(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(leftの項)より全文翻訳 | ||||
政治に関して、一般的に、①平等主義(egalitarianism)と、②政治的・経済的生活の主要な諸機構の人民または国家による管理(popular or state control of the major institutions of political and economic life)、とに結びついた政治的帯域(political spectrum)の一角。 | |||||
この言葉は、フランス革命時の議会で、社会主義者の代表達が、議長席の左側に陣取った1790年代に由来する。 | |||||
左派は、 | ①富裕者や貴族階級のメンバーを含む伝統的なエリート達(traditional elites)の利益に対して敵意を持ち、 | ||||
かつ、 | ②労働者階級(working class)の利益に対して好意を持つ傾向がある。(プロレタリアートの項を見よ) | ||||
<1> | 彼らは、社会福祉(social welfare)を政治の最重要目標とみる傾向がある。 | ||||
<2> | 社会主義(socialism)は、世界の殆どの国々で、左派の標準的なイデオロギーである。 | ||||
<3> | 共産主義(communism)は、いっそう急進的な左派のイデオロギーである。 | ||||
(2) | オックスフォード英語事典(leftの項)より抜粋翻訳 | ||||
急進的(radical)、革新的(reforming)、または社会主義的(social)な見解を好む集団または政党。 | |||||
(3) | コウビルド英語事典(leftの項)より全文翻訳 | ||||
社会主義の政治的理念を支持する人々を左派(the left)という。 | |||||
彼らは、しばしば右派(the right)つまり資本主義と保守主義の政治的理念を支持する人々と対比される。 |
(1) | オックスフォード英語事典(left-wingの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 政党または政治体制のうち、急進的(radical)、革新的(reforming)、または社会主義的(social)な部分。 | ||||
<2> | サッカー・ラグビー・ホッケーの競技場でチームの左側をいう。 | ||||
(2) | コウビルド英語事典(left-wingの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | 左翼の人々は、社会主義的(socialism)に基礎を置く政治的理念を保持している。 | ||||
<2> | 人々の集団、特に政党としての左翼(the left wing)は、その他のメンバーに比較して社会主義により近い信条を持つメンバーによって構成されている。 |
(1) | オックスフォード英語事典(redの項)より抜粋翻訳 | ||||
(インフォーマル)(主として軽蔑的に)①共産主義者、または②社会主義者(特に冷戦期にソ連邦に関して用いられた)。 | |||||
「白(white ※注:反革命・王党派を表す色)」と対語である。 | |||||
(2) | コウビルド英語事典(redの項)より抜粋翻訳 | ||||
貴方が、誰かが「アカ(a red or a Red)」であると言う時、貴方は、彼らが①共産主義者、または②社会主義者、または③左翼理念の持ち主、である事実を嫌悪(不承知 disapprove)しているのである。 |
内容 | キーワード | |
極左 | 共産主義(communism)即ち、いっそう急進的な左派のイデオロギーを支持する立場 | ①共産主義、②マルクス主義、③弁証法的唯物論、④ヘーゲル主義 |
左翼 | 社会主義(socialism)即ち、左派の標準的なイデオロギーを支持する立場 | ①社会主義、②社会民主主義(社会民主制)、③集産主義 |
リベラル左派 | 社会福祉(social welfare)を政治の最重要目標とする立場。左翼理念の持ち主 | ①福祉国家、②リベラリズム、③J.ロールズ、④社会契約、⑤自然法、⑥人権 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(communismの項)より全文翻訳 | ||||
全ての資産の所有権は共同体にあり、その利益は各人の必要に応じて全員に分配される、と提唱する政治理論。 | |||||
この理論は、主としてカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの業績である。 | |||||
彼らの『共産党宣言』(1848年)は、“プロレタリアート(無産階級、労働者階級)独裁”即ちマルクスの言う処の「社会主義」という過渡期について特記している。「共産主義」は最終段階であって、そこでは階級の区別だけでなく組織立った国家-マルクスによれば不可避的に抑圧の道具であるもの-すら克服されるという。 | |||||
この(社会主義と共産主義の)区別は、間もなく見失われ、“共産主義者(という言葉)”は最終的なゴールよりも政党名に適用されるようになった。 | |||||
ウラジミル・イリイチ・レーニンは、プロレタリアートは、共産主義(への道)を案内するプロの革命家を必要とするのだ、と主張した。(レーニン主義を見よ) | |||||
ヨシフ・スターリン版の共産主義(スターリン主義を見よ)は、多くの点で全体主義と同義語となっている。 | |||||
毛沢東は支那の共産主義革命で、都市のプロレタリアートよりも、貧農達を動員した。(毛沢東主義を見よ) | |||||
西欧共産主義(eurocommunism)はソ連邦の崩壊(1991年)によって支持者の殆どを喪失した。 | |||||
「共産主義政党」「弁証法的唯物論」「第一インターナショナル」「第二インターナショナル」を見よ。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(communismの項)より抜粋翻訳 | ||||
全ての資産は共同体によって所有され、各人は各々の必要に応じて奉仕し、また受益する、とする社会機構に関する理念または制度。 | |||||
最も身近な共産主義の形態は、1917年のロシア革命の後で樹立されたボルシェヴィキ(ソ連共産党の前身)である。そして、それは旧ソ連と東欧の同盟国、また1949年以降の支那、そしてキューバ、ベトナム、北朝鮮といった幾つかの発展途上国で実施された制度を表す言葉として理解されている。 | |||||
共産主義の形態では、資本主義制度が打倒された後は、国家は衰退し消滅していくものとされている。 | |||||
しかし実際には国家は共産主義社会のあらゆる局面を管理するものとして肥大化した。 | |||||
東欧の共産主義は、①人々の経済的期待に沿うことに失敗したこと、②政治的生活の上で、もっと民主的な制度への移行、③ソ連邦を解体に導いた増大していくナショナリズム、を背景として1980年代末から1990年代初めにかけて崩壊した。 | |||||
(3) | コウビルド英語事典(communismの項)より全文翻訳 | ||||
共産主義とは全ての人々は平等であり、労働者は生産手段を管理すべきだ、とする政治的信条である。(≠資本主義 capitalism) |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(marxismの項)より全文翻訳 | ||||
カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスによって開発されたイデオロギーであり、社会経済的理論(socioeconomic theory)である。 | |||||
共産主義の基本的イデオロギーであるそれ(マルクス主義)は、全ての人々は彼らの労働の果実を享受する資格を持つが、資本主義的経済体制つまり社会を二つの階級-①無産労働者(nonowning workers)と②不労所有者(nonworking owner)-に分化させる体制によって、そうすることが妨げられている、と捉えている。 | |||||
マルクスはその帰結的状況を「疎外(alienation)」と呼んだ。そして彼らは労働者が自身の労務の果実を再取得する時、疎外は克服され、階層分化も消滅する、と言った。 | |||||
歴史に関するマルクス主義理論は、階級闘争を歴史の駆動力と措定する。それは資本主義を、最も近時の最も決定的な歴史的段階-最も決定的とは、即ち、この段階においてプロレタリアートは遂に団結して立ち上がるだろうから-と考えている。 | |||||
1848年の欧州の諸革命(※注:フランス2月革命に刺激を受けてドイツ連邦諸国やイタリア地域・オーストリア帝国の諸民族居住地などで多発した自由主義・国民主義運動「諸国民の春」のこと)の失敗と、実践的であるよりは分析的な方向性を持つマルクス主義理論を精巧化させる必要性の増大は、レーニン主義や毛沢東主義などの(より実践的な理論の)採用を導いた。20世紀末期のソ連邦の崩壊と、支那による自由市場経済の多くの要素の採用は、マルクス主義が妥当性を持つ経済的・政治的理論としては終了したことを刻印したように思われる。しかしながらマルクス主義は、?市場資本主義への批判、?歴史的変化の理論、としての関心を持たれ続けている。 | |||||
「共産党宣言」「弁証法的唯物論」「社会主義」「スターリン主義」「トロツキー主義」を見よ。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(marxismの項)より抜粋翻訳 | ||||
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる政治的・経済的理論であり、後に彼らの追随者によって共産主義の基礎を形成するために発展させられたもの。 | |||||
マルクス主義の核心は、経済的諸要因によって社会変化を説明する点にある。 | |||||
マルクス主義によれば、生産手段は、政治的・思想的な上部構造に影響を及ぼしそれらを決定する経済的基盤を提供する。 | |||||
マルクスとエンゲルスは、プロレタリアートによって資本家が革命的打倒を受けること、そして究極的には無階級の共産社会が達成される、と予言した。 | |||||
(3) | コウビルド英語事典(marxismの項)より全文翻訳 | ||||
マルクス主義とは、カール・マルクスの著作に基礎を置く政治的意思であり、相違する社会階級間の闘争の重要性を指摘するものである。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(dialectical materialismの項)より全文翻訳 | ||||
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの著作を通じて、そして後にはゲオルグ・プレハノフ、ウラジミル・イリイチ・レーニン、ヨシフ・スターリンによって表明された哲学的アプローチであり、共産主義の公式的な哲学である。 | |||||
ヘーゲル哲学から借用されたその核心的教義は、あらゆる歴史上の生成・変化・発展は相容れない2つの対照物の闘争の帰結である、とする点である(哲学用語で言うと、テーゼはアンチ・テーゼと対立し、その結果、ジン・テーゼ(総合)に帰結する、ということ)。 | |||||
特に階級間闘争-片方に資本家と土地所有階級あり、他方に無産労働者階級と貧農がある、その両者の闘争-が歴史の大動力を生み出す。 | |||||
史的弁証法の法則は非常に強力であり、個々の指導者達はせいぜい歴史の結果(little historical consequence)に過ぎない。 | |||||
(弁証法的唯物論は)起源としては主として社会的・経済的・政治的領域で作用するものとして構想されたのだが、20世紀にはその原理は科学の領域にまで拡張され、ソ連邦の科学に主要な影響を及ぼした。 | |||||
マルクスとエンゲルスは彼らの哲学的見解を、主として論証法(polemics)と簡易な歴史研究の一連の流れとして表明したのであり、そこには弁証法的唯物論の組織だった主題提示(exposition 詳細な解説)は示されていない。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(dialectical materialismの項)より抜粋翻訳 | ||||
マルクス主義理論(ソヴィエトの共産主義者の公認思想として採用された)であり、政治的・歴史的事件は社会的諸力の闘争の帰結であって、かつ、論理的な諸矛盾とそれらの解決の連続物と解釈される、とするもの。 | |||||
闘争は物質的必要によってもたらされる、とみなされる。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(hegelianismの項)より全文翻訳 | ||||
G.W.F.ヘーゲルの思想体系から発展した多様な思想運動。4段階に識別できる。 | |||||
<1> | 最初の段階は、1827-50年の期間のドイツにおけるヘーゲル学派によって構成されている。学派は3つの流れに分岐している。 | ||||
1. | 右派または「旧ヘーゲル学派」は、①福音主義的正統信仰(evangelical orthodoxy)と②保守的政治方針(conservative political policy)とに対するヘーゲル哲学の適合性を持ち上げることに注力した。 | ||||
2. | 左派または「青年ヘーゲル学派」はヘーゲルの理性と現実との一体化(への志向)を革命的文脈で解釈した。 | ||||
3. | 中央派は、ヘーゲルの体系をその起源と趣旨に立ち返って解釈することを好んだ。 | ||||
<2> | 第二段階(1850-1904)は、通常、新ヘーゲル学派と呼ばれており、中央派の業績が優勢な役割を演じた。 | ||||
<3> | ヴィルヘルム・ディルタイがヘーゲルの青年期の未公開の作品を20世紀初めに発見した後、ドイツでは更に別の潮流が起こった。この第三段階、即ちヘーゲル・ルネッサンスはヘーゲル哲学の起源に関する再構成に重点が置かれた。 | ||||
<4> | 第二次世界大戦後の第四段階において、欧州でのマルクス主義研究の再興は、マルクス主義に対するヘーゲルの遺産(the Hegelian heritage for Marxism)の真価を最終的に前面に押し出した。 | ||||
(2) | オックスフォード英語事典(Hegelの項)より抜粋翻訳 | ||||
ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリッヒ(1770-1831)。ドイツ人哲学者。 | |||||
『論理学』(1812-16年)でヘーゲルは弁証法的理由付けの3段階のプロセスを描き出した。それはマルクスが彼の弁証法的唯物論の基礎としたものである。 | |||||
