに修成の姿はなかったが、急ぎの陣地変更であったため痕跡が残っており、その痕跡を元に崖下の洞窟へ逃げたことを察知した。律都は崖上から、猛毒の爆弾を括り付けた兵士の首を何個も投げ落とし、驚いて出てきた修成の家族を捕えた。律都はまず修成の妻の目の前で三人の子供を殺害・解体し、その死体のパーツを修成の兵士に預け、修成に届けさせた。そして投降してきた修成の両膝から下を切断し動けなくした上で吊し上げ、その妻へ執拗な殴打や苛烈な拷問を仕掛けた後野犬に食わせて殺害する。その後、修成自身は裸にされ全ての内臓が破裂し脳が飛び出るほど凄まじい暴行を受けた後首を括られ崖上から吊るされた。修成には古部の子が三人副将として付き従っていたが、律都はこれも事もなく捕え、眼球を抉り鼻と耳を削ぎ、口へ熱した銀を流し込んで殺害した。三人の息子はその後首を斬られ、体は三体串刺しに、頭は辱めの書状と共に晒し台へ置かれた。

⑥葛見の戦い・尾杖勝久殺害

神賀修成死亡の一報を聞き、古部は星浦へ向かった。そこで古部が見たのは自らの子の無残な死体と暴行を受け三倍ほどに腫れ上がった修成の吊るされた死体であった。
古部は激しく怒り、追討軍をその場で組織し律都を探させた。
その頃、律都はそろそろ自らが追われるであろうことを想定していたため、足取りを大きく変えて佐治の国の最北にある葛見へ向かった。
葛見では民はあまり虐げられてはいなかったが、律都の目的は古部軍の皆殺しであったため、勝久もその手にかけた。
まず野営に忍び込み、その兵糧と野営の井戸水に毒を染み込ませた。なんなくこれを口にした勝久の兵士は須らく頭が破裂して死亡した。その血を浴びた勝久も中毒状態になってしまい、苦しんでいる前へ律都が現れた。律都はあらかじめ勝久の妻子を殺害しており、その首を勝久の目の前に投げ捨てた後、苦しむ勝久を四肢をもいで縛り上げ、磔にして火で炙り殺した。そして黒焦げになった勝久の首とその妻子の首を嘉晃の時と同様にした兵士に本陣へ届けさせた。

⑦赤苓山の戦い・宇島和以殺害

親友であった勝久を殺害された古部は激昂し、すぐに葛見へ向かい、腹いせに葛見の民を全員斬首し京観を築いた。その頃律都は南下し宇島和以の守る赤苓山へ向かっていた。
赤苓山の要塞は小高い山の上にある難攻不落の大要塞であったが、律都にとっては落とすことなど簡単であった。
手始めに律都は一陣と呼ばれる下段に陣を敷いていた兵士を全て殺害し、その死体でモニュメントと落とし穴を作成した。これに激昂した和以が手勢を率いて現われたところ、簡単に落とし穴に引っかかった。落とし穴は深く、到底出られるようなものでもなかったところに、律都が大量の毒を流し込んだ。大抵は溺死したが、猛者と呼ばれる側近の5人の副将と和以はもがきながらも生きていた。律都はそこにさらに矢を撃ち込み、五人の副将の頭を全て射抜いて殺害した後和以を引き上げ、棍棒でそれぞれの四肢を叩き潰し、首と胴体に縄を括り互いに逆方向へ引っ張り引き裂いて殺した。

⑧楚江の戦い・菟道松貴殺害

菟道松貴率いる楚江の神千代軍には芦間頼盛と野見山現斉という二人の副将がおり、互いに仲が悪かった。その事を予め聞いていた律都はこれを利用しようと画策した。
アフバヤル殺害の後先に楚江に入って二人の副将が率いる兵士の家族を人質に取り、互いに「内通している」という噂を流させた。その噂は軍中で広がり、再び律都が楚江に現れた時には修復不可能なほどに不和が広がっていた。そこで争いを煽り、ついには頼盛の軍と現斉の軍が大将である松貴の制止を無視して争いを始めたがいに殺し合い始めた。その様を律都はほくそ笑みながら眺めていた。そして、ある程度大勢が決したところで乱入し兵士を殺害していった。副将の二人が事態に築いた時にはもう遅く、二人はお互いに結託し松貴を殺し律都に寝返ろうと考えた。松貴は不意を打たれ死亡し、その首を持って二人は投降したが、律都がそれを許すはずもなく、二人のそれぞれの妻子の首、それも激しい暴行を受け腫れ上がった首を見せつけ絶望させた後、二人とも捕縛し熱湯の釜で茹で殺しにした。

⑨安城院の戦い・桐下玄播殺害

残る拠点は芦津城の手前の安城院の拠点のみとなり、兵士ももはや2割の1万しか残っていなかった。
古部は恐怖からか芦津の城の奥の間に閉じこもってしまった。
そんな事は知らない律都は安城院へ向かった。安城院は芦津手前の防塁であり、赤苓山の要塞と並んで難攻不落の防塁であった。
安城院には大量の神千代軍兵士がいたが、律都はその全ての首を刎ねた。そして桐下玄播の副将であり古部の息子義興を一撃で昏倒させ、目と耳と鼻を削ぎ四肢を斬り落として捨て置いた。切断した右腕を持ち、主郭にいた玄播にその右腕を放り投げた。
安城院の守将である桐下玄播は古部配下最凶と言われていた。しかし、復讐の鬼と化していた律都には最早敵ですらなかった。一撃一撃で四肢を削ぎ、三撃で降参したが律都は聞く耳を持たず、淡々と残っていた左足を切断した。そして動けぬ玄播の前でその妻を弓の的にして射殺し、一族も次々弓で射殺した。玄播自身は腹を裂かれ、内臓を一つ一つ引きずり出された後大量の鼠の餌にされた。

⑩芦津城・古部義友殺害

神千代軍の拠点を全て落とした律都は、辛うじて息があった古部の息子義興を箱に詰め、それを持って本陣の芦津城へ向かった。
そして門番の兵に「これを古部に渡せ、さもなくば殺す」と言いつつ先述の箱を渡し古部の元へ届けさせた。その少し後に城内へ忍び込み、並み居る兵士と将を次々と殺害した。そして副将4人の首を持ち天守閣へ向かい、古部と相対した。古部はすでに箱の中身を見た後であり激昂していたためさしもの律都も少々苦戦はしたが、やはり敵ではなく、片目を潰し左腕を削いで降伏させた。その後古部に苛烈な拷問を続ける中で古部が葛見の民を皆殺しにしたことを口走ったため、律都は古部の妻である余那を古部の目の前で四肢を細かく切断していく凌遅の刑に処し惨殺した。
その後律都は古部を完膚なきまでに叩きのめした後、彼の四肢を全て削ぎ民が暮らす芦津城下の広場に首だけ地表に出るように高札と共に生き埋めにした。高札には「下の首は佐治英胤下手人・古部義友である。諸君らは亡き王の無念を晴らす為、これに石を投げてもよい」と書かれており、目撃した群衆たちに寄って集って大小様々な石を投げつけられ義友は死亡した。
最終更新:2020年08月17日 01:19