可愛い赤ちゃん

テーブルの上に置いた卵がカタカタ揺れ、ひびが入る。
割れた殻の隙間から、ベビンネが顔を覗かせた。
そしてベビンネは殻を押しのけて這い出し、「チィチィ…」と可愛らしい産声を上げた。

「よーしよし、パパですよー。今日からよろしくな」
俺はベビンネを抱き上げ、ぬるま湯を入れた洗面器でベビンネの体を洗ってやる。
そして全身を丁寧に拭い、タオルでおくるみにして抱き上げ、
あらかじめ用意しておいた哺乳瓶を咥えさせた。
「チィチィ…♪」
本能のまま、ベビンネは哺乳瓶からちゅうちゅうとミルクを吸う。
生まれたばかりで目も開いていないが、心なしかうれしそうな表情だ。
その笑顔を見ていると本当に心が和む。目に入れても痛くないとは正にこの事だろう。

しかし大変なのはこれからだ。
生まれたての赤ちゃんには、数時間毎に授乳し、排泄も手伝ってやらなくてはいけない。
異常がないか常に神経も使うし、ゆっくり寝るわけにもいかない。
平日、会社に出勤する前にはポケモンセンターの託児所に預け、帰りに引き取るという繰り返し。
人間も同じようなものだから、育児ノイローゼになる母親がいるのも無理からぬ話だ。
だが俺は苦にならない。ベビンネを卵から孵化させて育てるのは6匹目だから手馴れたものだし、
何より赤ちゃんの無邪気な表情を見れば、育児の苦労など吹き飛んでしまうのだ。

最初はもぞもぞとしか動けないが、1週間もすれば目も開いてハイハイで動き回るようになる。
「チィチィ♪」と声を上げながら部屋中を這い回る姿は、いつまで眺めていても飽きない。
会社なんか休んで、ずっと眺めていたいくらいだ。

そしてハイハイから、ヨチヨチ歩きをするようになり、餌もミルクからオボンの実に変わった。
赤ん坊らしい「チィチィ♪」という声も、いつしか「ミッミッ♪」に変わっている。
生後3ヶ月も過ぎれば身長も40センチを越え、ベビンネ改め子タブンネだ。
成長期なのか、最近はオボン1個では足りず、2個目をせがむようになってきている。

(そろそろ潮時かな…)
自分を見つめる俺の視線に、変化が現れている事に子タブンネは気づいていない。

そんなある日、俺は子タブンネを連れてドライブに出かけた。
空は晴れ渡り、絶好のドライブ日和だ。俺は気持ちよく車を走らせる。
助手席の子タブンネは近場の散歩ばかりしかしたことがないので、
見るもの全てが珍しいらしく、「ミィミィ♪」とはしゃぎながら窓の外の景色に夢中だ。

やがて海が見えてきた。海沿いの道路の休憩所に停車し、俺は子タブンネを連れて車を降りる。
「ほーら、海だぞー」
俺は子タブンネを抱え上げ、休憩所の崖の側の柵までやってきて、海を覗かせた。
「ミッミッミッ♪」
地平線まで果てしなく続く海原と、崖下の岩に寄せては返す波に、子タブンネはすっかり興奮している。

「じゃあな」
俺は一言言うと、抱きかかえた子タブンネを海に放り投げた。

「ミィーッ!?」
叫び声を残し、子タブンネは10メートルほど下の海面に落下する。
ドボンと沈み、数秒後に浮き上がってきた子タブンネは必死にもがいて俺に助けを求める。
「ミッ、ミィィーッ!ミビィーッ!!」
だがその周辺の波が逆巻き、あちこちから子タブンネ目掛けて水中からいくつもの魚影が迫ってきた。
「ミギャァァーッ!!」
子タブンネの悲鳴が絶叫に変わった。キバニアだ。この辺りはキバニアの生息域なのだ。
数十匹のキバニアに襲われた子タブンネの姿が水中に引きずり込まれる。
「ミィィィィ!!ミヒィィィィィィ!!」
懸命の力で一瞬浮かび上がるが、その姿は既にボロボロで、触覚は食い千切られ、
耳にも顔にも手にも、所狭しとキバニアが食いついている。
「ミイィァァァァ…!!」
どうしてこんな目に遭うのかわからないといった絶望の表情を浮かべたまま、
子タブンネは再び引きずり込まれ、二度と浮かび上がってくることはなかった。

