瓦礫の山となったニューカッスル城は惨状を呈していた。
度重なる砲撃で城壁は見る影もなく、魔法で黒こげに焼かれた死体が、見るも無残に転がっている。
王軍を打ち破った『レコン・キスタ』は、名実ともに反乱軍からアルビオンの新政府となった。
駆逐した三百の王軍に対して、レコン・キスタの損害は四千。
岬の突端に位置する城は、一方向からしか攻め込めず、レコン・キスタの軍勢は強引にもそこから攻め、密集したところを魔法と大砲を食らい、大損害を受けたのである。
しかし、数で勝るレコン・キスタは、水の様に兵を流し込むと、物量に任せ王軍のメイジ達を押しつぶした。
王軍の歴戦のメイジも城に残った数十程度の護衛兵だけでは、アリの様に群がるレコン・キスタの兵を捌ききれず、名も無き兵士達の刃によって散っていった。
夕焼けが瓦解した隙間から差し込む城内では、王軍のメイジなのか、その護衛についた兵なのか判別がつかないほどに切り刻まれ、貫かれ、血で服が真っ赤に染まった死体が、貴族平民と関係なく、折り重なるようにして倒れていた。
そしてそれらの死体を無体にもひっくり返しては、財宝探しに勤しんでいる『レコン・キスタ』の兵士達が装飾品や武器を見つけては歓声をあげている。
その光景を見つめながら、
ワルドは醜く焼かれた胸を、水のメイジに秘薬を使っての治療をさせていた。
「これは酷くやられましたな、子爵殿。傷としてはもう問題ないはずなのですが、この痕は残るでしょうな。力及ばず、すまない」
かまわぬ、と言ってワルドは立ち上がり、服がはだけ、何かの紋様の如く醜く爛れ、腫れた痕が残った胸を隠すようにマントを深く羽織った。
その時、遠くからワルドに声が掛けられた。
快活な、澄んだ声だった。
「おお、子爵!ワルド君!無事かね?君が怪我をしたと聞いて心配しておったよ!」
やってきた男は、年のころ三十代半ば。丸い球帽をかぶり、聖職者のような緑色のローブとマントを身に着けている。
しかし、物腰は軽く、軍人のようであった。高い鷲鼻に、理知的な色をたたえた碧眼。
帽子の裾からカールした金髪が覗いている。
「こ、これは、オリヴァー・クロムウェル総司令官!」
水のメイジが畏まって、地面に膝をつく。
ワルドも続けて膝をつき頭を垂れながら、水のメイジに忠告する。
「きみ、閣下はすでにただの総司令官ではないぞ。今ではアルビオンの・・・」
「子爵の言うとおり、皇帝だ」
「これは大変な失礼を致しました!」
クロムウェルは無邪気に笑うと水のメイジの肩に手を置いた。
「気にするな。本日なったばかりで余自身もまだ慣れておらぬ。それに、元は一介の司教に過ぎぬ余が、君達の貴族議会の投票により『レコン・キスタ』の総司令官に任じられたのだ。総司令官と言うだけでも十分身に余るというもの。だが、君達の期待を背負うからには微力を尽くさねばならぬのでな、その為に一定の権威が必要なのだよ。わかるね?」
水のメイジは、ははぁと頭を垂れる。
「追々慣れてゆけば良い。ああ、それときみ、子爵と話があるので少し外して貰ってもいいかね?治療はもう済んだのであろう?」
水のメイジは深く頭を下げ、一礼すると、そそくさとその場を離れ、他の負傷者の手当てにまわった。
「先程から浮かない顔をしているようだが。寡兵相手に我々が甚大なる被害を被った事が気になるのかね?」
「いえ、そのような事は・・・」
「まだ君には見せていなかったね、我々『レコン・キスタ』が電光石火の如く攻め入りつつも、同胞の数を五万程まで増やす事を可能にした、始祖ブリミルが余に授けた力を」
力、と聞いてワルドは冷静を装いながらも、眉をピクリと動かした。
「余はこの通り、四大系統のいずれの魔法も使えぬ。しかし、代わりに零番目の失われし、真実、根源、万物の祖となる系統・・・」
「・・・もしや、『虚無』ですか?」
うむ、と答えるとクロムウェルは腰から杖を抜き出した。それで城内に散らばる惨たらしい死体の山を指した。
「ワルド君、きみも見覚えがあるであろう、この躯となったアルビオンの猛将達を。彼らは自分達より十倍以上もの損害を我々に与えた驚異的な存在だ。そして、だからこそ余はそんな勇猛な彼らとは良き友人となりたいと思っている。人は死を迎えれば、互いにあるわだかまりは消えるのだから。きみはそれに異存あるかね?」
