恩知らずなベビンネ

近所の公園の草むらで、小さなタブンネ2匹が寄り添い合って震えているのを発見した。
ここ数日急激に日が落ちてからの冷え込みが厳しくなり始めている。近くに母親の姿はない。このままでは凍えて死んでしまうだろう。
近づいても逃げる素振りを見せないので、気まぐれに拾って来てしまった。
家に帰って、昔育てていたポケモンの為に買いだめしたフーズが余っていたので与えてみたが、全く口をつけようとしない。
タブンネたちはしばらく不安そうにピィピィと鳴き続けていたが、折り重なるように眠ってしまった。
その姿があまりに可愛らしかったので、そっと頭や頬を撫でてみる。すると、一匹が寝ぼけているのか私の指を小さな手で掴んでちゅぱちゅぱと吸いつき始めたではないか。
その水音に反応したように、もう一匹も目をつむったままキュウキュウ鼻を鳴らして私の手のひらに鼻面を押し付けてくる。母親の乳房を探しているのだろう。
指先から伝わるこそばゆい感覚に笑みを漏らしながら、私は厄介な物を拾ってしまったな、と後悔した。
まさか乳飲み子とは思わなかった。私は卵からポケモンを育てた経験はないので、この家には生後間もないポケモンの飼育に必要な器具は何一つ揃っていない。
明日になったらポケモンセンターに行っていろいろ聞いてこよう。運がよければ引き取り手が見つかるかもしれない。
私はそっと手を離しす。起きてしまうかなと思ったが、タブンネ達はそのまま幸せそうな顔で眠り続けていた。


次の朝、目を覚ますと部屋が大変な事になっていた。
床の上では寒かろうと思いタブンネ達を座布団の上に移動させておいたのだが、その座布団の上には柔らかい糞が撒き散らしてあった。
そこで寝ていたはずのタブンネの姿はなく、座布団以外にもティッシュは箱から引っ張り出され滅茶苦茶になって床に散乱し、
観葉植物の鉢が掘り起こされて辺りは土まみれ、テーブルの上に置いてあったガラス製のペーパーウェイトはテーブルの下で粉々になっていた。
顔を覆いたくなるような光景に呆然としていると、後ろからミッミッ!という元気な声がする。
振り返ると、タブンネ達がコロコロと転げまわってはしゃいでいる。
昨日の夜は大分弱っているように見えたが、寒さで動けないだけだったのか。私はタブンネ達の元気そうな姿にほっと息をついたが、しかし元気すぎるというのも問題だ。
「おい」
じゃれ合っているタブンネ達に声をかけると、2匹はほとんど同時に飛び上がって驚きの声を上げた。
私が入ってきたことにも気づかないほど遊びに夢中だったらしい。
あっという間にソファの影に隠れてしまったが、そろそろと顔を出してこちらの様子を伺う2匹だったが、私の顔を見ると嬉しそうに駆け寄ってきた。
「どうしてくれるんだ。あのペーパーウェイトは友達に貰った海外土産なんだぞ。それに俺の部屋をこんなに滅茶苦茶にしやがって」
そう話しかけても、タブンネはミィ?と不思議そうに首を傾げるだけだ。そんなことより遊んでよ、とでも言うようにぴょんぴょんと足にまとわりついてくる。
私は深い溜息を付いて、タブンネ達の首根っこを掴んでゴミ箱に放り投げた。
「このいたずら者どもが。掃除が終わるまでそこでおとなしくしてろ」
少々手荒なやり方だが、掃除の間じゅうずっとまとわりつかれるよりは効率がいいだろう。
私はどこから手をつけたものかしばらく途方に暮れていたが、考えていても仕方ないと思い掃除を開始した。
座布団カバーを洗い、干し、床に散らばったゴミを片付け、掃除機がけをし床を綺麗に拭き終わる頃には、昼を回っていた。

