(1) | 英語版 wikipedia(liberal democracy wikiの項)より定義部分のみ翻訳 ※ブリタニカ百科事典には項目なしのためwikipediaで代用 | ||||
自由民主制(liberal democracy)は(ブルジョア民主制(bourgeois democracy)あるいは立憲民主制(constitutional democracy))は代議制民主制(代表制デモクラシー representative democracy)の一般的な形態である。 | |||||
自由民主制の原則によれば、①選挙は自由で公平であるべきであり、②政治的プロセスは競争的であるべきである。政治的多元性(政治的複数性 political pluralism)は通常、複数の明瞭に区別された諸政党の存在によって同定される。 | |||||
自由民主制は様々な憲法形態をとることが可能である。それはアメリカ・ブラジル・インド・ドイツのような①連邦共和国(federal republic)が可能であり、また英国・日本・カナダ・スペインのような②立憲君主国(constitutional monarchy)が可能である。 | |||||
それ(自由民主制)はまた、①大統領制(predidential system アメリカ・ブラジル)、②議会制(paliamentary system = Westminster system 英国と共同体諸国 UK and commonwealth countries)、あるいは③混成・半大統領制(hybrid, semi-presidential system フランス・ロシア)が可能である。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(totalitarianismの項)より全文翻訳 | ||||
市民生活の全領域を国家の権威の下に置く政府の形態(Form of government)であって、唯一のカリスマ的な指導者を究極的な権威とするもの。 | |||||
この言葉は1920年代初期にベニト・ムッソリーニによって鋳造されたが、全体主義は全歴史・全世界を通して存在してきた(例えば支那の秦王朝)。 | |||||
全体主義は既成の全ての政治機構や全ての古い法的・社会的伝統を、通常高度に重点的な国家の必要に合致する新しいものに取り替える点で、独裁制(dictatorship)や権威主義(authoritarianism)と区別される。 | |||||
大規模で組織的な暴力が合法化され得る。警察は法や規則の制約なしに活動する。国家目標の追求はこの様な政府の唯一の思想的基礎である一方で、そうした目標の追行過程は決して一般に知らされない。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)はこの主題の標準的著作である。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(totaritarianの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 中央集権的で独裁的であり、国家に対する完全な服従を要求する政治システムに関するもの。 | ||||
<2> | 全体主義的な政治システムを唱導する人物 | ||||
(3) | コウビルド英語事典(totalitarianの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | 全体主義的政治システムとは、唯一の政党が全てをコントロールし一切の反対党を許さないものである。 | ||||
<2> | 全体主義者とは、全体主義的政治理念あるいはシステムを支持する人物である。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(authoritarianismの項)より全文翻訳 | ||||
権威への無制限の服従の原理であって、個人の思想や行動の自由に反するもの。 | |||||
政治的システムとしての権威主義は反民主的(anti-democratic)であり、政治的権力は被統治者に対して何ら憲法上の責務を負わない単一の指導者または少数エリートに集中される。 | |||||
権威主義的政府は通常、①指針となるイデオロギーを欠くこと、②社会的機構に幾らかの複数性を許容すること、③国民的な目標の追求に全人口を投入する権力を欠いていること、④相対的に予測可能な制限の範囲で権力を行使すること、から全体主義とは区別される。 | |||||
絶対主義(Absolutism)、独裁制(Dictatorship)を参照せよ。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(authoritarianの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 個人の自由を犠牲にして、権威に対する厳格な服従を志向し強制すること | ||||
