新しいママ

「こちらの2匹を見てください。ほら、私の手の中で転寝しちゃって。本当にかわいい。」
店員の女がまるで自分の腹を痛めて産んだ子供のように、愛おしそうに2匹のベビンネを眺めながら俺の元へもってくる。ベビンネは女の手の上でエビのように丸くなりながら、寝ぼけているのか、目を瞑りながらもう一匹のベビンネの触覚を小さな手で握りチュパチュパとしゃぶっている。それ以上俺に近づくな。化粧水と趣味の悪い香水の混ざり合った匂いで吐きそうになるんだよ。
「本当にかわいいですね。産まれてどれくらいなんですか?もう乳離れを?」
俺は適当に相槌を交わしながら肝心の質問をする。女はこくりと頷くと、悪臭を周囲に振りまきながら手振りをそえて説明を始めた。
「ええ。当店では乳離れがすんだ子しか販売しておりません。授乳期間中は睡眠時間も不定期ですし、無理に親元から離すと母乳から十分な免疫を得ることが出来ませんから。なのでご購入されたお客様にはは最低限の・・」
俺は女の説明を受けながら、愛想笑を浮かべつつさも興味がありそうな素振りで頷く。肝心の質問はもう終わった。早く会話を切り上げるために、俺はズボンの後ろポケットから財布を取り出す。
「その2匹、気に入りました。ゲージも一つください。お幾らですか?」
女は営業上のものか本心からかはわからないが、笑顔を見せてレジに向かった。女がレジを打っている間にとある商品が目についた。4980円と書かれた値札の上には「ポケリンガル」と商品名が記入されている。俺はその商品を手に取ると、レジを打っている女に声をかける。
「すいません。これもください。」

ベビンネ達の入ったゲージを手に自宅へと戻ってきた。亡き両親から受け継いだ一軒家だ。俺はここで一人で生活している。俺は物置にしている薄暗い部屋へとやってくると、ゲージを床へがしゃんと乱暴に落とした。ゲージの中で転寝していたベビンネ達はその衝撃に飛び起きると「チィ、チィ・・」と鳴きながらゲージの中をヨチヨチと歩きまわり始めた。俺は早速ポケリンガルを取り出すと、「翻訳」と書かれたボタンを押す。
『こわい くらい ここどこ? ママ ママ』
ポケリンガルにはそう表示された。たどたどしい翻訳ではあるがあの値段ならこの程度だろう。しかし『ママ』という言葉は嬉しい誤算だった。乳離れがすんだとはいえまだ母親が恋しい月齢ということか。俺は床に置かれたゲージの高さまで腰を下ろすと、ゲージをこつこつと手で叩きベビンネ達に気付かせる。ベビンネ達は知らない男の登場に驚いたようで、ゲージの反対側までヨチヨチと歩いていくと、俺の顔を恐ろしそうに見つめ2匹で寄り添いプルプルと震えている。俺はそれにたいして諭すように声をかける。
「やあ。俺がお前達の新しいママだ。そして早速で申し訳ないんだが、お前達はここで死ぬことになる。」
ベビンネ達は俺の言葉を受けると『信じられない』という感情と恐怖が入り混じった表情を浮かべ、俺に背を向けゲージの反対側をカリカリと引っかきながら「チィチィ・・チィチィ・・」と震えまじりの声で亡き始めた。
『こわい こわい ママ たすけて ママ たすけて』
俺はその表示に笑みをこぼすのを禁じえなかった。俺は物置の壁、ゲージがよく映るポジションに監視カメラを設置し、遠隔操作可能なサウンドプレイヤーを物置の影に隠すと、リビングに戻るため踵を返した。背中から聞こえる「チィチィ・・」という脅えた鳴き声がなんとも心地良かった。

