「ちっ・・・なんだよ、いやしのこころか・・・」
タブンネがこの世に生まれ落ちたとき最初に聞いたのは母の優しい鳴き声ではなく、人間の声だった。
勿論生まれて間もないタブンネに、この言葉の意味は解らない。
「めんどくさいからこの場で逃がすか。じゃあな」
タブンネは訳もわからぬままに首根っこを掴まれて、草むらの上に放り出されてしまう。
小さなタブンネは草むらの上できょとんと座ったままでいたが、しばらくするとピィピィとか細い声で不安そうに鳴き出した。
母親は一体どこだろう?子タブンネは雑草に足を取られながら、母親の温もりを探しておぼつかない足取りで歩き出した。
子タブンネの耳には、先程から何やら賑やかな声が向こうの方から聞こえていた。
こんな所で一匹でいるのは危険だと本能で感じていた子タブンネは、声のする方に向かってよちよちと進んでいく。
しばらく歩いていると、急に草むらがなくなり視界がひらけた。と思ったとたん、子タブンネの体は坂道を転がりだしていた。
「ミィ!ミッ!ミギャ!」木の根っ子や石に身体ががつがつと当たるたび、子タブンネは小さな悲鳴を上げた。
それはほんの1メートルくらいの小さな坂だったが、子タブンネにしてみれば山の斜面を転げ落ちるようだっただろう。
「ミギュゥ!」平らな地面に叩きつけられ、子タブンネの身体はようやく動きを止めた。
震えながら起き上がって、あたりを見回す。見渡す限りの埃っぽい地面には草一本生えていない。足元の白い粉が、タブンネの顔や腹を殆ど真っ白に染めていた。
「あーー!!!ピンクのポケモンちゃんだーーー!!!!」
「なに?えっなにあれにんぎょう!?」
「ちがうよ!うごいてるもん!ポケモンだよ!!」
「ちっちゃーい!かわいいーーー!!!」
子タブンネは身体に付いた粉を振り落とそうと躍起になっているうちに、いつの間にか自分が人間に囲まれていることに気づいた。
慌てて逃げ出そうとしたが、人間たちはぎゃあぎゃあと騒ぎながら子タブンネを強引に抱き上げてしまった。
「あたしがさいしょにみつけたんだからね!」
「そういうのいけないんだよ!ずるい!」
「あたしもだかせて!あたしもだかせて!」
「ミギィィィィィィ!!!」
女の子たちに四方に引っ張りだこにされ、もみくちゃにされたタブンネは痛みにじたばたと暴れだす。耳や腕を強引に引っ張られ、今にもちぎれそうだった。
「これなんてポケモン?」
「あ、手に白い粉ついた!」
「それさわるとかゆくなるよ」
「えーそれうそなんだよ!」
「あっにげちゃう」
たまらず子タブンネはもがきにもがいて女の子の腕を飛び出した。飛び出したまでは良かったが、そのまま地面に落下し、身体を強く打ちつけた。
その上運の悪いことに、子タブンネが逃げ出したことで慌てた女の子の一人が子タブンネを踏みつけてしまった。
「ミギッ・・・」
「あーかわいそーー!!いけないんだー!ミサコちゃんのせいだよー!」
「だってこのポケモンがあばれるんだもん」
「しんじゃった?」
「へーき、いきてるよ。ねえいいことかんがえた!白い粉ついてるから洗ってきれいにしようよ!かゆくなったらかわいそう」
「それあたしもやる!」
ぐったりしている子タブンネを再び抱き上げ、少女たちは手洗い場へと走っていった。
水浸しの流しの上に下ろされ、不安でピィピィ鳴いている子タブンネに、いきなり真冬の冷たい水がかかった。
「ピギャァ!」
顔にも身体にも容赦なく水がかかる。ようやく水が止まり、むせ返りながらカタカタと震えている子タブンネに、今度は泡だらけの手が一斉に襲いかかる。
「ハプァ、・・・ンムッ!ミゲェッ・・・」
目に、口に、苦酸っぱくてしみる液体が容赦なく入り込んでくる。
相変わらず濡れた身体は風にさらされ痛いほど冷たく、全身の感覚は麻痺していた。
「ピャァァァァ!!」
再び子タブンネを冷水が襲う。先程よりも念入りに水をかけられ、ハンカチで水分を落とされる頃には、子タブンネはすっかり動かなくなっていた。
死んでしまった訳ではない。体温が下がり過ぎて、体を動かすことができないのだ。
「どうしよううごかなくなっちゃった!」
「でもいきしてるよ、さむいんじゃないの?」
「じゃああっためよう!」
「あっあたしがやるー!」
またしても取り合いが起こった。動かなくなった濡れネズミのような子タブンネに追い打ちをかけるように、手足を強引に引っ張る。
「おいおまえらなにしてんだよー」
「おしえないよ!」
「あー!せんせー!女子がポケモンもってる!」
「いけないんだ!」
少女たちの騒ぎを聞きつけ、運動場から少年たちがやってきた。
「せんせーにわたしてやるからかせよ!」
「やだ!やめてよ!しんじゃうしんじゃう!」
少年たちが少女の腕から子タブンネを奪い取ろうと、尻尾を掴んで力任せに引っ張った。少女も取られまいとして必死で子タブンネの上半身を握る。
しかし力で言えば少年の方が上だ。濡れて滑る子タブンネの身体は、ずるずると少女の手を離れて行った。
「ギィィィ!ミグギャァ!」と苦しそうな声が子タブンネの口から漏れたが、勿論誰も聞いていない。
少年の手に渡りそうになった子タブンネの首を、慌てた少女は両手で握って引っ張った。
ゴキッという嫌な感触が、首を掴んだ少女の手に伝わった。少女は思わず手を離す。
「おいこいつしんでね?」
「わー!女子がポケモンころしたー!」
「しんでない!いきてるよ!」
「じゃあなんでうごかねえんだよ!うわーきもちわり」
虚ろな目をした子タブンネを、少年は地面に取り落とす。
べしゃりと落下した子タブンネはぴくりともうごかなかった。
「うわーおれしらねえよ、女子がやったんだからな!」
「せんせーにみつかったらどうしよう!」
「こうするんだよ!」
少年の一人がうつ伏せのまま動かない子タブンネの尻尾を気持ち悪そうな顔でつかみ、運動場に向かって投げた。
「ばか!それじゃみつかるだろ!」
「やめてよ!まだいきてるんだってば!」
「うそつけ、しんでるよこいつ」
「外になげればいいんじゃね?」
再び少年は子タブンネの元に駆け寄り、砂まみれの子タブンネを生垣の外に向かって力いっぱい投げ捨てた。
草むらに落下した子タブンネには、まだ息があった。
しかし、全身の痛みと寒さで動くことはままならない。ヒューヒューと弱々しい呼吸も、更に小さくなっていく。
ガサガサと茂みが揺れた。一匹のハーデリアがボロ雑巾のようになった子タブンネに鼻を近づける。
「ピギィ」という悲鳴が聞こえた後、グチャグチャという音がしばらくしていたが、やがて何も聞こえなくなった。
最終更新:2014年06月20日 00:41