アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号の後甲板から、艦長のボーウッドは鋭い眼をもって、深夜の砂浜を見渡していた。
タルブ攻略が開始されて以来、ボーウッドは卑怯なだまし討ちであるこの作戦への批判も、人間らしい情も、政治的不満もすべて頭から吹っ飛び、ただ忠実なる軍人となっていた。
隣ではクロムウェルが満足気な表情を浮かべて、タルブの砂浜に展開するアルビオン軍の松明の灯りを眺める。
「どうだね、ミスタ・ボーウッド?降下隊は無事、傭兵隊と合流できたのかね?」
「はっ、閣下。先ほどの伝令によれば、砂浜に降り立った三千、それに集められし傭兵隊の一千、合わせての四千が陣を編成中との事です」
「うむ、予定通りだな。それに加え、『支援者』からの水陸両用艦の二隻も間もなく到着するだろう。余が聞いたところ、何でも有能なメイジ達を集めた部隊が乗っているそうだ。戦力として五百、いや……一千と見ていいだろう」
その時、伝書フクロウの伝令を携えた水兵が二人の前に駆け込んできた。
「偵察隊より伝令!申し上げます!ラ・ロシェール方面にトリステイン王国軍が部隊を展開。その数二千。敵隊の中にトリステイン王女
アンリエッタの旗印を確認!また、王国軍は明朝の日の出とともにラ・ロシェールを出撃し、タルブにて我々を迎え撃つつもりである、との事です」
「無謀な、制空権を取られ、数でも劣るのに、敢えて野戦を望むとは」
ボーウッドは静かに呟いた。
「この『親善訪問』に、御多忙であろう王女殿下が直々に迎えに出てくれるのだ、実に光栄な事ではないか。ミスタ・ボーウッド、くれぐれも王女殿下に粗相があってはならない。この『レキシントン』号で持て成す準備をしたまえ。確か、王族には二十一発の『礼砲』が習わしだったな?」
クロムウェルはにやりと不敵な笑みを浮かべる。
言葉に含まれた皮肉の意図を理解したボーウッドは直ちに水兵達に命令を下す。
「左砲実弾装填!夜明けまで半舷交代で待機!」
「左砲実弾装填、アイ・サー!」
ボーウッドは地平線の彼方を見つめ呟く。
「あと数刻で夜明けだな……トリステインの王権もそれまでか……」
ルイズと
ブロントを乗せたシルフィードは、黒鷲の先導の下、タルブ寺院近くの林に降り立った。
「以前と違って、夜は不気味ね……」
砂浜に灯るアルビオン軍のかがり火が薄らと見える以外、五歩先も見えない暗さだった。
先を歩く黒鷲の姿は闇夜に紛れてその姿が全く見えなくなってしまったが、鳴き声でルイズ達を誘導しているようだった。
シルフィードはきゅい~となんとも弱弱しく鳴き声を漏らし、オドオドとしている。
「図体に似合わず、あんた意外と臆病な風竜なのね」
と言いつつ、ルイズもブロントの腕にしがみ付いている。
「うるさい、気が散る。一瞬の油断が命取り」
「バレる、ってこんな所までアルビオンも展開しているわけないじゃ……もがっ!」
ブロントが咄嗟にルイズの口を塞ぐ。
「もっふぉ、ふろんふぉ、ふぉにふぃふぃふの」
「バレて援軍とか呼ばれて一巻の終わり」
そう静かに囁いた後、ブロントは林の奥を指差す。
松明だろうか、六つ程明かりが揺ら揺らと林の向こうで踊っている。
ルイズは耳を澄ますと、男達の喧騒が聞こえてくる。
『おい、襲撃されているぞ!』
『明かりを消せ!』
『何が田舎の寺院はお宝が眠っている、だ!メイジがいるなんて聞いてないぞ!』
『ぬぐぁ!』
風に吹かれ、木々がガサガサと激しく揺れる。
枝が弾けるような音とともに、明かりが一つ一つ消えてゆく。
やがて、林の中の明かりが全て消え、風も止み、辺りは静寂を取り戻す。
ルイズはブロントに口を塞がれたまま、じっと息を殺した。
シルフィードも茂みの中に頭を隠してふるふると震えていた、もっともその首から下は丸見えだったが。
闇の向こうからルイズ達に歩み寄って来る一つの足音があった。
パキ…パキン…ペキ…
枝を踏み折る乾いた音が次第に大きくなる。
ルイズは杖を抜くと、音が鳴る方向へと向ける。
ブロントもその手を腰のデルフリンガーにあてる。
足音はぴたりと止まる。
代わりにそこから「クァッ」と黒鷲の鳴き声が聞こえ、ばさばさと翼がはためいた。
「敵じゃない、私だ」
闇の向こうから語りかけた者が<ライト>の魔法を唱え、その杖の先に光を灯す。
ウェントゥスだった。
彼が着ていたガンビスンが泥だらけになっていた。
所々、茶色かかった赤い染みが付いていた、血だろうか?
