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傘で飛ぶ式神を追って走る沖田総司
創造主である果心居士を失い、戦場から離脱して近藤勇のいる村址の方角へ向かう法師型の式神を追って沖田は駆けていた。
式神が入った傘が地上に近付いた機を逃さず無限刃で一撃を加えるが、燃え上がる傘から法師が飛び出し、疾走を始める。
沖田も再び駆け出すが、元となる果心の弟子が山を駆けて修行していただけあって、式神の速度はかなりのもの。
忍び並の速度で走る式神法師に何とか追い付き、攻撃を仕掛けようとした沖田は、いきなり後方に跳ぶ。
追い付かれた法師が反撃に出る気色を感じて避けた、という訳ではない。
その証拠に、駆けていた法師は沖田が攻撃を仕掛ける前に両断され斃れたのだから。
「これはこれは……柳生兵庫助様」
法師を斬り倒した剣士に声を掛ける沖田だが、その口調はいつもの強い剣客に出会った時のものとは少し違う。
何故なら、柳生兵庫助は沖田の師である近藤と勝負の約束をした剣客であり、兵庫助が来たのは近藤が居る筈の方向からなのだから。
「もしかして、近藤さんと勝負を済ませた後ですか?」
それで兵庫助が元気でいるのならば、即ち近藤が敗れたという事を意味するのだが……
「いや、約束の場所には誰もいなかった」
つまり、兵庫助との約束があり、沖田が戻って来る可能性があるのを知りながら、近藤は彼等を放置して立ち去ったという事か。
「なるほど……」
近藤との長い付き合い故か、或いは単に事態を都合良く解釈しただけか、沖田はすぐに師の意図を解釈する。
「近藤さんは貴方との勝負を僕に譲ってくれたという事ですね」
そう言って沖田は剣を構える。
兵庫助としても、近藤の意図がどうあれ、現にこの場には沖田しか居ないのだから否も応もなく、沖田に立ち向かった。

沖田と激しく渡り合いながらも、兵庫助はその背後に近藤勇の影を意識せずにはいられなかった。
尤も、沖田の剣技に近藤の色が特別に強く表れている、という事ではない。
才に溢れる沖田は近藤から学んだ天然理心流を充分に身に付けてはいるが、それ以外にも多数の技を修得している。
己の創意で生み出した技、他流試合や京での闘いの中で敵や仲間から盗んだ技、そしてこの御前試合で新たに学んだ技……
故に沖田の戦い方は天然理心流が基幹となってはいても独自色が強く、我流の剣客を思わせると言っても良いだろう。
我流の剣客と言えば兵庫助の知己には宮本武蔵が居るが、武蔵は幼い頃に父と袂を分かち、単独で剣を修めた剣客。
対する沖田は生涯を師の傍で過ごしたにもかかわらず、ここまで我流に近い剣士になるとは……
そこに、兵庫助は師匠としての近藤の意志を読み取り、意識せざるを得ないのだ。
兵庫助もまた、息子の厳包を初めとして、才に溢れた剣士を幾人も育てて来た一流の宗家。
また、もう少し遡れば、兵庫助自身が最高の天才剣士として一族先達の期待を一身に受け、育て上げられた剣士でもある。
だが、兵庫助は弟子を育てる時も、育てられる時も、ただ剣客としての才を伸ばすだけでなく、流派の発展も考えに入れていた。
流派全体としての整合性、新陰流の剣客として恥ずかしくない人格、磨いた技を後世に伝える為の教授法の修得等。
対して沖田の技には、流派の完成や弟子の育成を考慮された形跡がなく、生のままに才能を伸ばす事だけを考え育てられたようだ。
近藤は沖田を己の後継者と目していたと聞くし、その経歴からしても流派の発展と名声に興味がなかった筈がないのだが……
それでも、弟子の才能の開花を第一に考えるのが近藤の師としての流儀という事か?
兵庫助としては、自身が受けた、そして子や弟子達に施した指導に関して、不満がある訳ではない。
しかし、流派の未来を第一に考えて弟子を育てたのにも拘わらず、後世における尾張柳生の剣は兵庫助から見れば不満足なもの。
もしも、初めから後世の事など考えず、才能を十全に伸ばす事だけを考えて修行と指導を行っていたならどうなっていたか。
兵庫助としては、沖田と戦いながらも、彼を育てた近藤勇へと思いを馳せずにはいられなかったのだ。
そしてその為に、兵庫助はそれを見るまで、沖田の企みを見抜く事が出来なかった。