ワルドはクロムウェルが何を言っているのかを疑問に思いつつも、首を横に振った。
「閣下の決定に、異論があるはずもありません」
クロムウェルは小さく魔法を詠唱した。ワルドが今まで聞いた事が無い、まるででたらめを並べているような不思議な呪文だった。
詠唱が完成すると、クロムウェルは杖を振るって、左手の指輪をきらりと光らせた。
すると、兵士達に身包みを剥がされていた、血みどろのメイジの死体が一人、また一人とむくりと起き上がった。
奇異を目の当たりにした兵士達は驚き、蜘蛛の子を散らすように城内からとんずらする。
ワルドも他の同胞からクロムウェルの噂は聞いていたが、驚きを隠せなかった。
蘇った王軍の貴族や兵士達は土気色していた肌もたちまち血色を取り戻し、
腕や脚が千切れた者も時間を巻き戻すが如く、肢体がずるずるとくっつき、身を起こす。
着ているボロボロの服とは裏腹に、生気漲る王軍の者達は先程まで死んでいた事がまるでで嘘のようであった。
「おはよう、諸君」
クロムウェルが微笑みながら語りかける。
蘇った王軍の者達は整列する。
そしてその中から生前、隊長を務めていたと思わしき、衣服を剥がされ上半身を露にした貴族が一歩前にでる。
「ご機嫌麗しゅう、大司教殿」
「いやいや、今では皇帝なのだ。親愛なる諸君」
「これは失礼した。一同、閣下に敬礼!」
城内から集まった三百弱ほどの王軍の勇が、一斉にして宿敵であったクロムェルに敬礼をする。
クロムウェルはうんうんと頷く。
「勇猛なきみたちを余の親衛隊に取り入れたいと思うのだが、如何かね?」
「喜んで、この命は元より閣下のもの」
王軍の者達の兵士も貴族も膝をつくと、クロムウェルに臣下の礼を取った。
「どうだね、子爵、素晴らしいだろう?この通り虚無は生命を操る系統なのだ。しかし、あの頑固な国王には困ったものだ、どこに隠しもっていたのかわからぬが、炎の秘薬で自決して、城の西側もろとも、毛一本も残さず消し飛んでしまっていたよ。王家の者が我々の同胞となれば、我々の大儀を大きく世に知らしめる事ができたと言うのに」
その時、伝令の兵士がクロムウェルの下へ駆けつけ、何かを耳打ちした。
その報を聞いて、クロムウェルの顔が一瞬だけしかめる。
「ふむ、そうか。残念な事にどうやら親子して、頑なに我々と分かち合える事を拒みたいようだな」
「閣下?」
「きみに要請され、礼拝堂を襲撃した兵士達の報によると、
ウェールズの遺体は残っていなかったそうだ」
ワルドはガバッと顔を上げる。
「ば、馬鹿な!私は確かにウェールズの肺を貫きました。あの状態で生きているわけが!あれだけの血を吐いたのでは水のスクウェアクラスでさえ助ける事は不可能なはず!」
クロムウェルは手をかざして、ワルドを諌める。
「まあ、落ち着きたまえ子爵。報告によると、礼拝堂に抜け道の様な穴ができていたそうだ。大方、外部からの救出隊が亡骸だけでも、と皇太子を回収したのであろう」
ワルドは地面に膝をつき、頭を垂れた。
「閣下、他の連れを仕留め切れなかった、私のミスです。申し訳ありません。なんなりと罰をお与えください」
クロムウェルは、にかっと人懐こそうな笑みを浮かべて、ワルドの肩を叩いた。
「何を言うか!子爵!きみは一人で敵軍の実質最高司令官を討ち取って見せたのだ!彼が戦場に立っていたのであれば、被害はもっと甚大であっただろう。何、彼の躯が残っていなかったのは残念だが、そうするようにきみに伝えてなかった余にも落ち度はある」
クロムウェルは何かを思い出し、辺りを見回した。
「ところで、子爵。きみに勧誘するように勧めていた『土くれ』ことミス・サウスゴーダの姿が無いようなのだが、彼女はどうしたかね?」
「それが、任務の途中で別行動を取ったラ・ロシェールで数名のメイジを相手に討ち取られたと、その場を目撃した傭兵達から聞き及んでいます」
「そうか、それは惜しい事をしたな。きみのように単独で任務を遂行できるメイジが少ないのでね。余が諳んじているハルケギニア全ての貴族の中でも、『土くれ』とまで名を広めた盗賊の彼女なら、と思ったのだが・・・ああ、肝心な用件を聞くのを忘れて話が大きく逸れてしまったな。子爵、件の手紙は手に入ったのかね?