「ウェントゥス様!お怪我は!?」
ウェントゥスは首を振った。
「大丈夫、そんな無茶はしてないよ。私が倒れてしまってはタルブの皆を守る者がいなくなってしまうからね。この服に付いているのは、一儲けを試みて本隊から外れ、寺院を狙ったはぐれ傭兵達のものだ」
ウェントゥスは手にした杖を鞘に収めた。
「良く来てくれた、友よ。この通り、私一人では一度に数名の傭兵を相手するのがやっとでね。あまり派手にやって寺院の存在がアルビオン本隊に知られてはまずいので、我ながら姑息な手段だが、夜襲をかけていたところだ」
「見事な仕事だと関心はするがどこもおかしくはない。他にはいにぃのか?」
「先程ので、寺院に興味を持った『信心深い』者たちは全て始末した筈。今確認して貰っている、鳥にしては夜目が利く方でね」
ウェントゥスが上を指差すと、上空から甲高い黒鷲の鳴き声が返ってきた。
「シエスタや、タルブ村の人達は無事なの?」
「ああ、みんな無事に寺院の中に避難している。流石ブロントの姉上が建てただけの事はあるな、並のメイジでは傷も付けられない程頑丈な寺院だよ」
イージス誇らしげな表情を作り、頷く。
「当然じゃの。セラーヌがこれを建てた際、護る事に置いて右に出る者のないこの神楯イージスがその設計に携わったのじゃ。祭礼の場としてより、むしろ砦と呼ぶに相応しいかものう」
デルフリンガーが鞘から少しだけ刃を覗かせる。
「おい、イージス。てめ、仮にもタルブの御神体様だろ。姉御の村が大変だって時に、てめえの自慢している場合か?」
イージスはしかめ面の様な表情を作る。
「わかっておる。まずは村を焼いて回った竜騎兵隊を何とかせねばならぬ。そやつら我が物顔で飛び回っておるうちは、王軍も手がだせぬわ」
ウェントゥスは頷く。
「あれは確かにやっかいだ。制空権を握られたままでは、地上の王軍は火竜のブレスの格好の餌食になるだろう。時折、王国も竜騎兵を送っているようだが、あの方法ではハルケギニア最強を誇るアルビオン竜騎兵隊を打ち破れるわけがない」
イージスはにやりとする。
「ほう、流石少数にて大軍を相手にしていた事がある者じゃのう。そう言うからには何か良い方法があるのじゃな?」
「……寡兵を以って大軍を制す、か。そうだな、こちらも風竜があれば手が無い事もないが……」
茂みに頭を隠して震えているシルフィードに一同の視線が集まる。
「きゅい!?」
じっと見つめられる熱い視線を感じたシルフィードが首をぶんぶんと横に振る。
イージスはワザとらしい程に悲しそうな表情を作る。
「乗り気ではないようじゃの。仕方ないのう、このままタルブの裏名物、『トゥーナのかぶと煮』が二度と食せぬ様になってしまうとは、至極残念じゃ」
シルフィードの目がキラリと光る。
「ピリリとジンジャーがきいた甘辛い秘伝のタレで、骨から肉が蕩け落ちる程までに煮込んだ丸ごとのトゥーナの頭。このレシピを守ろうと、我こそはと立ちあがる風竜はおらぬのか……私が口利きすれば村の者は喜んで作ってくれるだろうに」
「きゅい!きゅい!」
シルフィードは嬉々として自分の事を指差した。
「おお、勇気ある決断!そちの様に勇敢なる風竜が、名乗り上げた事に、私は感動を禁じえない!」
「きゅい!きゅい~!」
