「待って!行かないで!」
いくら叫んでも、あいつと彼女は笑いながら遠ざかってゆく。
その一方、あたしの足は少しも前に進まない。それどころか、足元が底なし沼になってずぶずぶ沈んでいく。
見ると、泥の中からママンネとベビンネ達があたしの足にしがみついているではないか。
「ミヒヒィ♪」「チィチィ♪」
タブンネ達は笑いながらあたしの足を引っ張る。もがけばもがくほど、あたしの足が、体が、泥に飲まれてゆき……
「放して!放してよっ!!いやあっ!!」
自分の叫び声で目が覚めた。夢だったのだ。あたしは汗びっしょりになっていた。
起き上がって鏡を見ると、目が腫れぼったい。泣きながら眠ったせいであんな悪夢を見たのだろう。最悪の寝覚めだ。
だが…今日はその悪夢全てに決着をつけよう。あいつとも、タブンネとも。
カーテンを開けるといい天気で、朝日が部屋に射し込んでくる。あたしは深呼吸して気合を入れた。
朝10時。車庫に車が入る音がする。時間通りにあいつはやって来た。
「よっ、おはよっ」「おはよう」
あたしはさりげない笑顔を無理に作って、あいつを出迎えた。
本当はそのすました顔に一発食らわせてやりたい。血反吐を吐くまでボコボコにしてやりたい。だけど我慢だ。
こんな奴でも殴ればあたしが加害者になってしまう。こいつに対する罰は全てタブンネに与えてやるのだ。
「急に決まったもんでさ、悪りぃな」「いいのよ、準備はしておいたから」
そしてあたしが和室の障子を開けた途端、あいつの顔が引きつった。
それはそうだろう。トイレの砂箱の中には手足を縛られ、顔を糞尿で汚したママンネがミィミィ泣いているし、
傍らには、まな板の上に四肢をガムテープで固定され、大の字で磔にされたベビンネが泣き叫んでいたのだから。
おまけにその側には包丁まで置いてある。あたしが何をしようとしているか一目瞭然だ。
「てっ…てめえ、何てことしやがんだっ!!」
カッとなったあいつは、あたしに平手打ちしようとした。あたしはその手を軽く払いのける。
今までも何回か手を上げられたことはあったけど、黙って耐えてきた。でも、もう昨日までのあたしじゃない。
「はっ!!」
あたしは全力の正拳をあいつの顔面に向けて放った。思わぬ反撃であいつは「ひぃっ!?」と目をつむる。
しかし顔面に痛みがないので恐る恐る目を開けると、鼻先3センチくらいのところにあたしの拳があった。
あえて寸止めしたのだ。あたしは続けて二の拳、三の拳も寸止めで見舞う。あいつは体が硬直して動けない。
さらに右と左のハイキックを放つ。顔面のすぐ側を風圧がよぎるごとにあいつはビクンとする。
そして最後に顔面への蹴りを、本当にギリギリのところで止めると、魂が抜けたかのようにへたり込んだ。
「わかったでしょ。黙ってたけど、あたし高校まで空手やってたの。全国大会で上位入賞したこともあるのよ。
あなたに嫌われたくなかったから、ずっと隠してきたけど……もうその必要もなくなったから」
「ど、どうして……俺が一体何したってんだよ……」
「昨日彼女と一緒に歩いてたでしょ、ずいぶん楽しそうだったわね。会話も聞かせてもらったわ。
彼女のところにタブンネを引越しさせたら、あたしはもう用済みってわけね」
「う……そ、それは……誤解だって……」
「いいの。お互い隠し事してたってことでおあいこよ。本当はあなたをぶちのめしたいところなんだけど、
痴話喧嘩のもつれで傷害沙汰になって、世間の笑い者になるなんてごめんだわ。
だからね……あなたにしてあげたいと思ったことを、全部タブンネに引き受けてもらうことにしたの」