「ふっ」
俺は軽くため息をつく。特に感傷などない。

なぜこんなことをするのかといえば、答えは簡単。俺は赤ちゃんは大好きだが、子供は嫌いだからだ。
赤ちゃんは確かに手がかかるし、面倒だ。だが泣くのも愚図るのも全て本能のなせる業。
純真無垢な行動には邪心ひとつない。どんな苦労だって、惜しくはないのだ。
だが子供は違う。成長して余計な知恵がつき、ズルをする事を覚え、わがままになってゆく。
小賢しく汚れた生き物には俺は興味はない。
過去に5匹のベビンネを孵化させ、精魂込めて育ててきたが、ある程度成長してくると愛情が急に冷める。
もはやいらなくなった子タブンネは、こうして始末してきたのだった。

獲物を食い尽くしたキバニアは散っていき、水面は静けさを取り戻した。
俺は車に戻り、本日の2つ目の目的地に向けて出発する。新たな卵を入手するためだ。

海から引き返し元の道を戻る途中、大きな森の側で俺は車を停めた。
この森にはタブンネが多数生息しており、過去の卵は全てここで手に入れたのだ。
車のトランクから金属バットを取り出した俺は、森の中に踏み入ってゆく。

タブンネを警戒させないよう、足音を殺しながら森を探索するうち、タブンネの巣を見つけた。
親の姿は周囲に見当たらず、卵が1個あるだけだ。色つやも大きさも申し分ない。
持ち帰ろうと手を伸ばした時、ガサガサと草むらを掻き分け、1匹のタブンネが姿を現した。
血相を変えて駆け寄り、卵をひったくる。どうやら母親らしい。
卵を獲り損ねた俺は、舌打ちしながらバットをタブンネに向けて突きつけた。
「おい、その卵くれよ。また産めばいいだろ?」
「ミーッ!!ミィィ!!」
タブンネはとんでもないとばかりに首を横に振る。まあ、当然の反応だ。
だが、そう簡単に引き下がる俺ではない。

「そうか、じゃあ少々痛い目を見てもらおうか」
言いながら、俺はバットをタブンネの側頭部目掛けてフルスイングした。
「ミビャァーッ!!」
殴り倒されたタブンネは卵を取り落とした。卵はころりと草むらの上に転がる。
バットを一旦地面に置き、俺が卵を拾おうとすると、タブンネもすがりついてきた。
さっきの一撃で頭から流血しているというのに凄まじい執念だ。母性の成せる業なのだろう。
「放せよ、もう一発くらいたいのか!」
「ミーッ!ミーッ!!」
俺とタブンネは両手で卵を引っ張り合う。タブンネはあきらめる気配がなさそうだ。

こうなったら動けなくなるまで叩きのめしてから奪うしかないと思い、俺は手を放した。
急に手を放され、勢いあまってタブンネは後ろにバッタリ倒れる。
ところがその時、グシャリという嫌な音がした。
卵を引っ張る力が強すぎて、タブンネは自ら卵を抱き潰してしまったのだ。

「ミッ!?………ミ……ミィィ……?」
恐る恐る自分の腹部を見たタブンネが見たのは、卵の破片とその中のベビンネの姿だった。
卵の殻ごと抱き潰され、体が破裂したベビンネは、もちろん血まみれで即死だ。
「ミ……ミヒィィィィィン!!」
産声を上げることすらなくあの世へ行ってしまった我が子の亡骸を抱き締め、タブンネは号泣し始めた。
「バカが、さっさと放していればこんな事にならなかったのに」
俺は吐き捨ててタブンネに背を向け、新たな卵を探してさらに森の奥へ向かった。

