ガリア王国某所、
遠くに湖が見える立派な屋敷で、年老いた屋敷の老僕と鉄仮面を被った男が応接間で何か会話をしていた。
白髪混じりの、整った執事服を着た、年老いた老僕が恭しく仮面の男に礼をする。
「態々お呼び立てして申し訳ございません。でも、こうして来て頂いたと言う事は、無事連絡が届いたようでございますね」
男は白い鉄仮面の奥からくぐもった声で語る。
「冒険者ならクエストの依頼をたまたま受ける事が結構あるらしい」
「屋敷の使用人が獣に襲われていた所を、偶然居合わせて助けて頂いた恩人に、何度も遠路遥々足を運んで頂いて申し訳ないと思っております。しかし、あなた様しか頼める者がいないのです。恥ずかしながら、魔法も使えぬ私共の様なただの使用人には、腕の立つメイジを雇う財も人脈も持ち合わせておらぬので・・・」
長々と会話を始めた老僕に、仮面の男が口を挟む。
「このままじゃ日が暮れるまでお前の話しを聞く羽目になる。無駄話をする時間が惜しいだろ」
「これは失礼致しました。年を取るとどうも前置きが長くなってしまいまして」
老僕はおほんと、咳をし、気を取り直すと、複数枚の巻かれた紙を仮面の男に差し出した。
「まずは、前回依頼しましたエギンハイム村の件、報酬をお受け取りください。お約束しておりました、ガリア西部の火竜山脈方面の地図でございます。三千リーグにも渡る広大な地域なため、本来十二枚に分けられている地図なのですが、人の足も踏み入らぬ先西端が描かれた三枚はそれらを求める需要も少なく、今新たに描き下ろしているとの事で、まだ用意できておりません」
「九枚で良い」
仮面の男は地図を受け取ると、それぞれ一枚ずつ広げて確認した。
「一般の地図師が描いたものなので、載っていない経路も多数あると思います。流石に軍用の正確な地図は高価で、私共にも手が出せないものでして・・・申し訳ありません」
仮面の男は黙って地図一通り眺めると、それを再び丸めて、だいじそうにカバンにしまった。
「見事な仕事だと関心はするがどこもおかしくはない。いままで火山への行き方が神秘のベールに隠されてきたがついにそのカーテンが開かれる」
老僕は、安心したようにほっと息を吐く。
「ご満足頂いた様で何よりです。して、本題の今回の依頼に入ってもよろしいでしょうか?以前お渡ししたガリア王都リュティス周辺地図は今お持ちでしょうか?」
仮面の男は頷き、カバンから別の地図を取り出すと、それを応接間のテーブルの上に広げた。
老僕は胸のポケットから眼鏡を取り出し、それを掛ける。
「今回私共が小宮殿(プチ・トロワ)から得ました情報によりますと、王都から五百リーグほど南東に下ったサビエラ村に出没するようになった、吸血鬼の問題に、北花壇警護騎士を一名派遣するつもりとの事でございます」
老僕はペンにインクをつけると、地図に村の位置を示す印をつけた。
「相手が人間に扮する吸血鬼となれば、探し出すのは容易ではないでしょう。すでに王宮が送った騎士が一名犠牲になっていると聞きます。エギンハイムの時の様に騎士が到着するまでに問題を解決、とは言いません。その派遣される騎士に危険が及ばないか、影ながら助けてあげるだけで十分でございます」
老僕は眼鏡を外し、それを胸のポケットに仕舞った。
仮面の男は地図の印の位置と、そこにたどり着くまでの経路を入念に確認した後、老僕に聞いた。
「その村には何か採れるものはにいのか?」
「サビエラの村自体は特筆すべき特徴のない小さな寒村ですが、東の海を越えればサハラが位置するその半島一帯では、東方より吹く海風に乗って様々な植物の種子が飛んでくるとか。そのため、村周辺では普段見かけない珍しい薬草などが群生している、と聞き及んでおります」
「俺は今回表向きそれを採りに行く事になったのでいいのか?お?」
「それであれば不自然に思われないでしょう。実際、サビエラの村にはたびたび薬草師が訪れるそうです」
老僕は仮面の男に向き直り、深々と頭を下げた。
「やり難い注文である事は重々承知でございます。ですが、派遣される騎士の任務に私共が勝手に手助けを送っていると言う事を、その騎士、ましてや宮殿の方に悟られてはまずい立場に居られるのです。前回同様、その仮面で身元を隠した上で、『偶然』を装って欲しい。こちらで用意できる報酬と言えばガリア各地の情報と地図ぐらいだけですが、どうか引き受けて頂けませぬか?」
「あきらめが鬼なっているようだが安心していいぞ。冒険者としてもちろんその情報と地図を手に入れる手はず。そのクエストを引き受けることになった」
老僕の顔がぱっと明るくなる。
「おお、ありがとうございます。次回訪れる時までに、山脈の地図残り三枚は用意致しましょう。その他に、ガリア東部のサハラ国境付近の地図も入手できるかもしれません」
仮面の男はそれでかまわない、と答えると、広げてあった地図をカバンに仕舞った。
「じゃ闇系の仕事が今からあるからこれで」
「宜しく頼みました。どうか、ご無事で」
それから数週間後、