アンリエッタがウェールズにしたためたと言う、恋文は・・・・・。トリステインとゲルマニアの婚姻を阻むための切り札は?」
ワルドは立ち上がり、破けた服の懐から丸まった羊皮紙を取り出す。
「この通り、手紙を手に入れ、幸いな事に焼かれずに済みました」
「おお!素晴らしい!子爵、早速余に見せてくれたまえ!」
手紙を手渡すと、ワルドは再び膝をついた。
クロムウェルは紙を広げ、手紙を見つめながら「うーん」と唸る。
「子爵、きみはもうこれを読んだかね?」
「いえ、ですが内容の方は、それを手にしたときのウェールズの反応から、概ねの予想はついております。そこには永遠の愛を誓ったものが書かれているはずです」
「そうか、余は僧籍に身を置いている故、恋愛というものには疎いが、昨今の若者達は恋人に面妖な手紙を送るようになったものだね」
クロムウェルは皮肉を込めた口調で言うと、手紙をワルドに見せた。
「こ、これは!?一体?何が書かれて・・・?」
ワルドは目を疑った。見せられた羊皮紙には、今まで見たことも無いルーン文字の様な模様が描かれていた。所々の文字の色が綺麗に抜けるように掠れてはいたが、どう見ても恋人にしたためた恋文には見えなかった。
「手に入れたきみがわからぬのであれば、余にわかるわけがなかろう。子爵、きみはとても優秀なメイジだが、少し詰めが甘い所があるようだ」
「閣下。手紙を手に入れる際に中身の確認を怠った私のミスです。トリステインとゲルマニアの同盟を阻止する材料を得られず、申し訳ありません」
「あまり気にするな、子爵。確かにトリステインとゲルマニアの同盟阻止は余の願うところだが、同盟を結ばれてしまっても実はかまわないのだよ。どのみちトリステインは裸だ。幾らでもやり様はある。それよりも大事な事がある。なんだかわかるかね?」
「閣下の深いお考えは、凡人の私にははかりかねます」
クロムウェルはかっと目を見開き、腕を大きく広げて、膝をつく三百弱の王軍とワルドの前で演説を始めた。
「『結束』だ!揺るぐ事の無い鉄の『結束』だ!ハルケギニアは我々、選ばれた貴族達によって国境を越え、敵味方と言う拘りを捨て、『結束』するのだ!そして、聖地をあの忌まわしきエルフどもから取り返す!『結束』するためには、何よりも信用が第一だ。だから余は子爵、きみを信用する。些細な失敗など許そう」
クロムウェルは手で合図し、王軍の者達を立ち上がらせた。
「その『結束』に加わった彼らも無残な格好をさせたままではいけないのでな。ワルド君、これで余は失礼するよ」
クロムウェルは歩き出すと、そのあとを王軍の者達が足を揃えて歩いていく。
ワルドは膝をついたまま、クロムウェルが十分離れたのを見て、強く握り締めた拳で地面を叩いた。
「おのれ、ガンダールヴ・・・!」
焼かれた胸のジクジクと鈍い痛みにワルドは手で胸を抑え、悪態をついた。
その頃、
ルイズ達はシルフィードに乗ってトリステイン上空を飛んでいた。
六人それぞれがシルフィードの背びれを背もたれにして寄りかかって跨る。
衰弱していた
ウェントゥスも本調子では無いとは言え、シルフィードの背で少し休んだので元気を取り戻していた。
先程まで穿つ、開けられていた胸の傷も、指でなぞらなければ判らぬほどに綺麗に塞がっていた。
杖を握り、簡単な魔法を使えるぐらいに回復している事を確認すると、ウェントゥスは
ブロントに声をかけた。
「友よ、まだあの手紙をもっているか?」
うたた寝していたルイズも、トリステイン上空に差し掛かった辺りから起きていた。
「ごめんなさい、ウェー・・・ウェントゥス。あの手紙は・・・」
「ここに持っているんだが?」
そう言ってブロントはカバンから一枚の丸めた羊皮紙を取り出して見せた。