俺はリビングでパソコンのモニターをつけ、簡単なセッティングをする。テレビとパソコン、ゲームハードとランニングマシンしかない質素なリビングだが、一人で生活するには十分だ。物置の映像がモニターに浮かびあがった。まずは飢えと渇きを存分に味わってもらおう。ベビンネ達は俺が去ったことで若干冷静を取り戻しているが、やはり断続的に「チィ・・チィ・・」と寂しげな鳴き声を上げながら、ゲージの中をヨチヨチと歩きまわっている。
『くらい こわい あし、つめたい ママ ママ』
中々順調な出だしだ。これは人間にも言えることだが、生物は寒さと飢えと渇きには耐えられないという。生命の存続に直結する危機だからだ。俺は今後の作業の事も考え、サウンドプレイヤーのキーを叩いてみた。すると物置のなかに『グルルルル・・』とうすら恐ろしい呻き声が木霊する。それを聞いた刹那ベビンネ達はブルーの瞳を見開くと、2匹で示し合わせたように、柔らかいお腹をポテンと床に着けホフクの姿勢でプルプルと震えはじめた。この光景には俺も思わずふふっと笑い声が漏れてしまった。サウンドプレイヤーから流しているのは以前テレビでやっていた『肉食ポケモン特集』で、捕食側が被食側を追い詰めた際の威嚇の鳴き声を録音したものだ。
ベビンネ達が腹ばいになったのは恐らくだが茂みの中などで捕食者から身を隠すための本能的なものだろう。そしてさっきまで上げていた鳴き声を潜めたのもそれにつながると思われる。生物が野生において鳴き声を上げる行為は、仲間に自分の存在、意思を伝える重要な行為である反面、状況によっては捕食者に自分の位置を知らしめることになるリスクもはらんでいる。俺は床に腹ばいになり、その大きな耳の先までプルプルと震える様を存分に鑑賞すると、サウンドプレイヤーのキーを再び叩いた。物置に再び静寂が訪れる。ベビンネ達はまだしばらく腹ばいのままプルプルと震えていたが、危機が一時的にかもしれないが去ったと判断したのだろう、再びおぼつかない足取りで立ち上がると、「チィィ、チィィ・・」と先ほどより一段と脅えた鳴き声を上げ始めた。
『たべられちゃう たべられちゃう ママ たすけて ママ こわい』
予想通りというべきか、予想を上回るというべきか、実にいじらしい反応が返ってきたのに俺は心の底から嗜虐心がわき上がるのを抑えられなかった。俺は興奮を抑えるため煙草に火を灯すと、モニターに向けて紫煙を吐き出す。紫煙の向うのモニターでは、ベビンネ達が遥か彼方の『ママ』を求めて右往左往していた。

物置に監禁してから約4時間が経過した。物置のベビンネ達は自らがした便や尿でよごれた床をヨチヨチと歩きながら、相変わらず「チィ、チィ・・」と断続的に鳴いているが、この時間を境にポケリンガルの表示に新たな表示が加わり始めた。
『くらい こわい のどかわいた おなかすいた ママ ママ』
『のどかわいた おなかすいた』という言葉におれは歓喜した。これを待っていた。俺の計画にはこのプロセスは必要不可欠だからだ。ベビンネ達は「チィ!チィ!」とだんだん語気を強めていく。今までは鳴けば親が、店員が、だれかが餌を持ってきてくれたんだろうが、今は違う。だがそれ以外の手段を知らないのだろう。知っていたところでこの状況下ではどうしようもないが。まるで椅子取りゲームをやっているかのようにゲージの中をヨチヨチ歩いているベビンネを見た俺に再び嗜虐心が沸き起こり、イタズラとして再びサウンドプレイヤーのキーを叩く。するとベビンネ達は自らの糞尿まみれの床にペチャリと腹ばいになり、耳を塞ぐような姿勢でプルプルと震えていた。皮肉なことにその短い腕では自らの耳を塞ぐには至らなかったが。

