施設入りのネンブタ

ポケモン更正施設というものがある。あまりに言うことを聞かないポケモンや
人に危害を加えたポケモンを調教し、更正して再び世に出すための施設である。
ある日、一匹のタブンネがここに収容された。ろくにトレーナーに従わず、
そのくせ対戦も負け続き。愛想を尽かしたトレーナーが、
一縷の望みを賭けて送ったのだ。
他のポケモンと並び、施設長の前にタブンネは立たされる。
「貴様らは何かしらの問題があってこの糞溜めに落とされた!
よって貴様らは今日から糞以下の物として扱う! 逆らうものは処罰を下す! いいな!」
ビクリとして各々の鳴き声でポケモン達は返事をする。
「声が小さい!」
もう一度、声を大きくして返事をする。
「よし、では貴様らにお似合いのブタ箱が用意してある。そこの男に着いていけ」
こうしてタブンネの施設生活が始まった。

先ほどのポケモン達は雑居房に収容された。タブンネはさっきまでの大人しさと
うってかわって、格子を掴んで暴れだした。監視員が持ち主に似た細身だったからだろう。
タブンネの唯一の特技は、弱者を見極めることだった。
「うるさいぞ、黙れ」
ラジオを聞いていた監視員がタブンネの房の前に立った。
構わずタブンネは格子を揺らし、ミッミッと鳴く。後ろで身を寄せ合うポケモン達も、
煩わしいと言わんばかりの視線をタブンネに投げかける。
「二度しか言わんぞ、黙れ」
黙るどころか、タブンネはさらに激しく格子を揺すり、鳴き声を大きくした。
監視員はため息をつき、
「頼むからさあ……無駄に傷つこうとしないでくれよ」
房の入り口横のスイッチを押した。
「ミギャアアアアア!」
バチバチという音と共にタブンネの体が光り、痙攣した。
格子に電気が流れたのだ。焦げた肉の臭いが立ち込める。
「すまんな。これからは大人しくしててくれよ」
監視員は白目を剥いて倒れているタブンネを後ろにぽそりとつぶやき、
元の場所に戻っていった。

意識を取り戻したタブンネは縮んだ毛を気にしつつ、どうやってここから出ようか
考えていた。
監視員自体は大したことはない。このタブンネは、タブンネの種族内での
平均体重をかなり上回っているし、外で覚えた火炎放射もある。問題は電流と格子だ。
少ない脳みそでうんうん思考するタブンネに、何かが近づいた。
「もし、そこのタブンネさん」
タブンネが振り向くと、笑顔を浮かべたドーブルが立っていた。
「どうやらあのビリビリに困っているようですねえ。よければ、ちょっとしたアドバイスを
したいのですが……」
「ホント!? 早く教えろミィ!」
「実はあの人間、情に脆いのです。苦しんでいるふりをすれば簡単に扉を
開けてくれますよ」
「すごいミィ! 早速やってみるミィ!」
「お待ちなさい。先ほどの行動で、人間はあなたに対する警戒を強めたはずです。
明日、事を起こしてください。ここに連れてこられたポケモンの中には、体が弱く
作業で体調を崩すものも出てくるはずです。それに便乗すればうまくいくでしょう」
タブンネは顔を曇らせた。
「動きたくないミィ……」
「一日の辛抱です。頑張りましょう」
薄く笑いを浮かべて、ドーブルは藁の敷かれたベッドに体を寝かせた。
タブンネも大きなあくびをして、別のベッドで体を丸めた。