北花壇警護騎士として吸血鬼掃討の任務を受けた
タバサは、サビエラ村へと向かっていた。
「お姉さま、お姉さま!今度の相手の吸血鬼はとても危険な相手ですわ!太陽の光に弱い点を除けば、人間と見分けがつかないし、先住魔法は使うし!おまけに血を吸った人間を一人、手足のように操ることだってできるんだから!きゅいきゅい!恐い!」
角を生やし、顔に似合わぬ可愛い声で、風韻竜のシルフィードはぶるぶる震えながら、背中に乗せたタバサに語りかけていた。
タバサは黙って、『ハルケギニアの多種多様な吸血鬼について』と表紙書かれた本を読んでいる。
「いくらお姉さまでも危険なのね!吸血鬼は恐ろしいほどに冷酷で、邪悪な存在なのに!それをお姉さま一人だけで向かわせるなんて、イザベラ王女はとても意地悪なのね!きゅい!お姉さまの従妹だというのに!」
タバサは杖を握ると、シルフィードの頭をぽかぽかと叩いた。
「痛い痛い!ごめんなさいなのね。この事言わない約束だったの、忘れてたのね」
「ここに降りて」
村から離れた場所にシルフィードが着陸すると、タバサは続けて命令した。
「化けて」
シルフィードはぶんぶんと頭を左右に振った。
「いやいや!どうして!」
「化けて」
「ううう・・・あとでいっぱいお肉たくさん貰うんだから!わかった?」
タバサは頷いた。
シルフィードは背中からタバサを降ろすと、呪文を唱えた。
「我をまといし風よ。我の姿を変えよ」
メイジが使う杖を用いての系統魔法と違い、口語に近い呪文の杖を必要としない<先住魔法>である。
シルフィードは<変化>の魔法で風の渦を纏うと、その大きな体は掻き消え、変わりに二十歳ほどの若い女性の姿に代わった。
「う~~やっぱりこの体嫌い。ぐらぐらして歩きにくいのね!きゅい!」
全裸のまま、シルフィードは人間の姿に体を慣らすように動き回っている間、タバサは大きな革の鞄から衣装を取り出し、それをシルフィードに渡す。
「なにこれ?」
「服」
「いや!動きづらくなる布なんて体につけたくない!きゅい!」
「人間は服を着る」
淡々と言われ、服を押し付けられたシルフィードは渋々服を身に着けた。
「う~~ごわごわするの~」
タバサは続けて自分の杖を渡し、マントを脱ぐとそれをシルフィードの肩にかけた。
「へ?どういうおつもり?」
マントを脱ぎ、ただの少女の姿になったタバサが答える。
「あなた騎士。わたし従者」
そうして村に現れた騎士とその従者は、村長の家へと通された。
「ようこそいらっしゃいました。騎士様」
白い髪に髭の、人のよさそうな村長が深々とシルフィードに頭を下げる。
それから顔をあげ、じっとシルフィードの顔を見つめる。
「ん?何かついてるの?」
そばに控えたタバサが、ぼそっとつぶやいた。
「名前」
「あ!そうだったのね!えーと、ガリア花壇騎士、シルフィード!<風>の使い手なの!」
村長はきょとんとした。
「シルフィード?ああ、そうか!世を忍ぶ仮のお名前ですな!風の妖精シルフィードとは、ご趣味のいいあだ名ですな」
そう言って深く、一礼をした。
シルフィードは満足そうに頷いた。
「では村長さん、事件を詳しく説明して欲しいの」
村長は説明を始めた。
「もう二ヶ月程前になりますかの、すでに六人ばかりが犠牲になりましたのじゃ。その中には前回派遣された騎士様も含まれておりますでの。二人ほど犠牲者が出た後は、夜を出歩く村人はいなくなったんじゃが、それでもあの忌々しい吸血鬼はこっそりと家に忍び込み、血を吸うんですじゃ」
興味深く聞いているシルフィードは、根が臆病なためか、顔を青くする。
「吸血鬼はご存知の通り、太陽の光に弱いため、日中、外を出歩くことができませんでな。おそらく昼間は、森の奥深くに潜んで居るのでしょう。だから森に出かける村人もいなくなってしまいました」
「恐い!」
「ですが奇妙なことに、ここ一週間は吸血鬼の被害がぱたりと止まっておるのでの」
タバサは、話しを聞いてぶるぶる震えるシルフィードを村長から見えない位置で軽く抓る。
「いたい!え、えーと。最近何かおかしな事とかあった?」
「そう言われますと、一週間前と言えば、あの仮面の男が村にやってきた頃じゃったの。吸血鬼が現れるようになってからというもの、村を出てゆく者はおっても、やってくる者は珍しいので良く覚えております。その仮面の男が現れてからというもの、今の所は誰も吸われていませんな」
タバサは、『仮面の男』と聞いて目を細めて、ぽつりと呟いた。
「仮面の男?」
「ん?ええ、何でもこの村周辺に生える珍しい薬草を集めに来た流れの薬草師だとかで。日中でも顔を覆う鉄仮面を被り、薬草狩りにと危険な森へとでかけているらしいので、彼が吸血鬼だとか、はたまた血を吸われ、吸血鬼が操るという屍人鬼(グール)だとかと、何人かの村人は怪しんでおりますが」
シルフィードはタバサに目をやると、タバサが頷き返したので、村長に聞いた。
「その仮面の男は今どこにいるの?そいつから話しを聞いてみるのね」
「確か同業のよしみ、と言う事で村の薬草師レオンさんの所に今も世話になっておるはずじゃ」