部屋の片付けを終えた私は、早速タブンネを連れてポケモンセンターへと足を運んだ。
ここへ来るのも随分と久しぶりだ。昔はポケモンの健康相談や病気の治療などでしょっちゅう世話になっていたものだ。
診察室のジョーイさんは、私の腕に抱えられた2匹のタブンネを見て、まあ、と声を上げた。
「お久しぶりですねえ。今日は随分可愛いポケモンを連れているんですのね。」
ジョーイさんの補佐役の大きなタブンネも興味深そうに子タブンネ達を見つめている。
当の子タブンネ達は、知らない場所に連れて来られた上たくさんの人間やポケモンに囲まれて萎縮している様子だった。
「昨日の夜近所の草むらで拾ったんです。フーズを与えてみたんですが、どうもまだ乳離れしてないみたいで、食べてくれませんでした」
拾った時の様子をいろいろと尋ねられ、いくつかの質問に答えた後、タブンネ達の健康に異常がないか調べてもらった。
少々栄養失調気味だということだったが、特に健康に問題はないそうだ。
私の代わりにタブンネの世話を出来る人を探してもらえないかと尋ねてみたが、自分で世話をすることが出来ないのに安易に野生のポケモンを拾ってくるのは良くないと咎められてしまった。
まあもっともな意見だ。引き取り手はあまりあてにしていなかったし、元より自分で育てるつもりだったからいいだろう。
私は、離乳の済んでいないポケモンを育てるのに必要な器具はどこでどうやって揃えるか、飼育の際はどのような点に気をつけるのかなどジョーイさんに詳しく聞いた。
このタブンネ達は大体生後3週間くらいだから、あと1週間はミルクを与える必要があるとのことである。人工授乳の為の器具はポケモンセンターで買えるそうだ。
「1週間経ったら、様子を見て離乳食に切り替えてあげて下さい。オボンの実を細かく刻んだものがいいですね。それと・・・」
センター勤務のタブンネが小さな紙袋を私に手渡す。どうやら薬のようだ。
「それは寄生虫に対する抵抗力を高めるためのお薬です。離乳が始まったら必ず毎日の食事に混ぜて与えて下さい。野生の生まれですから、お腹に寄生虫がいるという事もじゅうぶん考えられます」
寄生虫。ジョーイさんの口から出た思わぬ単語に、私は眉をひそめて診察台の上で無邪気にじゃれ合っているタブンネを見た。
「そんな顔なさらないで。タブンネに限らず野生のポケモンっていうのは大抵何かしらの寄生虫を持っているものなんです」
ジョーイさんは笑う。
「じゃあ、野生のポケモンは生まれてすぐに寄生虫が原因で命を落としたりするもんなんですか?」
「いえ。普通は母乳などに含まれる成分が寄生虫や病原菌に対する抵抗を高めてくれるのであまりそういう事は起こりませんね。
ただ、そのタブンネちゃん達はその抵抗力を持ってない可能性が高いので、お薬を処方しておきました。
虫下しの効果はなく、あくまで栄養補助のようなものなので、毎日欠かさず与えることが大切です」
「もし薬を与えずに寄生虫が体の中で繁殖してしまったらどうなるんです?」
「お腹の中を食い破られてしまったり、脳に障害が残ったり。死んでしまうことだって珍しくないんですよ」
「そうですか・・・」
気味の悪い話だ。やはりこんなもの拾うべきではなかったな・・・。
診察を終え、哺乳瓶や粉ミルクなど必要なものを買い揃えた後、私はなんともいえない気分で家へと向かった。

帰宅してすぐに、子タブンネを飼育するための準備をする。
その間、2匹には今朝のようにゴミ箱の中でおとなしくしていてもらった。また目を離した隙に部屋中を荒らされては大変だからな。
まず、以前飼っていたペルシアン用のケージを組み立てた。横幅2m程もある大型のものなので広さは充分だ。
そのケージの隅にふかふかの寝床とひよこ電球をセッティングする。これで準備は万端だ。
「お前たちの新しい家だぞ。今日からここで寝るんだ」
「ミッミィ?」「ミッミッミ!」
ゴミ箱からタブンネを拾い上げケージの中に入れてやると、2匹は興味津々といった様子で辺りの匂いを嗅いだり手で触れたりし始めた。
これで一安心だな。私は早速タブンネ達に与えるミルクを作ることにした。
台所で湯を沸かしている間、ふとタブンネ達にまだ名前を付けていないことに思い至った。
そういえば、これまで多くのポケモンを育ててきたが一度も名前を付けたことなどなかったな。今回は2匹いるので両方共「タブンネ」では何かと問題があるだろう。
いろいろと考えたが、何しろ慣れないことなのでさっぱり浮かばない。
そうこうしているうちに湯が沸いてしまったので、名前のことは後回しにしてタブンネ達に食事を与えることにする。人工授乳初体験だ。
「ピィピィピィ・・・」
リビングに入ってきた私を見て、タブンネ達がケージの格子にへばり付いてしきりに甘えた声を出している。
私はまず1匹を抱え上げ、人工乳首を口に含ませてみた。
「むぐ・・・!ンミィ・・・」
タブンネはいきなり口内に侵入してきた異物にびっくりした様子だったが、すぐに先端からミルクが出てくると理解したようだ。
ちゅぱちゅぱとすごい勢いで哺乳瓶に吸い付いている。よっぽど腹が減っていたんだろう。
多めに作ったつもりだったが、あっという間に飲み干してしまった。
空っぽになった哺乳瓶をまだ吸い続けているタブンネを引き剥がしてタオルでくるみ、残りの1匹にも同様にミルクを与える。
こちらもあっという間に哺乳瓶を空にしてしまった。
私は腹が膨れてウトウトし始めた2匹を膝の上に乗せて、手のひらでそっと撫でてやった。
2匹は安心しきった表情で私の指を吸いながら、時折甘えたように鼻を鳴らしている。
10分ほどそうしていると、やがてすやすやと穏やかな寝息が聞こえ始めた。
その幸せそうな表情といったら、見ているこちらも不思議と満ち足りた気分になってくる。
私はいつまでも膝の上の小さなタブンネをじっと見守っていた。

