上空のアルビオン艦隊へと向かって行く中、
ルイズは手にした光る祈祷書の中に文字を見つけた。
空白のページにルーン文字が浮かび上がっていた。
ブロントの左手に書かれたものと似た、古代文字がページを埋めるように現れたのだ。
古代ルーン文字の授業で習った事を思い出しながら、ルイズはたどたどしく文字を読み説いていった。
序文。
これより我が知りし真理をこの書に記す。
この世のすべての存在は、虚ろを宿る。
四の系統はその虚ろに干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。
その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。
ブロントはシルフィードに指示を出し、ぐんぐんと『レキシントン』号へと近寄るように飛ぶ。
「用心じゃ。そろそろ相手も我等の存在に気が付いておる」
「艦隊の魔の手がのぶて来ている以上、艦砲射撃からはのげられない。このままじゃ下の奴らは全弾受ける羽目になる。迷っている時間が惜しいだろ」
ルイズは静かに高なる鼓動で、さらにページを捲る。
神は我にさらなる力を与えられた。
四の系統が影響を与えし虚ろは、虚ろなる闇より為る。
神が我に与えしその系統は、四の何れにも属せず。
我が系統は虚ろなる闇に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。
四にあらざれば零。
零すなわちこれ『虚無』。
我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名づけん。
「きゅ、きゅい~」
『レキシントン』号に近づいてきたので、シルフィードが不安げに鳴く。
一隻で空を覆い尽くさんばかりの影は圧巻であった。
「ブロント、艦の注意を惹き付け、地上の者達のために時間を稼ぐつもりなのであろう?」
「ほうお前はなかなか解っている様だな」
「ならば、あの巨艦の左舷前を飛ぶが良い」
「ちょとシャレならんしょそれは……?危険に晒すなら本人に断ってやれよ」
ブロントはバシバシとシルフィードを手のひらで叩く。
シルフィードの方は「嫌だ!」と示すように首を横に振る。
「今あの巨大艦は地上軍に攻撃を加えるために砲弾を装填しておる。しかし、その砲弾を飛竜に当てる事は至難の業じゃ」
「そうか」
「そして、このような艦では竜騎兵に接近されし時は、同じく竜騎兵を出撃させるか……散弾に込め直すのが定石じゃ」
ブロントは片眉をあげた。
「ほう。動きをコントロールしさらに時間までコントロールしていることにも気付かせずにタイムアップさせる事になる」
「そう言う事じゃ。今、王軍を射程距離に捉えておるこの巨大艦はそれで時間を稼ぐ事できるじゃろう。しかし、他の艦もその距離を詰めてきておる。それらが配置についてしまえば流石に全ての艦を止められる術はない、困ったものじゃ、のうルイズ?」
イージスは敢えてルイズに話をふる。
こんな時でも、ルイズは祈祷書をめくる手を止める事ができず、祈祷書に目が釘付けになる。
これを読みし者は、我の行いと贖罪と器を受け継ぐ者なり。
またそのための力を担いし者なり。
志半ばで倒れし我とその同胞のため、『世界の終わりに来る者』を『聖地』に封じるべき努力せよ。
『虚無』は強力なり。
また、その詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。
詠唱者は注意せよ。
時として『虚無』はその強力により命を削り、器に潜みし虚ろなる闇を増幅させる。
したがって我はこの読み手を選ぶ。
たとえ資格なきものが指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。
選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。
されば、この書は開かれん。
ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ
以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。
初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン』
「まさか……伝説、伝説の系統じゃないの!?……でも始祖ブリミル、あんたヌケてんじゃないの?この指輪がなくっちゃ祈祷書は読めないのに、その読み手とやらも……注意書きの意味がないじゃないの」
はたと気づく。読み手を選びし、と文句にある。という事は……。
よくはわからないが、自分がその選ばれし読み手なのか?
今までルイズが呪文を唱え、爆発し、『失敗』だと思ってきたものも、実はここに書かれた『虚無』だったのではないのか?