「え・・・、でもわたしのためにワルドと手紙を交換したんじゃ・・・?」
「確認を怠ったワルドはアワレにも目的を果たせずに呪符デジョんの使いカスを持っていく事となった。きっと鬼の首取ったように思っていたワルドはいまごろ深い悲しみに包まれている」
「そうだったんだ、わたしてっきりブロントが手紙を渡してしまったのだと思ってた」
「自慢するわけじゃないけど俺はルイズから特に信頼されている使い魔。なので手紙を渡すなという命令を忠実に守っただけなんだが?」
ウェントゥスがにやりとする。
「さすがは我が友、機転が利くな」
「それほどもでない」
ウェントゥスはむくりと身を起こした。
「すまない、その手紙を少しの間だけ貸してくれないか?あと出来れば何か書くものを」
ブロントは手紙を手渡し、カバンから奇妙な指の様な形をしたペンを取り出した。
「ありがとう。・・・それにしてもこれまた凄い形のペンだな。まるで悪魔の指をかたどったみたいだ。ふむ、インクの色が赤いのは少し気になるが、この際贅沢は言えないだろう・・・む、勝手に動いて少し書きづらいな」
ウェントゥスがデーモンの指ペンと格闘しながらアンリエッタ王女からの手紙に何か一文を書き足すと、それを再び丸めて指ペンとともにブロント返した。
「では、私はこの辺で失礼するよ」
「せめて姫さまに一目でも、会ってゆけばよろしいのに」
ルイズはすがるような目で訴える。それに対してウェントゥスは橙色のレンズの向こうから真剣な眼差しでルイズを見つめていった。
「私が王宮を訪れれば、私に似ているとされる誰かだと騒ぐ者がでるだろう。王宮に潜む裏切り者はワルドだけとは限らない。トリステイン、そしてアンリエッタ王女のためにも私が王宮を訪ねるわけには行かないさ」
「ならば、夜にどこか人目のつかぬところで、待ち合わせるように取り計らって・・・」
ウェントゥスは微笑み、首を横に振る。
「色々心配してくれて、嬉しいよ。だけどね、アンはきみと似て、同じ様に正直で、真っ直ぐな、いい目を持っている。私と会った事を彼女が誰にも話さずとも、宮廷にいる者達にとってはその嘘をつけない目が全てを語ってしまうだろう」
「そんな・・・わたし姫さまになんて言えば・・・」
「『ウェールズは死してもなお、風と共に君を見守っている』そう伝えてくれればいい」
ルイズは暗い顔をして、俯く。
代わりにブロントが口を挟む。
「俺が言ってやってもいいんだが?」
「そうだな、自分の友人に恋人の死を伝えるなどと、女の子にはつらい事を頼む所だったな」
ルイズは決心して、顔を上げた。
「いいえ、わたしが姫さまにそう伝えるわ。何でも使い魔に任せっぱなしにするわけにはいかないわ」
ウェントゥスはにっこりと微笑む。
「そうか、すまないな。きみときみの使い魔には迷惑をかける。それと、この指輪もアンに渡してくれ。王家のモノがいつの間にか私の指に紛れ込んでしまったようだ」
そう言って、ウェントゥスは指から風のルビーを外すと、それをルイズに手渡した。
「私はこれから、私なりにトリステイン王宮に蔓延る『レコン・キスタ』の存在を調査しつつ、どこかの街で身を潜めるとするよ。何か分かり次第、私の使い魔で知らせるよ。では、友よ、あとはまかせたぞ」
ウェントゥスはブロントと腕をがしっと交差させると、口笛を高く鳴らし、<フライ>の魔法をかけてシルフィードから飛び降りた。
ウェントゥスがゆっくりと落ちていく途中、遠くから漆黒の羽根を羽ばたかせる大鷲がキーーッと鳴きながらウェントゥスに飛びよる。
ウェントゥスは腕を掲げると、黒鷲はそれを掴み、遠くに見える街灯りへの方角へと引っ張っていった。