それからというもの、目も回るような忙しい日々が続いた。
ミルクは3時間おきだし、タブンネ達はまだ自力で排泄ができない為、トイレの手伝いをしなければならない。
さらにケージの中だけでは運動不足になってしまうので、一日数時間は部屋で自由に遊ばせているのだが、その間危険がないようにずっと見守っている必要がある。
私の時間の殆どはタブンネの世話に費やされた。真夜中に夜泣きで起こされることも珍しくない。おかげで少々睡眠不足気味だ。
2匹の名前については、あれからいろいろ考えを巡らせたがどうもいい名前が浮かばなかった。
仕方が無いので体が少し大きいほうを一号、小さい方を二号と呼ぶことにする。
我ながら名前とも呼べない酷い名前だとは思うが、まともな名前が思い浮かぶまでの仮の名前にしておけばいいだろう。
観察していくうちに、大きさだけでなく性格もそれぞれ微妙に違っていることがわかった。
一号はやんちゃだが比較的賢く、聞き分けもいい。二号は甘えん坊で少しわがままな所があるようだ。
いたずらをしでかして仕事を増やしてくれるのは大抵この二号である。
ちょっと目を離した隙に、棚の上の花瓶を落として割ったり雑誌をビリビリに破ったりとやりたい放題やってくれる。
あまり頭がよろしくないのか、叱り付けてもきょとんとするばかりで一向に効き目がないので頭を抱えてしまった。
いろいろと問題ばかりだが、タブンネ達との生活は決してストレスの溜まることばかりではない。可愛い盛りの2匹の仕草には随分癒しを貰った。
特に二号は手のかかる分可愛くて堪らなかった。
ケージの外に出してやれば、2匹はよちよちと覚束ない足取りで私の後に付いて来ようとする。
私はいつもボールや紐を使ってタブンネ達と遊んでやっていた。はしゃぎ回ってコロコロと転げる様子がとても可愛い。
遊びが終わると次はミルクの時間だ。
先に一号にミルクを与える。一号はいつも元気よくゴクゴクとミルクを飲み干し、飲み終わると丸くなって眠ってしまう。
一号が終わると次は二号の番だ。ケージ上部の蓋をあけると、二号は待ちきれないと言った様子で私の腕に飛びつこうとする。
一号と違い、二号はいつもゆっくりと時間をかけてミルクを飲んだ。
「ンミッ・・・ちゅぱ・・・ちゅ・・・フミィ・・・」
幸せそうに眼を閉じて、手のひらをニギニギさせながら哺乳瓶を咥える二号を見ていると、疲れやイライラも吹き飛んでしまう。
二号はミルクを全て飲み干す前にそのまま眠ってしまうことも多かった。
眠っている2匹を膝に乗せてそっと頭を撫でるのが私にとって至福の時だ。起きている間はいたずらばかりだが、寝顔はまるで天使のようである。
タブンネが原因で溜まったストレスがタブンネによって癒され解消されて行く。素晴らしいサイクルだ。
今まで大型のポケモンばかり育ててきた私だが、こういった可愛らしいポケモンと生活するのも悪くはないな、と思った。