信じられないけど、そうなのかもしれない。
とにかく今は他に自分が出来る事はない。
試してみる価値はあるかもしれない。
ルイズの頭の中が、すぅっと冷静に、冷やかに、冷めていく。
先程眺めた呪文のルーンが、まるで何度も交わした挨拶の様に、滑らかに口をついた。
「おや、詔の一つでも詠めるようになったかの?」
「……イージス、あんたもしかして、この事知っていたんじゃないの?」
イージスの高笑いがする。
「ほっほっほ、風が強くて良く聞こえなかったぞ?それより詔が出来上がったのであらば、早速聞かせて貰おうかの?」
「イージス、あんたって……まったく、デルフの言うとおりね。まあ、いいわ。伝説やら神楯を名乗るあんたがそう言うのなら、ここは騙されてやるわ。本当に伝説かどうか見てやろうじゃない!」
ルイズは息を吸い込み、目を閉じた。
それからかっと見開く。
『始祖の祈祷書』に書かれたルーン文字を詠み始める。
精神が研ぎ澄まされ、ルイズの視界から不必要な情報が排除される。
眼前に並ぶ『レキシントン』号の砲門も、ルイズ達を発見し甲板から騒ぎ立てるアルビオン水兵達も、地上に並ぶアルビ オン軍も、それに迫るトリステイン王軍も。
ルイズは浮かび上がる呪文を朗々と詠み上げる。
「姫殿下!前に出過ぎすぞ!お下がりくだされ!」
馬を駆けるマザリーニ枢機卿は、王軍の先頭を疾走する
アンリエッタ王女のユニコーンに追いつこうとしたが、マザリーニが乗る馬は激しく息を切らせるばかりで、ユニコーンとの距離が縮まる気配すらない。
訓練された軍馬でも、幻獣ユニコーンの健脚に敵う筈がなかった。
城を出撃してからというもの、トリステイン王軍はろくな休憩も取らずに、一晩中駆け抜けた。
通常の行軍であれば、定期的に小休止を挟むものだが、止まらずにどんどん進んで行くアンリエッタを放っておいて、のんびり小休止を取れる筈がなかった。
だがそれ以上に、狂信的とも言えるアンリエッタの気迫によって近衛隊や王宮の貴族達はぐいぐいと引っ張られ、定石である小休止を取る事すらみんな失念していた。
砂浜に陣取るアルビオン軍が視界に入った時から、アンリエッタは冷静ではなくなっていた。
いや、出撃した時から、自分の感情に身を任せ、冷静ではなかったのかもしれない。
アンリエッタはちらりと空を仰ぐと、並ぶアルビオン艦隊を確認した。
まだ砲撃してくる気配がない。
地上の敵陣を見れば、数で言えば王軍の倍程もあった。
そして、そのアルビオンの先陣を飾るのが装備を統一してない各種傭兵隊だった。
トリステイン王国内で集められたと思われる傭兵達は、金のためならば容赦なく王女にでも刃を向けるだろう。
(わたくしが築きあげた信頼は悉く奪い去られたというのに、敵は金子でその信頼をいとも簡単に手に入れている。わたくしは一体何をもって人を信頼すれば良いのでしょうか……)
単騎で突出したアンリエッタに気付いたのか、先陣の傭兵達がわらわらと群がり、弓を構える。
アンリエッタはユニコーンを止め、素早く杖を構えた。
<ウォーター・シールド>を唱え、正面に水の壁を作りだす。
次の瞬間、矢がアンリエッタを狙って降り注ぐ。
厚く張られた水の壁が矢を飲みこみ、一瞬にして矢の塊になる。
外れた無数の矢が砂浜に突き刺さり、ザァッと音を立てる。
「急げ!姫殿下をお守りせよ!『水』メイジ!『風』メイジ!ええい、誰でも良い!早く殿下のもとへ!」
離れた後方から叫ぶマザリーニの声が聞こえる。
アンリエッタはようやく今戦地に立っているのは自分一人だけであった事に気がついた。
今この場で自分を守ってくれる者は自分しかない。
後方にいる『仲間』も、本当に『信頼』できる者はいるのだろうか?