大げさに演技するイージスを見て、デルフリンガーがハバキを鳴らして笑う。
「へっ、イージス、口先で丸めこむなんてよ、前からてめのそういう狡賢い所が気に入らねえんだよ。大体よ武具なら……」
「デルフや、潮風に当たるとそちの輝く見事な刀身に良くないのう。しっかりと鞘に収まると良いぞ」
「お?そうか?そうだな、おい相棒、俺様をしっかりと鞘の中にしまってくれ、隙間から潮が入ってこねえようにがっちりとな!」
ブロントは言われたように、デルフリンガーを鞘にがっちり嵌め、更に留め金をしっかりと掛ける。
ウェントゥスが軽く笑う。
「ハハハ、さて。緊張がほぐれた所で、急ごうか。夜が逃げてしまう前に始めなくてはな。友よ、弓はどれ程扱える?」
ブロントは首を横に振りながらカバンから弓と矢筒を取り出す。
「俺は弓術はどちかというとまったく使えないのだが」
ブロントの背中に背負われたイージスが呟く。
「あまり謙遜するでない。その左手の紋様があれば、そちも一流の狩人以上に弓を使えるはずじゃ」
「それは頼もしいな。うむ、そうだな、これで行こう」
ウェントゥスは思いついた作戦の内容を皆に伝える。
ルイズが少し不満そうな顔をする。
「ウェントゥス様、それは、少し卑怯じゃないかしら?」
「さあな、私は貴族ではないからな。空賊流儀で言えば、不意打ちだまし討ちは基本でね」
ブロントは頷く。
「先に違法行為で仕掛けてきたのが奴等だろ。俺は今のところ我慢してるけどいつ怒るが爆発するかわからない」
「そ、それもそうね」
ルイズ達はシルフィードの背に跨る。
「よし、行くぞ。ええと、何といったかな……まあいい、飛び立て『イーグル』号よ!」
「きゅい!?きゅい!きゅい!」
『イーグル』号と呼ばれたシルフィードは何やら否定をするように両手をぶんぶんと振る。
「ハッハッハッ、気にいったか!よし、『イーグル』号、微速浮上」
「きゅい~……」
シルフィードは主人の
タバサ以外に人語で語る事を固く禁じられており、名乗り上げ正す事もできなかったので『イーグル』号と呼ばれるのを受け入れるしかなかった。
後でたっぷりとツナの頭をお腹いっぱい食べさせて貰うんだから、と自分に言い聞かせてシルフィードは音を抑えてゆっくりと飛び立った。
タルブ上空。
ハルケギニア最強の竜騎兵隊と謳われるアルビオン竜騎兵は旗艦『レキシントン』号を中心として、タルブの上空を巡回していた。
その数およそ二十騎。
暗闇の空の中、竜騎兵隊は互いに<ライト>の魔法を用いて連絡を取り合っていた。
『日ノ出ト共ニ、トリステイン軍ハ総攻撃ヲ仕掛ケテクル。警戒ヲ怠ルナ』
杖の先の光りを点滅させる法則は軍によって違い、空の覇者たるアルビオン竜騎兵のそれは、他国軍に手の内を読まれぬ様にともっとも複雑を極めた暗号ですらあった。
南の空に、チカチカと光が瞬く。
『東ノ空ニ敵竜騎兵斥候ガ飛来。各騎散開シ、追跡セヨ』
『レキシントン』号の周りを旋回していた竜騎兵はその信号を次々と他の竜騎兵に伝え、『レキシントン号』を離れ散開する。
またチカチカと光が瞬く。
『敵艦隊ヲ上空ニ発見。上空カラノ奇襲ニ警戒セヨ』
一人の竜騎士が上空を見上げる、
(夜に乗じて艦隊を用いた奇襲?トリステインはまだ艦隊をもっていたのか?)