しかしいつもならもういくつかは巣と卵が見つかるものだが、今日はどうも見当たらない。
先程のタブンネの悲鳴を聞きつけ、他のタブンネは怯えて逃げたか姿を隠してしまったのかもしれない。
あきらめて引き返そうかと思った時、ちょっと開けた場所が見え、タブンネの親子の姿が目に入った。
父親らしいタブンネが子タブンネと遊んでおり、それを母親タブンネが笑顔で眺めている。
母親タブンネは卵を抱いていた。まあまあの代物だが、今日はあれで妥協するとしよう。

草むらを掻き分けて姿を現した俺に、タブンネ一家は警戒心を露にした。
母タブンネと子タブンネは、怯えた顔で父タブンネの後ろに姿を隠す。
「ミッ!」
父タブンネは両手を広げ、俺を通せんぼする。勇敢といえば勇敢、無謀といえば無謀だ。
卵をよこせ、などと言っても聞く耳を持たなさそうだ。だったら、いきなり実力行使するに限る。

俺はバットを父タブンネの脳天に振り下ろした。
「ミヒィーッ!!」
倒れる父タブンネの頭も背中も手足も、俺は見境なく殴打する。
「ミッ!ミギィ!ミヒィー!ビッ!ギィィィ!!」
父タブンネの全身はたちまち痣だらけになり、涙を流して『もう許して』と言いたげな悲鳴を上げる。
側では母タブンネが子タブンネを抱きしめて、ガタガタ震えていた。

俺は母と子に見せ付けるかのように、渾身の力を込めてバットを父タブンネの頭に叩きつけた。

一回。「ミギャアアーーーッ!!」
二回。「ギィィィィィィィ……!!!」
そして三回。「ゴバァッ…!!」

三回目で頭蓋骨が陥没し、血が吹き出した。全身をビクンと大きく痙攣させた父タブンネは動かなくなる。

「ミッヒィィーーー!!」「ミィィィィ!!」
その無残な姿に、母子は悲痛な声を上げて号泣する。しかし俺は容赦しない。
母タブンネに歩み寄ると、触覚をぐいっと引っ張った。
「ミヒッ!?」
「卵をよこせ。嫌だといったらこのガキを殺す。そいつよりもっと苦しめてもっと酷いやり方でな」

直接触覚を握って感情を伝えた母親はもちろんのこと、子タブンネにも俺の心が伝わったようだ。
2匹とも真っ青になって、何かの発作でも起きたかのように全身がガタガタ震えている。
母タブンネは滝のような涙を流し、迷っていたようだったが、もはや選択の余地などないことに気づいたようだ。
「ミ、ミィィ……」
震える手で俺に卵を差し出した。俺はニッコリ笑ってそれを受け取る。
卵さえ手に入れば無益な殺生をする気はない。俺はバットの血を、父タブンネの死体の毛皮で拭き取った。
「じゃあな、新しいパパでも見つけて、また卵を産みな」
卵をそっと抱え、立ち去る俺の背中のほうから、泣き声が聞こえてきた。
「ミィィィィ…!」「ミィッ、ミィッ…」
だが俺の心は晴れやかだった。

車に戻った俺は、卵が割れないようバスタオルでくるんで、助手席にそっと置いた。
エンジンをかけ、発車させる。相変わらずいい天気だ。気持ちがいい。
この卵からどんな赤ちゃんが生まれるかと思うと、自然に頬が緩む。

俺は卵が割れたりしないよう、安全運転で車を走らせる。
「一日でも長く赤ちゃんでいてくれよ」などと無理な願いを心の中で呟きながら。

(終わり)
最終更新:2015年02月11日 15:28