ここにこうしてついてきた貴族達も、ただ自分達の名誉を守るためではないのだろうか?
次の矢に備えアンリエッタは、水の壁を作り直す。
(
ウェールズ様、貴方もこの様な孤独の中でも勇敢に戦ったのですか?わたくしはこうして自分が傷付かない様に、自分を守るだけでも精一杯だというのに……)
水の壁を維持するため、他の魔法が詠唱できず、守り一辺倒で、水の壁で自分自身を閉じ込める事しかできないアンリエッタは戦場の真ん中で酷く孤独に感じた。
自分が傷付かない様に、王宮で人形の様に振舞っていた自分と何も変わっていないのではないか?
「姫殿下!右に敵分隊が!」
「えっ!?」
アンリエッタの右方向には弓を構える傭兵が数人立ち並ぶ。
前に張られた水の壁の死角から射るつもりなのだろう、実際に前方以外は無防備であった。
だが、右に水の壁を張る訳にもいかない。
そのためには水の壁を張り直さなければいけないが、その隙がまったく無い。
「殿下ーッ!」
マザリーニが叫ぶ、しかし近衛隊を含め、間に合わない。
無情にも傭兵達が射掛け、 アンリエッタの横から数十本の矢が迫りくる。
「ウェールズ様……今より、貴方の下に参ります……」
アンリエッタはそう呟き、そっと静かに目を閉じる。
突如、背後から風が吹き、それがアンリエッタを包み込む。
懐かしい感じがする、暖かい風だ。
「クアッ!」
バサバサと翼をはためく音がする。
アンリエッタはそろりそろりと目を開けると、目の前には黒鷲がユニコーンの頭に上に器用に立ち、アンリエッタに会釈をしていた。
自分の周りに張られた<エア・シールド>が矢を全て弾いてくれたのか、どこも怪我をしていない。
「待ち合わせに随分と遅れてしまったようだね」
背後から聞きなれた声がした。
「……あ、………あ」
そんな筈はない、自分は死を目前にして夢を見ているのだろうか?
サク、サク、サク。
砂を踏む音がアンリエッタのすぐ傍まで近寄って来る。
恐る恐るアンリエッタは振り向くと、そこには泥汚れにまみれ、橙色の眼鏡をかけた、愛しの彼が立っていた。
「ああ……!まさか、……ウェールズ様!」
「ハハハ、そのウェールズっていうのやめてくれないか?これからは……そうだな、ハルケギニアを翔ける一陣の蒼い風『
ウェントゥス』とでも呼んでくれ」
ウェントゥスは軽く冗談言って茶化しつつも、手にもった杖で、砂塵を撒き上げながら迫りくる矢の雨を風で吹き飛ばす。
「ウェールズ様!ああ、ウェールズ様ぁあ!」
アンリエッタはユニコーンから飛び降り、ウェントゥスの胸に飛び込む。
ウェントゥスは杖を持たぬ片腕で、そっとアンリエッタを抱きしめる。
「ああ、そんな!わたくしは夢を見ているのかしら!ウェールズ様、生きてらっしゃったのですね!」
アンリエッタはウェントゥスの肩に顔をうずめる。
「いや、ウェールズ・テューダーは確かにアルビオンで死んだ。しかし、彼から君にと言付かっている。『このウェールズ・テューダーは誓う、永久にアンリエッタを愛する事を、そして死後も君を愛し続けると』!」
アンリエッタの目から涙がはらはらとこぼれた。
「ああ、なんという事でしょうか。どれだけその言葉を待ち望んだことか……」
「すまなかったね、アン。君を不幸にすると思い、君の想いに応えられず、ぼくは臆病にも逃げ続け、傷つけてしまったね」
「なにをおっしゃるの。その言葉だけで、わたくしは幸せです!」
「それを聞いて、この風のウェントゥスは安心したよ!この様な簡単な事を行う勇気をなぜ今まで持てなかったのか!」
「クアッ!」
黒鷲がウェントゥスを嘴で突っつき、ここが戦場である事を注意する。
「ああ、わかっている。敵軍は未だに健在だ。空は友が何とかしてくれているようだが、こちらは私達で何とかせねばならんからな」
「ウェールズ様……」
アンリエッタが想い焦がれた再会だったが、依然危険な戦地に赴いている事には変わらなかった。
せっかく会えたというのに、ここで死によって二人は別れてしまうのか?