「クァッ」
鳥の鳴き声が耳の横を掠める。
その時、一陣の風が隊員の頬を撫で、鈍い振動がその竜騎士の体に伝わる。
(な、何だ?高度が落ちているぞ。どうした!?)
騎乗した火竜を見ると、その首は穴をあけて抉られており、矢が矢羽根まで深く刺さって絶命していた。
きりもみしながら騎士は火竜ごと、タルブより離れた東の草原に、静かに墜落していった。
ウェントゥスは<ライト>の魔法で、アルビオン竜騎兵の暗号を用いた嘘の信号を空に送る。
アルビオン空軍の暗号を熟知していたウェントゥスの偽の信号であるとも知らず、撹乱されたアルビオン竜騎兵は空を右往左往と飛び回り、ひたすら上空を警戒し、低空で羽音もたてずに滑空するシルフィードには気が付いていない。
「友よ、いい腕だ。『イーグル』号、旋回して先程と同じ針路を戻れ」
ウェントゥスに<サイレント>の魔法をかけられたシルフィ―ドは静かに距離を取り、旋回する。
「クァッ」
単独で飛行する竜騎兵を目標として捉えた黒鷲が合図の鳴き声を送る。
ウェントゥスはブロントの肩を叩く。
「上方四十度、左に二十五度。微調整は私の風でやる」
ブロントは頷き、左手にローゼンボーゲンを構える。
左手のルーンから、弓術に関する技術の全てがブロントの頭に流れ込む。
魔法すらも凌ぐ程の威力を秘めた狩人の技が、体中に刻みこまれる。
ブロントの目が鷹の様に細くなり、上空に浮かぶ火竜の影を狙う。
固く張られた弦に矢を掛け、引き絞る。
弓を握る手がバチバチと電流がほとばしる。
「ウィンデ!」
ウェントゥスが杖を振ると、火竜へと繋がる風の通り道を作る。
ブロントはその作られた風の道に矢を乗せて放ち、矢が火竜へと吸い込まれ、突き刺さる。
「次、上方三十二度。正面だ。ここからでは首が見えない、翼を狙えるか?」
「隠された力を発揮する披露宴となる」
ブロントは矢筒から四本の矢を右手の指それぞれに挟むと、それを纏めて同時に射掛け、矢の<乱れ撃ち>を放つ。
散弾の様に放たれた矢が、火竜の翼に穴をあけ、片翼を破かれた火竜はぐるぐる回転しながら地面へと落ちてゆく。
次々と落ちてゆく竜騎兵に、不振に思い始めた竜騎兵が信号を送る。
『敵襲ヲ受ケテイルノカ?正確ナ情報ヲ報告セヨ』
ウェントゥスが杖で光りを送る。
『コチラハ異常ナシ、北ノ空二不審ナ動キアリ』
闇の向こうから返答が返って来る。
『ソノ方ノ所属ト名前ヲ名乗レ』
『雷ヲ運ビシ風ノ<ウェントゥス>』
竜騎兵が次の行動へと移れる前に、ガクンと火竜が右に傾いた。
火竜の右翼が矢によって胴体に縫い付けられていたのだ。
「くそ、トリステインの空に一体何が潜んでいるというのだ!うぉおおおおお!」
騎士は雄たけび上げながら草原へと墜落していった。
タルブの遥か上空に浮かぶ『レキシントン』号。
クロムウェルは、艦に取り付けられた水時計を確認する。
「間もなく夜明けだな。ミスタ・ボーウッド。君は実に運が良い。二つもの王権が潰える所をその目で見る事をできるなど、そうそうない事だぞ」
ボーウッドは表情を一つ変えずに白む空を見つめていた。
彼は軍人として、何とも言えぬ違和感があった。
空がやけに静かだった。
艦の周りを巡回する火竜のきりきりと響く鳴き声が静まっている。
トリステイン軍の総攻撃に備え休憩を取っているのだろうか?