「午前七時、起床! 起床!」
けたたましい放送でタブンネは飛び起きた。格子が開き、
脇に武装した監視員がタブンネを睨んでいた。昨日の監視員とは違うようだ。
「後はお前だけだ、走れ!」
ドスの効いた声に恐怖を抱き、タブンネは慌てて駆け出した。
確かに作業は厳しかったが、監視員の待遇は悪くなかった。
小まめに休憩を入れてくれるし、体調の悪そうなポケモンには
声をかけて心配している。昨日の施設長の態度から、てっきり鞭を打たれたり、
長時間馬車馬のように働かされると思っていたので、タブンネは拍子抜けしていた。
ちょろいや、これだけ甘いならたいしたことない。
ミヒヒと笑い、タブンネは作業をこなし続けた。
作業が終わり、ポケモン達がそれぞれの房へと帰っていく。
適度に手を抜いたので、タブンネの体力は十分に余っていた。
しかし、体調が悪いように見せるためわざと足を引きずりながら房に戻った。

夜、施設内の静寂を汚い悲鳴が破った。
「ミィィィィ! ギミィャァァァ!」
大げさで奇妙な鳴き声に、うたた寝をしていた監視員が目をさました。
「ブィィィィィ! ミブヒィィィ!」
「どうした、大丈夫か!?」
足を押さえて転がるタブンネを見て、焦りと心配の混じった表情で格子を開けた。
「今医務室につれていってやるから……うわっ!」
監視員が抱き上げようとした瞬間、タブンネは火炎放射を吐いた。
「熱い! 誰か……」
体を包む火を消そうと服を脱ぎながら地面を転がる監視員を尻目に、
タブンネは房を飛び出し外へ繋がる扉へ向かって走り出した。
が、タブンネが扉に辿り着くことはなかった。
別の監視員が扉の向こうから現れたのだ。キルリアとフシギソウを連れた監視員は、
怒り心頭の様子で声を張り上げた。
「蔓の鞭で拘束、次いで催眠術!」
迅速な指令と迅速な行動によって、瞬く間にタブンネは捕縛された。

「起きろ、オラ!」
腹に走った鈍痛に、タブンネは起こされた。
タブンネはどこか知らない場所に倒れていた。
さっきの房とは違い、いるポケモンも違う。
「起きろっつってんだろブタがぁ!」
二度目の鈍痛。ようやくタブンネは自分が蹴られていることに気づいた。
「ミギヒィィ!」
顔をあげると、バネのような足のポケモンがタブンネを見下ろしていた。サワムラーだ。
「やっと起きやがった。おいジャンボ、こいつ縛れ」
ジャンボと呼ばれたモジャンボが無数の蔓を伸ばし、タブンネが大の字に
なるように縛り上げた。
「ようこそ特別房へ。俺はレッド、レッド様と呼んでくれ」
目付きの悪い赤いポケモン、ハッサムが言った。レッドとは、恐らく彼の
持ち主が付けたニックネームだろう。
「いきなりなんだミィ! 早くこれを外ミヒヒィ!」
レッドの手の先に存在する凶悪なハサミが、タブンネの腕に浅く食い込んだ。
「誰が喋れと命令した。黙れブタ」
「ミィ……」
殺される。レッドの据わった目を見てタブンネは確信した。
同時に、震えが止まらなくなった。

「うわ、こいつ小便垂れてやがる!」
さらに、タブンネの足元には黄色の水溜まりが出来上がっていた。
軽蔑するかのように鼻で笑い、レッドは続ける。
「よし、来て早々こんな扱いをしてしまって申し訳ない……とは思ってはいない。
見ての通りな。お前には今日から俺達のサンドバッグになってもらう」
「トンカツにされないだけ感謝しろよ、ブタ」
ひひ、サワムラーがにたついた。
「ブタじゃないですミィ……」
「あ?」
「僕にも名前がありますミィ……」
小さな抵抗。また殴られるかと思ってタブンネは目をきつく閉じた。
しかし飛んできたのは拳ではなく言葉だった。
「なら言ってみろ」
短いレッドの言葉。しかしタブンネは下を向いて躊躇う。
「早く言え」
「は、恥ずかしいですミィ……」
「……お前の触覚、邪魔くさいな。切ってやるよ」
シャキンと鳴るハサミに、タブンネは再び震え上がり、
「ね、ネンブタですミィ!」
タブンネの周りの空気も、笑い声で震えた。
「ネンブタwwwですミィwww」
「結局ブタじゃねーかwww」
「お似合いだぜネンブタwww」
恐怖と羞恥で、タブンネの目から涙が流れた。もう耐えきれない。