ヘーゲルは、①歴史・②理念の進化・③人間の意識、は全て何らかの絶対者(the Absolute)または唯一神(God)が自身を認識していく観念的・弁証法的プロセスを通じて展開される、と信じた。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(socialismの項)より全文翻訳 | ||||
①私的所有(private property)と②所得分配(distribution of income)は、社会的管理に従属する(subject to social control)とする社会的有機体の体制(system of social organization)のこと。 | |||||
「社会的管理(social control)」という言葉は広く多義的に解釈することが可能であるため、社会主義は、<1>国家主義者(statist)から自由至上主義者(libertarian)まで、また、<2>マルクス主義者(Marxist)からリベラル左派(liberal)までの範囲に及ぶ。 | |||||
この言葉は最初、メンバー全員の精神的・肉体的な安寧幸福のために非競争的な労働に従事する人々の強制的ではない共同体を強調したシャルル・フーリエ、アンリ・ド・サン=シモン、ロバート・オーウェンらの信条を描写するために用いられた。(「空想的社会主義 utopian socialism」を見よ) | |||||
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、社会主義を資本主義から共産主義への過渡期の段階と認識し、彼らが(フーリエ、サン=シモン、オーウェンらの)社会主義の諸運動の中で有益であることを発見した内容を、彼らの“科学的社会主義(scientific socialism)”を開発するのに流用した。 | |||||
20世紀においてソ連邦は厳格な中央集権的社会主義の第一の模範であったが、その一方で、スェーデンとデンマークは非共産主義の社会主義で著名だった。 | |||||
「集産主義」「共同体主義」「社会民主主義(社会民主制)」を見よ。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(socialismの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 社会的有機体に関する政治的・経済的理論(a political and economical theory of social organization)であり、?生産・?分配・?交換の手段は、その全体を共同体によって所有されるか規制されるべきだ、と提唱するもの。 | ||||
<2> | その理論に基づく政策またはその実行のこと。 | ||||
<3> | (マルクス主義理論では)資本主義の打倒と、共産主義の実現の間の過渡的な社会状態。 | ||||
「社会主義」という言葉は、無政府主義(anarchism)・ソ連邦の共産主義・社会民主主義(social democracy 社会民主制)という大きく隔たった複数の立場を記述するのに使用されてきた。しかしそれは、経済市場での無制限の労働に対する反対(という立場)を必然的に含意している。 | |||||
19世紀末以来、殆どの欧州諸国で興起している社会主義の諸政党は一般に、社会民主制(social democracy)に傾斜している。 | |||||
(3) | コウビルド英語事典(socialismの項)より全文翻訳 | ||||
社会主義とは、全ての人々が国家の富から利益を享受する平等な機会を持つ体制を創出すること、を一般的な目的とする左翼的な政治原則の一つの組み合わせである(a set of left-wing political principles) | |||||
社会主義の下では、国家の主要な産業は通常、国家によって所有される。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(social democracyの項)より全文翻訳 | ||||
確立されている政治的プロセスを用いて、資本主義から社会主義への社会の平和的な進化的移行(a peaceful, evolutionary transition of society from Capitalism to Socialism)を唱導する政治的イデオロギー(political ideology) | |||||
それはマルクス主義の唱導する社会革命(social revolution)を拒絶する。 | |||||
社会民主主義は、1870年代のドイツの政治運動として始まった。 | |||||
エドゥアルド・ベルンシュタインは1899年に、資本主義はカール・マルクスが、その中に見出した弱点(失業や過剰生産を含む)の多くを克服しつつあり、普通選挙は平和裏に社会主義的な政府を導くだろう、と論じた。 | |||||
1945年以降、社会-民主的な諸政府(social-democratic governments)が、西ドイツ(「社会民主党」を見よ)・スェーデン・英国(労働党の下に)で政権を握った。 | |||||
社会-民主的思考(social-democratic thought)は、次第に、(国家所有でなくとも)国家による規制が、①経済成長と②所得の公平な分配を確実に行う上で十分である、と見なすようになった。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(social democracyの項)より抜粋翻訳 | ||||
民主的手段によって達成される政治の社会主義体制(a socialist system of government) | |||||
(3) | コウビルド英語事典(social democracyの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | 社会民主制(social democracy)とは、①社会的公正(social justice)と②平等(equality)は市場経済の枠内で達成可能である、とする政治体制(a political system)である。 | ||||
<2> | 社会民主国(a social democracy)とは、社会民主制が存在する国家のことである。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(collectivismの項)より全文翻訳 | ||||
個々人が所属するグループ(例えば、国家・国民・民族集団・社会階級)に、中心的な重要性を帰属させるあらゆるタイプの社会的組織(social organization)。 | |||||
集産主義は、おそらく個人主義(individualism)と対照的である。 | |||||
ジャン-ジャック・ルソーは、近代において最初に集産主義を論述した思想家である(1762年(『社会契約論』))。 | |||||
カール・マルクスは、19世紀における最も強力な集産主義の唱道者であった。 | |||||
共産主義、ファシズム、社会主義は、おそらく全て集産主義的システムと呼ぶのが相応しい。 | |||||
共同体主義(communitarianism)、キブツ、モシャヴを参照の事 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(collectivismの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 各々の個人が所属する集団に、個人を超える優先権を付与する行為形態または原理。 | ||||