不安が頭によぎると、アンリエッタは身震いをした。
「なに、心配ないさ。私にいい考えがある」
そう言って、ウェントゥスは屈託のない笑顔を浮かべる。
その眩しい笑顔を見て、アンリエッタは感極まって涙があふれ出る。
ウェントゥスはそっとアンリエッタの手を取ると、杖を持つ自分と手と合わせた。
「風の吹く夜に!」
ウェントゥスが囁いた言葉は、人目を忍んでこっそり会う時、お互いに呼び掛けるために取り決めた合言葉だった。
「水の誓いを!」
ウェントゥスの意図を察したアンリエッタは涙を拭い答えた。
「ウェールズ様!わたくしの詠唱に合わせて!」
「いいですとも!」
アンリエッタは『水』、『水』、『水』のトライアングルスペルの呪文を唱え、ウェントゥスも『風』、『風』、『風』の呪文を唱え、アンリエッタの詠唱に合わせる。
近衛隊を引き連れ、ようやく駆けつけたマザリーニは驚愕した。
アンリエッタが突然現れた青年と共に、水と風の六乗を詠唱していた。
水の竜巻が二人の周りをうねり始めていた。
トライアングルメイジ同士と言えど、このように息が合う事は珍しい。
殆ど無いと言っても過言ではない。
しかし、王家の血同士ではそれが可能であると言われている。
王家のみ許された、ヘキサゴン・スペル。
「あのお方はもしや……うわっ!?」
黒鷲がマザリーニの馬に飛び乗り、首を横に振る。
それ以上は口にするなとでも言いたげだ。
「……何はともあれ、この場を打開する可能性があるものが何者であろうと気にしておる場合ではないな。近衛!姫殿下の詠唱が完了するまで、何としても二人を死守するのだ!」
アンリエッタの下に駆けつけたメイジ達が、アンリエッタとウェントゥスの周りに魔法の防壁を張り巡らし、地面を揺らしなだれ込むアルビオン軍を押しとどめるために炎や風の魔法で牽制する。
アンリエッタとウェントゥスを中心として、白い砂が舞い上がる。
二人の詠唱は干渉しあい、巨大に膨れ上がる。
二つのトライアングルが絡み合い、巨大な六芒星を竜巻に描かせる。
津波のような竜巻だ。
この一撃を受ければ、大軍とて、ひとたまりも無いだろう。
上空ではルイズ達を乗せたシルフィードはイージスの指示に従い、『レキシントン』号を挑発するように、大砲がぎりぎりで狙えない死角を飛び回った。
『風と雷を操る魔物』が現れた、と驚いた水兵達は砲弾を対竜騎兵用の散弾に変え、撃ち落とすチャンスを見計らったが、これがなかなかどうして、射程範囲に飛び込む直前に青い風竜は身を翻す。
ブロントは呪文を唱えるルイズが振り落とされない様に、しっかりとその体を支えている。
その時である、イージスが叫ぶ。
「ブロント!後ろから魔法じゃ!」
ブロントは咄嗟にデルフリンガーを抜き放ち、半身だけ振り返り、デルフリンガーを突きだす。
槍の様な烈風がデルフリンガーに吸い込まれていく。
「おおぅ!おでれーた!突然だったもんで、何か知らんが吸いこんじまったぜ!お?相棒、やっと俺様の出番ってか!よっしゃ!待ちくた……」
ブロントはシャコン、と音を立ててデルフリンガーを鞘にしまう。
背後に一騎の竜騎兵が、烈風のように向かってくる。
ワルドであった。
ワルドは風竜の上でニヤリと笑い、叫ぶ。