それからさらに1時間が経過した。ベビンネ達の行動に顕著な変化が現れ始めた。さっきまでは常にヨチヨチとゲージの中を歩き回っていたが、今はゲージの隅に2匹で寄り添い合い、時折思い出したように「チィィ・・チィィ・・」とか細い声を出すのみになってしまった。それをすかさずポケリンガルで翻訳する。
『のどかわいた おなかすいた オボン オボン ママ ママ』
ベビンネ達は誰が見ても判るくらいに衰弱してきている。そろそろ実験を行動に移していい頃合だろうか。俺はモニターの前で思案していたが、その時一匹が予想外の行動に出た。自らが出した糞尿に近づいていくと、それを小さな手ですくい上げ、口にしたのだ。しかしいくら空腹とはいえそんなものを体が受け付けるはずがない。そのベビンネは口に入れた汚物をゲッと吐き出すと、再びゲージの隅に戻り「チィィ・・チィィ・・」とか細い鳴き声を上げ始めた。
『まずい くさい オボン オボン ママ ママ』
しばらくはくどいくらいに鳴いていたが、しばらくするとベビンネ達はゲージの隅でウトウトとし始めた。鳴き疲れたのもあるんだろうが、これくらいの月齢では定期的な睡眠は必要不可欠だ。ベビンネ達を眺めていると、そのうち大きな頭をコテンともたげて眠り始めた。だがこれも俺にとっては想定内だ。俺はすかさずサウンドプレイヤーのキーを叩く。
『グルルルル・・』物置に鳴り響く捕食者の鳴き声にベビンネ達はもたげていた頭をハッと上げると、ヨチヨチとしながらも急いで再び汚物まみれのゲージの床にペチャリと腹ばいになりプルプルと震え始めた。2匹で寄り添ってプルプルと震える姿は実にいじらしい。ベビンネ達の顔にカメラをズームアップしてみると、ベビンネ達は口を半開きにし、そのブルーの瞳からポタポタと涙を流していた。俺は今はベビンネ達に何も与えるつもりはない。水も、食事も、睡眠も、同情もな。

それから何時間経っただろう。俺はベビンネがチィチィと鳴き疲れ、脅える姿を観察し、一時の休息の際に眠ろうとするとすかさずサウンドプレイヤーのキーを叩く作業を続けていた。ベビンネ達は腹ばいのままほとんど動かなくなった。恐らく断続的に鳴いているせいで喉もからからなのだろう。可愛らしい鳴き声はまるで嗄らした様になってしまい「ヂィ・・ヂィ・・」となんとか喉の奥から搾り出すのが精一杯のようだ。
そろそろ頃合だな。食事、水、そして睡眠を長時間にわたって奪われたベビンネ達に、もうまともな判断力は無いだろう。そう判断した俺は昨夜のうちに調理しておいた2種類のある物の天ぷらと、薄い皿に水を張った物を取り出すと物置へ向かった。物置に入るとベビンネ達の汚物の臭気が鼻腔に刺激を与える。自分でしたことながらこの場所には長居したくはなかった。ベビンネ達は俺の姿を見るや否や「ヂィ・・ヂィィ・・」とか細い声で鳴きながら、俺の方向へと汚物の上を這ってくる。ポケリンガルを見てみると『たすけて たすけて オボン オボン』と表示されていた。最初に声を掛けた時とはえらい違いだ。俺はゲージの蓋を開けると、ゲージの中に天ぷらと水を置く。
「ほら、これを食え。」
俺がゲージの蓋を閉めるのと同時に、ベビンネ達はブルーの瞳を見開いて必死の形相で天ぷらの乗った皿へと向かうと、まるで意思のない獣のように天ぷらを貪り始めた。はじめこそは何も言わずにただ貪るのみだったが、しばらくすると天ぷらを咀嚼しながら「チュィ・・チュィィ・・」と涙を流して鳴き始めた。
『おいしい おいしい ありがとう ありがとう』
そうか。そいつはおいしいのか。ベビンネ達はあっという間に天ぷらを完食するとこんどは水に向かってヨチヨチと歩いていき、皿に顔をつけてガブガブと水を飲んでいた。その際にも「チュィ、チュィ・・」『ありがとう ありがとう』とベビンネ達は鳴いていた。


(これより便宜上Aの天ぷらを食べた方をAンネ、Bの天ぷらを食べた方をBンネと表記します)