そのとき・・・シルフィードはドアの隙間から小さな女の子が顔を覗かせている事に気が付いた。
五歳ぐらいの、人形のように可愛い美しい金髪の少女である。
「まあ可愛い!」
シルフィードは突然素っ頓狂な声をあげた。
少女はびくん、と身をすくめた。
「おいでおいで!」
シルフィードに呼ばれて、少女は困ったように村長を見上げる。
「お入りエルザ。騎士さまにご挨拶なさい」
少女は怯えた表情で入ってきて、硬い仕草で一礼した。
可愛い女の子が大好きなシルフィードが、思い切り抱きついた。
「なんて可愛いの!食べちゃいたいぐらい!きゅいきゅい!」
エルザはついに泣き出してしまって、部屋を飛び出して行く。
「ありゃん。そんなにわたしが恐いの?今は綺麗なはずなのに。きゅい!」
「失礼をお詫びします。でも、堪忍してやってください・・・あの子はメイジが恐いのですじゃ」
「どうして?」
シルフィードは無邪気に問うた。
「その・・・エルザはメイジに両親を殺されておりますのじゃ」
「両親?村長さんの娘じゃないの?」
「エルザはわしの本当の子ではないのですじゃ。一年ほど前、寺院の前に捨てられおったのです。聞けば両親はメイジに殺されて、ここまで逃げてきたとのことでの。早くに子を亡くし、つれあいも死んでしまったわしには、家族がおらんでな。引き取って育てる事にしたんですじゃ」
シルフィードは申し訳なさそうな顔をした。
「そうだったの。そう知らずに恐がらせてしまってごめんなのね」
「わしはまだあの子の笑った顔を見たことがないのですじゃ。体も弱くて、なかなか外で遊ばせてやる事もできん。一度でいいからあの子の笑顔が見てみたいものじゃのう」
シルフィードは思わずタバサを見つめてしまった。
シルフィードの主人も同じく笑顔を忘れてしまった女の子だったからだ。
冷徹に任務を遂行しいるタバサが笑顔を取り戻すのはいつのことだろうか、と想像するとシルフィードは切なくなった。
「とにかく、よろしくお願いしますですじゃ、騎士様。レオンさんに話しを聞きに行くのであれば、彼の家は森側の村の外れにありますので」
タバサとシルフィードは、調査を開始した。
まず手始めに、ここ最近ふらりとやってきた仮面の男の事を調べるべく、村の薬草師レオンの家を訪れた。
「これはこれは、騎士様!このような所に一体どのようなご用件ですかな?」
家の中は壁一面様々な草が詰められた壜をずらっと並んでおり、出迎えた男は先程まで薬の調合をしていたのか、乳鉢に何かが擦り潰されていた。
「あなたが薬草師のレオンさんね?」
「ええ、如何にも、村の薬草師をさせていただいているレオンです」
レオンと名乗った歳三十半ば程の男は片手にすりこ木を持ったまま、恭しくシルフィードに頭を下げた。
タバサが並べてある薬草を一つ一つ観察している所、シルフィードはレオンに聞いた。
「仮面の男がここに寝泊りしていると聞いたのね!」
「ああ、あいつですか。確かにうちの空き部屋を一つ貸してやっていますね」
「ちょっと調べたい事があるのね!早く呼んでくるのね」
レオンはちょっと困った顔をした。
「弱りましたね、あいつはいつ寝ているかも分からない程、昼も夜も良く薬草狩りに森の方へと出かけてましてね。今も騎士様が村に訪れた頃と時同じく、入れ違う様にして薬草採りに行ってしまいまして」
シルフィードは子供みたいに大振りな仕草をして、がっかりした顔を見せた。
「何か怪しいのね!きっとわたし達から逃げるために出かけたのね」
「ああ、ひょっとして吸血鬼騒ぎの調査ですか?確かにあの仮面被ってるから、誰だって怪しむよなあ。でも、俺からしてみれば、あいつが吸血鬼な訳が無いと思っておりますが」
「何でそう思うのね!どう見ても怪しいのね!」
レオンは頭をぽりぽりと掻いた。そしてタバサが興味深そうに眺めている並んだ草の入った壜を指差す。
「ここに並んである薬草がありますでしょう?」
「それがどうかしたのね?」
シルフィードが首を傾げる。
「これら全部、あいつが採ってきた物ですよ。ここ数日で」
「ええっ!?こんなに?」
「吸血鬼騒ぎが起きてからというもの、俺も含めて森には誰も近寄れなくてね。薬草もなくなり、村の病人用の薬が調合できなくて困っていたところ、彼はふらりと村にやってきてね。うちにある薬草が少なくなって困ってると、聞くやいなや、物凄い量の薬草を森から採ってきれくれたんですよ。人の血を吸って生きる吸血鬼が、人を治すための薬草に詳しいでしょうか?」
「でもでも!吸血鬼だからこそ、森に行くのも恐くないのかもしれないじゃないの!きゅい!」
レオンはふむ、と口元を手で抑えながら考え込んだ。
「確かにそういう見方もできますね。数日一緒に過ごした俺だから言える事なのかもしれないですが、理屈じゃなくて何となくわかるんですよ、あいつが吸血鬼じゃないって。何より・・・」
「何より・・・?」