闘いの中、沖田は徐々に兵庫助を誘導し、先に斬られた式神の死骸……もしくは残骸の傍まで移動していた。
尤も、この場合に重要なのは法師の式神ではなく、それが得物として持っていた薙刀なのだが。
戦国の遺風がまだ色濃く残っていた頃の剣客らしく、柳生兵庫助は剣術以外にも様々な武芸を学び、修得済み。
中でも薙刀術に関しては、阿多棒庵なる達人から新当流の流れを汲む穴沢流薙刀術を伝授され、奥義を極めている。
対して沖田の生きた時代に於いては、薙刀は兵器の主流から外れた武器。
沖田には薙刀の心得など殆どない上に、薙刀の使い手との対戦経験もごく僅かだ。
近在の柳剛流道場との抗争で、脛斬りに対して棒術に由来する対薙刀用の防ぎ手を応用した事はあるが、所詮はその程度。
兵庫助のような本格的に薙刀を極めた達人に打ち勝てる程の心得はとてもあるまい。
加えて、互いの得物の種類が別々となれば、闘いの中で相手の技を学び即座に修得する沖田の才もほぼ無意味化する。
そしてそれ故にこそ、兵庫助は薙刀を手に取る訳にはいかないのだ。
もしも兵庫助が剣と同等かそれ以上に薙刀を得意とする武芸者であれば良かったのだが、彼にとって武の本道はあくまで剣。
これが宮本武蔵のような兵法者なら相手の弱点を衝く為には迷わず薙刀を使うかもしれないが、兵庫助の行く道は武蔵とはまた別。
剣を捨てて薙刀を取れば、それは兵庫助にとっては沖田の剣の技と才から逃げたに等しく、そんな選択は有り得ない。
とはいえ、目の前に薙刀があれば意識してしまうのは避けられないし、そうなればどうしても集中が削がれる。
刹那の時間と紙一重の間合いを争う兵法勝負では、僅かに気が散漫になるだけでも致命的。
よって、この状況で兵庫助が取るべき手は一つ。
攻防の隙を縫って足で薙刀を跳ね上げると、兵庫助は一刀の下に切断・破壊した。

だがそれは無論、沖田の計算の内。
そもそも闘いの中で兵庫助の気質と薙刀の心得を読み取った沖田が、敢えて戦場を薙刀の傍に誘導したのだから。
兵庫助が薙刀を破壊するのに合わせて、沖田は必殺の突きを放つ。
この時、兵庫助の視界からは、破壊された薙刀の破片の陰となり、沖田の手元が視認できない。
手元が見えなくては、突きの軌道や変化が正確には測れず、回避するのは困難。
薙刀を破壊した剣を即座に引き戻して防御しようとする兵庫助だが、不十分な体勢で沖田の渾身の突きを受け切れるかどうか。
故に、兵庫助は全身の剣気を一気に放出して沖田にぶつける。
剣気で物理的に剣を止める程の技はないが、新陰流を窮めた兵庫助の気力は、練達の剣士の動きを止めるのに充分。
沖田が修めた天然理心流は気組みを重視する流派だが、既に気合術を失伝し必然的に気合術への対抗策をも忘れてしまっている。
兵庫助の気迫に屈し動きを止められる事はないだろうが、発せられた剣気を逸らしたり受け流す心得はない筈。
気組のぶつかり合いで多少なりとも速度が落ちれば防御の準備は十分に整う、というのが兵庫助の目論見。
死力を振り絞っての際どい勝負に、兵庫助の心は滅多にないほど昂揚していた。

沖田の突きを凄まじい剣気で迎撃する兵庫助。
傍から見る者があれば、その者は兵庫助の前面に重厚な盾が現れ、そこに沖田の剣が突き込まれる光景を幻視しただろう。
気力の盾はさすがに沖田の一撃を防ぐ事はできず盾には穴が開くが、兵庫助の目論見通り、いくらか速度が鈍る。
そこを兵庫助の太刀が迎え撃つが、剣と剣がぶつかり合う寸前に、沖田の刀が消失した。
と言っても、種を明かせば話は簡単、沖田が兵庫助の受け太刀の直前から一気に剣を引き戻したのだ。
そして間髪を入れず、沖田は二発目の突きを、初めの突きと全く同じ軌道で繰り出す。
(三段突き!?)
主催者側にいた剣客として、兵庫助はこの御前試合に参加している各剣客について、ある程度の情報を持っている。
当然、沖田の得意技……全く同一の軌道の突きをほぼ同時に放つ三段突きも、概要くらいは把握していた。
今、兵庫助が気力を振り絞って創り出した剣気の盾は、沖田の一段目の突きにより、いわば穴を開けられた状態。
すぐに同じ軌道で突きを放たれれば、防ぐには気に頼らず己の剣で防御するのみ。
だが、三段突きで剣が引かれてから次の突きが繰り出されるまでの猶予はほぼ零、とても体勢を完全に整える暇はないだろう。
仮に不完全な状態で何とか一撃を防げたとしても、体を崩された所へ次の一撃を放たれれば、そこで詰み。
(ならば、刺させてやろう)
兵庫助は覚悟を決める。
危機に際しては自ら刃の下に飛び込み、敢えて身を斬らせる代わりに敵を討つのが新陰流の意気。
剣で沖田の突きを受けようとすると見せかけ、直前に軌道を変えて攻撃へと転じる、というのが兵庫助の戦術。
沖田の突きは身体で受ける事になるが、剣の通る軌道が正確にわかっているのだから、身を反らせて急所を僅かに外すくらいは可能。
三段突きの二段目ならば引き戻す事を前提にしている分、一撃の突進力は抑えられるだろうし。
筋肉を引き締めて一瞬でも沖田の突きを受け止める事が出来れば、兵庫助の側が先に致命傷を与えられる筈だ。
沖田の突きの軌道が兵庫助の剣と接触する瞬間、兵庫助が攻撃に転じ、勝負は一気に動き出す。

