小学校の校舎の裏手に、小さな飼育小屋がありました。
その中では1匹のタブンネが、生まれたばかりの卵を愛おしそうに撫でています。
「おっ、今日もたくさん産んだな」
そう声をかけながら小屋の中を人間の男性が覗き込みました。この小学校の理科の先生です。
先生は鍵を開けて小屋の中に入っていきます。
タブンネはたちまち暗い表情になると、卵から手を離し、おずおずと引き下がりました。
首につけられた鎖が冷たい金属音を立てました。
「じゃあいただいていくぞ。またいい卵を産んでくれよ」
先生は持ってきた籠に卵を入れると、小屋から出て再び施錠して去っていきました。
「ミィ……」
タブンネは深いため息をつくと、ごろりと横たわりました。
このタブンネは数日置きに人工授精され、卵を産ませるためだけに飼われているのです。
食事には不自由しません。肉食ポケモンに襲われる危険もありません。
しかしその代わり、自由も楽しみも喜びもないのです。
機械的に受精させられ、産んだ卵は即刻持ち去られます。
最初の頃は抵抗しましたが、殴られて痛い思いをするだけなので、もう反抗する気力も失せました。
ここに来てどれくらい経ったのか、何個の卵を産んだのかも、もはや覚えていません。
せめて卵から生まれた赤ちゃんを一目見ることができたら……
ですがそれも叶わぬ夢です。タブンネはただこの飼育小屋の中で生かされているだけの存在なのでした。
そんなある日、タブンネがぼんやり外を眺めていると、小屋の前を用務員のおじさんが歩いてきました。
両手にはゴミで膨れ上がったポリ袋を持っています。
その片方に切れ目が走ったかと思うと、袋に大きな穴が開き、中身のゴミがぶちまけられました。
「あーあ、おじさんダメじゃん」
「いやあ、ごめんごめん、やっちまったなあ」
通りかかった子供にからかわれ、用務員のおじさんは頭を掻きました。
「ああ、これか……危険物はここに入れちゃいけないって、言ってるのになあ」
どうやらガラスの破片が入っていたらしく、それがゴミ袋が破れる原因になったようです。
「危ないから触らないでくれよ、代わりの袋すぐ持ってくるから」
おじさんは予備の袋と、掃除用具を取りに走っていきました。
そのちょっとした騒ぎにも、タブンネは全く無表情でした。
長く続いた幽閉生活の為、感情が失われつつあり、大抵の事では心が動かなくなっていたのです。
ところが、その虚ろな瞳が大きく見開かれ、ゴミ袋に釘付けになりました。
破れた袋から散乱したゴミの中には、数匹のベビンネの死体があったからです。
タブンネの心臓が早鐘のように鳴り出しました。本能でわかったのです、あれは自分の赤ちゃんだと。
そして同時に悟ったのです。今まで持ち去られた卵が、どんな運命をたどったのかを。
そのベビンネの死体はいずれも無残なものでした。
理科の授業で解剖されたベビンネ達は、腹を裂かれて内臓を引きずり出され、
手足を切断されたり、耳や触角も切り取られたりして、五体満足なものは1匹もいません。
「ミィィィィィ!!」
タブンネは金網にしがみつき、涙を流しながら我が子達に呼びかけました。
当然のことながら返事はありませんでした。
しかしタブンネが叫び続けるうちに、その声が届いたのでしょうか。
物言わぬ肉塊の山の中から、1匹のベビンネがもぞもぞと動き出したのです。
他のベビンネは絶命していましたが、この1匹だけはかろうじて生きていたのです。
「チィ……チィ……」
ズルズルと内臓を引きずりながら、そのベビンネは必死にタブンネの方へ這ってこようとしています。
まだ目は開いていなくても、タブンネの声のする方へと懸命に近づいていきます。
「ミィッ!ミィィ!!」
その健気な姿に、タブンネの瞳からはまたも涙が滝のように流れます。
こんな金網さえなければ、すぐにでも抱き締めてあげられるのに……!