「あら、ブロントさんのご友人帰っちゃったの?中々のイイ男だったから、もっとお近づきになりたかったのに。せっかく手伝ったというのに、どんな任務かも教えてくれないし、アルビオンも見る暇なかったし、おまけにあの子爵が裏切り者だって言うし。今回の旅は徒労ばっかりね」
キュルケが不満を漏らす。
「もうすぐつく」
タバサがぽつりとキュルケに呟いた。
「あら、よかったわ。あの穴を潜り抜けてもう土だらけだから早く洗い流したいわ」
シルフィードがトリステイン王宮上空に差し掛かったとき、マンティコアに騎乗した魔法衛士隊の隊員達がシルフィードに目掛けて一斉に飛び上がる。
王宮の警護にあたっていたマンティコア隊の隊員達はしきりに、ここは現在飛行禁止であることを大声で告げたが、タバサはそれを無視してシルフィードを王宮の中庭へと着陸させた。
一行はマンティコア隊の面々に囲まれると一斉にレイピアのような形状をした杖を向けられた。
ごつい体にいかめしい髭面の隊長が、中庭に降り立った怪しい侵入者達に大声を発する。
「今現在、王宮の上空は飛行禁止だ!ふれを知らんのか?」
ルイズは竜の上から軽やかに飛び降りて、毅然とした声で名乗った。
「わたしはラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズです。怪しいものじゃありません。姫殿下に取り次ぎ願いたいわ」
隊長は口ひげを捻って少女を見つめた。
「ラ・ヴァリエール公爵さまの三女とな」
「いかにも」
ルイズは胸を張って隊長の目をまっすぐ見つめた。
「なるほど、見れば目元が母君にそっくりだ。して、要件を伺おうか?」
「それは言えません。密命なのです」
「それでは殿下に取り次ぐ事はいかぬ。要件も尋ねずに取り次いだ日にはこちらの首が飛ぶからな」
困った声で、隊長が言った。
その時、風竜の背中から竪琴の熱情的な律動が鳴り響いた。
デンデデッデデレ♪
デンデデッデデレ♪
顔を覆う白い鉄仮面を被り、白い甲冑を着た一人の男が竜から飛び降りた。
仮面の男がステップを踏み、隊長を指差し、ポーズを決める。
――王宮という劇場に舞い降りた聖騎士
男は一言も発していないのに、マンティコア隊隊長とその隊員達の心にその言葉が響いた。
「おお、品評会で素晴らしい踊りと演奏を演じた、例の使い魔か!」
男がボロン、と竪琴を鳴らして身を翻すと、鎧をガチャリと鳴らす。
――この鎧がヤバ過ぎる牙を程よく包んでくれる
呆然としていたルイズはハッと気を取り直すと続けた。
「え、ええ!姫殿下により王宮の方でまた見たい、と仰せつかっていたので」
隊長は口ひげを撫でながら頷いた。
「成る程、王宮の皆を驚かせようと、それ故『密命』か。あいや、配慮足りず、すまなかった。しかし、隣国アルビオンが『レコン・キスタ』に制圧され、近いうちにこのトリステインにも侵攻してくるとの事で、多少厳重な警護体勢をこちらもとっていたのだ、許されよ。今、殿下に取り次ごう」
隊長の隊員の一人に事の要件を取り次ぐように命令して送ると、しばらくして隊員が戻って隊長に殿下の返事を伝える。
「姫殿下は貴殿らの来訪をお待ちしていたようだ。使い魔とその主人は殿下の部屋に、他の者達は用意する別室で休んで良いとの事だ。私が部屋まで案内しよう」
一行はマンティコア隊の隊長の案内で、キュルケとタバサ、そしてギーシュは謁見待合室に残し、ルイズとブロントをアンリエッタの部屋の前まで連れて来られた。
「それでは私はこれにて。件の『密命』が周りに知れてしまう事が心配なら、皆の興を削ぐなどという、無粋な真似をするような口の軽い者は我らマンティコア隊におらぬよ。もっとも、その事ならラ・ヴァリエール嬢の方が身をもって知っているかな?」