いや、展開している竜騎兵に艦に帰還する命はまだ誰も出していないはず。
(竜騎兵隊はどうした?姿が見えないぞ)
その時、伝令の水兵が飛び込んでくる。
「差出が『支援者』と書かれた閣下宛ての伝書です!」
クロムウェルはにこやかに笑顔になる。
「おお、遂に水陸両用艦隊が到着したのか?よい、読み上げたまえ」
「はっ!」
伝令は伝書を広げ、高らかに読み上げる。
『支援者ヨリ送ラレシ我ガ艦隊ハ、オルレアン上空ニテ、『ブラックコフィン』号名乗ル空賊ニ襲撃サレシ。拿捕ハ免レタガ、両艦共ニ小破。作戦続行不能トノ判断ニヨリ帰還ス。『親善訪問』作戦ノ成功ヲ祈ル』
「なんと、ここまで来て空賊とはついてないな。仕方あるまい、我々だけでも十分に戦力でトリステイン軍を上回っているのだ。予定には変更はないな、なあミスタ・ボーウッド?」
クロムウェルがそう問いかけていた時、ボーウッドは別の伝令が渡したであろう伝書を読んでいた。
「何かあったのかね?」
「どうやら、昨晩のうちに竜騎兵隊が夜襲にあったようです。展開していた二十騎がいつの間にか撃ち落とされた、と」
クロムウェルは驚愕する。
「誰にも気取られず、アルビオンが誇る竜騎兵隊を撃ち落とせる精鋭を、トリステインは持っていたとでもいうのか?」
「生存した者の証言によれば、『風の如く忍び、雷の如く穿つ』謎の魔物が空に潜む、とあります」
クロムウェルは両手を広げ、頭を振る。
「馬鹿な、魔物などいるものか」
「ええ、しかし空中戦を熟知した相当な手錬がいたのは確かでしょう」
「子爵はどうした、彼も落とされたのかね?」
「いえ、報告では子爵殿の風竜は被害に含まれておりません。しかし、艦内にも子爵とその風竜の姿は無いようです」
「ふむ……まさか子爵が?いや、それは無いか。あの
ワルド子爵であろうと、流石に竜騎兵二十騎を相手にする空の技量は持ち合わせていないはず。それに一度裏切った祖国にまた加担する意味が無い」
「閣下、竜騎兵隊は全滅しましたが、本艦『レキシントン』を筆頭に、艦隊は未だ無傷です。ワルド子爵も彼なりに何か策があるのだろう。作戦の続行に何も支障はありません」
「そうであったな、ミスタ・ボーウッド。大事の前の小事に気を取られてはいかぬな。例え竜騎兵を落とす魔物がいようと、この艦隊の艦砲射撃を止める術はないからな。おお、夜が明けるぞ」
地平線から太陽が覗かせ、明るむ大地と共に、陣を組むトリステイン軍の姿を露わにした。
ボーウッドは艦に命令を告げた。
「左砲艦砲射撃用意!寝ている者は全員叩き起こせ!」
タルブ上空。
「何とか夜明けまで竜騎兵を全て潰す事ができたみたいだな」
シルフィードに跨るウェントゥスが白む空を見て呟いた。
一番前に座っていたルイズは驚いた表情で、地に落ちた竜騎兵を見渡した。
「信じられないわ、竜騎兵隊をこんな方法をもってたった一騎で倒しちゃうなんて。空賊流と言うのも凄いのね」
ウェントゥスは笑う。
「ハハ、今回は良い条件がたまたま揃っていたからだよ。これほどの利がいつもこちらにあれば空賊稼業も楽なのだがね。それに大局を動かすほど事ではないさ。上空に浮かぶ艦隊がトリステインにとっては大きな脅威であるのは依然変わりない」
ブロントが黙って、煙を上げ、焼け落ちたタルブの漁村を眺めていた。
潮の香りが混じる家屋の焼けた臭い、立ち上る煙と揺らめく海がブロントの心を揺さぶる。
今にも血が逆流し、頭の先を突き抜けて行きそうな感覚であった。
「どうしたの?ブロント」
「なんでもにい」
ブロントの左手が激しく火花を散らしている。