「ガンダールヴ!やはり貴様か!流石は我が宿敵と言ったところだな!竜騎兵隊を一騎で殲滅したその腕は褒めてやろう!」
ブロントは弓を構え、不快感を表しながらワルドに答えた。
「勝手にライバル視するなオレの圧倒的なスキルの前におまえの命は長くない」
ワルドをめがけて、ブロントは矢を放つが、ワルドは風の魔法によってその矢をいとも簡単に叩き落とす。
「残念だったなガンダールヴ!空で貴様の力も発揮できまい!」
ワルドは<エアブレイク>を唱え、突風にてシルフィードのバランスを崩す。
シルフィードがぐらりと揺らいでも、ルイズは何事もないように呪文を唱え続ける。
エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ
「お前がただにバカだと思うぞ?バカか?」
ブロントは次々と矢を放つ。
しかし、ワルドは全て魔法で撃ち落とす。
「夜襲であれば、この私も撃ち落とせただろうな。しかし今ではそれはもう無理だ!貴様の矢が尽きた時が貴様の伝説も尽きる時だ!」
「バカが移るもういいからバカは黙ってろ」
オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド
ルイズの中で、リズムがめぐっていた。
古代ルーンを詠唱するたびに、リズムが強さを増し、体の中でうねっていく。
神経は研ぎ澄まされ、ワルドが放つ雑音はすでに一切耳に入らない。
自分の中で、何かが生まれ、行き先を求めてそれが回転していく感じがする。
いつも、ゼロと蔑まれ、魔法の才能がないと言われ続けた自分……。
そんな自分の、これが本当の姿なんだろうか?
ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ
ブロントも、ルイズの詠唱する呪文を聞いて、心が昂る。
左手が熱く滾り、そこから一つの技が頭に流れ込む。
<サイドワインダー>
ブロントは目を光らせ、矢を構える。
矢羽根の片側を指で解し、力一杯に弦を引き絞る。
弓を持つ左手がバチバチと激しく火花を放ち、木が焦げる臭いがした。
ギーシュがローゼンボーゲンに掛けた<固定化>の魔法がそろそろ限界なのだろう。
「じゃあなカス猿」
矢が飛び放たれたと同時に、弓はぽっきりと折れてしまった。
「それで終わりだな!ガンダールヴ!」
ワルドは風の魔法で矢を撃ちおとそうとする。
しかし、最後にブロント放った矢がいつもと違い、まるで蛇のようにうねり、曲線を描いて迫って来る。
まるで意思を持っているのか、回転する矢はワルドの風を避ける。
「何だこの矢は!くそ、間に合わん!」
ワルドは咄嗟に自分の乗る風竜の手綱を強引に引っ張り、傾ける。
風竜の体を盾にするが、矢の勢いは止まらず、竜の首を貫通して、そのまま矢がワルドの肩に食い込む。
ワルドの風竜は悶え、ワルドは苦痛に顔をゆがめた。
「おのれ、ガンダールヴ!!」
翼を広げたまま絶命した風竜は、吼えるワルドを乗せてそのままゆっくりと滑空するように墜落していった。
ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……!