「これで勘弁してくださいミィ! もう離してくださいミィ!」
笑いがピタリと止んだ。タブンネの必死の懇願が届いたからでは。
レッドのハサミが閉じたからだ。彼には怒るとハサミを閉じる癖があるのだ。
「……だな。おいジャンボ、離してやれ」
自分を縛っていた蔓が解け、ようやく自由になったタブンネは
心の中でそっと息を吐いた。
「ミ゙ブィ゙ィ゙ッ!」
その油断につけ入るかのごとく、レッドの拳がタブンネの腹に突き刺さった。
文字通り、鋼のように硬く重い一撃に、タブンネは吐瀉しながら地に伏せた。
息ができない。臭い。恥ずかしい。混濁した意識が、タブンネをさらに苦しみへと陥れる。
「ミボェェェェ! ゴッゴッ! ゴブヒィィィィィ!」
何度もゲロを吐き、床を汚していくタブンネ。
頭をレッドに踏みつけられ、自分の尿と吐瀉物の池に顔を突っ込む。
呼吸ができず、じたばたともがくが、レッドは力を緩めない。

「今日はこれくらいにしといてやる。もし明日以降ふざけた態度
とりやがったら、本気で腕の一本二本切り取るからな」
レッドの足が離れ、解放されたタブンネは僅かに顔を浮かせて必死に空気を吸い始めた。
「じゃあ、俺は外行くからこのネンブタの教育頼むぞ」
「はい、お疲れ様です!」
威勢のいいサワムラーの声を背に、レッドは特別房を出ていった。
「オラ、さっさとその汚ねえもん片付けろ!」
尻を蹴飛ばされ、唾を吐きかけられても、タブンネはしばらくそこを動かなかった。
不甲斐なさと惨めさからくる涙と、醜く汚れた悪臭のする顔を他のポケモンに
見られたくなかったからだ。

(逆から読むとタブンネ! どーよ俺のセンス)
(やっぱり俺の指示が間違ってるのかなあ)
(甘えすぎ。もう怒ったからな)
「ミッ!」
暗くじめじめした部屋を小さな蛍光灯が照らしている。タブンネはその部屋の
隅に転がされていたようだ。
「ミィ……」
タブンネは夢を見ていた。施設に入る前、トレーナーと過ごした日々の夢。
何故あの無能トレーナーの夢なんか……タブンネは首を振って気持ちを切り替える。
「ミィ、ミッミッ!」あんな外道集団にはもう屈しない! 目にものを見せてやる!
そして施設を出て、あんな恥ずかしい名前をつけたトレーナーを殴ってやる!
「ミッミッ!」
タブンネはパチパチと自分の腹を叩き気合いをいれた。

「午前七時、起床! 起床!」
同時に、放送が流れた。ぞろぞろと出ていくポケモンに、タブンネも混じろうとしたが、
「臭えんだよブタ! 寄るな!」体についた昨日の汚物の臭いがそれを許さなかった。
タブンネは昨日、自分の体を雑巾がわりに汚物の掃除をさせられたのだ。
「ミィ……」
どうしよう……何故か監視員はいないし、水道も見当たらない。
「ミッミッ」
仕方ない。タブンネは何もせずに作業をすることにした。夜の水浴びの
時間までの辛抱だと、自分に言い聞かせて。

作業の前の20分、朝食の時間。食堂の面子に、昨日の房のものはなかった。
違う場所で食べているのだろうか。タブンネは、他のポケモンに文句をつけられないよう
隅で縮こまって朝食を食べていた。
「ようゲロネンブタ。朝飯は美味いか」
どこから出てきたのか、タブンネの隣にはレッドが立っていた。
タブンネの顔が青ざめる。
「挨拶忘れんな」
「ごめんなさいミィ! おはようございますミィ!」
軽い蹴り。一度レッドに与えられた恐怖が蘇る。
「げっ……お前、臭いな。本物のブタみたいに」
レッドの言葉に、くすくすと笑いが起きる。
「そうだ。おいネンブタ、ちょっとゲームをしようか」
「ミィ? ゲームって何です」
「息が臭い」
「ミヒィ……」
「お前もいきなり特別房に連れ込まれてサンドバッグになるなんて、
理不尽だと思うだろ? だからチャンスをやるよ。今からお前に攻撃する
機会を一度だけやる。それで俺を倒せたら、ネンブタとも呼ばないし手もださない」

