先輩のタブンネ

6月15日
今まで長い間音信不通だった昔の先輩が突然アパートを訪ねてきた。
なにやらタブンネ共生社会運動とかいうものを始めたらしく、タブンネをうちにおいてくれというのだ。
野生の世界やトレーナーのもとでやっていけなくなったタブンネを教育して人間社会に適応させる活動らしい。
その教育が終わったタブンネをうちで飼ってくれということのようだ。
今年の3月で会社をクビになった身としては、あんなでかいポケモンを飼える状況ではないのだが。
しかし、家事ができるとか餌は木の実でいいから金がかからないとか言われたこともあり預かることにした。
タダで家政婦が雇えると思えば安いもんだろう。一人暮らしも飽きてきたしな。
先輩は俺が書類にハンコを押すと、嬉しそうに何度も頭を下げて帰って行った。
昔は自分のことしか考えてないような人だったのに、変われば変わるものだ。

6月16日
昨日からタブンネを預かったわけだか、こいつは本当に教育を受けたのだろうか。
朝、目を覚ますとタブンネはまだ寝ていた。声をかけて揺さぶっても一向に起きようとしない。
強引に起こそうとするとすわった目で俺を睨みつけ、再び目を閉じるのだ。
家政婦のつもりで預かったのだから家事をしてもらわないと困る。
しかし、今日は朝から日雇いの仕事があったのでもう家を出なければならなかった。
俺はタブンネのためにいくつかの木の実を床において家を出た。

仕事から戻ってくるとタブンネが家中の食いものを食い散らかしていた。
タブンネは大きないびきをかきながら人の布団で眠っていた。
餌は木の実でいいんじゃなかったのか。木の実は床で踏みつぶれていた。

6月17日
今日は仕事がなく食料を買いに行った以外は一日中家の中で過ごした。
相変わらずタブンネはなにもせず寝転がっており、声をかけても耳を動かすぐらいでこちらを向きもしない。
しかし、腹が減ると近寄ってきては餌を要求してくる。
仕方なく木の実を与えるが、全く見向きもせず不服そうな顔をしてミィミィと鳴き続ける。
どうやら人間の食べ物が好きなようだ。くそったれ。食費がかさむ。
飯を食い終わったタブンネはおもむろに人の布団の上へ行き、なんと糞尿を垂れやがった。
唖然とする俺を尻目に尻を布団に擦りつけて拭いている。昨日の夜から布団がくせぇと思ったらこういうことか。
トイレを準備してなかった俺にも落ち度はあるだろうが、いくらなんでもあんまりだ。
一発ぶっとばしてやろうと思いタブンネにつかみかかった。
そこで気付いたが、このタブンネは体中にアザやタバコを押しつけたような火傷の跡がついていた。
昔の飼い主に虐待でもされたのだろうか。殴る気が失せた俺は布団を掃除した。

6月20日
タブンネを飼い始めてから数日がたったが、相変わらずタブンネは働こうとしない。
一応ポケモン用の簡易トイレで用を足すようになってはくれたのが幸いだが。
タブンネの傷を見てから俺はずっと考えている。きっとこいつは人間不信なのだろう。
インターネットを使ってタブンネについていろいろと調べてみた。
タブンネはこころ優しい性格で、怪我をした他のポケモンを回復することもあるようだ。
ただ、まれにとんでもなく不器用な個体がおり、はずれ扱いをされているらしい。
うちのタブンネは飯をまわりにこぼさず食べることができない。不器用なのだ。
それが理由で虐待されていたのだろうか。優しい性格が歪んだ原因はそれなのだろうか。
先輩に突き返してもいいんだが、結局他へまわされてそこで虐待される可能性がある。
しばらくこいつの面倒を見てやろうと思う。このまま放りだすのはあんまりだ。
嫁も趣味もなしなので、金は日雇いで働くだけでもなんとかやっていけるだろう。

6月29日
タブンネがうちへ来て今日で二週間。相変わらずなタブンネを見て色々考える毎日だ。
俺はこいつに家事ぐらいは覚えてもらいたいと思っている。そのためには信頼関係が必要だ。
しかし、こちらから声をかけても依然として反応はない。道のりは容易ではないようだ。
それにしても、こいつは先輩のもとで一体どんな教育を受けたのだろうか。
言い方は悪いが突然やってきてこんなタブンネを押しつけられたのだから、不信感はある。
それとも十分な教育を受けてもこいつは何もできなかったのだろうか。
だとしたら素人の俺がどうにかできる問題ではないのかもしれない。
また、日雇いでなんとか食い繋いでいる俺にとってこのタブンネがいる生活は楽ではない。
そうすると、いつかはタブンネを手放さなければならない日が来るかもしれない訳だ。
だったらそれは今でも……と思ったりもするが、その日までにこいつを何とかしたいとも思う。
もちろん、他の飼い主に渡ったときに二度と虐待されないために。

7月2日
今日、休憩時間に先輩と出会った。俺がまだタブンネを飼っていると聞いて驚いたようだった。
詳しく話を聞いてみると、共生社会運動は金もうけのためにやっているというのだ。
虐待されて保護施設に送られたタブンネを集めているのは確かだが、教育など一切していないそうだ。
集めたタブンネを徹底的に甘やかしてから、慈善団体を騙って一般家庭に預ける。
すると数日後には話が違う、引き取ってくれと連絡が来るらしい。
連絡を受けては引き取り、再び別の家庭に預ける。そして数日後にまた引き取る。
短期間でこれを繰り返すことによって引渡件数を水増しし、タニマチを集めているそうだ。
集められるタブンネのほぼすべてが施設からのもので、野生のタブンネを保護する気はないらしい。
野生のタブンネは人間の生活に慣れるのに時間と手間、そして金がかかるのが理由だそうだ。
親とはぐれ、半死半生になっている野生の子供を見つけたが蹴り飛ばしてやったと自慢げに話していた。
別れ際に、あの豚共は馬鹿だから少し甘やかせば虐待されていたことなんてすぐ忘れるよといって先輩は笑った。
どうやら昔と変わってなどいなかったようだ。今日が泊まりの仕事でよかった。あいつの顔を見たくない。

7月3日
昼過ぎに家に帰ると、タブンネが部屋ど真ん中で大の字になって眠っていた。
準備しておいた餌では足りなかったようで、辺りには食い物のカスや包装が散らばっていた。
鍵をかけておいた戸棚をぶち破ったらしい。調味料までしゃぶりつくされている。
また、カーテンには尻を擦ったらしき焦げ茶色のスジが付いており、不快な臭気を発している。
怒りよりも、こんなヤツのために色々と考えていたのが馬鹿馬鹿しいという思いのほうが大きかった。
虐待されていたことなどもはや忘れているのか。人間不信などではなくただの馬鹿だったということか。
いままでやろうとしていたことが急にどうでもよくなった。もちろんこいつ自身のことも。
タブンネは帰ってきた俺に気付いたのか、こちらを一瞥すると、再び眠りについた。
最終更新:2014年06月20日 21:52