あたしは言うと、部屋の隅に置いてあったポリ袋を逆さにした。3つの新聞紙の包みが転がり出る。
それを開いて、雑巾ンネ、黒焦げンネ、お漏らしンネの成れの果ての姿を見せ付けた。
ママンネが「ミヒィィン!」と泣き叫んだ。あいつは吐き気を催したらしく、「うっ!」と口元を押さえる。
「あたしもびっくりしたわ。自分にはこんな残酷なことができるのかって。
でもね……あなたに利用されて、タブンネ達に小馬鹿にされて、陰で笑われていたのかと思うとね……
こいつらを苦しめてやりたい……滅茶苦茶にしてやりたいっていう気持ちが……止められなくなったのよ!」
言いながらあたしは、ベビンネの下腹部を探り、小さな性器と睾丸を見つけると、包丁で切断した。
「チビィィィィィ!!!!」
ベビンネが喉も裂けそうな絶叫を上げた。あたしはお構いなしに続ける。
「知ってる?タブンネって結構性悪なポケモンなのよ。食い意地は張ってるし、トイレの始末もできないし、
何かやらかすと媚びて誤魔化すし、大切にされることが当たり前だと思ってるし……。
みんな外見に騙されてるのよ。見かけが違えば、もっと冷静になれると思うの。例えばこの耳と触覚」
言いながら、ベビンネの右耳と触覚を切り落とした。続けて左も。
「チギィィァァァァ!!!!ピィーーーィィィィィ!!!!!」
ベビンネが狂ったように泣き叫ぶのも無視して、つぶらな瞳を横一文字に切り裂く。
「この瞳もサファイアみたいとか言われてるんですって?ふざけてるわよね」
「ヂピーーィィィィィ!!!!ギャァァガァァァァーーーーーッ!!!!!」
鮮血が噴き出し、青い瞳はたちまち血まみれになる。
「ミヒィ!ミヒィ!ミビャァァァ!!」
ママンネが身をよじってあたしに「もうやめて!お願い!」とでも懇願しているようだが、
今更あたしがストップするわけがない。
「大体、この声がうるさいのよね!」
あたしは包丁を振り上げ、ベビンネの口の中に突き立てた。ぐりぐりと抉る。
「ゴボァ!……ゴ…ガ……」
ベビンネの口から血の泡が吹き出す。もう虫の息だ。
「こうしてチャームポイントを全部なくしてしまえば、これがただの肉の塊だってわかるわよね」
あたしはあいつに向けて笑ってみせた。きっと鬼みたいな表情をしてるんだろうな、あたし。
「や、やめろよ……もうやめてくれよ……」
あいつは半べそをかいていた。今まで見たこともないあたしの狂気に震え上がっている。
「やめないわ!!何よ、こんなもの!!」
あたしは目を吊り上げると、再び包丁を振りかざし、ベビンネの胸から腹にかけてザクザク突き刺す。
「ヂビ!………ヂ………ィ………」
腹部の黄色い毛皮が鮮血で真っ赤に染まり、ベビンネはわずかに痙攣するのみだ。
「ミビィエェェェ!!!」ママンネの叫びも、もう聞こえていないだろう。
心臓を一突きすると、遂に痙攣も止まった。血だるまンネのできあがりだ。
「これじゃあもう、彼女のところには連れて行けないわよね。諦めてくれるかしら。
『飼育係の○○さんが目を放した隙に逃げられた』とでも言い訳しておけば?」
「だ……だったらせめて、ママンネちゃんだけでも……」
この期に及んで何を言ってるんだろう。ベビンネを皆殺しにしたあたしがママンネだけ返すと思ってるの?
何て図々しい、つくづく呆れ果てた男だ。こんな奴に惚れていた自分に腹が立つ。
「お断りよ。手切れ金代わりにママンネももらっておくわ。話は終わり。さあ、帰って」
「い、いや……それは、そうだけど……」
まだグズグズ言うのか、この男は。これ以上あたしを怒らせないでよ、自分が抑えられなくなるから…!
