大神藤林氏


本姓 名字
大神 藤林
オオガ フジバヤシ

藤林氏とは

藤林氏は武士。
豊後大神氏の末で、室町幕府及び徳川幕府に仕えた。
源平の後、佐伯に封ぜられた緒方惟栄の末裔であり、九代緒方文光の頃に近衛家から藤林の号を得てこれを名乗るようになった。足利尊氏に従って武功を得て、以後室町幕府の幕臣として活動。その滅亡後は織豊政権、次いで徳川家康を頼った。
曰く、室町幕臣藤林伊賀守綱次は織田信長・豊臣秀吉に仕え、その長男である藤林道寿綱久は駿河に下って徳川家康に仕えた。関ヶ原及び大坂にて武功があり、その後は医道を志して今大路(一渓)道三の門下となり、幕医となった。
元和六(1620)年の将軍徳川秀忠の娘東福門院が入内するときこれに供奉し、また寛永一七(1640)年に幕命により京都鷹ヶ峰大樹公御薬園を預かり守護することとなった。
綱久には二人の弟がおり、一人は長州藩医・藤林綱家、もう一人は勝嶋宗次がいた。綱久には息子が居らず、弟の勝嶋宗次の長男藤林惟綱(慶長一七(1612)年生)を婿養子としたが、寛永三(1626)年に実子藤林照綱が生まれたため、藤林惟綱が院医となり、のちに藤林照綱に御薬園の守護を譲らせたという。
藤林綱家の家系は、緒方氏に改めて代々医師をしたが、享和三年(1803)緒方惟常の代で自刃により途絶えた。
藤林惟綱の家系は、子の代にやはり緒方氏に改め、知己によって豊前小笠原氏に仕えたが、減封された主家を去って、長州毛利氏に仕えた。どうやら小笠原流礼式の師範としての登用であったようである。この家系は緒方を木村氏に改めた一族が現在も残っているという。

関連項目

人物

  • 東福門院
  • 徳川秀忠

出来事や用語




タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年02月06日 11:03
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。