辺りの偵察に飛ばした黒鷲の目を借りて、ウェントゥスは目を瞑っている。
「ようやくトリステイン側も到着したようだな……何故だ!?」
突然ウェントゥスは声を荒げる。
「何故先頭の旗印がユニコーンと水晶の杖なのだ!?」
「え……それってもしかして姫さまの……?」
「ゲルマニア軍の到着を待たずに、アン自らが軍の先頭に立ち、戦場に赴くとは……、察するにゲルマニアは援軍を出すのを渋ったのだろうな……」
ルイズは心配そうに尋ねる。
「勝ち目はあるの?」
「難しいな、アルビオンの半数程の王軍しか集められていない。何より上空のアルビオン艦隊がいては万に一つも可能性は無いだろう。せめて艦砲射撃を遅らせる手立ては……くそ、あれだけの艦隊を一度には無理だ!」
ブロントはウェントゥスに背中を向けたまま語りかける。
「おいィ?お前それで良いのか?」
「良くはない!アンリエッタを護るべきものがあそこにいないのだぞ?ゲルマニア軍も、王宮の国軍も!あのままでは、アンリエッタは……」
「最強の義務は最強のプレッシャーとなって襲いかかってくる。お前それで良いのか?」
「友よ……一体何を」
「お前はこんな所で俺に話したりする余裕があるのか?」
ウェントゥスははっとした顔になった。
ブロントの背中に背負われたイージスがウェントゥスに面と向かって語る。
「彼女を護るべき者なら、今ここにおるではないか」
「しかし、私がアンを……今更そのような身勝手は……」
「なんじゃ、不意打ちだまし討ちが得意な空賊流を見せた者が、今更その様な事気にしておるのか。空の無粋な者共が気になるのなら心配は無用じゃ。このタルブを護りし神楯イージスが言うのじゃ、任されよ」
ウェントゥスは強く唇を噛む。
「……いいのか、この私が、この手で……?」
「お前がいないアんリエッタに未来はにい」
ブロントはウェントゥスの襟を掴み、シルフィードから放り投げる。
「ちょ、ちょっとブロント!」
ルイズが慌てふためくが、ウェントゥスは動じず、落ちながら<フライ>の魔法を唱える。
ウェントゥスは晴れ晴れとした笑顔で、飛び去るシルフィードに向けて叫ぶ。
「友よ!また大きな借りができてしまったな!そちらは任せたぞ!」
黒鷲が勇ましく鳴き、ウェントゥスの高らかな笑い声が轟く。
「さあ、行くぞ!この恥知らずのウェントゥス、今参る!」
黒鷲は主人の手を引き、王軍の下へと羽ばたいていった。
「と言ったものの、イージス、本当に何とかできるの?あれ」
ルイズは空の艦隊を指差す。
「逆にそちを問おう。そちはその祈祷書を持ちながら、何をしておるのじゃ?」
「……悪かったわね、何もできない『ゼロ』で」
「では何故この戦場に来たのじゃ?何かを成し得たかったのではないのか?」
ルイズはうー、と唸る。
「わたしだって、何とか姫さまの力になりたいと思っているわよ。でもブロントみたいに戦える訳ではないし、ウェントゥス様みたいに知略があるわけでもないわ」
イージスが威厳を込めて笑う。
「ホッホッホッ、そちが如何なる能力を持っているか等些細な問題じゃ。肝心なのはそちが、相手をどう想ってやり遂げるかじゃ。それを踏まえて、今一度祈りでも捧げてみれば良かろう」
(姫さま……わたしは……)
ルイズはふとポケットの中に入れたあったアンリエッタよる譲り受けた水のルビーをそっと指に嵌めた。
(わたしは、ただ祈る事しかできないの……?)
ルイズが何気なく、始祖の祈祷書を開いた時、ルビーと祈祷書が光り輝きだした。
「な、何よこれ!?」
最終更新:2009年11月24日 00:27