上空で、永い詠唱の後、呪文が完成する。
ルイズは、その瞬間、己の呪文の威力を、理解した。
その魔法は巻き込む、全ての人を。
自分の視界に映る、全ての人を、己の呪文は巻き込む。
破壊すべきは何か。
ルイズは顔を上げ、目を見開き、目の前に立ちはだかる戦艦『レキシントン』号を見る。
ルイズは己の衝動に準じ、宙の一点をめがけて、杖を振りおろした。
「……デル・ウォータル!」
「……デル・ウィンデ!」
手を繋ぎ合わせたアンリエッタとウェントゥスが同時に詠唱を完成させる。
膨れ上がった巨大な水の竜巻がうねりながら砂浜に展開したアルビオン軍に襲いかかる。
通常の魔法と比べ物にならないほどの大きさなのに、驚く程に速い。
白い砂をまきこみ、白く輝く水の竜巻が次々と敵兵を飲みこんで行く。
見た事も無い強大な魔法に恐れをなしたアルビオン軍は逃走を試みるが、足元の砂に足を捕われ、竜巻を避ける事ができない。
上空の『レキシントン』号から様子を眺めていたボーウッドはうねる竜巻を見て驚愕する。
「あれは……ヘキサゴン・スペル!?あれは確か王家同士でなければ……。まさか、ありえぬ。いや、しかし、それしか考えられぬ。王権は……王権はまだ健在なのか!?」
ボーウッドの声が震える。
「ミスタ・ボーウッド、どういう事かね!?」
突然地上軍が劣勢に追い込まれている状況に、クロムウェルはうろたえる。
その時、青い風竜が横切り、ボーウッドは杖を構える少女の姿を見た。
次の瞬間、上空に光の球が現れた。
まるで小型の太陽の様な光を放つ、その球は膨れ上がる。
そして、空を浮かぶ艦隊を包んだ。
さらに光は膨れ上がり、視界全てを覆い尽くした。
誰もが咄嗟に目を瞑った。
目が焼けると、錯覚するほどの光りの球であった。
光が晴れた後、艦隊は炎上していた。
旗艦『レキシントン』号を筆頭に、全ての艦の帆が、甲板が燃えていた。
ぐらぐらと揺れる艦の中、ボーウッドが怒鳴る。
「被害報告!」
「全マスト破損!船体随所に火災!墜落します!」
「水兵!早急に閣下をボートに乗せ避難させるんだ!」
「アイ・サー!」
水兵は命令通り、クロムウェルを避難用のボートまで引っ張って行く。
ボーウッドは船長の帽子を被り直し、呟く。
「まったく、トリステインの空には一体何が潜んでいるというのだ……」
そして声を張り上げ、水兵達に命を告げる。
「総員!退避できる者はボートに乗り込め!無理な者は対衝撃態勢を取れ!」
「やったわ!本当に……本当に伝説の系統だったのね!」
ルイズは周りを見渡すと、全ての艦が炎を上げて墜落していくのを見た。
どさり。
後ろに座るブロントがルイズに寄りかかって来る。
「ちょ、ちょっとブロント。やめなさ……」
何か様子がおかしい、ブロントの顔色が悪い。
そして頭を抱え込み、かすかに震えている。
「あんた!その顔色……どうしたっての!ブロント?ブロント!」
「……いィ…。頭が……ッ!」
ブロントの顔が苦痛に歪む。
「ねえ、イージス!ブロントどうしちゃったの!?」
「……大丈夫じゃ」
イージスは淡々と答えるが、ルイズにはそう思えない。
自分が何かしたからか?ルイズは心配になって色々考えを張り巡らせる。
「約束……を、ねえ……さ……」
ブロントはそう呟いた後、ぐったりとする。
ルイズはペシペシとシルフィードの首を手で叩く。
「お願い、下に降りて。寺院の所でいいわ!」
「きゅい!」
シルフィードは短く返事すると、寺院に向かって滑空していった。
墜落していくアルビオン艦隊を、マザリーニ枢機卿は茫然と見つめていた。
地上のアルビオン軍も、その半数以上が水の竜巻によって空に打ち上げられていた。
単純に兵数で言えばこれでようやく互角といった所だろう。
しかし、二つの奇跡を見せつけられ、アルビオン軍は戦う意思を砕かれているはずだ。
その時、マザリーニは空を横切る青い風竜を見つけた。
マザリーニは大声で叫んだ。
「諸君!見よ!敵艦隊は滅んだ!伝説のバハムートによって!」
「バハムート?伝説の竜だって?」
王軍に動揺が走る。
「さよう!あの空飛ぶ翼を見よ!あれはトリステインが危機に陥った時にあらわれ、敵をその閃光を持って滅ぼすという、伝説の竜王、バハムートですぞ!各々方!始祖の祝福我にあり!」