「もういいでしょ……あなたにしてあげたいことをタブンネにぶつけるって言ったけど……
気が変わるかもしれないわよ……あなたと彼女がこうなるかもしれないわよ!」
言いながらあたしは包丁を振り下ろした。血だるまンネの首が切断され、畳にころんと転がる。
「ひいっ!!」
「出てって………出てってよっ!!」
もうあいつに気力は残っていなかった。顔面蒼白になって立ち上がり、バタバタと廊下を走って逃げていく。
そして急発進する車のエンジン音がして、それが遠ざかると家の中に静寂が蘇った。
聞こえるのは庭のマメパトのさえずりと、「ミヒッ、ミヒッ…」と低く泣きじゃくるママンネの声だけだ。
終わったんだ……。虚しさがあたしの胸をよぎる。だが、まだ最後の作業が残っている。
ママンネを片付けることで、あたしとあいつの関係を綺麗さっぱり清算するのだ。
あたしはのろのろと立ち上がり、雑巾ンネ、黒焦げンネ、お漏らしンネの死体を再び新聞紙に包み、
ポリ袋に放り込む。血だるまンネもまな板に磔にしたままポリ袋に入れた。生首もつまんで放り入れる。
そして砂箱トイレの中で腹這いになって泣いているママンネの、後ろ手に縛った部分と、足首を縛った部分の
紐を掴んで持ち上げる。重たいわね、40キロくらいあるんじゃないの、このおデブさん。
そして縁側まで持っていって、庭めがけて放り捨てる。ボテッと落とされ「ミギッ!」と一声呻くママンネ。
さらにあたしは砂箱トイレを縁側まで引きずっていき、ひっくり返して中身をママンネの上にぶちまけた。
「ミッ!ピギィ!!ゲホ、ゲホ、ヒィィ!!」
大量の砂をぶっかけられ、吸い込んだママンネはジタバタ悶え苦しむ。
糞尿の部分は、昨日ママンネの顔面にほとんど押し付けてやったから、後で砂を掃くぐらいで済むだろう。
血だるまンネを処刑した時と、首が転がった時の血が畳の上に少々残っていたので、あたしは雑巾がけをした。
掃除機もかける。これでこの部屋にタブンネが住んでいた痕跡はなくなった。
ただ、やはり長期間飼っていたので匂いが染みついているようだ。
月に一度来てもらっている清掃業者さんに、脱臭処理をしてもらわなくては…。
部屋の片づけを終えたあたしは、ハサミを手にしてママンネに近付いた。
遂に最後の時が来たと覚悟したのか、砂に半ば埋もれたママンネは、きゅっと目をつむっている。
だがあたしは、後ろ手に縛っていた手の紐を切ってやった。足首の紐も切る。
「ミィ…?」ママンネはあたしの真意が読めず半信半疑だが、とにかく手足の自由を取り戻して安堵しているようだ。
あたしはベビンネ達の死体の入ったポリ袋をママンネに見せ付けた。
「ついて来なさい、返してあげるわ。あんたも自由にしてあげる」
意思は伝わったらしく、思いもよらぬ提案に、ママンネは「ミィミィ♪」とうれしそうだ。
あたしが改心したとでも思ってるのかしら。甘いわね、無条件で返してあげるなんて言ってないのに。
庭にある小さなくぐり戸から外に出て、5分くらい歩くと公園に着いた。ママンネも後に続いてきた。
そこそこの広さがあり、子供達用の遊具が何種類か備え付けられ、一角には大きな木が数本生えている。
あたしはその木の前まで来ると、ポリ袋をひっくり返した。
血だるまンネを磔にしたまな板が出てくる。首も転がって出てきた。
そして3つの新聞紙の包みを広げ、雑巾ンネ、黒焦げンネ、お漏らしンネの死体を出した。
「ミヒヒィン!」
ママンネは悲しげな声を上げて、4匹の我が子の亡骸に近付こうとした。
あたしはその側頭部にハイキックを食らわせた。「ミギャ!」と悲鳴を上げてママンネは吹っ飛ぶ。
「子供は返すわ、あんたも自由にする。その代わりね…………
さっきあいつに対して寸止めで我慢してた分を、全部あんたに受けてもらうわ!!」
あたしは言いながら、倒れているママンネの顔面を蹴り飛ばした。
ゴロゴロ転がるママンネの耳を掴み、強引に引きずり起こすと、往復ビンタを見舞った。
「立て……立ちなさいよっ!!」
ママンネは既にぐったりしているが、構わずに首根っこを押さえて顔面に膝蹴りを叩き込む。
「ミギュウ!!」
鼻血を噴き出しながら、のけぞって倒れるママンネに、あたしは馬乗りになった。
「ミィ、ミヒィ…」いやいやをする惨めなその姿に、あいつの顔がオーバーラップした。
腹の底から怒りが溢れ、同時に感情もコントロールできなくなったあたしは、ボロボロ涙を流す。
「バカーッ!!」
一声叫んだあたしは、ママンネの顔面に渾身の正拳突きを叩き込んだ。歯が数本折れる。
「よくも、よくも弄んでくれたわね!あたしがどんな思いで世話し続けたと思ってるの!?
あたしは飼育係か?あんたらのおもちゃか?ふざけるのもいい加減にしてよっ!!