<2> | 国家(state)または人民(people)による土地(land)及び生産手段(means of production)の所有を意味する政治的原理またはシステム。 | ||||
(3) | コウビルド英語事典(collectivismの項)より全文翻訳 | ||||
集散主義とは、国家の産業とサービスは国家(state)または国家の全ての人民(all people in a country)によって所有され、管理されるべきだ、とする政治的信条である。社会主義・共産主義はともに集産主義の一形態である。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(welfare stateの項)より全文翻訳 | ||||
国家が、市民達の経済的・社会的な安寧幸福(the economic and social well-being of the citizens)の保護と促進に関して、鍵となる役割を演じる、とする政治的概念(concept of government) | |||||
(福祉国家が)基礎を置く原則は、①機会の平等、②富の公平な分配、③良好な生活の最小限の用意が欠落している人々に対する公的責任、である。 | |||||
この言葉は、多様な経済的・社会的有機体の形態に対して用いることが出来る。 | |||||
福祉国家の基本的な提供物の一つは社会保険である。それは恩恵が大いに必要とされる時節に供給されることを目的としている(例:老齢・疾病・失業) | |||||
福祉国家は、また通常、①教育、②健康サービス、③住宅、の公的な供給を包含する。 | |||||
多くの欧州諸国では、包括的な健康保険と国家助成金支給による大学水準の教育が一般的となっているのに比べると、アメリカ合衆国の公的供給は展開されている範囲がより小さい。 | |||||
中央計画的な経済を持つ国々では、福祉国家はまた①雇用と②消費者価格の管理をも包含する。 | |||||
殆どの国々は、少なくとも福祉国家に関連した何らかの方策を制度化している。英国では1948年に包括的な社会保険が採用された。アメリカ合衆国ではニューディールやフェアデールといった社会的-立法プログラム(social-legislation programs)は福祉国家の原理に基礎を置いている。 | |||||
スカンジナヴィア諸国は、個人に対して生活のあらゆる側面に関する国家的扶助を供給している。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(welfare stateの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 国家が、市民、特に金融的・社会的必要に迫られている人々に、交付金・年金その他の恩典によって健康と安寧幸福の保護を引き受ける制度。 英国における近代福祉国家の設立は、1942年のベヴァリッジ報告によってその路線が敷かれた。 国営の健康サービス・国営の保険スキーム(仕組み)の設立といった、その報告の提案は、1948年に労働党政権によって実施された。 | ||||
<2> | そうした制度を実行している国家のこと。 | ||||
(3) | コウビルド英語事典(welfare stateの項)より全文翻訳 | ||||
英国や他の幾つかの国において、福祉国家とは、政府が健康や教育などの無料サービスを供給し、例えば老齢や失業や疾病によって労働することが出来ない人々に金銭を付与する制度をいう。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(liberalismの項)より全文翻訳 | ||||
政治的および経済的ドクトリン(理論・信条)であり、①個人の権利・自由、②政府権力の制限の必要性、を強調するもの。 | |||||
<1> | リベラリズムは、16世紀欧州の戦争(30年戦争)の恐怖に対する防御的リアクションとして発生した。 その基本理念は、トーマス・ホッブズとジョン・ロックの著作の中で公式な表現を付与された。この両者は、至上権は究極的には被統治者の同意によって正当化され、神権ではなく仮想的な社会契約によって付与されると唱えた。 経済分野では、19世紀のリベラル(自由主義者)達は、社会での経済生活に対する政府介入の撤廃を強く要求した。アダム・スミスに従って彼らは自由市場に基礎を置く経済システムは、部分的に政府にコントロールされた経済システムよりも、より効率的であり、より大きな繁栄をもたらすと論じた。 | ||||
<2> | 欧州と北米の産業革命によって発生した富の巨大な不平等その他の社会的問題への反動として、19世紀末から20世紀初めにかけてのリベラル(自由主義者)達は、市場への限定的な政府介入と、無料の公共教育や健康保険などの政府拠出による社会的サービスの創出を唱えた。 アメリカ合衆国では、F.D.ルーズベルト大統領により企画されたニュー・ディール(新規まき直し)計画により、近代ないし進歩的リベラリズム(modern liberalism)は、①政府の活動領域の広範な拡張、そして、②ビジネス活動の規制の増大、として特徴づけられた。 第二次世界大戦後、社会福祉の一層の拡張が、イギリス・スカンジナビア諸国・アメリカ合衆国で起こった。 | ||||
<3> | 1970年代の経済的不振(スタグネーション:不況とインフレの同時進行)は殊にイギリスとアメリカ合衆国において、自由市場を選好する古典的な自由主義の立場(classical liberal position)の再興を導いた。 | ||||
<4> | 現代リベラリズム(contemporary liberalism)は、①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革に依然関心を寄せ続けている。 | ||||
(2) | オックスフォード英語事典(liberalの項)より抜粋翻訳(※liberalismは派生語扱い) | ||||
(政治的文脈で)個人的自由、自由交易、漸進的な政治的・社会的改革を選好する(形容詞)。 | |||||
語源(ラテン語) | liber(=free (man):自由(人))。原初的語感は「自由人として適格な(suitable for a free man)」 | ⇒つまり「自由人=奴隷でないこと」 | |||
(3) | コウビルド英語事典(liberalismの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | ・リベラリズム(liberalism)とは、革命ではなく、法改正によって社会的進歩を漸進的に行う、とする信条である。 | ||||
<2> | ・リベラリズム(liberalism)とは、人々は多くの政治的そして個人的な自由を持つべきである、とする信条である。 |
リベラリズムの段階・種類・区分 | 時期 | 意味内容 | |
<1> | 古典的リベラリズム(classical liberalism) | 16世紀~19世紀 | ?個人の権利・自由の確保、?政府権力の制限、?自由市場を選好…消極国家(夜警国家) |