そう軽く冗談を言って、髭面の隊長は会釈して持ち場に戻った。
ルイズは隊長の言っている事に見覚えがなく、不思議に思いつつも、アンリエッタの部屋のドアを叩いた。
規則正しく、初めに長く二回、それから短く三回。
ノックに反応して、すぐにドアが開かれ、出迎えたアンリエッタがルイズに抱きつく。
「ルイズ!」
アンリエッタの姿を見て、ルイズも思わず顔がほころぶ。
「姫さま!」
二人は部屋の入り口で、ひっしと抱き合った。
「ああ、無事に帰ってきたのね。うれしいわ。ルイズ、ルイズ・フランソワーズ・・・」
「姫さま・・・」
ルイズはぐっと強くアンリエッタを抱きしめた。
「件の手紙は、無事、わたしの使い魔が持っています」
アンリエッタは大きく頷いて、ルイズの手をかたく握り締めた。
「やはり、あなたはわたくしの一番のおともだちですわ」
「もったいなきお言葉です。姫さま」
「・・・とにかく、わたくしの部屋の中でお話しましょう。どこに聞き耳を立てている者がいるかわかりませんから」
アンリエッタはルイズとブロントを自室にいれ、ドアを閉めると、そこでルイズは事の次第を説明した。
道中キュルケ達と合流したこと。
ラ・ロシェールで『土くれ』のフーケに襲われたこと。
アルビオンに向かう船に乗ったら、ウェールズ皇太子が率いる空賊に襲われたこと。
そのウェールズ皇太子に亡命を勧めたが、断られた事。
そして、ワルドと結婚式を挙げる事となり、式の最中ワルドが豹変した事。
ワルドが皇太子から預かった手紙を奪おうとして、更にウェールズ皇太子の胸をワルドが貫いたこと・・・。
それを聞いて、アンリエッタは悲観にくれた。
「あの子爵が裏切り者だったなんて・・・。そんな、まさか、魔法衛士隊に裏切り者がいるなんて・・・」
アンリエッタはかつて自分がウェールズにしたためた手紙を握り締めながら、はらはらと涙をこぼした。
「姫さま・・・」
ルイズが、そっとアンリエッタの手を握った。
「わたくしが、ウェールズ様のお命を奪ったようなものだわ。裏切り者を、使者に選ぶなんて、わたくしは何と言う事を・・・」
ルイズは親友の涙を見て、真実を打ち明けたかったが、ぐっとその衝動を抑え込み、唇を強く噛み締めた。
「あの方は、わたくしの手紙をきちんと最後まで読んでくれたのかしら?ねえ、ルイズ」
ルイズは頷いた。
「はい、姫さま。ウェールズ皇太子は、姫殿下の手紙をお読みになりました」
「ならば、ウェールズ様はわたくしの下に亡命をする事を選ぶより、名誉を選んだのですね」
アンリエッタは寂しげに首を振った。
「では、やはり・・・皇太子に亡命をお勧めになったのですね?」
悲しげに手紙を握り締めたまま、アンリエッタは頷いた。
「ええ、死んで欲しくなかったんだもの。愛していたのよ、わたくし」
ルイズは泣き崩れるアンリエッタに握り締められ、くしゃくしゃになっている手紙を見つめた。
「姫さま、確かその手紙に新しく何か書きしたためられているはずです」
アンリエッタは手紙を開くと、ウェールズの筆跡で、一文新しく残されていた。
『伝えたかった誓約の言葉を、君に伝える前に去ってしまう事を許してくれ。どうか、泣かずに、強く生きて欲しい。君の幸せを、私はいつまでも祈っているよ』
―ウェールズ・テューダ
「ああ、ウェールズ様・・・ウェールズ様・・・!」
アンリエッタの目からこぼれる大粒の涙が、手紙の文字にポタポタと落ちると、赤い文字が涙と混じり、まるで血の様に滲み広がる。
「姫さま・・・。わたしがもっと強くウェールズ皇太子を説得していれば」
アンリエッタは涙を拭き、申し訳なさそうに呟くルイズの手を取って、努めて明るい声をだして言った。