兵庫助の一撃を受け、沖田は地に倒れ伏す。
だが、倒れつつも沖田は兵庫助の脚を薙ぎ、兵庫助が背後に跳躍して躱した隙に立ち上がる。
沖田の身体の何処にも、切られた傷は一切ない。
それもその筈、兵庫助の剣撃は刀身ではなく鍔で沖田の肩を打つに留まったのだから。
兵庫助が防御の構えから攻撃に転じる瞬間、いやその一刹那前に、沖田が三段突きを中止して全力の突進に切り替えたのだ。
今までの戦いから兵庫助が捨て身の攻めに出ると読んだのか、或いは剣客としての勘なのか……
どちらにせよ見事な洞察、加えて間違えば即座に敗北に繋がる決断を即座に下せる果断さ、天才と称されるに相応しいと言えよう。
そして、己の状態を確認した兵庫助は、この闘いにおける勝利と、勝利へつながる道筋を、はっきりと認識したのであった。

あらためて剣を構え、己の状態を確認する兵庫助。
沖田の渾身の突きによる傷は臓腑に達しているが、今の所は動きに支障はない。
しかし、この闘いで沖田を斃す事は不可能であろうと、兵庫助にはわかっていた。
仮に沖田を討ったとしても既に受けた傷は深く、兵庫助が腕を万全に振るえる機会は殆ど残されていないだろう。
尾張柳生の真価を見せるべき者達はまだ数多いのに、殆ど出来ないままに兵庫助の剣は絶える事となる。
そして今、兵庫助の眼前には、己の剣を自身の死後も残す事の出来る手段が存在しているのだ。
沖田総司……先程の、瞬時の判断で三段突きを中止して渾身の突進に切り替えたのは、正に柳生の肉を切らせて骨を断つ捨身の心。
対峙する中で、沖田は兵庫助の心を鏡に映すように学び取り、新陰流の神髄の、かなり深いところまでへと達していた。
兵庫助の残された時間を全て使い沖田に尾張柳生の極意を敢えて盗ませる事で、己が技を死後も遺す事が可能かもしれない。
それは剣の道としては邪道、しかし心に浮かんでしまった邪念は、振り捨てようとしても簡単ではなく心を苛むもの。
邪念は未練となり、未練は恐れとなり、恐怖が生む心と技の乱れは、一流の剣客同士の闘いでは明確に勝負を分ける程に決定的な瑕疵。
つまり、沖田の才を見せ付けられ重傷を負った以上、沖田と渡り合って斬る、というのは既に兵庫助には不可能なのだ。
となれば、せめて己の技だけでも残すのが次善の策とも言えよう。
何より、あの時、沖田が得意の三段突きを捨てて刃の下に飛び込んで来た時、兵庫助は確かに己の勝利を感じたのだから。

嘗て、柳生石舟斎は後継者と思い定めた兵庫助を兄弟子や見込んだ達人の下に送り、その技を学ばせ、或いは盗ませた。
そうして得た技、或いは兵庫助自身の着想により新陰流の技法を変化させる事を石舟斎は鷹揚に許したが、やはり寂しくはあったろう。
若き天才剣士から多くの弟子を抱える身へと変わった今の兵庫助にはその気持ちがわかる。
故に、沖田が天然理心流の中で編み出した三段突きを捨てて新陰流の捨身の心を取った時にはそれを勝利と感じたのだ。
(成程、これが勝負という事か)
兵庫助との勝負を約しておきながら、兵庫助が来た時には姿を消していた沖田の師、近藤勇。
だがそれは約束をすっぽかしたという訳ではなく、沖田総司という才能を通しての勝負を持ちかけたのかもしれない。
これまでに闘った各流の剣客の技を取り込み半ば我流にさえ思えるとはいえ、現在の沖田の剣術の基幹はやはり天然理心流。
決闘の中で沖田に己が技を叩き込み、新陰流の剣士と言えるまでにその技を変化させられれば兵庫助の勝ちというところか。
そして、自身の修得している奥義を惜しみなく披露すれば、沖田の剣を新陰流で塗り潰せるという自信が兵庫助にはあった。
「次は新陰流、転……心して受けよ」
兵庫助は、心を新たに生涯最後の勝負へと臨んだ。

【柳生利厳@史実 死亡】

【はノ参 草原/一日目/夕方】

【沖田総司@史実】
【状態】打撲数ヶ所
【装備】無限刃
【所持品】支給品一式(人別帖なし)
【思考】基本:過去や現在や未来の剣豪たちとの戦いを楽しむ
【備考】※参戦時期は伊東甲子太郎加入後から死ぬ前のどこかです
※桂ヒナギクの言葉を概ね信用し、必ずしも死者が蘇ったわけではないことを理解しました。
※石川五ェ門が石川五右衛門とは別人だと知りましたが、特に追求するつもりはありません。

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最終更新:2014年04月03日 23:21