A氏は閉口していた。客のB氏がなかなか帰らないのである。
明日は講演会があり、早く休みたいというのもある。
しかし何より、B氏との会話が堂々巡りになっていることにうんざりしていた。
古い友人であるB氏は決して悪い人間ではないのだが、金にだらしないところがあり、
金策に詰まると最後は必ずA氏のところを訪れ、融通を頼むのである。
踏み倒されたことはなく、目途がつけば必ず返しにくるとはいえ、
こちらとてさほど裕福な暮らしをしているわけでもない。
無碍に断るのも憚られ、かと言ってぽんと金を出してしまう気にもなれず、
今日も今日とて、金の話に持っていこうとするB氏と、
それをはぐらかして帰ってもらおうとするA氏の駆け引きは続いていたのである。
口髭をひねりながらA氏は妻に促した。
「ああ、そろそろ」「かしこまりました」
笑顔で二人の話に相槌を打っていた妻は、一礼して席を立つ。
A氏はわざとらしく柱時計に視線をやったりするが、それしきで引き下がるB氏でもない。
「そういえばあの時はですな」「左様、大変でしたな」
世間話の体を取りつつ、火の車である事を匂わすB氏と、
「金」という単語が出ないよう、巧みに話をそらすA氏の攻防は、
かれこれ二時間が経過しようとしていた。
「おや、こんな時間ですか。どうです、お茶漬けでも」
A氏が切り出した。勿論、言外に「もうお帰り下さい」と催促しているわけである。
「そうですか、それでは折角のお勧めですからいただくとしましょうかな」
B氏も然る者、簡単には帰らない。勧められたのを幸い、もう一粘りする算段である。
「おおい、持ってきなさい」
A氏が声をかけると、A氏の妻が盆に乗せた茶碗を二つ運んできた。
ここまで手際よくされれば、普通の人であれば恥じ入って辞去するところであるが、
厚顔なB氏は遠慮しなかった。ほかほかと湯気を立てる茶碗に箸をつける。
「それではお言葉に甘えていただきましょう」
茶をすすり、白飯を運んだB氏の顔色が変わった。
「こ、これは…」
微笑しながら同じく茶漬けをすするA氏を他所に、B氏はがつがつとかきこんだ。
あっという間に茶碗一杯を平らげてしまう。A氏の妻も微笑んだ。
「あら、お気に召しましたかしら。お代わりはいかがですか」
「いや、恐れ入ります。では恥ずかしながらもう一杯いただけますか」
二杯目もたちまち平らげ、三杯目も腹に収めると、B氏はさすがに満腹であった。
ほうっと息をついて箸を置く。腹が癒えて気分が落ち着いてきた。
あれこれ小賢しい手を用いて友人に借金を申し込もうとする自分がみっともなく思えてきて、
照れ笑いを浮かべ、頭を掻きながらB氏は居住まいを正した。
「いや、こんな美味い茶漬けを食べたのは初めてです。本当にご馳走様でした。
大変長居してしまい申し訳ない。ここらでお暇させていただきます」
「そうですか、それではまた」
A氏と妻は笑顔でB氏を見送った。
「あなた、喜んでいただけてよかったですわね」「ああ、やはり出汁がよかったようだ」
戸締りをして二人は庭に回った。庭には五右衛門風呂の釜が置いてある。
その煮えたぎる湯の中には、縛られて首だけを出したタブンネが茹でられていた。
「ムグゥ!…ムゥムゥ…!」
手拭を口に押し込まれて声を出せないが、血走った目と真っ赤な顔が雄弁に物語っている。
「はっはっ、君のおかげで客人に喜んでもらえたよ、有難う」
「あと一時間も煮ればお陀仏でしょうから、それまで火はつけておきましょうね」
「そうだな、明日の朝の味噌汁が楽しみだ」
二人は家の中に入っていった。
庭に鳴く虫ポケモンの声と、タブンネの断末魔の呻き声が秋風に乗って流れてゆく。
(終わり)
最終更新:2014年12月30日 17:51