「あいつの作る飯は旨い。俺でも知らなかった薬草の使い方で肉を旨く焼く方法とかを知っていた。あんな旨い飯の作り方を知っている吸血鬼は、血なんて吸う必要はないじゃないですか。もし、わたしが屍人鬼かとお疑いなら調べていってください」
話しを聞いていたタバサがシルフィードに頷くと、シルフィードはレオンの体を調べた。
吸血鬼が屍人鬼を作る時は、その操る人の血を吸わなければならない。
そのため、血を吸われた痕を探せば屍人鬼かどうか識別できるのである。
服を脱いだレオンは体のどこにも血を吸うための牙の痕はなかった。
調べ終わったレオンは再び服を着ると、シルフィードに言った。
「吸血鬼を探している場合、俺ならまずは数ヶ月前にやってきたよそ者の占い師の親子が怪しいと思うね。息子のアレキサンドルはぬぼーとして何考えているかわからないし、母親のマゼンタ婆さんだって村に来てから、一度も外にでてない。仮面の奴だってよそ者だが、吸血鬼と騒がれた後にのこのこと現れる吸血鬼がいるもんか」
シルフィードはどうする?と聞きたそうな顔でタバサを見たが、タバサもただ首を横に振るばかりだった。
「わかったのね、仮面の奴が帰ったら、村長さんの家に来るように言って欲しいのね」
「わかりました、あいつがいつ戻るかは分かりませんが、帰ってきたらそちらに向かわせます」
そうして、タバサとシルフィードは各家に回って調べては、どの村人もだれそれが怪しいと言い、結局は皆互いの事を疑っているというのが分かっただけだった。
何人かの村人の体を調べた所、血を吸われた様な痕を残した者が何人かいたが、田舎の村なので山蛭や虫に食われた痕も混じっていて、あまり参考にならなかった。
「お姉さま、これからどうするおつもり?何か皆が怪しく思えてきたのね。もしかしてもう吸血鬼はいなくて、お互いを疑っているだけなのかも」
タバサはシルフィードを指差し、呟いた。
「囮」
「もしかしてそのために、こんな格好させたの?」
タバサはこくりと頷く。そしてシルフィードに二言三言つぶやいた。
シルフィードはしばらく唖然としていたが、にっこりと笑って大きく頷いた。
「いいのね?容赦しないわよ、きゅい!」
「かまわない」
シルフィードは村中に聞こえるぐらい、大声で怒鳴った。
「この!ほんとにお前は使えない従者だこと!」
その叫びに、村人が何事かと集まってきた。
「今、お前はこの杖を蹴飛ばしたね?間違って足があたったなんて言い訳は聞かないのね!始祖ブリミルと魔法と貴族に対して敬意が足りてない証拠なのね!」
シルフィードは杖でぺしぺしとタバサの頭を叩いて。
タバサは従順に頭を下げた。
「すみません」
「わかったら、今日はわたしが寝た後、敬意を込めてしっかりと杖を朝まで磨くのよ!」
「はい」
タバサは何度も頭を下げている。
騎士と従者のやり取りを村人は心配そうに見つめている。小さな村なのですぐにその事は村中に広まるだろう。
やがて日も暮れ、タバサとシルフィードは村長の家で休んでいた。
タバサは与えられた部屋で腰掛けていると、部屋のドアが開いた。
開いた隙間から顔を覗かせたのはエルザだった。
「ここにいたんだ」
「何?」
「夕ご飯できたから、おねえちゃんを呼んで来てって言われたの」
「そう、わかった」
タバサがそう返事しても、エルザは動かず、タバサの目をじっと見つめている。
「おねえちゃん、人形みたい」
「どうして?」
「あんまりしゃべらないし、笑ったりしないし。騎士様に怒られても何か平気そうで、ぜんぜん表情かわらないんだもの」
タバサは無邪気なエルザの目を見つめ返した。
その瞳には人形のように表情が無い自分の姿が映っていた。
「ねえ、おねえちゃんのパパとママはなにをしているの?」
タバサは少し沈黙して、考えてから答えた。
「パパはいない。ママはいる」
「そう。わたしのパパとママはね、メイジにころされたの。わたしが見てる前で、まるで虫けらみたいに・・・だからわたしはメイジはきらい。おねえちゃんのパパはどうして死んじゃったの?」
タバサは小さく呟いた。
「殺された」
「魔法で?」
タバサは首を振った。
「魔法じゃない」
「じゃあママはどうしてるの?」
「寝たっきり」
タバサは、父を謀殺した者達の罠から自分を庇って毒を代わりにあおった母の姿を脳裏に浮かべた。
解毒方法が分からない心までも操作する強力毒によって、タバサの母はそれ以来心の時間が止まっている。
今も部屋の中で母はタバサの事を守り続けている。
だから自分は、その部屋の外で母を守らなければならない。
父の仇に頭を下げ続けても、その娘の靴を舐めてでも・・・
「へんな事聞いてごめんね、おねえちゃん。行こ?」
村長の屋敷の食卓に向かうと、既にシルフィードがご満悦そうに肉を頬張っていた。
「このお肉とってもおいしいのね!外側が香ばしくカリカリで、中がじゅわじゅわなのね!きゅい!」
「レオンさんの所の仮面の方が差し入れてくれた野兎を、同じく頂いた香草で焼いたものなんですじゃ。その時に聞いたのですが、何でも表面が黒くなるまで網で焼くのがコツらしいのでの」