レッドの言う条件を聞いて、タブンネの目の色が変わった。
勝てる。こいつは自分が火炎放射を使えることを知らないのだ。
やっぱり虫ポケモンは馬鹿だ。
「ミヒヒ……」
「で、お前には負けたときのペナルティはない。今まで通りサンドバッグ。どうだ?」
ぶんぶんと頭を振るタブンネ。いつの間にか、食事を終えたポケモン達が
二匹を取り囲んでいた。
「よし、交渉成立だ。こい」
ゆっくり息を吐くと、レッドは自然体を作った。
対するタブンネは、自信に満ちた表情で言い放った。
「単細胞虫ポケモンは死ねミィ! バーカミッヒヒ!」
言うと、タブンネは腹に力をいれて思いっきり息を吐き出した。
「……臭え」
「ミ?」
しかし、タブンネの口から出たのは、臭い息のみ。火炎放射はおろか、
火の粉すら現れない。
「ミ? ミ? 出ろミィ! 出ろミィ! フウフウ」
「……お前は真性の馬鹿だな。火炎放射が原因で特別房行きになったんだぞ?
普通に考えて消されるだろ。そもそも、自分の出せる技の管理も出来ないとか
ポケモン失格だ」
タブンネの顔が一瞬呆け、すぐに恐れに歪む。
「ミィ……ミッヒー!」
そのまま、破れかぶれに突進をかました。
「重いなあ……だらしない生活の賜物か?」
無論、レッドは微動だにしない。
「一発、おしまい。お前の負けだな。よくもまあ俺の体に臭いつけてくれちゃって」
目だけで笑うと、レッドは素早くタブンネの腹に打ち込んだ。

「ミヒィ!」
前回よろしく、その場に倒れこむタブンネ。
「さて、サンドバッグネンブタ君。俺はお洒落が好きでね。使うサンドバッグにも、
うるさいんだよ」
続けつつ、タブンネに蹴りを入れて仰向けにする。
「だからダサいサンドバッグをお洒落にしてやるよ。ドーブル、こい」
「お呼びでしょうか」
「この雑巾の鼻に豚鼻を描いてやれ」
「はは」
「あの時のドーブル。どうして……僕、何にも悪いことしてなかったのに、ひどいミィ」
尻尾の筆を器用に使い、タブンネに豚鼻を描きながらドーブルは答える。
「無知は罪ですよ、ふふ。君みたいに馬鹿な単細胞ポケモンを地獄に落としてやるのが
私の趣味でしてね……はい、完成。では、私はこの辺でおいとまさせていただきます」
「わざわざ隣の施設からご苦労、じゃあな……おい皆、今日からこの特別房の
サンドバッグ、ネンブタ君だ。仲良くしてやってくれ」
タブンネはギャラリーによる爆笑の渦に包まれた。
「そうだ。せっかくだし、鳴き声も変えてみるか。ブヒィなんてどうだ?」
ギャラリーの声がさらに大きくなり、熱を帯び始める。タブンネの頬も赤く
染まっている。ネンブタという名前、押されてしまった豚という烙印。タブンネの
自尊心は豚にまで貶められた。
「朝食終了、作業に移れ!」
「おっともうこんな時間か、じゃあ皆、今日も作業頑張れよ」
レッドの言葉を皮切りに、ポケモン達は移動を開始した。
一匹残されたタブンネは、監視員に見つかるまでその場で泣き続けた。
最終更新:2014年06月22日 22:08