するとあちこちから歓声が漏れ、すぐに大きなうねりとなった。
「うおおおおおおおおーッ!トリステイン万歳!バハムート万歳!」
王軍は一気に砂浜を駆け巡り、うろたえるアルビオン軍に突撃する。
マザリーニはアンリエッタとウェントゥスに歩み寄る。
一晩中戦い続けたウェントゥスが砂の上で、手を付けて座りこんでいる。
ウェントゥスの身体を心配したアンリエッタが何やら水の魔法で甲斐甲斐しくその疲れを癒してあげている様だった。
マザリーニはウェントゥスの前に立つと、一礼する。
「この度、加勢して頂き感謝致します。ウェール……」
ウェントゥスは息を切らせつつも、手をかざし、マザリーニの言葉を制する。
「誰かと勘違いしているようだが、私はただの通りすがりの風、ウェントゥスだ」
「しかし……」
マザリーニは、ウェントゥスに魔法をかけるアンリエッタの顔を見た。
いままでアンリエッタに仕えた人生の中で、マザリーニが初めて見る表情だった。
なるほど、とマザリーニ大体の事を察した。
「いえ、このマザリーニ、貴方様と良く似た誰かと勘違いしておったようだ」
「心遣い痛み入る。ところで聞いても良いか枢機卿?」
「なんでございましょう、ウェントゥス殿?」
「トリステインに、伝説の竜王など本当にいるのかね?」
マザリーニは首を横に振って、悪戯っぽく笑う。
「真っ赤な嘘ですよ。ですが、目の当たりにした光景が信じられず、誰もがその判断力を失った。この私とてそうです。しかし現実に艦隊は墜落し、あのように竜が舞っているではござらぬか。ならばそれを利用せぬ法はない」
「抜け目がないな。だが、使えるものは何でも使う。政治と戦の基本だな」
ウェントゥスはにっと笑い、立ちあがり、身を整える。
「ああ、私はもう大丈夫だ。ありがとう、アンリエッタ」
「このまま行ってしまわれるのですか?アルビオンとの戦がもう始められてしまった今、貴方の亡命を受け入れるぐらいは……」
アンリエッタはマザリーニに視線を送ると、マザリーニは頷く。
「敵は外ばかりではない、王国内に潜む虫を吹き払うには、今のままが都合いいのでね」
「ですが……」
「君は今日から人々の前に立ち、光の中へと導くトリステインの王になるのだから。影から君を支える、背中を守る者も必要だろう?何、姿は見えずとも、風はずっと君と共に」
ウェントゥスは自分の胸を指差し、そしてその指でアンリエッタを指差す。
アンリエッタはぎゅと自分の水晶光る杖を握りしめる。
「……ええ、わかりましたわ。いつの日か、このアンリエッタが、風の貴方と共に陽の下を歩ける事を願いつつ、待ちますわ。ですが、あまり待たせないでくださいまし、行かず後家と笑われ、年老いるのもわたくしとしても不本意ですから」
マザリーニはそれを聞いて眉をひそめ、軽く笑う。
「それは困りましたな。ウェントゥス殿にはゲルマニア軍一つ分の働きをして頂かないと釣り合いませんな」
「ハハハ、それは手厳しい」
マザリーニは自分の馬に跨り、アンリエッタに声をかける。
「殿下」
「何でしょう?」「何だね?」
アンリエッタとウェントゥスが同時に答える。
「オホン……『姫』殿下。此度の戦、勝利を飾るのに大将がいなくては様になりませぬ。これより、勝利を掴みに行きましょうぞ」
「ええ、今、参ります」
アンリエッタはユニコーンに跨ると、一陣の風が吹く。
振り返ると、ウェントゥスの姿はもう無く、砂浜に残る足跡だけだった。
(ウェールズ様、わたくしに、一国の『王』として立つ力をくださいまし……)
砂浜から離れた林の中で、ワルドは目を覚ました。
「ここは……?」
立ちあがろうとした時、風竜にとりつけられた鐙が足に絡まり、地面に倒れる。
「おお、子爵!起きたかね!」
ワルドは見上げると、顔を覗きこんでくるクロムウェルの姿があった。
「閣下、どうしてここに?」
強く打ちつけたのだろうか、ワルドの胸が刺す様に痛む。
「余一人が乗ったボートがここまで流れ着いてね、敵地の中で孤立してどうしたものかと思っていた所、子爵の姿が見えたのでね。今からその風竜を蘇生するのでな、少し降りてもらえないかね?」
ワルドは鐙から足を外して、事切れている風竜から降りる。
ふと自分の肩を指で触れてみるが、傷が綺麗にふさがっている。
クロムウェルが指輪で治したのだろうか?