シルフィードは後ろからじっと見つめるタバサの視線もまったく意に介せず、きゅいきゅいと歓声をあげて、もぐもぐと野兎のグリルを口に詰め込んでいる。
「彼はいつきたの?」
タバサは村長に聞いた。
「騎士様が村中聞きまわっている間に、やってきて、何でもわたしの家に来るように言われていたとかで。でも野兎と香草の袋を置いて『ちゃんと来てやったぞ』と言ってすぐ帰っていきましたな」
「そう」
シルフィードが口いっぱいに詰め込んだ肉をごっくんと飲み込む。
「こんなおいしくお肉を調理するやり方しってる人なら吸血鬼じゃないのね!焼かれた香草の甘くスパイシーな香りがとっても兎のお肉と合うのね!るーるー♪」
シルフィードは歌いながら今度は一緒につけられたサラダを食べ始めた。
一口含んで、ぶほっ!と吐き出す。
「わぁ、なにこれ!苦い!きゅいきゅい!」
村長が慌てて説明する。
「失礼致しました。村の名物で、ムラサキヨモギといっての、凄く苦いのですが、体に良くての。この味はよそから来た者にはきついというのを失念しておりましたですじゃ」
「苦いのやだ!もっとお肉が食べたい!」
シルフィードは自分の分の野兎を平らげてしまって、残されたのが苦いサラダなので文句を言い始めた。
タバサはすくっと立ち上がると、自分の分の野兎のグリルをシルフィードの前に置いて、代わりにサラダを入った皿を取り上げる。
シルフィードが出されたグリルを平らげるのと同じぐらいの速さで、タバサもそのサラダをぺろんと平らげてしまった。
「サラダの方ならまだおかわりありますが、もってこさせようかの?」
タバサはこくりと頷き皿を給仕に渡す。
今度山盛りに盛られたムラサキヨモギのサラダもまたぺろんと平らげてしまった。
「よくそんなに苦いの食べれるのね・・・」
シルフィードはもくもくと三皿目のサラダを食べるタバサの姿を見て呆れた顔で呟く。
タバサの横に座っているエルザがぽつりと呟く。
「ねえおねえちゃん、野菜も生きているんだよね」
タバサは口にサラダを含んだまま頷いた。
「焼いた兎も、生きていたんだよね?」
「うん」
「でもそれら全部ころして食べるんだよね。どうしてそんなことするの?」
「生きるため」
エルザはきょとんとした声で聞く。
「吸血鬼も同じじゃないの?吸血鬼がにんげんの血を吸うのだって生きるためじゃないの?」
タバサは口に含んだサラダを飲み込むと、いつもの淡々として口調で答えた。
「そう」
「だったら、なんで邪悪だなんて言うの?やってる事は同じなのに・・・ねえ、なんでにんげんはよくって、吸血鬼はいけないの?どうして?」
タバサは問い返した。
「なんでわたしに聞くの?」
「おねえちゃんなら、答えてくれそうな気がしたから」
「どうして」
「よくわからない。けど、おねえちゃんの目がどこか冷たいからかな。雪が降る夜の風みたいに冷たい風を感じるの。とても冷たいけれど、本当のことしか言わないような気がしたから」
タバサはじっとエルザを見つめた。
おいしい野兎をたっぷりと堪能し、食べ終わったシルフィードが、つぶやいた。
「さて、おなかいっぱいになって眠くなったから寝るのね。昼間言いつけたとおりにしっかりと磨くのね。何かあったらすぐにわたしに手渡すのね」
シルフィードは昼間打ち合わせた囮作戦の『杖を持たないメイジ』を誇示するかのようにタバサに向けて言った後、二階の自分に用意された部屋に戻っていった。
村に吸血鬼がまだ潜んでいるのであれば、メイジがそばに杖も置かずに寝てしまったのを見過ごすはずが無いだろう。
そうやって吸血鬼をおびき出すのがタバサの作戦であった。
シルフィードのそばに杖がない事を見せ付けるためにも、タバサは一階で杖を磨くつもりであった。
「おねえちゃん、どこに行くの?」
「一階」
「わたしも行っていい?」
タバサはちょっと考えた後、頷いた。
タバサとエルザが一階に降りようとしたその時、外からなにやら男が言い争うような声がした。
カッ、と窓から眩しい光が差し込んだと思うと、
腹まで響く、獣を縊り殺した断末魔の様な不快な雄たけびが鳴り響く。
タバサは咄嗟に杖を構えて外に飛び出した。
シルフィードの部屋の窓の真下あたりに人影が立っており、タバサの姿を見るや否や、その人影は物凄い早さでとんずらして走り去っていった。
タバサがその人物を追いかけようとしたところ、それよりももっと異様な光景を目の当たりにし、足を止めた。
昼間、薬草師の家の次に訪ねた占い師親子の息子アレキサンドルの姿があった。
といっても昼間見たときの大柄な、愚鈍そうな男の印象ではなく、大きく見開かれた眼が獣のように血走っており、口からはするどく尖った牙を覗かせていた。
だが、アレキサンドルは屋敷の壁に寄りかかるようにぴくりとも動かず、しゅーしゅーと音を立てて服の隙間から煙が漏れていた。
「デル・ウィンデ」
タバサが短く呪文を唱え、動かないアレキサンドルに向けて風を送ると、アレキサンドルはがらがらと音を立てて崩れていった。胸から下がすでに何者かによって骨にされていたのだ。