金網に指を食い込ませて揺さぶりながら、タブンネは我が子に向けて叫び続けます。
「チィィ……チィ………」
タブンネの飼育小屋まで、あとほんの1メートルくらい……
しかし親子は無情にも再び引き離されました。
「なんだ、まだ生きてたのか」
戻ってきた用務員のおじさんが、ゴミばさみでベビンネをひょいと掴んで新しいゴミ袋に放り込んだからです。
「チィ…」「ミィィーーーッ!!」
ゴミ袋の中からかすかに聞こえるベビンネの声。タブンネは号泣しながら金網にすがりつきます。
その声など聞こえないかのように、おじさんはベビンネの死体や散乱したゴミを片付けていきました。
「ミィッ!!ミィッ!!ミィッ!!」
「うるさいな、静かにしろよ」
タブンネがなぜこんなに泣き叫んでいるのか、用務員のおじさんはその原因にも気づかずに、
拾い集めたゴミ袋を持って、さっさと行ってしまいました。
「ミ、ミィ……」
がっくりと肩を落としたタブンネでしたが、今度は全神経を集中して耳を澄ませました。
タブンネはヒアリングポケモン。かすかな声でも、かなり遠くまで聞き分けることができます。
せめて1秒でも長く、我が子の声を聞いていたいと思ったのでしょう。
しかしそれは、さらに非情な現実をタブンネに突き付けることになりました。
「チィ……チ……チィ……………………チ………ヂッ!…ヂィィッ!!」
弱々しく、母親を探し求めるかのように鳴いていたベビンネの声が、次第に苦痛を伴ったものに変わってきました。
それと一緒に、パチパチと物が燃える音も聞こえてきたではありませんか。
そう、ベビンネは焼却炉の中で、ゴミと一緒に焼かれつつあるのです。
「ヂギィィィ!!ヂギャァァーーー!!」
「ミィィーーーーッ!!ミイイイイイーーーーー!!」
お願いだからやめて、その子はまだ生きているのにと、タブンネは泣き叫びながら訴えます。
しかし泣こうと金網をいくら揺さぶろうと、だれも耳を貸す者はいません。
「今日はタブンネうるさいね」「機嫌が悪いんじゃないの?」
通りかかる児童達も、特に気にすることなく行き過ぎていきます。
「ヂギィィーー!!……ヂィー!!……ヂィ…………ィ……ィ……」
ベビンネの地獄の叫び声は次第に弱くなっていき、やがて途絶えました。
「ミ……ミェェェェェェェェン!!」
タブンネは飼育小屋の地べたに崩れ落ち、声の限り泣き続けるのでした。
「あれ、おかしいな。今日も産んでないのか。もう2週間もゼロなんて…」
卵を回収に来た理科の先生は、怪訝そうに首をかしげました。
飼育小屋の隅では、タブンネが耳を押さえ、小刻みに震えながら丸くなってうずくまっています。
あれからというもの、いくら人工授精してもタブンネは1個も卵を産まなくなってしまいました。
ベビンネの断末魔の声が耳から離れず、卵の運命を思うと、産めなくなってしまったのです。
「仕方ないな、こいつも御役御免か……ん、そうだ、明日のあれにちょうどいいかも……」
先生は、携帯でどこかに電話をかけ始めました。
翌日、飼育小屋にやってきた先生は、タブンネの首の鎖を外しました。
「ミィ…?」
「今までご苦労だったな、お前の役目は終わりだ」
先生はタブンネに、小屋の外に出るよう促します。
やっと自由になれるんだと、タブンネはぼんやり思いました。突然のことであまり実感が湧きません。
しかしそれは一瞬の甘い夢でした。
「でもせっかくだからな、最後まで子供達の役に立ってくれよ」
タブンネの周りを、他の数人の先生が取り囲みました。みんなでタブンネを押さえつけ、地面に腹這いにさせます。
「行きますよ、せえの!」
「ミッ!?ミーッ!!ミー…ミガァァァァーーーッ!!」
抵抗する暇もなく、タブンネの口から太い金属棒が突き刺されました。先端が尻尾の辺りを突き破って出てきます。
さらに、暴れないようにと手足が針金で縛り上げられました。
「ミギィ、ゴァァ…」
「じゃあ、気を付けて持ち上げてください、1、2の、3!」
先生達は、悶え苦しむタブンネの上下から突き出した金属棒を担いで、どこかへ運んでいきました。
タブンネが運ばれていったのは、学校のグラウンドでした。春休みのPTA謝恩会が開かれているのです。
大勢の父兄や児童が、ミニテーブルやビニールシートを敷き、料理を持ち寄ってわいわいと楽しくやっています。
「はい皆さん、いよいよ今日のメインのタブンネの丸焼きの準備ができたようですよ」
司会の先生がマイクで説明すると、大人も子供もどっと歓声を上げます。
グラウンドの中央には、コンクリートブロックで組み立てられた簡易バーベキューコンロが設置されていました。
中には高熱の炭火が赤く燃え盛っています。
「それじゃゆっくり置きますよ、せえの!」
先生達は息を合わせて、担いだ金属棒を降ろします。タブンネの全身が炭火に押し付けられました。
「ゴギャァァァーーーー!!」
肉がジュッと焼ける音と共に、タブンネは絶叫しながら暴れます。
しかし頭から尻まで金属棒で串刺しにされ、手足も針金で縛られているとあっては、全く空しい抵抗でした。
「我が校で飼育しているタブンネですが、新しいものと交代するということで、せっかくですので
この謝恩会でみんなで食べようということになりました。
今まで授業の教材を提供してくれたタブンネですので、みんな感謝して食べましょうね」
「はーーーい!!」
児童達は元気に返事しましたが、タブンネにとってはそんな感謝のされ方をしてもたまったものではありません。
「ミガァァァァ!!!ギイィィガバァァァァァ!!」
ピンクの毛皮も尻尾も既に燃え尽き、全身炎に包まれてジュージューと香ばしい匂いを上げて焼かれるタブンネ。
なまじ生命力が強いだけに、息絶えるまでに30分近くも、ベビンネ達と同じ苦しみを味わう羽目になったのでした。
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そして新学期。
「ミッミッ?」「よーし、今日からここがお前の家だぞ」
業者の軽トラックに乗せられて、新しいタブンネがやってきました。
「こいつもいい卵を産むと思いますよ」「ええ、期待してますよ。ご苦労様でした」
業者の男と理科の先生の会話をよそに、タブンネは自分がどこに連れてこられたのかもわからず怪訝な顔です。
「ミィミィ……ミッ!?」
しかしその顔は、飼育小屋に入れられて首に鎖をつけられると、たちまち真っ青になりました。
「ミィィィィィ!!」
「騒ぐな騒ぐな、すぐに慣れるさ。卵さえちゃんと産んでくれれば大切にしてやるからな」
こうしてまた、新たなタブンネの地獄が幕を開けたのでした。
(終わり)
最終更新:2015年02月11日 15:41