悪夢

タブンネの目の前では地獄の光景が繰り広げられている。
優しいはずの飼い主が、革鞭を使って子タブンネたちの小さな体を叩き続ける。
子タブンネたちが動けなくならないようにお尻や背中を叩き、必死に逃げ回る姿を楽しんでいる。

タブンネは何とか助けに行こうとするのだが、全身に力が入らずに立ち上がることさえできない。
涙を流しながら「ミィミィ!」と鳴いて、大好きな飼い主に子タブンネたちを叩くのを止めるように訴えかける。

しかし、飼い主はタブンネの訴えを聞く気はないようで、子タブンネたちを叩く鞭の動きは収まる様子がない。
何をやっても変えることのできない現実に、タブンネがあきらめようとしたそのときだ。

飼い主の足に1匹のタブンネがしがみつく。夫であるタブンネだ。
子タブンネたちのもとには行かせまいと、体を張って飼い主の動きを止めている。

しがみつかれた飼い主は、夫タブンネの触覚をつかむ。
夫タブンネに、触覚を通じて飼い主の気持ちが流れ込む。夫タブンネの表情が青ざめ、焦りの色が浮かぶ。

ミッガアアアアアアアアア!

ブチリという音を立てて、夫タブンネの触覚がちぎり取られる。
血液、漿液、体液。あらゆる色が混じった飛沫が飼い主の足を汚す。

床でのたうちまわる夫タブンネのお腹に、飼い主のつま先が勢いよくめり込む。
夫タブンネの体が一瞬だけ宙に浮き、夫タブンネはお腹を押さえたまま動かなくなってしまった。
青い瞳は飛び出しそうなほど大きく見開かれ、口からは真っ黒な血がドロリと流れ出す。

動くことすらできない夫タブンネに、飼い主はさらに攻撃を加えていく。
壁に置いてあった金属バットをつかみ振り上げると、夫タブンネの体に向かって何度も何度も振り下ろす。

めきゃっ。ごきゃっ。ぐちゃっ。

夫タブンネの体の中から、何かが割れ、砕け、つぶれる音がなり続ける。

時間してわずか10秒ほど。
夫タブンネを殴り終えた飼い主は、次の標的を小さな子タブンネたちに向ける。
動きを止めていた子タブンネたちが、はっとしたように動きだし、狭い部屋の中をヨタヨタと逃げ回る。
夫タブンネの体はビクンビクンと大きな痙攣を繰り返すばかりで、子タブンネたちを守ってくれるものはいない。

飼い主は近くにいた子タブンネを捕まえると、耳や尻尾を引きちぎる。
激痛に悲鳴を上げる子タブンネを床に放り投げると、苦しむ小さな体に無慈悲に金属バットを叩きつける。
その瞬間、子タブンネはタンパク質のかたまりに姿を変えた。

部屋のあちこちで子タブンネたちが肉塊に変えられていく。
やがて、子タブンネたちは動くことのできないタブンネの周りに集まる。
父親はなく、自分の身を守ることもできず、子タブンネたちが頼れるのは動くことのできないタブンネだけだった。

飼い主がタブンネの前に立つ。
手に持った金属バットからは赤い滴がポタリポタリと流れ落ち、床を赤く染めていく。

タブンネは必死に懇願する。こんなことはもうやめて、と。
力の入らない体に鞭を打ち、飼い主の顔を見上げ、何度も鳴いて必死に懇願する。

そして、飼い主の腕が上がり、金属の塊がタブンネに向かって振り下ろされ――























悲鳴を上げながら、タブンネの意識が覚醒した。
口から吐き出される息は荒く、その体はひどく汗をかいたようで、全身がしっとりと濡れている。

真っ暗な部屋の中、タブンネの視線の先には床に寝転がっている子タブンネの姿。
ぐっすりと眠っているのか、タブンネの悲鳴にも起きる様子はない。

夢を見ていたのだ。
安心して息を吐くタブンネの耳に、子タブンネたちの心配そうな鳴き声が聞こえてくる。
今の自分の悲鳴で起こしてしまったのだろう。

タブンネは子どもたちを安心させるために、そっちを向いて抱きしめようとし、そこで気付いた。
自分の体がまったく動かないのだ。
それどころか、全身にズキズキとした鈍い痛みが広がっているのが感じられてきた。
自分の状態に困惑するタブンネだったが、その感情も目の前の光景が異様であることに塗りつぶされた。

床に寝転がっている子タブンネたちの体はピクリとも動かず、何の音も聞こえない。
小さな寝息も、呼吸のたびに膨らむお腹の動きも何もない。
さらに、子タブンネたちには耳や尻尾がついていなかった。

タブンネの体がカタカタと震えはじめる。
あれは夢のはずだ。優しいはずの飼い主があんなひどいことをするはずがない。

理解はできているが理解したくない。
そんなタブンネの目の前で、静かな音を立ててドアが開く。
廊下の明るい光が、開け放たれたドアから暗い部屋の中を照らす。

部屋の中がはっきりと見えてしまった。
タブンネは首を振る。目の前の現実を受け入れられないというように。
そして、ドアを開けたその人、優しいはずの飼い主を見る。

廊下の明かりを背にした飼い主の表情は見えない。
ただし、その両手に持っているものはシルエットだけでもはっきりとわかる。
滴を垂らすノコギリと、体を失った夫タブンネの頭。

タブンネに向かって、夫タブンネの頭が放り投げられる。
距離をはかったかのように転がったそれは、タブンネの顔の前でピタリと止まる。
差し込む明かりに照らされたその表情は、極限の苦痛に歪んでいた。

凍り付いたかのように動きの止まったタブンネを無視し、飼い主が部屋に入ってくる。
子タブンネの体を押さえつけると、その首にノコギリの刃をあて、ゆっくりと引きはじめる。

子タブンネの表情は、タブンネの目の前に転がる夫タブンネの表情と同じものになっていた。
夢なら早く覚めて。タブンネの願いは決して叶わない。夢などではなく、これは現実なのだから。
子タブンネの頭と体が離れ、飼い主が次の標的に狙いを定める。
タブンネの首にノコギリの刃があてられる。

タブンネは願う。
二度と目が覚めなくてもかまわない。ただ、この悪夢が早く終わってほしい。

それから数分後、永遠とも思えるほどの苦痛の果てに、タブンネの願いは叶えられた。

(おわり)
最終更新:2014年06月24日 20:58