【名前】柳生連也斎
【よみがな】やぎゅうれんやさい
【生没年】1625年 - 1694年
【現時点】1651年、26歳時点
【流派】新陰流
【簡単な来歴】
柳生厳包。連也斎は号。尾張藩剣術指南役・柳生利厳の三男であり
柳生石舟斎の曾孫にあたる。
石舟斎から新陰流の正統を継いだ父を持ち、父以上の実力と謳われた天才剣士。
新陰流の正統五世となり「刀法の尾張柳生」を完成させる。
母方の祖父に石田三成配下の猛将・島左近がおり、少年時代は
島家を再興させるため島氏を名乗り父の元を離れて養育されていた。
終生妻子をもたず、死後は遺骸を海に撒かせるなど
独特の価値観をもっていたことが窺われる。
伝承では1651年の「慶安御前試合」にて将軍家剣術指南役・柳生宗冬と対戦。
宗冬の手を打ち砕いて勝利したとされる。
史実としての信憑性には疑問があるが、尾張柳生家には
「宗冬の血痕が付いた連也斎の木刀」なるものが
昭和時代まで秘蔵されていてしばしば披露されたという。
新陰流の正統を伝える尾張柳生家であるが、身分の上では500石の陪臣に過ぎなかった。
柳生の本家を継ぎ大名にまでなった江戸柳生家への
対抗意識をうかがわせるエピソードである。
本ロワには御前試合の直前から呼ばれた設定で参戦。
最終更新:2009年08月09日 17:47