この野郎!この野郎!この野郎ーっ!!」
タブンネ達と、あいつと、その両者への怒りを爆発させ、
あたしは泣きながらママンネに罵声を浴びせ、顔といわず胴体といわず、滅茶苦茶に殴り続けた。
「ミィ!ヒギ、ブゲェェ!!」
ママンネは抵抗することすらできず、あたしのサンドバッグとなっていた。断続的に血を吐く。
顔面はサッカーボールのように腫れ上がり、血まみれでどこが目だか口だかもわからない。
ぽってりした腹も、拳の痣だらけになって、生きているのが不思議なくらいだった。
「はぁっ、はっ、はあっ……!」
何分殴り続けたことか、あたしは息が切れて、ようやく立ち上がった。涙を拳で拭う。
ママンネは既に半死半生で、弱々しく体を痙攣させている。あたしはしゃがみ込んで、その触覚を掴んで言った。
「今度こそ本当に終わり。どこへでも行くといいわ」
それを聞いたママンネの、瞼が腫れてほとんど塞がった目にわずかな光が灯った。
(やっと自由になれた、地獄はもう終わったんだ。赤ちゃんたちのお墓を作って眠らせてあげなきゃ……)
そんな思いを抱いてか、ボロボロの体を引きずってママンネは、ベビンネ達の亡骸の方へずりずりと這って行く。
そしてようやく子供達に届こうとした時、その手は鋭い爪の生えた何者かの足で踏みつけられた。
「ミッ!?」
霞む目で恐る恐る見上げたママンネの前に立っていたのは、猛禽ポケモン・バルジーナだった。
そう、あたしはもう手を出さない。仕上げはあなた達に任せるわ。
この公園の木々に、最近バルジーナが巣を作ったことは噂で聞いていた。
ポケモンを飼っている子供達は、襲われるのを避けて近付かないようにしているそうだから、
きっと餌不足になって腹を空かしているに違いないと予想したあたしは、ここをママンネの終点に選んだのだ。
そして現れたのはバルジーナだけではない。
ベビンネ達の亡骸の周りには、数羽の鳥ポケモンが群がっていた。バルジーナの幼鳥・バルチャイだ。
バルチャイ達は争ってベビンネ達の死体をついばみ始めた。
「やめて!これ以上その子達をいじめないで!」という感じでママンネは「ミヒェェッ!!」と悲痛な叫びを上げる。
だが食べ盛りのバルチャイ達は少しでも腹に収めようと夢中で、全く聞こえていない。
よっぽど飢えているのか、からしとわさびまみれの雑巾ンネや、炭化している黒焦げンネも、
全くものともせず平らげてしまった。ものすごい食欲だ。後に残ったのはわずかな骨と毛皮の残骸だけ。
「ミ……ミビ……」
ママンネの腫れ上がった顔に涙が流れる。子供も、家も、楽しい生活も全てを奪われたママンネ。
だが、あたしは憐憫の情など感じなかった。何も考えず、安穏な暮らしに胡坐をかいてきたツケが回ってきただけなのだ。
しかもあんたのその幸せな生活は、あたしの心を踏みにじった上に成り立っていたんだから。
罪には罰を。あんたは罰を受けなくてはいけないのよ。
ベビンネを食い尽くしたバルチャイ達は、全く物足りないらしく、わらわらとママンネの周りを取り囲む。
母親らしいバルジーナはママンネを蹴って仰向けに転がし、嘴を近づけると、一直線に腹を切り裂いた。
「ミゲェェェェ!!!」
まだそんな声を出す体力が残っていたかと思うほどの、凄まじい悲鳴をママンネは上げる。
そしてバルジーナがママンネの腸を引きずりだすと、待ちきれないとばかりにバルチャイ達も襲い掛かった。
「ミ、ミギャァァ!!グゲェェェァァァ!!」
耳や触覚を食い千切られ、目玉を抉り出され、舌を噛み切られ、内臓をつつかれ、ママンネは生きながら食われてゆく。
その光景を眺めながら、あたしは自分の中のどす黒い炎がようやく鎮まったのを感じていた。
帰ろう。もう忘れよう。そして男を見る目を磨いて、もっといい人と出会えるよう頑張ろう。
「さよなら」
あたしは言い捨てて、ママンネとバルジーナ達に背を向けて歩き出す。
「ミィィィィギャァァ―――ァァァァァ………!!!!!」
背後でママンネの断末魔の絶叫が響き、そして途絶えた。でも、あたしはもう振り向きもしなかった。
(終わり)
最終更新:2015年02月20日 17:04