騒ぎを聞き駆けつけてきた村人達が、その光景を見て口々に叫んだ。
「やっぱりあのアレキサンドルが屍人鬼だったのか!あいつらが怪しいと思っていたんだ!」
「となると吸血鬼はあの婆か!」
そこにシルフィードが大慌てでやってきた。
「お姉さま!大変!村のみんなが!」
小さい村なので噂が伝わるのは早く、タバサとシルフィードが駆けつけたときには、占い師の家はもうもうたる炎に包まれていた。
アレキサンドルが屍人鬼とわかって、怒った村人達が火を放ったのである。
「燃えちまえ吸血鬼!」
「何が占い師だ!俺達を騙しやがって!」
タバサは魔法を詠唱し、氷の竜巻を作るとそれで火を消した。
「何をするんだ!」
「証拠が無い」
「息子が屍人鬼だったのが何よりもの証拠だろう!枯れ枝の様に細い婆さん・・・だから大人じゃ入り込めねえような煙突から忍び込んでこれたのか、盲点だったぜ」
タバサが止めるまでもなく、すでにあばら家の中は燃え尽きていた。
老婆のものであったろうと思えた焼け痕を見つけて、村人達は歓声をあげた。
「ざまあみやがれ!吸血鬼は消し炭だ!」
それを見て、村人達は安心した顔で去り始めた。使えない騎士様だよ、とか、あの小さい方がメイジさまだったのか、俺達まで騙していったいどういうつもりだと文句の声が聞こえてくる。
そこへ、エルザを連れた村長がやってきて、タバサにぺこりと頭を下げた。
「ご苦労様でした、騎士様。村人達の非礼をお詫びします。彼らも家族をなくして気が立っているのですよ。ゆるしてやってくださいですじゃ。何はともあれ、解決してよかったですじゃ」
村長の陰からエルザがじっとタバサを見つめ、その手に握った杖をにらんだ。
それから部屋に戻り、シルフィードは気を張り続けて、ようやく終わって安心したのかぐっすりと眠っている。
タバサはその横で荷物を纏めていたところ、部屋の扉がノックされた。
タバサが立ち上がって、扉を開くとそこにはエルザが立っていた。
エルザはベッドの横に置かれた綺麗にまとまった鞄やら荷物に気づき、尋ねた。
「もう、いっちゃうの?」
「夜明けに出発する」
「そうなんだ・・・ねえおねえちゃん、行っちゃう前におねえちゃんに見せたいものがあるの!ちょっとだけだから、いいでしょ?」
「見せたいもの?」
「うん!おねえちゃんの大好物、せっかくだからお土産にもっていってよ」
タバサは少し考えこんで、頷いた。
タバサがエルザの後をついていこうとしたとき、エルザが握られた杖を見て怯えた表情を浮かべた。
その顔に気づいたタバサが、ベッドで寝ているシルフィードの傍らに杖を立てかけた。
「ありがとう」
エルザは安心した顔になって言った。
「こっちなの」
月明かりの夜道をエルザに案内されながらタバサは後についていった。
「こっちこっち!」
森に通じる道を指差して、エルザがつぶやく。
そこを辿って、森の中にはいり、開けた場所にでるとあたり一面にムラサキヨモギが生える群生地があった。
「すごいでしょ!こんなにたくさん生えてるの!ほら!ほらほら!」
月明かりの下、楽しそうな声でエルザがはしゃいだ。
「おねえちゃん、この村の人もあまり食べようとしない苦い草、おいしいって食べていたよね!だからいっぱい摘んで!」
タバサは両手いっぱいにムラサキヨモギを摘み取ると、背後から抱きついたエルザが耳元で囁いた。
「ねえおねえちゃん、ムラサキヨモギの悲鳴が聞こえない?痛い、痛いよって」
背筋にぞくりと冷たいものを感じたタバサは咄嗟にムラサキヨモギを放り出し、エルザの腕から跳ね除けた。
振り返ると、無邪気そうなエルザがじっと見つめてくる、雪振る夜の冷たい風の様な目で。
タバサは、駆け出した。
エルザは呪文を口にする。
「枝よ、伸びし森の枝よ、彼女の腕を掴みたまえ」
走るタバサを、するすると伸びた枝が掴む。
手足と腰を伸びた木の枝にしっかりと掴まれたタバサは身動きが取れなくなった。
「おねえちゃんはとても冷たい目するのに、優しいね。わたしが恐がるから杖を置いてきてくれたんでしょう?でも杖を持っている従者は今頃わたしのおうちですやすやおねんね。残念だったね」
エルザはゆっくりと近づくと、口から綺麗にならんだ二本の牙を覗かせる。
「吸血鬼」
タバサは呟いた。
「そうだよ、吸血鬼はわたし。煙突から忍び込んで、女の子達の血を吸っていたの。でも一週間ほど前からぎらぎらに光る奇妙な人がやってきて、忍び込もうとした家の先々で待ち伏せされて手が出せないで吸えないでいたから、今はぺこぺこなんだけどね」
エルザは手をタバサの方へと伸ばすと、ぴくりとも身動きができないタバサの頬を撫でた。
「わたしの両親は本当にメイジに殺されたわ。わたしの目の前で・・・何もよくわからない頃から気づいたら一人でとぼとぼ旅を続けてたの。もう三十年ぐらいたったかな?血を吸ってでしか生きられないわたしは、色々な村を回って生きてきたわ。村で怪しまれないための事を覚えるまでは、メイジに追いかけられたりと死にそうな目にも沢山あってきた。でも仕方ないよね、誰も教えてくれる人がいないんだもの。自分でやり方見つけていくしかないでしょ?」