<2> | ニュー・リベラリズム(new liberalism) | 19世紀末~20世紀 | 経済的不平等・社会問題を緩和するため市場への政府介入を容認→次第に積極的介入へ(積極国家・福祉国家・管理された資本主義) 社会主義に接近しているので社会自由主義(social liberalism)と呼ばれ、自由社会主義(liberal socialism)とも呼ばれた。 |
<3> | 再興リベラリズム(neo-liberalism) | 1970年代~ | スタグフレーション解決のため自由市場を再度選好。 <2>を個人主義から集産主義への妥協と批判し、個人の自由を取り戻すことを重視 |
<4> | 現代リベラリズム(contemorary liberalism) | 現代 | ①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革を志向 1970年代以降にJ.ロールズ『正義論』を中心にアメリカで始まったリベラリズムの基礎的原理の定式化を目指す思想潮流で、①ロールズ的な平等主義的・契約論的正義論を「(狭義の)リベラリズム」と呼び、②それに対抗したR.ノージックなど個人の自由の至上性を説く流れを「リバタリアニズム(自由至上主義)」(但し契約論的な構成をとる所はロールズと共通)、③また個人ではなく共同体の価値の重要性を説くM.サンデルらの流れを「コミュニタリアニズム(共同体主義)」という。 |
補足説明 | <2>ニュー・リベラリズム(new liberalism)と<4>再興リベラリズム(neo-liberalism)は共に「新自由主義」と訳されるので注意。 もともと<1>古典的リベラリズムに対して修正を加えた新しいリベラリズム、という意味で、<2>ニュー・リベラリズム(訳すと「新自由主義」)が生まれたのだが、世界恐慌から第二次世界大戦の前後の時期に、経済政策においてケインズ主義が西側各国に大々的に採用された結果、<1>に代わって<2>がリベラリズムの代表的内容と見なされるようになり、<2>からnewの頭文字が落ちて、単に「リベラリズム」というと<2>ニュー・リベラリズムを指すようになった。 ところが、1970年代に入るとインフレが昂進してケインズ主義に基づく経済政策が不況脱出の方途として効かなくなってしまい、市場の自律調整機能を重視する<1>の理念の復興を唱える<3>ネオ(=再興)・リベラリズムに基づく政策が1980年前後からイギリス・アメリカで採用されるようになった。そのため今度は、<3>を「新自由主義」と訳すようになった。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(Rawls, Johnの項)より全文翻訳 | ||||
(1921年2月21日メリーランド州ボルチモアで誕生-2002年11月24日マサチューセッツ州レキシントンで死去)アメリカの政治哲学者。 | |||||
彼はコーネル大学(1962-79年)、そして後にはハーヴァード大学で教授した。彼は主に政治哲学と倫理学の著述を行った。 | |||||
彼の『正義論(A Theory of Justice)』(1971年)は20世紀の政治哲学の代表作として広く認知されている。この著作や他の著作でロールズは民主的社会に適合した正義の概念(a conception of justice)の開発を追求した。 | |||||
彼は、全体の幸福の最大化を強いる功利主義は、リベラルで民主的な諸価値の中核である自由(freedom)と平等(equality)を保護するには不適切であると信じていた。 | |||||
ジャン-ジャック・ルソーとイマヌエル・カントに習って、ロールズは社会契約(social contract)という理念を強く主張した。彼は平等な権利という立場で行動する自由な人々の間の仮想的合意の結果としての正義(justice as a hypothetical agreement among free persons)を記述した。 | |||||
公平で偏見のない合意を確実にするために、ロールズは(社会契約の締結を目指す)一行(parties)に“無知のヴェール(覆い)(veil of ignorance)”、つまり、一行は自分達や他人達についてのどんな特定の事実(例:彼らの才能・社会的階級・富・宗教・その他の諸価値)も、更には歴史や彼らの社会に関する事実さえも知らない、という状態を平等に課すという想定をした。 | |||||
この“原初状態(original position)”からロールズは、自由な人々は、リベラルで平等主義の正義の観念(a liberal egalitarian conception of justice)、即ち“公正としての正義(justice as fairness)”に合意するだろうと強く主張した。 | |||||
この観念は2つの原理から構成されている。 | |||||
<1> | 思想や結社の自由などの特定の基礎的な自由は、非常に重要であり、貧民の経済的充足や福祉改善といった他の社会的諸価値よりも優先される。 | ||||
<2> | 当局の任務や地位は機会の平等という条件の下に、全ての人々に開かれている。 | ||||
(2) | オックスフォード英語事典(Rawlsの項)より抜粋翻訳 | ||||
ジョン(1921-2002)。アメリカ人哲学者。 | |||||
彼の著書『正義論』(1971年)と『政治的リベラリズム』(1993年)は、偏見のないことを確実とする条件の下で合理的な人々が選択する公正な社会の基礎的な仕組みを考察した。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(social contractの項)より全文翻訳 | ||||
治者(the ruler)と被治者(the ruled)の間の現実的あるいは仮想的な契約。 | |||||
この観念の起源となる着想は、神とアブラハムとの間の聖書にある誓約から派生したものと思われる。しかし、それはトーマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン-ジャック・ルソーの著作と最も緊密に結びついている。 | |||||
<1> | ホッブズは、主権の絶対的権力は仮想的な社会契約によって正当化される、と論じた。そこでは人々は、契約が為される以前に存在すると措定されている“自然状態(state of nature)”の中では欠落している平和と安全の保証と引き換えに、主権者に全面的に服従することに合意する。 | ||||
<2> | ロックは、治者(the ruler)はまた私有財産と思想・言論・信仰の自由を保護する義務を負っていると信じていた。 | ||||
<3> | ルソーは、自然状態では人々は好戦的ではないが理性と道徳が未発達であり、個人的自由を放棄することによって彼らは被統治者(the governed)の“一般意思(general will)”に基づく法制度の中で政治的自由と市民的権利を獲得する、と考えた。 | ||||
社会契約の理念は、アメリカ革命やフランス革命の担い手達、そしてそれらに続いた成文憲法の作成者達に影響を与えた。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(social contractの項)より抜粋翻訳 | ||||
例えば、国家を守るために幾つかの個人的な自由を犠牲にすることによって、社会の諸便益のために協同する、ある社会の構成員の間の暗黙の契約のこと。 | |||||