タブンネと暮らし始めて1週間が経った。
忙しさを辛く感じるのは始めのうちだけで、時間が経てば慣れてくるだろうと思っていたが大分考えが甘かったようだ。
慣れるどころか私のイライラは増す一方だった。タブンネ達は家での暮らしに慣れて調子に乗ってきたのか前よりいたずらの頻度が増えたように感じる。
しかも育ち盛りのタブンネ達は頻繁にミルクを欲しがるので、私は本当に疲れきっていた。
私も始めのうちはタブンネ達の可愛い仕草が見られるミルクの時間を楽しみにしていたものだったが、今はやたらと時間を取られるこの時間がただ煩わしい。
しかし今日から大分楽になるだろう。世話を始めてから一週間が経過したので、今日から離乳食に切り替えるつもりだ。
離乳食なら一日2回で済む。しかも自分で勝手に皿から食べてくれるのだ。こんなに楽なことはない。
早速かねてから買い貯めておいたオボンの実を粗めに潰してポケモンセンターで貰った薬を混ぜて2つの皿によそり、タブンネ達のケージがあるリビングに運んだ。
部屋に入ってきた私を見て、一号と二号がケージの中で頂戴頂戴と騒ぎ出す。
「さあ、これからお前たちのご飯はこのオボンの実だぞ」
ケージの中に皿を入れると、早速一号が駆け寄ってきて、皿に盛られたオボンの匂いを念入りに確かめている。
「ミィ?」
「そうだ、食べていいんだよ」
「ミッ!」
一号は嬉しそうにオボンを頬張り始めた。食べてくれなかったらどうしようかと思ったが、とりあえずはこれで安心だ。
問題は二号だった。二号はケージに入ってきた皿を見て毛を逆立てて威嚇した後、ケージの格子に張り付いてミルクをくれと騒ぎ出したのだ。
こいつはいつも私の手を焼かせる。まあ、まだ一号に比べ体も小さいし、離乳の時期が遅れてもしょうがないだろう。
仕方なく皿を片付け、二号にミルクを飲ませてやった。
二号はため息混じりの私をよそに、うっとりした表情で哺乳瓶に吸い付いている。
正直、ミルクを飲むのに非常に時間のかかる二号が哺乳瓶を卒業してくれないと負担は大して減らないのだが・・・。
まあ、そのうち二号も離乳食に慣れてくれるだろう。私はいつものように食事を終えて膝の上で寝ている二匹に指を吸われながら、深い溜息を吐いた。

それから更に3日が経過した。
一号はオボンを食べるようになったばかりか、いつの間にかトイレシートの上で自力で排便できるようになっていた。こいつはかなり賢いようだ。
ケージの外に出した時も、二号の面倒をよく見て危険のないように気を配ってくれている。一号のおかげで私の負担はかなり減った。
二号は相変わらず全くオボンに口をつけようとしない。そればかりか、ミルクを要求する回数が増えてきている。
離乳が出来なければ薬を飲ませることも出来ないので、私は少し焦っていた。
気になって調べてみたのだが、体内の寄生虫が増えてしまうと最終的には想像以上にエグいことになるらしい。気持ちが悪くてたまらないのでさっさと離乳して欲しい。
私の心配をよそに、二号は哺乳瓶を頬張っては幸せそうに手のひらをニギニギさせている。私はその脳天気な顔にだんだん怒りに似た感情が湧いてきているのが分かった。
さっさと飲めよ・・・。俺は暇じゃないんだ・・・。
イライラした私は思わず哺乳瓶を握る手に力を込めた。
「ンミブュゥゥゥ~!?・・・フゲッケホッケホッ!フミィ!」
哺乳瓶はプラスチック容器だったため、中身が勢い良く出てしまったらしい。
二号の鼻からミルクがこぼれ落ちた。二号は慌てて起き上り、鼻や口からミルクをだらだらと零し涙目でむせ込んでいる。
私は何故か二号を助け起こしてやろうという気にはならず、ヒィヒィと苦しそうに呼吸をしている二号の口に追い打ちをかけるように哺乳瓶を突っ込んだ。
イヤイヤと首を振る二号の頭を掴んで固定し、力任せに哺乳瓶を握った。途端に二号の口の脇からミルクがだばだばと零れ出す。
「アガァ!ビャワワワッ・・・ゲェッハビャァッ・・・ンミュッ」
二号は咳き込むことも呼吸をすることも出来ず、苦しそうな顔でうがいのような水音の混じった悲鳴を上げている。
私はその様子を薄ら笑いを浮かべながら見守っていた。欠片も可哀想とは思わない。むしろ胸のすくような気持ちだ。
いつもなら食事の後二号は膝の上に乗って甘えてくるのだが、今日は怯えた様子ですぐにケージに逃げ込んでしまった。まあ、あんな仕打ちを受けたのだから当たり前か。
久々にすっきりした気分になれたが、私は自身の心境の変化に少し戸惑いを覚えた。
この間までは、二号の少しわがままで甘えたなところが可愛いと思っていたのに・・・。
最終更新:2014年08月13日 12:39