タバサはじっと無表情のままエルザを見つめている。
「わたし、そんなわけでメイジは大嫌い。でも、おねえちゃんの事は好きだよ。こないだ来た間抜けな威張りんぼのメイジと違って、おねえちゃんはなかなか尻尾を見せないで、頭がいいもの。それに、その冷たい目。おねえちゃんはどこかわたしに似ているなーと思っちゃった」
「わたしは吸血鬼じゃない。人間」
エルザは無邪気に笑った。きらりとその牙を月の光を反射しながら。
「知っている?吸血鬼は血を吸った人を一人まで屍人鬼として操れるの。前の屍人鬼が焼かれちゃった今なら、おねえちゃんを屍人鬼できるよ。今までは血を吸うための道具だったけれど、おねえちゃんの事は気に入っているから、ずっとお友達でいてくれる屍人鬼になってくれるよね?そうしたらわたしの事もっとわかってくれると思うんだ」
エルザは指を振り上げると、タバサを掴む枝がうなり、着ている服を破り去った。
それを見てエルザが愛しそうに手でタバサの肌に触れる。
「なんて肌が綺麗なの?まるで雪みたい・・・。知っている?血が全部なくなると、もっと白くなるんだよ?でも、残念ながら今回は全部吸い尽くすわけにはいかないね」
そういってエルザは懐から何か木の根の様なものを取り出した。
「屍人鬼を作るために、これが必要だと言う事をここ最近になって知ったの。パパが持っていたものは、さっきあの大きな人と一緒に焼かれちゃったけど、ママが持っていたこの反魂樹の根を、血を吸っているときにおねえちゃんに埋め込めば、おねえちゃんは死なずに、素敵な屍人鬼になれるんだよ」
エルザの手の中の木の根が月光りに反応して淡く光る。
「ねえ、おねえちゃん、もう一度質問するわ。おねえちゃんがムラサキヨモギを摘むのと、わたしが人の血をすうのと、どう違うの」
タバサは無言でエルザを睨み付けた。
「そんな目で見ないで。お友達になる前に、最後に教えて?」
「どこも違わない」
エルザの顔が輝いた。
「そうだよね!本当の事言ってくれるから、わたしおねえちゃんがすき。だから血を吸ってあげる。これからずっと一緒にお友達だよ・・・」
少女は牙をタバサの首筋へと運んだ。その瞬間――――
「だけどこのムラサキヨモんギをなめると痛い目に会う事になるから注意すべき。このまま血を吸っても手遅れになるのではままるな」
背後からくぐもった男の声がした。
「だ、誰!?」
エルザが思わず振り返ると、緑色の野外作業服を身に纏い、右手に草刈鎌を携え、白い鉄仮面を被った男が月光りを背にして立っていた。腰には大剣がぶら下げられていた。
仮面の男はぐっと、草刈鎌をエルザに突き出すと、名乗り上げた。
「ブ、・・・仮面ヴぁーん!」
「そう、おにいちゃんだったんだね、一週間ぐらい前に来てわたしの邪魔していたのは。わたしの屍人鬼を焼いたのも、おにいちゃんだったんだ」
仮面の男は枝につかまれ動けないタバサをじっと見つめて、頷いた。
「今回たまたま薬草を刈りにきただけなんだが。俺はああヒーローは本当に偶然常に近くを通りかかるもんだなと納得した」
エルザはすかさず呪文を口にした。
「枝よ!」
森の枝が地を走り、仮面の男へと伸びる、が仮面の男は手に持った鎌を左手に持ち替えると、その左手が眩く光り輝いた。
男は舞うように身を翻して、飛び掛る枝を避けた。
そして華麗なステップで立ち回り、枝を一本一本ただの草刈鎌で刈り取ってゆく。
――こいよ、何処までもクレバーに引き裂いてやる
男の一足一手が、そう語りかけてくるようだった。
思わずエルザとタバサはその舞に見とれていた。
はっと我に返ったエルザがつぶやいた。
「う、嘘・・・先住の魔法が斬られるなんて・・・」
――現実と書いてノンフィクションと読むのがスタンダード
「おい!相棒!そんなんじゃなく俺を使ってくれよ!」
どこからとも無く、悲痛な声がした。
仮面の男は鎌を投げ捨てると、腰の大剣を引き抜いた。
月の光りにあたって、刀身が美しく輝く。
みりっ、と音を立ててその剣をエルザの方へと構える。
「デルフんスウィフトでバラバラに引き裂いてやろうか?」
一足飛びに仮面の男が迫り来て、エルザは対応できず、目を瞑ってしまった。
「きゃっ!」
ざぐっ!ざしゅ!千切れ飛ぶような音が、ムラサキヨモギが生い茂る森の中で響いた。
「あ、あれ?」
エルザは目を開けると、どこも斬られてはいなかった。
男はタバサを掴んでいた枝を、一呼吸でバラバラに引き裂いていた。
エルザはたじろいだ、束縛していたタバサも自由を取り戻し、屍人鬼さえも焼き尽くす術を持っている得体の知れないこの男には敵うわけが無いと心で感じ取った。
「お願い、殺さないで。わたしは悪くない。血を吸わなきゃ、生きていけないだけ。人間だって獣や家畜を殺して肉を食べる。どこも違わないんでしょ?おねえちゃんもそう言ったよね?」
エルザは懇願した。
仮面の男は返事として、剣をそのまま振り上げた。
ざんっ!