「いいのよ、ルイズ。貴女は立派にお役目通り、手紙を取り戻してきたのです。わたくしの婚姻を妨げ、我が国とゲルマニアの同盟を阻止せんとする暗躍は未然に塞がれたのです。アルビオンも簡単に攻めてくるわけにはいかなくなったでしょう。危機は去ったのですよ、ルイズ・フランソワーズ」
ルイズはアンリエッタに貰った水のルビーを指から外し、アンリエッタに差し出した。
「姫さま、これ、お返しします」
アンリエッタは首を振った。
「それは貴女が持っていなさいな。せめてものお礼です」
「こんな高価な品を頂くわけにはいきませんわ」
「忠誠には、報いるところがなければなりません。いいから、とっておきなさいな」
ルイズは頷くと、指輪を指に嵌めなおした。
「それと、姫さま。これを姫さまに渡すようにと、預かっています」
ルイズはポケットからウェントゥスに渡された風のルビーを取り出し、アンリエッタに手渡した。
「これは、風のルビーではありませんか。ウェールズ皇太子から、預かってきたのですか」
ルイズは神妙な面持ちで、託されていた言葉をアンリエッタに伝えた。
「『ウェールズは死してもなお、風と共に君を見守っている』、その指輪を託してくれた方が、姫さまにそう伝えて欲しいと」
アンリエッタは愛しそうに指輪を指で撫でた。
そして、アンリエッタが風のルビーを指の通すと、ウェールズが嵌めていたものなので、ゆるゆるだった。
だが、アンリエッタが小さく呪文を唱えると、指輪がその細い薬指にぴたりとおさまるように窄まった。
そして、アンリエッタは再びルイズを抱きしめた。
「ありがとう、ルイズ。そして、その使い魔さんも」
アンリエッタの笑みは寂しく、悲しげであったが、その言葉にはどこか力強さが感じ取られた。
「その方の言葉を信じて、わたくしは強く生きてみようと思います」
アンリエッタの部屋を後にしたルイズとブロントは、誰もいない王宮の廊下で立ち止まった。
「姫さまはとっても強い方だわ。わたしは近しい人がいなくなったら、と考えるだけでもとっても不安になるのに」
ぽたりと床に涙が落ちる
「なのに、わたしったら、『おともだち』と呼んでくれる姫さまを騙してしまったわ。もうおともだちと名乗る資格はわたしには無いわ」
今まで我慢していた涙が一気にルイズの目から流れ出る。
その涙を人に見られまい、とルイズはブロントに顔を埋める。
「・・・ちょっとわずかに言い方が誤用だっただけで嘘はいっていないんだが」
「それでも、あんなに姫さまを傷つけてしまった。なのに姫さまは、最後に笑ってみせたのよ」
それ以上ブロントは何も言えず、黙って胸をルイズに貸した。
学院へと戻る前に、そうしてルイズはしばらく声を殺して泣いた。
ルイズ達が魔法学院に帰還してから三日後に、正式にトリステイン王国王女アンリエッタと帝政ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世との婚姻が発表された。
式は一ヶ月後に行われるはこびとなり、それに先立ち軍事同盟が締結される事となった。
同盟の締結式はゲルマニアの首府、ヴィンドボナで行われ、トリステインからは宰相のマザリーニ枢機卿が出席し、条約文に署名した。
同盟締結式の翌日、アルビオンの新政府樹立の公布が為され、アルビオン帝国初代皇帝、クロムウェルはすぐに特使をトリステインとゲルマニアに派遣し、不可侵条約の締結を打診した。
未だ軍備が整わぬトリステインとゲルマニア両国にとって、この申し出を断る理由もなく、これを受けた。
こうして、ハルケギニアに表面上は平和が訪れ、空に浮かぶアルビオンの幻影に恐怖する日々にひとまず終わりを告げた。
最終更新:2009年09月08日 22:54