<2> | 他人の意思や意見への関心が欠けていることを示すこと。独断的な。 | ||||
<3> | 権威主義的な人物 | ||||
(3) | コウビルド英語事典(authoritarianの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | 貴方が、ある人物や組織が権威主義であると描写する場合、貴方は、彼らが人々が自身で物事を決定することを許容せず全てのことをコンロトールすることに批判的であることを意味する。 | ||||
<2> | オーソリタリアンとは権威主義的な人物である。 |
前文第一段 | 内容 | 関連ページ |
日本国民は、 | ||
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 | 代表制デモクラシー | デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る |
われらとわれらの子孫のために、 | ||
諸国民との協和による成果と、 | 国際協調主義 | |
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、 | 自由主義 | リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 |
政府の行為によって | 自虐史観 | 戦後レジームの正体 |
再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意し、 | 非戦主義 | |
ここに主権が国民に存することを宣言し、 | 国民主権 | 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 |
この憲法を確定する。 | 立憲主義 | 「法の支配(rule of law)」とは何か 立憲主義とは何か |
(1) | 現行憲法は昭和天皇の裁可によって辛うじて正統性を付与されているものの、その制定過程に重大な瑕疵があったことは否めない。 |
(2) | 内容面でも、現行憲法は、日本の歴史・伝統を無視あるいは蔑視し、事実に反する一方的な贖罪意識を日本人に刷り込みかねない誤った文理解釈を招く文章を幾つも含むばかりか、文言のうえで明らかに日本国民の基本的な自存自衛の権利を蔑ろにし、国家共同体を解体に導きかねない憲法解釈(左翼的憲法解釈)の横行を長年に渡って助長し続けている。 |
(3) | 従って現行憲法は、<1>現行憲法第96条の改正手続きによるか、<2>破棄宣言し明治憲法下の体制に形式上一旦戻した上で明治憲法の改正手続きによって改正するか、といった手続き面に関わらず、内容的には、特に原理・原則面に踏み込んだ抜本的な変更を行う必要がある(ただし統治機構や権利章典の個別の条項については現行憲法典のものをそのまま維持することが妥当なものも多い)。 |
(4) | なお、現在の緊張した東アジアの国際状況下では、特に憲法九条限定の部分改正について他の条項に先駆けての緊急対応を要すると思われる。 |
(1) | 「自由」を最高の価値とし「代表制デモクラシー」を採用すること、つまり「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を維持することに全く異存はない。 但し現行憲法では文言上曖昧となっている「立憲主義」について、日本の歴史・伝統に照らして「立憲君主政体(立憲君主制)」であることを明確に規定すべきである。 |
(2) | 「自虐史観」に基づく「非戦主義」の規定は、所謂「奴隷の平和(主義)」であり、日本国民の正当な自存自衛の権利に違反するため、全面的に排除する必要がある。 |
(3) | 「国際協調主義」は日本国の正当な権利が保証される限りにおいて意味を持つのであり、事実に基づかない贖罪意識により日本国が一方的に譲歩させられること(所謂「土下座外交」)を誘発するような規定は排除されるべきである。 |
(4) | 現行憲法では無制限的な「国民主権」を強調する解釈が横行しているが、既に「デモクラシー(民衆による政治)」が過剰に行き渡った現在の状況で安易な「国民主権」の強調は、デモクラシーのモボクラシー(衆愚政治)化を助長するだけである(⇒ デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る 参照)。 更に「国民主権」は「自由」という最高の価値とも実は両立し難い要注意語であって、「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を正しく保証すぺく「国民主権」の語自体もその具体的意味を確定しつつ慎重に排除していく必要がある。(⇒政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価参照) |
(1) | 「君主主権」では、 | 君主の恣意的な命令が「法」となり、臣民の「自由」は理屈の上では無制限に奪われる。 |