社会契約の理論は、トーマス・ホッブズやジョン・ロックやジャン-ジャック・ルソーといった理論家達の間で、①政府の起源と、②被服従者の義務を説明する方法として有名になった。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(natural lawの項)より全文翻訳 | ||||
法理学(jurisprudence)と政治哲学(political philosophy)に関して、社会ルールや実定法からではなく自然から派生した(とされる)全ての人類に共通する権利または正義の体系(a system of right or justice)である。 | |||||
この概念はアリストテレスを先駆者とする。彼は“自然に適ったもの”が必ずしも“法に適ったもの”と同一ではないと考えた。 | |||||
ストア派、キケロ、ローマ法学者、聖パウロ、聖アウグスティヌス、グラティウス、聖トマス・アキナス、ジョン・ドン・スコット、オッカムのウィリアム、フランシスコ・スアレスによって、様々な形で自然法の存在が主張された。 | |||||
近代において、ヒューゴ・グロティウスは、例え神が存在しなくとも自然法は肯定される、と主張した。そしてトーマス・ホッブズは自然法を“理性によって発見された一般ルールの規範であり、それによって人間は自身の生活にとって破壊的な行為を禁止されている”と定義した。 | |||||
ホッブズは、①仮想的な“自然状態”から理性的に演繹される法(=自然法)の複雑な体系と、②治者と被治者との間の合意による社会契約とを対比する試みを行った。 | |||||
ジョン・ロックは、ホッブズから距離を置き、自然状態を自由で平等な人々が自然法を遵守する初期の社会として記述した。 | |||||
ジャン-ジャック・ルソーは、①自己保存と②同情という“理性に先立つ”2つの原理によって行動付けられた孤立の中で美徳を保持する野生人(a savage)を措定した。 | |||||
アメリカ独立宣言の著者達は、平等と他の“自明の”“奪うことの出来ない”諸権利を唱導する前段で、わずかに「自然の法」について短く言及しているに過ぎない。 | |||||
フランス人権宣言(人間と市民の諸権利の宣言)は、自由・所有・安全そして圧制への抵抗を“時効のない自然の諸権利”であると主張した。 | |||||
自然法の概念に対する関心は、19世紀に劇的に凋落した。それは部分的にはジェレミー・ベンサムや他の功利主義の提唱者達の懐疑的な攻撃の結果である。それ(自然法への関心)は20世紀の半ばに第二次世界大戦中のナチス体制によって犯された犯罪という脚光を浴びて復活した。 | |||||
自然法(natural law)と自然権(natural rights)に対する懐疑は依然として強烈であるが、後代の著者達は自然権ではなく人権(human rights)を不可避的に語るようになった。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(natural lawの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 全ての人間の行為の基礎と見なされている不変の道徳的原則から構成されるもの。 | ||||
<2> | 自然現象に関連して観測される法則。観測される法則を集合的に言う。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(human rightsの項)より全文翻訳 | ||||
人間であること自体によって個人に帰属する権利。 | |||||
この言葉は、それ以前に用いられた「自然権(natural rights)」即ち、中世の末以来ギリシャ・ローマの自然法概念に結びついた言葉に代わって、第二次世界大戦の後、広く使用されるようになった。 | |||||
今日理解される所では、人権は、人間を取り巻く環境や歴史の多様性を反映して、広範な多様性を持つ諸価値や潜在的な諸能力を表現するものとされている。 | |||||
それら(人権)は、①普遍的(universal)であり、あらゆる地域の全ての人間に適用されるもの、と考えられ、そしてまた、②基本的(fundamental)であり、本質的または基礎的な人間の要求を表すもの、と考えられている。 | |||||
人権は歴史的には、人権の3つの“世代”として知られる時期に分類されてきた。 | |||||
<1> | 市民的・政治的諸権利という最初の世代は、啓蒙思想と英国・アメリカ・フランスそれぞれの革命とに結びついており、①生命(life)と自由(liberty 不羈=拘束されないこと)の諸権利、②言論(speech)と信仰(worship)の自由(freedom)の諸権利を内包している。 | ||||
<2> | 経済的・社会的・文化的諸権利という第二世代は、無規制の資本主義の餌食となることに対する19世紀半ばからの叛乱と結びついており、①労働(work)の権利、や②教育(education)の権利を内包している。 | ||||
<3> | 最後に、連帯(solidality)の権利という第三世代は、第二次世界大戦後(に登場した)発展途上の新興・脱植民地諸国の政治的・経済的渇望と結びついており、①政治的自己決定(political self-determination)と、②経済開発(economic development)に関する集団的諸権利(collective rights)を内包している。 | ||||
1948年の「人間の諸権利の普遍的宣言 the Universal Declaration of Human Rights」(いわゆる世界人権宣言)の採択以降、人間の諸権利の保護のための多くの条約や協定が、国連の支援の下に締結されてきた。そして幾つかの地域的な人権法の諸制度(regional human rights law)が打ち立てられた。(※注: 1953年の欧州人権条約に基づく諸制度などを指す) | |||||
20世紀末に旧ユーゴスラビアやルワンダでの深刻な人権侵害やその他の犯罪を訴追するための特別国際犯罪法廷が召集された。 | |||||
2002年に設置された(常設の)国際犯罪法廷は、人間性に対する犯罪、大量虐殺という犯罪、戦争犯罪の訴追について授権されている。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(rights of manの項)より抜粋翻訳 | ||||
全ての人間に正当に帰属していると考えられる諸権利。人間の諸権利。 | |||||
この文句は1789年にフランス国民議会で採択され、1791年のフランス憲法前文で使用された「人間と市民の諸権利の宣言 the Declaration of the Rights of Man and of Citizen」(いわゆるフランス人権宣言)に結び付けられている。 | |||||
(3) | コウビルド英語事典(human rightsの項)より全文翻訳 | ||||
人間の諸権利とは、全ての人々が保有すべきだと、多くの社会が信じている基礎的な諸権利である。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(enlightenmentの項)より全文翻訳 | ||||
17-18世紀の欧州の知的運動であり、神・理性・自然・人間に関するその諸理念は、混ざり合って一つの世界観を構成し、芸術・哲学・政治の革命的な進展を鼓舞した。 | |||||
啓蒙思想の核心は、理性の活用と称賛だった。 | |||||
啓蒙思想家達にとって、受け継いだ権威は、それが科学であろうと信仰であろうと、束縛されることのない精神による精査に服するものだった。 | |||||
