居合い斬りの名人と呼ばれる男がいた。
ある日、彼を訪ねて腕自慢の武芸者がやってきた。
「貴殿の噂を聞いてやって参り申した。是非、拙者と腕比べをお願いしたい」
「よろしい。それではお手前を拝見いたしましょう」
名人と武芸者は近くの森に行った。タブンネが生息する森である。
タブンネの夫婦がおり、卵をうれしそうに撫でている。
もうじき子供が生まれるのであろう。
「されば、まずは拙者から」
武芸者はそれに向かって疾風のごとく駆け寄りながら、刀を一閃させた。
何も起こらない。タブンネ夫婦は、突如駆け寄って走り抜けた彼を不審そうに見ている。
「失礼ながら、しくじられましたかな?」
「いやいや、しばしお待ちあれ。直にわかります」
二人が物陰から見守っていると、夫タブンネが立ち上がり出て行った。
後をつけてみると。川のほうに行くようである。水を飲みに来たらしい。
そして夫タブンネが四つん這いになり、水を飲もうとした時、
「ミッ!?」
突如その首は体から離れ、水の中に転げ落ちた。
「ミ、ミィッ!?」
まだ息があるらしく、驚愕の表情を浮かべたまま、首は流れてゆく。
一呼吸の後、その首の切り口からは血が噴き出した。
そしてその胴体も前のめりに川に落下し、水を赤く染めながら流れていった。
「これはお見事。切られた刹那は何も感じず、しばらくは生きているが、
首を傾ければ切れ目から裂け落ちる。大したものです」
武芸者は会心の笑みを浮かべた。
「恐れ入ります。それでは貴殿の番ですな」
「よいでしょう」
名人は武芸者とは違い、散歩するようなゆったりした足取りでタブンネの巣に近づいた。
先程とは別の人間が来たことに妻タブンネは警戒心を見せたが、
微笑を浮かべ、悪意や殺気など微塵も感じられぬその風情に、気を緩めたようである。
しかし武芸者は見た。恐るべき速さの剣が幾度か閃き、妻タブンネに見舞われたのを。
妻タブンネは何も気づいておらず、卵を撫で続けている。
悠然と戻ってくる名人の姿に、武芸者はごくりと唾を飲み込んだ。
「貴殿も拙者と同じように斬られたのですかな?」
「左様、ですがいささか工夫をこらしておきました。もう間もなくですよ」
二人が物陰から様子を伺っていると、卵にひびが入り始めた。
妻タブンネは夫タブンネが帰ってこないのでやきもきしているようだが、
そうしている間に卵が割れ、ベビンネが誕生した。
「チィチィ♪」「ミッミッ♪」
うれしそうに妻タブンネは子供を抱き上げ、粘液で濡れた体を舐めて綺麗にしようとした。
「ミッ!?」
ところがその突き出した舌に切れ目が入り、ポトリと地面に落ちた。口の中から血が噴き出す。
「ムガァァァァァァ!?」
妻タブンネはベビンネを地上に下ろすと、慌てて舌を拾おうとした。
「ミ…ンガァーーッ!!」
すると今度は両腕が同じように切断されて、地べたに落ちた。
「ムギィィィ!!」
妻タブンネは口と腕から血を噴き出しながら転げ回った。
「チ…チィィ…チィィ…」
のた打ち回る母親の気配を感じて怯えたのか、ベビンネが泣き出した。
妻タブンネは激痛に悶え苦しみながらも、我が子を放っていく訳にもいかず、
這いずってベビンネに近づこうとした。しかし。
「チィィ…ッ…!」
ベビンネの体の中央に赤い亀裂が走ったかと思うと、その体は左右に真っ二つになってしまった。
「ンッギィィィィィ!!!」
絶叫を上げることで、舌の切断面から一層激しく血が噴き出るのも構わずに、
妻タブンネは必死で這ってベビンネに近づこうとする。
「ンン…ガアアアア!!」
だが妻タブンネの体にも、ベビンネと同じ赤い亀裂が走った。
そしてその体もやはり、真っ二つに裂けて左右に転がったのであった。
一部始終を見届けた武芸者はもはや顔面蒼白であった。
「何と、閉じていた口の中の舌だけではなく、殻を切らずに中の赤子も切ったと申されるか」
「左様。舌と腕を切り落とすことで、もはや子供を舐める事も抱く事もできぬという絶望を与え、
その絶望に呼応して子供の傷口が開き、それを見た母親の傷口も開いてとどめを刺す。
これを名づけて『秘剣・奈落落とし』と申します」
「拙者など及びもつかぬ神業。恐れ入りました」
武芸者は頭を垂れ、深々と平伏するしかなかったという事である。
(終)
最終更新:2015年02月11日 15:27