(2) | 「主権在民」論では、 | 君主の恣意的な命令こそ排除されるものの、“主権者”である全ての国民(ないし人民)の意思が一致するわけではないので、結局、比較的多数派の意思が「法」となって、比較的少数派の意思を圧殺することになる。 つまりこの場合でも比較的少数派の「自由」は理屈の上ではやはり無制限に奪われる。 |
「法=主権者の意思・命令」 | であれば、 | 憲法典自体が主権者の恣意的な構築物であるのだから、 |
主権者は、 | ①不都合な条文を勝手に改変したり、 ②憲法典そのものを停止宣言することによって、 |
幾らでも少数派の憲法上保障された権利・自由を奪えることになってしまうのである。 |
この所謂「イギリス経験論」あるいは「英米法」の考え方によれば、 |
“法”を定める“主権者”なる者は存在せず、 |
“法”は気の遠くなるほど長い年月をかけて無数の先人達の叡智と経験の積み重ねの中から徐々に“発見”されてきたものであり、 |
それゆえに確実な権威を持つものであって、 |
何人であろうと(君主であろうと議会の多数派であろうと)勝手に改変することは許されない、とされた。 |
このような「国王といえども神と法の下にある」状態を「法の支配」(rule of law)と呼ぶ。(★注1) |
popular sovereignty | (南北戦争以前に)アメリカの連邦保有地の入植者達に、自由州または奴隷州としてユニオンに加盟する決定を下すことを許容した政策(以下省略) |
歴史主義・伝統主義 (英米法) | 反歴史主義・リセット主義 (大陸法) | |
権利の本質 | 人間は長い歴史を通じて、社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、社会的叡智の結晶として歴史的権利を「慣習」という形で個別に見出してきた、とする立場 | 人間は自然状態において、生来的に自然権(natural right)を有していたが、社会契約(social contract)を結んで自然権を一部または全部放棄し、人定法(実定法:positive law)を定めた、とする立場 |
法の本質 | 法は特定の共同体の中で人々の社会的ルールとして自生した(特定の人物の意思によらずに時間をかけて次第に生成されてきた)(法=社会的ルール説)(★注3) ⇒この立場は、真の法=ノモス(個別の共同体毎に自生的に発展してきた人為的ではあるが特定の意思によらざる法)とする見解と親和的である。 |
法はそれを作成した主権者の意思であり命令である(法=主権者意思[命令]説)(★注1、★注2) ⇒この立場には、①真の法=理性から演繹された自然法(フュシス)とする近代的自然法論、および、②真の法など存在せず主権者の意思・命令としての人為法があるのみとする純然たる法実証主義、の2通りの見解がある。 |
誰が法を作るのか | 法は幾世代にも渡る無数の人々の叡智が積み重ねられて自生的に発展したもの(経験主義、批判的合理主義) ⇒「法は“発見”するもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を否認 (特定時点の世代の人々が制定できるのは原則として「憲法典(形式憲法)」迄であって、「国制(実質憲法)」は世代を重ねて徐々に確立されていくものに過ぎない) |
法は主権者の委任を受けた立法者(エリート)が合理的に設計するもの(設計主義的合理主義) ⇒「法は“主権者”が作るもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を肯定 (特定時点の世代の人々は「憲法典(形式憲法)」のみならず「国制(実質憲法)」をも意図的に確立することが可能である) |
補足 | 共同体毎に個別的→共同体に固有の「国民の権利」と「一般的自由」の二元論と親和的 価値多元的・相対主義的、 帰納的、保守主義・自由主義・非形而上学的な分析哲学と親和的 法の支配ないし立憲主義と順接 |
全人類に普遍的→共同体や歴史的経緯を超える普遍的な人権イデオロギーと親和的 絶対主義的(但し価値一元的な傾向と価値相対主義的な傾向との両面がある) 演繹的、急進主義・全体主義・形而上学的な観念論哲学と親和的 国民主権や法治主義と順接 |
実例 | 英国の不文憲法が典型例。またアメリカ憲法は意外にも独立宣言にあった社会契約説的な色彩を極力消した形で制定され歴史主義の立場に基づいて運用されてきた。 大日本帝国憲法(明治憲法)も日本の歴史的伝統を重んじる形で当時としては最大限に熟慮を重ねて制定された |
フランスの数々の憲法、ドイツのワイマール憲法が典型例。 日本国憲法は前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とロックの社会契約説的な制定理由を明記しており、残念ながら形式上この範疇に入る(GHQ草案翻訳憲法) ※但し“解釈”により日本の歴史・伝統を過剰に毀損しない慎重な運用が為されてきた |
主な提唱者 | コーク、ブラックストーン、バーク、ハミルトン なお第二次大戦後の代表的論者は、ハイエク、ハート |
ホッブズ、ロック、ルソー なお第二次大戦後の代表的論者は、ロールズ、ノージック |