科学と形而上学において、演繹と帰納という論理は、包括的な新しい宇宙観(a sweeping new cosmology)の創出を可能とした。 | |||||
理性的な信仰の探求は、(啓蒙思想家を)理神論(Deism)に導いた。理性を信仰に適用したことによるさらに一層急進的な産物は懐疑論(Skeptism)・無神論(Atheism)・唯物論(materialism)である。 | |||||
啓蒙思想は、ジョン・ロック、トーマス・ホッブズといった人々による近代の世俗的な心理学的・倫理学的理論を産み出し、それはまた急進的な政治理論の発生をもたらした。 | |||||
ロック、ジェレミー・ベンサム、J-J・ルソー、モンテスキュー、ヴォルテール、トーマス・ジェファーソンといった人々は全て、権威主義的な国家への建設的な批判と、自然法に基礎を置く社会的有機体のメタ形式の概要を描き出すのに貢献した。 | |||||
啓蒙思想の後世への継続的な遺産の一つは、人類の歴史は全体としては進化の記録である、という信念である。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(enlightenmentの項)より抜粋翻訳 | ||||
(啓蒙)17世紀末から18世紀にかけての欧州の知的運動であり、伝統ではなく理性と個人主義を強調した。 | |||||
それは、デカルト、ロック、ニュートンといった17世紀の哲学者の影響を非常に強く受けており、その代表的人物は、カント、ゲーテ、ヴォルテール、ルソー、アダム・スミスなどである。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(rationalismの項)より全文翻訳 | ||||
理性(reason)を、知識の主要な源泉であり判断材料(chief source and test of knowledge)である、とみなす哲学的見解。 | |||||
理性主義は長期間に渡って、経験主義(empiricism)つまり、全ての事実問題に関する知識(knowledge of matters of fact)は究極的には感覚的経験(sense experience)から派生し、かつそれによって判断されなければならない、とする信条のライバルであり続けている。 | |||||
この信条(経験主義)に対抗して、理性主義は、理性を、①確実性と②一般性の両方について、感覚的認知(sense perception)の到達できる範囲を超えて真理(truths)を捉えることが出来る能力であると考えている。 | |||||
「自然の光明 natural light」の実在を強調することで、理性主義はまた、神秘的な経験であれ神の啓示であれ直観であれ、秘儀的な知識を唱導する諸体系のライバルであり、また、理性の代わりに生物学的・感情的または意思的・無意識的または実存的などの多様な非理性主義に反対し続けている。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(rationalismの項)より抜粋翻訳 | ||||
宗教的信仰や感情的反応よりも、理性と知識に、意見と行動の基礎を置いている実践のあり方またはその原理。 | |||||
(哲学)経験よりも理性が知識の確実性の基礎である、とする理論。 | |||||
(神学)理性を、信仰の究極的な権威として取り扱う実践のあり方。 | |||||
(3) | コウビルド英語事典(rationalismの項)より全文翻訳 | ||||
理性主義とは、人々の生活は感情や宗教的信仰ではなく、理性と論理に基礎を置くべきだ、とする信条である。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(determinismの項)より全文翻訳 | ||||
哲学で、人間の意思決定を含む全ての出来事は、先行的に存在している諸原因によって完全に決定されている、とする信条。 | |||||
伝統的な自由意志問題は、「道義的責任は決定論の真理と両立するのだろうか?」という問いから発生している。 | |||||
それ(道義的責任)とは両立しない、と信じる人々の中で、 (1)決定論の真理を信奉する幾人かは、自分の行為の道義的責任を負える人は誰もいない(そして、それゆえ犯罪行為の懲罰は正当化されない)、と結論づけている。しかし、 (2)道義的責任の存在を信奉する幾人かは、決定論は偽である、と結論づけている。 | |||||
道義的責任は、決定論と両立すると信じている人々は、両立論者(compatibilist)と呼ばれている(「両立論 compatibilism」を見よ)。 | |||||
ピエール-シモン・ド・ラプラスは18世紀の古典的決定論の形成に責任がある。 | |||||
ラプラスにとって世界の現在の状態は、以前の状態の影響であり、かつ、それに続く状態の原因である。 | |||||
もし万一、精神が、どの瞬間にも①全ての法則と②自然界の全ての力と③全ての構成物の各々の位置を運動量を知ることが可能だとしたら、精神はそれゆえ、あらゆる存在物の確実な未来と過去とを知ることができるのだが(それは不可能である)。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(determinismの項)より抜粋翻訳 | ||||
(哲学)人間の行為を含む全ての出来事は、究極的には意志の外にあるとみなされる諸原因によって決定される、とする信条。 | |||||
幾人かの哲学者は、決定論は、個々の人間は自由意志を持たず、彼らの行為は道義的責任を問い得ない、という含意を持つもの、と認識している。 | |||||
(3) | コウビルド英語事典(determinismの項)より全文翻訳 | ||||
決定論とは全ての行為や出来事は、他の行為や出来事・状態などの結果であり、従って人々には何を行うかという選択が事実上不可能である、とする信条である。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(monismの項)より全文翻訳 | ||||
形而上学で、世界は本質的に一つの実体であるか、または唯一の種類の実体を内包している、とする信条 | |||||
一元論は二元論(Dualism)・多元論(Pluralism)の両方に反対している。 | |||||
一元論の例として、①唯物論(Materialism)、②汎神論(Pantheism)、③形而上学的観念論(metaphysical Idealism)がある。 | |||||
なおベネディクト・ド・スピノザを見よ。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(monismの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | (哲学)特定の領域に関する実体(existence)例として、事物と精神、あるいは神と世界の間の実体、の識別または多元性を否定する理論または信条である。 | ||||
<2> | 唯一の至高の存在が実在する、とする信条である。多元論(Prulalism)と対比せよ。 |
(1) | 啓蒙思想(enlightenment) | 17-18世紀欧州で発生し、左派・左翼思想を生み出した思想運動。その内容として以下の4つが重要である。 | ||
