私はプロ野球の投手だ。しかし肘を痛め、昨シーズンの後半を棒に振ってしまった。
ようやくリハビリも終わり、医者から投げ込みを始めてもよいという許可をもらったので、
自宅周辺をランニングしつつ、本格的にトレーニングを再開しようとしているところなのだ。
近くの河川敷まで走ってきた私は、ストレッチで体をほぐす。
すると川の側の草むらに、タブンネの親子の姿が見えた。
ママンネが卵を温めている横では、ベビンネ2匹がチィチィとじゃれあっている。
ちょうどいい、トレーニングにつきあってもらうとしよう。
子供たちの遊ぶ姿を目を細めて眺めていたママンネが、私の足音に気づいてギクリと振り向く。
しかし私は有無を言わせずその首根っ子を引っ掴み、エビ反りにして肩の上に担ぎ上げた。
アルゼンチンバックブリーカーの体勢だ。
「ミッヒィィィ!?」
そして私はそのままスクワットを始めた。
「1、2、3、4…」
「ミッ!ミギッ!ミヒィ!」「チィーッ!チィーッ!」
頭上からはママンネの悲鳴が、足元からはママを放してとでも言っているらしいベビンネの声が聞こえる。
だが私は構わずにスクワットを続ける。何しろ約30キロはあるママンネを担いで屈伸しているのだ。
集中力を切らしては腰を痛める恐れがある。雑音には気を取られないに限る。
「98……99……100!」
100回でスクワットを終え、汗びっしょりの私はママンネを放り投げた。
「ミギィ……」
ママンネは血の泡を吹いて痙攣していた。ベビンネ達がべそをかきながらヨチヨチと駆け寄る。
体は十分に温まった。次はいよいよ肘の回復度合いのチェックだ。
巣の中には卵が3個あった。その内の1個を手に取る。
いきなり全力投球も怖いので、まずは小手試しとして、水切りの要領で川面めがけて卵を投げた。
「ミィィィィ!!」
ママンネの悲鳴が響く中、卵は1回も跳ねずに川の流れに沈んだ。
肘の痛みがないのはいいが、久々だったのでフォームが崩れている気がする。
2個目を手に取り、投球時のスナップを意識しながら放った。
「ミィーッ!!」
口から流れる血を拭おうともせず、再びママンネが叫び声をあげるが、今度は1回だけ跳ねた。
いい感触だ。勘が戻ってきた気がする。
3個目を手にすると、ママンネはもうやめてと言わんばかりに涙を流すが、止めようにも体が動かないようだ。
鋭く腕を振って投げられた卵は、3度水面を跳ねて飛んでゆく。
しかしそこまででかなりの衝撃だったらしく、空中で割れて黄味と白味が飛び散った。
「ミッヒィィーーーー!!」
泣き叫ぶママンネを尻目に、好感触を得た私は腕をぐるぐる回した。
肘の痛みは全くない。これなら本格的に投げても大丈夫だろう。
私はママンネにしがみついていたベビンネの1匹を掴み取った。
「ミィィッ!!」「チィーーッ!!」
親子の悲鳴が交錯する中、私はベビンネをぽんぽんと2、3回手の上で放る。
野球のボールよりはだいぶ重たいが、どれくらいいけるか試してみたい。
上空めがけて、私はベビンネを思い切り放り投げた。
「チィィ――――――………!!」
高々と飛んで行ったベビンネは、そのまま私のところへ落下してくる。
「………ィィ――――――!!」
「…よっと!」
我ながらナイスキャッチだ。手の中のベビンネは涙を流しプルプル震えている。
「そーれ、もう一丁!」「チヒィィィ――!!」
再び私はベビンネを投げ上げ、落ちてくるところを捕球体勢に入ろうとした。
「んっ…!」
ところが太陽の光がもろに目に入ってしまった。眩しさに私は目を覆う。
その一瞬で、私はベビンネを見失ってしまう。
「………ィィ―――…チギャアッ!!」
私の背後にベビンネは落下し、地面に叩き付けられてグシャッと潰れた。
「ミィィィヒィィィィィ!!」
号泣するママンネの声を余所に、私は苦笑した。
デーゲームの守備の時は、太陽光を意識するのは鉄則だというのに…凡ミスもいいところだ。
まあいい、そろそろ仕上げにするとしよう。
最後に残ったベビンネを、すがりつくママンネから引きはがす。
「ミッ、ミッ!ミィィ!!」「チィーーーー!!」
母子ともに泣き叫んでいるが、球場で飛ばされる野次に比べれば全く気にならない。
私は遠投のイメージで、ベビンネを川の向こう岸めがけて思い切り投げた。
「チィ――――――ッ!!」
くるくる回転しながら飛んで行ったベビンネが、落下地点で血しぶきを上げるのが見えた。
「ミ……ミィ………」
少々無理をしても痛みは感じない。もう問題なく復帰できるだろう。
ママンネはと言えば、手を伸ばした姿勢のまま固まって、ひたすら涙だけを流していた。
「あっ、パパよ」「パパー!」「パパも買い物行こうよー!」」
その時、河川敷の土手の上の道路に止まった車から、妻と二人の息子が降りてきて私に手を振った。
私も笑顔で手を振りかえす。確かにちょうどいい頃合いだ、今日はこれくらいにしよう。
茫然自失で抜け殻のようになったママンネを、私は再び担ぎ上げた。
「よーし、今日はタブステーキにしようか!」「やったー!」
跳ね回る息子たちに向かって、私は歩き出した。家族の笑顔と楽しい食事が何よりの活力源だ。
開幕一軍メンバーにはきっと入れる。私はそんな予感がしていた。
(終わり)
最終更新:2015年02月11日 15:28