① | 君主主権 | 君主一人が主権者。(1)社会契約説以前の王権神授説や、(2)ホッブズの社会契約説が代表例。 |
② | 人民主権 | 君主以外の人民 people が主権者であり人民は各々主権を分有し人民自らがそれを行使する(=プープル主権説)。ルソーの社会契約説が代表例。 |
③ | 国民主権 | 君主を含めて国民全員が主権者(但し左翼の多い日本の憲法学者には「君主は国民に含めない」として、実質的に人民主権と同一とする者が多い)。 なお国民主権の具体的意味については、(1)最高機関意思説と、(2)制憲権(憲法制定権力)説が対立しており、 さらに(2)は、<1>ナシオン主権説と<2>プープル主権説に分かれる(プープル主権説は実質的に②人民主権説)。 一般的に国民主権という場合は、<1>ナシオン主権説(観念的統一体としての国民が制憲権を保有するとする説)を指す。 |
④ | 議会主権 | 英国の憲法学者A.V.ダイシーの用語で、正確には「議会における国王/女王(the king/queen in parliament)」を主権者とする。君主主権や国民主権の語を避けるために考え出された理論 |
⑤ | 国家主権 | 帝政時代のドイツで、君主を含む「国家」が主権者であるとして君主主権や国民主権の語を避けた理論。戦前の日本の美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説もこの説の一種である |
⇒教科書は、戦後の日本は「国民主権」だが、戦前の日本は「君主主権」の絶対主義国家だった、とする刷り込みを行っている。しかし実の所は、 大日本帝国憲法(明治憲法)は制定時において明確に歴史主義の立場を取っており、そもそも「xx主権」という立場(法=主権者命令説)ではなかった。強いて言えば | ||
⑥ | “法”主権 | つまり「法の支配」・・・歴史的に形成された統治に関する慣習法(=国体法 constitutional law)及びそれを可能な範囲で実定化した憲法典(constitutional code)が天皇をも含めた国家の全構成員を拘束するという立場だった。 |
⇒なお、大正デモクラシー期には、ドイツ法学の「⑤国家主権説」を直輸入した美濃部達吉の「天皇機関説」が通説となり、それがさらに天皇機関説事件によっていわゆる①君主主権説に転換したのは昭和10年(1935年)以降の僅か10年間である。 |
※図が見づらい場合⇒こちらを参照 |
※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。 このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。 (※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。) |
(1) | かってフランスがルソーの革命思想に燃えるジャコバン党の恐怖政治に覆われたとき、強烈な反撃の狼煙を上げたのは英国だった。 |
(2) | ナチス・ドイツが欧州大陸を席巻したとき、ただ一国で踏みとどまってヒトラーの自滅を誘ったのも英国であり、最終的にこれを壊滅させたのは米国だった。 |
(3) | ソ連との持久戦に耐えて遂にこれを崩壊に導いたのは、サッチャー&レーガンの英・米同盟だった。 |
結局、「リベラル・デモクラシー」は英米法の伝統の中で発展してきた政治体制であり、 |
フランス・ドイツで発展した大陸法の「国民主権」あるいは「人民主権」といった「法=主権者意思・命令」説、理性からの演繹による自然法論あるいはその裏返しとしてのケルゼン流の純然たる法実証主義(人定法一元論)では、これを安定的に維持するのは難しい、というのが歴史の教訓である。 |
従って我々としては、明治以来継授してきた大陸法の主権在民論/制憲権論の弊害をまず正確に認識した上で、英米法の「法の支配」理念の正しい理解に努め、それを日本に固有の法体系に無理なく接合していく必要がある。 |
憲法問題の全般的な解説ページ | 日本国憲法改正問題(上級編) |
関連用語集 | 【用語集】主権論・国民主権等 |
憲法論のガイドライン | 憲法論の二段構造:①実質憲法(=法価値論)と、②形式憲法(=法解釈論) |
「法の支配」と国民主権 | 「法の支配(rule of law)」とは何か |
阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第一部 | 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力 |
阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 | 第七章 国民主権と憲法制定権力 |
芦部信喜・佐藤幸治・阪本昌成・中川八洋etc.の「国民主権論」比較・評価 | 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 |
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