タブンネは涙をぽろぽろ流しながら走る。前が歪んで見えないが、それでも外の光を目指して走る。
光はどんどん強くなっていき、暖かい風が吹いているのが分かる。
ザッ…、と一瞬強い風がタブンネの体を吹き付けた。立ち止まり、涙を拭き目を開く。
……外だ。ヤグルマの森を抜けた先の3番道路。ペンドラーから逃げ切る事ができたのだ。
「みっ…みぃ……!」
自分は生きている。身も心もボロボロで、それでもこの世界に生きている。トウコがいるこの世界に。
タブンネはそのまま、眠るように気絶した。目の前で何かの影が動いた気がするが、タブンネにはそれが何か分からなかった。
―――タブンネは目を覚ました。そこは3番道路ではなく、どこかの建物のようだ。
「あ、気がついたのね」
優しい声だ。その声の聞こえた方へ目をやると、淡い桃色の
ナース服を着た女性。
どうやらこの女性が助けてくれたようだ。タブンネはみぃみぃと鳴いてお礼を言う。
「もう大丈夫よ。吃驚しちゃったわ、突然森から飛び出してきたかと思うと倒れちゃうんだから」
その女性は優しく頭を撫でてくれた。すべすべで大きくて、相手を労わる様な手つきだ。とても心地が良い。
しかしタブンネの望むものはこれとは違った。少し乱暴で、それでも自分へ向けられる愛を強く感じる、小さな子供の手。
タブンネの目からはまた涙が溢れ出していた。女性は黙って、タブンネを横に寝かせシーツを被せると部屋から出て行った。
トウコ…トウコ……。もう一度、もう一度会いたいよ…。もう一度やり直したいよ…。
その日タブンネは夢を見た。どこまでも続く真っ暗な闇の中。一匹で彷徨っていると一筋の光が天から差し込む。
光に向かって腕を伸ばす。先ほどはどれだけ頑張ってもトウコに届かなかったが、今度はその手を何かに捕まれた。小さな手だった。
数年後、タブンネは相変わらず3番道路付近をうろついていた。
あの女性から手厚い治療を受けた後はずっとこうしてここらに住み着いていた。
タブンネには夢があった。いつかまたトウコに出会う事。もう一度トウコの手持ちになる事。
野生で生きる事はとても辛かった。食料は自分で調達し、寝床を確保するのも維持するのも大変だ。
何よりポケモン同士の争いの中で生き残る事は、今までバトルなど経験の無かったタブンネには無理な話だった。
ヨーテリーの群れから逃げ、ミネズミに見つからないように身を隠し、同じタブンネ達から迫害され、タブンネの精神状態はギリギリだ。
それでもタブンネは必死に生きた。生き延びた。少しずつ力を付け、今ではバトルもそこそこ自信がある。
もうそこには、あの我侭でぐうたらでだらしのないタブンネの姿は無かった。
「そろそろ別のポケモンを育てたいなぁ、モンメンとかどうかな?」
ぴくり、とタブンネの驚異的な聴力を持つ耳が動く。聞き覚えのある声がした。
前よりもハキハキとして滑舌が良くなった。幼子特有の高い声は少し控えめに、しかし芯の通った、凛とした声に。
ガサガサと草むらを揺らしタブンネは飛び出す。そこにいたのは確かにトウコだった。
あの頃と比べると身長は遥かに伸びたし、髪も長くポニーテールにしてある。澄んだ青い色の瞳はそのままだった。
突然飛び出してきたタブンネにトウコは驚いて小さな悲鳴をあげる。しかしすぐに気を取り直して、バニプッチを繰り出す。
「ラッキー、経験地だわ!バニプッチこごえるかぜ!」
とても冷たい風がタブンネを襲う。冷たいなんてものじゃない、痛い。しかしタブンネは反撃せずにただ攻撃を耐えるだけ。
反撃してこないタブンネをトウコは訝しげに見る。何故反撃してこないのか、何故嬉しそうな顔をしているのか?
今まで何度もタブンネは倒してきた。その時のタブンネの反応は殆どが困惑したような、驚いているようなものだった。
でもこのタブンネは違う。ただでさえ傷ついているその体に攻撃を受け辛そうなのに、微かに笑っているのだ。
何故笑うの、もしかして被虐趣味?なーんて。そんな事を冗談混じりに考えながらタブンネの姿をまじまじと観察する。
「あっ…」トウコは見つけた。タブンネの体中に見える『手術の痕』。それには見覚えがあった。自分がつけたものだ。
「もしかして…、タブンネなの……?」
バニプッチに攻撃を手出ししないよう指示すると、トウコは少しだけタブンネに近づき顔を見つめる。
タブンネは何も言わない。ただ、嬉しそうにはにかんでいた。
「あ…あぁ……、た、タブンネ…、ごめん、ごめんね…」
トウコの目から涙が溢れる。ぽろぽろと、地面に染みを作っていく。タブンネはトウコに歩み寄ると、腕を伸ばし、涙を拭った。
ごめんね、ごめんね、タブンネ…。タブンネの伸ばした手を、トウコは握る。
今度は、その手が振り払われる事はなかった。
「た、タブンネぇ?しかもおとなしい性格って…」
「何よ、スーパーじゃないんだからなんとかなるって。それにトウヤくんがフォローしてくれれば良いじゃない!」
「えぇー…、でもなんでいきなりタブンネを…」
バトルサブウェイのマルチトレイン乗り場で二人の少年少女が何やら言い争っている。
トウヤと呼ばれた少年はトウコの横に立つタブンネを見ると、「強いの?」と小さな声で呟いた。
「弱いよ」キッパリ。弱いと言い切られ、トウヤとタブンネはそれぞれ驚いた、ショックを受けた顔をする。
その表情を見てクスクス笑うトウコは「さっさと行かないと出発しちゃうよ」とトウヤの腕を掴み引っ張って行く。
ちょ、痛いよ。男の子なんだから大丈夫でしょ!まだ小さな言い争いは続いている。
それをタブンネは心底幸せそうな顔で眺め、二人を追いかけて行った。
幸せは、後から、失ってから気付くもの。それを身をもって知ったタブンネ。もう間違う事はないだろう。
もう一度その手に幸せを掴み取ったタブンネは、自らを悔い改め今ある現実に感謝して生きるようになったのだ。
この後トレイン内で戦ったタブンネは見事ボコボコにされてしまったのだが、それでもタブンネが笑顔を絶やす事は無かった。
最終更新:2014年07月30日 23:38