その左手の指輪がキラリと光ると、風竜がびくびくと動いたと思ったら、何事も無かったかのように立ちあがる。
その光景を目の当たりにしたワルドの胸がズキンと痛む。
(チカラヲ……チカラヲウバエ……)
声がワルドの頭の中でこだまする。
「さあ、子爵。余をアルビオンまで護衛してくれたまえ。今回は敗北を喫したが……子爵?どうしたかね、まだ治しておらぬ傷があったか?」
ワルドは杖を抜き、冷たい声でクロムウェルに問う。
「いえ、ところで閣下、ボートに乗って来たのは一人だと言いましたな?」
「うむ、何せ急な事だったのでな。余一人乗せて、あの水兵はボートを切り離してしまったからな。子爵がこうして偶然にも居合わせたのは、実に幸運だったよ」
「幸運?それはどうだろうな」
ワルドがふっと、閃光の如く杖を振り上げ、風の刃をクロムウェルに向けて飛ばす。
その瞬間、クロムウェルの左手が斬りおとされ、腕口から鮮血がほとばしる。
「ぎゃぁああ!!し、子爵!な、何を!」
クロムウェルは右手で血が流れ出る左腕を抑える。
ワルドは不気味な笑みを浮かべ、落ちた左手を拾い上げる。
そして血がまみれた指から指輪は外すと、ごみの様にクロムウェルの左手を落とす。
「自分の秘書の言う事を聞くべきだったな。早々にこの私の心を指輪で支配してしまえば良かったものの」
「がっ……し、子爵!聞いていたのか!?」
「クロムウェル、貴様が虚無を担う者と信じて従っていたが、ただのペテン師とわかればもうその必要は無い。後は利用できる力は利用させて貰うだけだ」
クロムウェルの顔が苦痛にゆがみ、青ざめる。
「ま、まて。余は……いや私はただ……」
「ふむ、誰にでも使いこなせるとあの女は言っていたが、困ったな、どうやって発動すればいいものか」
ワルドは指輪を自分の指に嵌めて色々試みているが、何か使用するための条件でもあるのか。
「クロムウェル、この指輪の使用方法を教えろ」
その言葉には何も感情が込められていない、淡々とした口調だった。
「そ、それはできぬ!」
ワルドは笑みを浮かべる。
「そうか、まあ良い。直にその考えを改める事になるだろう」
ワルドはピュッと杖を突きだすと、それをクロムウェルの右腿に突き刺す。
クロムウェルの絶叫が響き渡る。
「不相応な力を手に入れてしまった自分を呪うのだな」
林からこの世とは思えない悲痛な叫びが続く。
そして数分後、辺りはとてもとても不気味な静寂に包まれた。
「ほう、首が落ちても復活させられるとは。中々素晴らしい力だ」
ワルドの左手に嵌められた指輪がキラリと光る。
横たわったクロムウェルがむくりと置きあがる。
「これはこれは子爵、御機嫌よう」
「挨拶はいい。これから、アルビオンまで送るが、今まで通りに振舞え。貴族議会にいらぬ疑惑を持たれても面倒だ」
「ええ、子爵のためならば是非も無し」
クロムウェルはニコニコとして、風竜に跨る。
「閣下、お忘れ物です」
ワルドは今まで通り、クロムウェルに向けていた口調に戻る。
地面からクロムウェルの左手を拾い上げると、それをクロムウェルに放り投げる。
「おお、すまぬな。忘れてしまう所であった」
クロムウェルは、手の切り口を自分の腕口に当てると、それが瞬く間にくっついていった。
ワルドは高笑いを上げながら風竜にまたがる。
「フハハハハハ、そうだ!これが求めていた力だ!いや、まだ足りないな!必ずや『虚無』の力すら手に入れて見せるぞ!」
最終更新:2009年11月30日 00:06