あるポケモンのブリーダーのところで暮らしているママンネがいました。
定期的に卵を産み、ある程度育てたところで子供は里子に出されます。
我が子と別れるのは辛いですが、どうすることもできません。
せめて旅立ちの日が来るまではと、精一杯の愛情を込めて子供を育てるのでした。
そして今育てている3匹の子タブンネとの別れの朝が来ました。
しばらく前から、「お前達はもうすぐ新しい優しいご主人様のところに行くんだよ」と
言い聞かせてはいましたが、いざその日が来るとやっぱり辛くてなりません。
「ボク、やっぱり行きたくないよ、ママの側がいいよ!」
と1匹がママンネにすがりつくと、他の2匹も抱きついてミィミィ泣き出します。
「ごめんね、ごめんね。幸せになってね」
ママンネも涙を流し、3匹をぎゅっと抱き締めました。
ブリーダーもそうした光景は何度も見ても慣れるものではなく、黙って見守っています。
ですが、これも仕事。ママンネの肩にそっと手を置きました。
「さあ、時間だよ。送り出してあげなさい」
ママンネもうなずき、ミィミィ泣いている子タブンネ達の背中を押しました。
待っていたのは3人の引き取り手の人間でした。
1人目は裕福そうな若い婦人。この人のところなら苦労はしなくて済みそうです。
2人目は眼鏡をかけた知的な青年。優しそうですし、可愛がってくれるでしょう。
3人目は無精髭を生やした中年男。服装も汚れた作業着で、ママンネはちょっと不安を感じました。
しかしもう子供達はそれぞれの里親の手に渡ってしまいました。後は祈ることしかできません。
「ミッミッ!」ママンネはどうかこの子達をお願いしますと、深々と頭を下げるのでした。
裕福そうな婦人の夫は会社の社長でした。子タブンネをとても可愛がり、
遊びたいだけ遊ばせ、オボンの実もたくさん食べさせてくれました。
子タブンネはとても幸せでした。しかしそれは長続きしなかったのです。
3ヶ月くらい経った頃から、婦人は不機嫌になることが多くなりました。
時々、夫の社長と言い争う声も聞こえてきます。
ごはんを忘れられる日も増えてきて、お腹が空いたと訴えようものなら、
「お黙り!今それどころじゃないのよ!」と怒鳴りつけられてしまうので、
すごすごと引き下がり、空腹を抱えたまま寝るしかありませんでした。
ある夜、子タブンネがふと目を覚ますと、何やら物音が聞こえます。
見に行ってみると、婦人と社長が身の回りの物を慌ててかき集め、どこかに行こうとしています。
不吉なものを感じた子タブンネがポテポテと2人の後を追うと、
2人は車に乗って出発しようとしているところでした。
社長が事業に失敗し、債権者に責め立てられた2人は夜逃げしようとしていたのです。
「ミッミッ!」(待って!ボクも連れてってよ!)
子タブンネは走って追いかけようとしましたが、出発しようとする車の窓から
婦人が顔を出して冷たい表情で言いました。
「うるさいわね!あんたを連れてく余裕なんてないの!」
そして車は急発進し、走り去っていきます。
「ミーッ!ミーッ!」(待ってよ!置いていかないで!)
必死で後を追おうとしても追いつくわけがありません。
足がもつれて転んだ子タブンネは、アスファルトに絶望の涙を流しました。
「捨てられたんだ……ボクは…ボクはこれからどうすればいいの……?」
誰も答える者などいません。夜風だけが冷たく吹き過ぎていきました。
「うわっ!な、なんだこりゃ!」
とあるアパートで、隣の部屋から異臭がするとの通報があり、管理人から合鍵を借りた警官が
中に入ってみると、その部屋には酸鼻極まる光景が広がっていました。
部屋のあちこちに小ポケモン用のケージが置いてありますが、そのポケモンのほとんどが死んでいます。
それも耳を切られたり、手足を切断されたり、酷い殺され方をしたようです。
「おええっ!」吐き気を催した管理人がバタバタと走っていきました。
それだけではなく、床に敷いた新聞のあちこちには、バラバラのポケモンの死体と内臓がありました。
おそらく解剖でも行なったのでしょう。
一番最近に殺されたらしく、まだ腐敗の進んでいない子タブンネの死体は、耳と触覚を切り取られ、
両手足をピンで床に刺され、腹を裂かれて内臓が取り出されていました。
その側には医学書の参考書が置かれ、血であちこちに文字が書き込まれていました。
ほどなく、この部屋の持ち主の青年が逮捕されました。
医大志望の青年は、最初は受験勉強の間の慰めとしてポケモンを飼っていたのですが、
何度も受験に失敗する内に、そのイライラをポケモンにぶつけるようになり、
やがて虐待から解剖しての殺害へと行為がエスカレートし、精神に異常をきたしていったのです。
「俺のポケモンですよ、俺が何しようと勝手でしょうが!
それより早く帰してくださいよ。こんなところで時間潰してる場合じゃないんですから。
次落ちたら勘当だって親に叱られるんですよ。あんたら責任取れるんですか?
ああ、うるさいなタブンネ!ミィミィ鳴くんじゃない!」
熱に浮かされたようにまくし立てる青年の目は、もはや正気のものではありませんでした。
よーし、今日はここまでにしようか」「ミッミッ♪」
中年男の呼びかけに子タブンネ、いえ、いまやすっかり成長したタブンネは笑顔で答えます。
他にも十数匹の仲間がいて、みんな同じように「ミッミッ♪」と返事します。
出会った時は一見怖そうに見えた中年男でしたが、実は心根の優しい働き者でした。
果樹園を経営しており、タブンネ達と一緒にいろいろな果実を育てているのです。
仕事は大変ですが、果実が育っていくのを見るのは楽しく、苦になりません。
汗を拭い、仲間達と一緒に夕飯のオボンの実を食べている時のタブンネは、幸せを感じました。
働くことに喜びを感じるなんて、自分も大人になったものだなとも思います。
でも時々、離れ離れになった兄弟や、ママンネのことが懐かしく思い出されます。
おそらく二度と会うことはないでしょうが、タブンネは心の中で呼びかけました。
(ママ、みんな、元気でやってるかな。ボクは元気で幸せだよ…)
その頃ママンネは、また新たに生まれた卵を温めていました。
もう何十匹の子を送り出したのでしょうか。その子らを思わない日はありません。
(みんな幸せに暮らしているかしら…)
絶望に突き落とされた子、思わぬ非業の死を遂げた子、意外な形の幸せを掴んだ子……
もらわれていった子がどんな運命をたどったか、ママンネが知ることはないでしょう。
しかし、送り出したみんなが健やかに育ったことを信じて、
そして幸せであれと祈って、ママンネは愛おしげに新たな卵を温めるのでした。
(おわり)
最終更新:2014年12月30日 17:54