<1> | 理性主義(rationalism) | R.デカルト(1596-1650)、理性からの演繹により、唯一の合理的世界を設計できるとする思想(設計主義的合理主義)。 | ||
<2> | 一元論(monism)・決定論(determinism) | B.スピノザ(1632-77)、P-S.ラプラス(1749-1827)、ヘーゲル主義やマルクス主義の決定論に重大な影響を及ぼした。 | ||
<3> | 近代自然法論(natural law) | H.グロチウス(1583-1645)、中世的・神学的自然法から、理性からの演繹による近代自然法へと変化した。 | ||
<4> | 社会契約論(social contract) | T.ホッブズ(1588-1679)、J.ロック(1632-1704)、J-J.ルソー(1712-78)、社会契約により世界をリセットするとする思想。 | ||
(2) | 集産主義(collectivism 集団主義) | 近代ではJ-J.ルソー『社会契約論』で初めて主張され、ヘーゲルを経て極左(マルクス主義)・極右(ナチズム)両方に重大な影響を及ぼした。 | ||
<1> | 共産主義 | K.マルクス(1818-83)、集産主義の極地を為す思想。 | ||
<2> | マルクス主義 | マルクス主義の「弁証法的唯物論」は、「ヘーゲル左派」から発展した典型的な決定論である。 | ||
<3> | 社会主義 | ①ソ連型(ストック(資産)を国有化するタイプ)と、②スェーデン型(課税によって所得の大半を国家が吸収し再配分するタイプ。フロー(入出金)の社会化。高負担高福祉)がある。 | ||
<4> | 社会民主主義(社会民主制) | 暴力革命ではなく平和的な社会主義への移行を唱える立場であるが、その本質は社会主義であることに変わりはない。 | ||
(3) | リベラリズム | 19世紀末に起こったニュー・リベラリズム(社会主義的リベラリズム)及び、1970年代以降の現代リベラリズム(平等論的リベラリズム) | ||
<1> | 福祉国家 | 欧州諸国で社会主義の代替手段として大規模に実施され、アメリカや日本でも採用されている所得再配分政策。 | ||
<2> | 現代リベラリズム | J.ロールズ(1921-2002)、福祉国家の理論的基礎を提供した政治哲学者と見なされている。なおロールズの本心は「事後の所得再配分」ではなく「事前の資源再配分」であり、この理解は厳密には間違いである。 | ||
<3> | 人権 | 近代自然法論と社会契約論から生まれた「自然権 natural rights」を言い換えたもの。 |
価値多元論(批判的合理主義) | 価値一元論(設計主義的合理主義) | |||||||||||||||
古代~中世 | 無知の自覚 ・ソクラテス |
中世ゲルマン法の伝統 ・マグナ-カルタ |
キリスト教的自然法論 | 理想国家論 ・プラトン | ||||||||||||
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ||||||||||||
16~17世紀 | モラリストの懐疑論 ・パスカル |
コモン・ロー司法官/法律家 ・コーク |
近代自然法論 ・グロチウス |
→ | 社会契約論1 (君主主権) ・ホッブズ |
← | 理性主義(一元論、決定論を含む) ・デカルト ・スピノザ | |||||||||
・モンテーニュ | ・ブラックストーン | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||||
・マンデヴィル | ・ペイリー | → | 社会契約論2 (国民主権) ・ロック |
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||||
↓ | ・ヘイル | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ||||||||||
18世紀 | スコットランド啓蒙派 ・ヒューム ・A.スミス |
↓ | ↓ | 社会契約論3 (人民主権) ・ルソー |
フランス啓蒙派 ・ヴォルテール ・百科全書派 | |||||||||||
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||
フランス革命以降 | 近代保守主義 ・バーク |
↓ | フェデラリスト ・ハミルトン |
↓ | 功利主義 ・ベンサム |
ドイツ観念論 ・カント |
空想的社会主義 | 無政府主義 | ||||||||
↓ | ・マジソン | ↓ | ・J.S.ミル | ・フィヒテ | ・サン-シモン | ・バクーニン | ||||||||||
19世紀 | 歴史法学派 | ↓ | ↓ | ・スペンサー | ・ヘーゲル | ・フーリエ | ・プルードン | |||||||||
・トックヴィル | ・サヴィニー | アメリカ的保守主義 | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||
・メイン | ・マーシャル | ↓ | 人定法主義 | フェビアン社会主義 | 新ヘーゲル主義 (プラトン的理想主義) |
ヘーゲル右派(民族重視) | ヘーゲル左派 (唯物論重視) |
↓ | ↓ | |||||||
・ケント | ↓ | ・オースチン | ・S.ウエッブ | ・グリーン | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||||
↓ | ・ショウ | マルクス主義 ・マルクス ・エンゲルス ・第一インター | ||||||||||||||
・アクトン | ↓ | ・ケルゼン | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||
20世紀 | ↓ | ・シュミット | リベラル社会主義(ニュー・リベラリズム) ・ホブハウス |
↓ | ナチズム ・ヒトラー ・ローゼンベルク |
マルクス-レーニン主義 ・レーニン |
西欧マルクス主義 ・グラムシ |
修正社会主義(社会民主主義) ・ベルンシュタイン | ||||||||
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ・ケインズ | ↓ | ・第三インター | ・ルカーチ | ・第二インター | |||||||
第二次大戦以降 | 現代保守主義 ・オークショット |
再興自由主義 ・ハイエク ・ポパー |
→ | リバタリアニズム (自由至上主義) ・ノジック |
・ベヴァリッジ | → | 平等論的リベラリズム ・ロールズ ・ドォーキン |
コミュニタリアニズム (共同体主義) ・サンデル ・ウオルツァー |
・コミンフォルム | ・フランクフルト学派 | ・コミスコ |
価値多元論(value-pluralism)⇒人々を「自由」に導く思想 | 価値一元論(value-monism)⇒人々を「隷従」に導く思想 |
個人主義(individualism) | 集産主義(collectivism:集団主義) |
歴史・伝統重視の思想 | 集産主義ではないが理性による究極的価値への到達を説く思想 |
『開かれた社会とその敵』(全2巻)K.R.ポパー著(1945) 第一部:プラトンの呪文 第二部:ヘーゲル、マルクスとその余波 2冊本だが、論旨明快で読み易い。プラトンから始まり、ヘーゲルを経てマルクスに至る全体主義思想を厳しく論駁した必読の名著。 |
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