俺は再びリビングへ戻り、モニターを通じて物置の中を注視する。
ベビンネ達は久方ぶりの食事に満足したようで、さっきまでの悪夢など無かったように「ミッポ!」「ミップ!」とゲップをすると、汚物で汚れていない地面をさがし、そこにペタンと倒れこむと、ここに来て初めての安眠を貪り始めた。時折「チチュゥ・・」と聞こえる寝言が愛らしい。だが異変は30分もしない内に現れた。
Aンネが突然眠りから覚めたかと思うと「チェェエェエ!!」と嘔吐を始めたのだ。Bンネもそれに驚き目が覚めたようだ。四つんばいになって激しく嘔吐するAンネのところにヨチヨチと駆け寄ると「チィ!チィ!」とけたたましく鳴き声を上げる。恐らくAンネの身を案じているのだろう。ポケリンガルを見ると『たいへん たいへん びょうき びょうき』と表示されていた。BンネはAンネの尻の方向から、小さい手でヨタヨタとAンネの背中をさすっている。その甲斐あってか、Aンネの嘔吐はおさまったようだ。
だが、次にAンネはその四つんばいの姿勢のまま、激しく下痢をし始めた。それは固形の便とは程遠くほぼ液体で、運悪く尻の方向にいたBンネの顔に激しくかかってしまう。
「チュプッ・・!チィィ・・チィィ・・」BンネはAンネの尻からゲージの端まで引き下がると、汚れた顔を短い手でゴシゴシと擦り始めた。
『くさい くさい きたない きたない』
Aンネは下痢をし終わると体が汚れるのも厭わず地面にペタンと倒れこむ。今度は激しい痙攣が始まったようだ。
カメラをズームアップしてAンネの顔を眺めてみると、Aンネの顔は汚物にまみれ、瞳から大粒の涙を流し、舌を苦しそうにペロンと出して「チ・・ヂィ・・」と呻いていた。俺はポケリンガルを覗きこむ。
『おなかいたい きもちわるい ママ たすけて ママ たすけて』

すると今度は顔をゴシゴシとこすって汚物を落とそうと奮起していたBンネにも異常がおこる。
「チィ?・・・チィ・・ヂィィィイィィ!!」
Bンネは突如何かに取り付かれた様に背中から床に倒れこむと、涙と涎を振り撒きながら、手足をパタパタを振り回しはじめた。端から見るとまるで子供が駄々をこねているようだ。今度はBンネをズームアップする。すると、体の四肢の先端、耳の先端部、陰茎までもが、まるで巨大なムカデに刺されたように赤く腫れ上がっていた。先ほどの悲鳴をポケリンガルで翻訳してみる。
『おてて いたい みみ いたい ママ たすけて ママ たすけて』
俺は実験の成功に歓喜していた。実はAンネが食べたのはツキヨタケというキノコの天ぷら、Bンネが食べたのはドクササコというキノコの天ぷらだ。どちらも大変有毒な部類のキノコでツキヨタケを摂取したときの症状は激しい腹痛、嘔吐、下痢、体の痙攣など、そしてそれが一週間続くというから恐ろしい。そしてBンネが食べたドクササコ。こちらは体の四肢の先端、陰茎までもが赤く腫れ上がり激痛を伴う。それが約一ヶ月続く。その痛みはまるで焼けた鉄を押し付けられるようとまで評される。痛みに耐え切れず自殺する人間もいるほどだ。
まさにケージの中は地獄絵図と化していた。うつ伏せのまま嘔吐と下痢を繰り返し、「チヒィ・・チヒィ・・」と声も絶え絶えに鳴きながら痙攣によって激しくバイブレーションしているAンネ。「チギュピィィィ!!」という激しい悲鳴を上げながら真っ赤な四肢を振り乱しているBンネ。俺はダメ押しとばかりにサウンドプレイヤーのキーを叩く。またも物置に『グルルルル・・』という捕食者の鳴き声が響き渡る。するとベビンネ達はビクリと跳ね上がり、息も絶え絶えの体に鞭打ってうつ伏せになる。しかし自らの身を襲う苦しみには耐え切れない様で「ヂィ・・ヂィィイ・・」と涙と涎をポタポタと垂れ流しながら、まるで芋虫のように体をクニクニと動かしている。
『いたい くるしい こわい ママ ママ どこ どこ たすけて』
俺はポケリンガルを眺めながら失笑を禁じえなかった。ママは何処にいるかだと?言ったろ?俺がお前らの新しいママだ。管理してやるよ。お前らの食事も、睡眠も、痛みも、苦しみもな。俺は煙草に火を点け、ゆっくりと紫煙を吐き出す。あと一週間はこいつらで遊べそうだ。俺はモニターを眺めながらそう思った。

〔終〕
最終更新:2015年02月18日 19:04