地面に剣を突き立てると、片手でエルザの小さい体を持ち上げて、空いてるもう片方の手を振り上げた。
ばしーん!ばしーん!
「痛い!痛い!」
仮面の男は何とエルザの尻をたたき始めた。タバサはそれを唖然と見つめている。
ばしーん!ばしーん!
乾いた音が鳴り響く。
「ごめんなさい!ごべんなざい!わるがっだ!わだじがわるがった!」
エルザは大粒の涙をぽろぽろ流して、誰に向けたものかもわからず、ひたすらに謝った。
仮面の男はエルザを降ろしてやると、叱咤した。
「言葉よりも暴力が先に出る事もたまにある、俺が冷静なうちにいい加減お前のバカみたいにヒットした頭を冷やせ!」
「ごめんなざい”!ごめんなさい!」
エルザは齢三十年以上生きた吸血鬼とは思えぬような、本当に子供の様にひっくひっくと泣いて謝った。
それを見つめていたタバサが口を開いた。
「なぜ、倒さないの?吸血鬼は人間の敵」
仮面の男は剣を地面から引き抜いて、鞘を収めると、タバサに向いてつぶやいた。
「何か吸血鬼が悪とか言ってる奴はバカとしか思えないであわれになる。ちょっとわずかに生き方が誤用だっただけで揚げ足取りかよ・・・お前には心を広くすることが必要不可欠」
泣きじゃくるエルザに仮面の男は歩み寄ると、その頭を優しく撫でた。
「命は助けてやる俺は優しいからな。だからお前はちゃんとお手本を見つけて正しい生き方を学ぶべき」
予想外の事を言われて、エルザは仮面の男を見上げる。
「ひぐっ・・・学ぶ?」
「お前学校にいってべんきょうすろ」
「でも、にんげんの血を吸うんだよ?そんなわたしがどうやって?」
「人間の血しか飲めないとそれだけで満足してると思うとアワレで仕方が無い。俺なら本当の血を見せてやれるのは確定的に明らか」
そう仮面の男は言ってエルザの手を握ってどこかへ連れて行こうとするのを、タバサは呼び止める。
「どうしてそこまでする?」
仮面の男は立ち止まり、答える。
「普通に血の通った人間なら、親を早くに亡くす絶望がどれほどのものかわかると思うんだが。特にこいつの場合は、そこらの一般にいる人間じゃない誰にも理解されない自分だけ特別な種族。想像を絶する悲しみが俺を襲った」
その言葉を聞いて、タバサは黙って立ち尽くす。森の奥へと消えていく長身の男と、その男に手を預け連れ立っていく見た目五歳ほどの吸血鬼の背を見つめながら。
程なくして、帰ってこない主人危険を察知したのか、シルフィードが竜の姿で上空をタバサを探し回るように飛び交った。
朝日から逃げるように、西へと飛ぶ帰り道・・・。
「お姉さま!ダメじゃないの!」
タバサはシルフィードが着ていた大人の女性の服を破けた自分の服の代わりに着ていた。
自分よりも二周り以上も大きいその服はぶかぶかとしていたが、それも気にしない様子で、シルフィードの声を無視して本を読みふけっていた。
背に主人を乗せたシルフィードがぷりぷりと怒った。
「もう!お肉の人が助けてくれたからよかったようなものの。もし、偶然そこにいなかったらどうなってたの?わたし、ひからびたお姉さま、ましてや屍人鬼になった姿なんて見るのまっぴらだからね!」
そんな風にシルフィードが怒っても、タバサはどこ吹く風、ただゆっくりと本のページをめくる。
「でも、とにかくお姉さまが無事でよかったのね!もう心配でシルフィ寿命がびゅんびゅんいったのね!とにかくお城ついたら、いっぱい食べる!お肉いっぱい食べる!るる!るーるる♪」
半ばヤケクソのような調子で歌いながら、シルフィードは飛んだ。
歌い始めた風韻竜の背の上、タバサはポケットをまさぐると、ムラサキヨモギの葉が何枚か残っていた。
しばらくそれを見つめた後、タバサはその一枚を口にした。
ほんの一枚だけど、それはいままでタバサが口にしたもの中で特別に苦い味に感じられた。
タバサは顔色を変えずに、そのムラサキヨモギを噛み続けた。
最終更新:2009年10月05日 11:55