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『きっと、壊れてる』第6話(1/8) sage 2010/09/18(土) 12:52:45 ID:T/nJk0Bm
北鎌倉駅で電車を降り、円覚寺を回って鶴岡八幡宮まで来た。
休日にも関わらず、人はまばらだった。これも大銀杏が倒れてしまったせいか。
神奈川県の天然記念物にも指定されていた樹齢800年~1000年ともいわれる大銀杏は、
先日の台風による強風で倒壊してしまい、新芽を残し、その長い役目を終えていた。
浩介と美佐は、大銀杏が立っていた場所を見上げ、二人並んでいた。
「あんなに太くて大きい樹だったのに、こんな簡単に折れちゃうんだね。台風ってすごい」
ノースリーブにジーンズと、動きやすい格好の美佐が、隣に立つ浩介を見上げ心底不思議そうな顔をした。
「同感。でもケガ人が出なくて本当に良かったよな」
「ん~本当に。あっ浩介、あっちに茶店みたいなのがある!少し休んで行こうよ!」
「あぁ」
浩介は昨日の深夜、美佐に遊びの誘いを受けるメールを返信していた。
当初は動物園に行く予定だったが、美佐が「やっぱり海の近くに行きたい」と提案し、行先は鎌倉になった。
二人は赤い鳥居を潜り、八幡の階段を下って土産屋や飲食店が並ぶ路へと歩いた。
通りには様々な店が並んでいて、眺めながら歩くだけでも楽しい気持ちにさせてくれる場所だった。
その中の一つである、『小島屋』と書かれた看板を掲げた茶店で二人は休むことにした。
店の外にあるテラスのような席に通され、恰幅の良い中年の女性が注文を取りに来た。
美佐は小島屋の名物であるらしいあんみつを、浩介は抹茶味のアイスクリームを注文した。
「ここのあんみつ、おいしいんだって~!ホラ!みんな食べてる!あぁ~楽しみ」
美佐は辺りを見渡すと、心底楽しみにしていそうな表情を見せた。
「なんだ、最初から狙って店に入ったのか」
「細かい事気にしなさんな。あぁ早く来ないかな~・・あっ来た!!」
売れ筋の商品だからか、美佐の頼んだあんみつは3分も経たずに運ばれてきた。
待ってました、と言わんばかりに目を輝かせ、あんみつを携帯のカメラで撮っている美佐に、浩介は呆れながらも可愛らしいと感じた。
心地良い程度の風がテラスを吹き抜ける。
浩介は美佐があんみつに夢中になっている間、少しだけ目を閉じ風を体全体で感じた。
すぐ近くに由比ヶ浜海岸があるためか、潮の香りが風に乗って漂ってきたような気がした。
人間は海へ来ると落ち着くという話があるが、この風を1日中受けていると、本当にそう思った。
茜への執着心、依存心、実の妹に欲情する汚れた本能。
すべて洗い流してくれそうな気がした。
「ねぇ、浩介」
美佐が、白玉をヒョイッと口の中に含んだ。
いつの間にか浩介の前には抹茶のアイスが運ばれて来ており、美佐は既にあんみつを食べ始めていた。
「ん?」
「私さ、てっきり今日は断られると思ってたんだけど・・どうして? あっ、あんみつ少し食べる?」
「いや、いい。・・・そうだな、いつまでも逃げていたら、前に進めないからかな」
「逃げてたら前に進めない?」
「そう、進めない」
確認のつもりだったのか、そう聞くと美佐は優しく微笑んだ。
「なるほど、じゃあ今日で白黒ハッキリするわけですな?」
「・・・あぁ、ハッキリさせようか」
浩介がそう言うと、美佐は満足したように頷き、あんみつのあんこをスプーンですくい取り口の中に入れた。
「あっ!!じゃあ舞台は夕暮れの砂浜で!」
「ハハッなんだそれ」
浩介は、もう自分の出す答えが美佐にバレてしまっている事に気付いた。
7 『きっと、壊れてる』第6話(2/8) sage 2010/09/18(土) 12:53:16 ID:T/nJk0Bm
空が赤く霞む中、その赤霞の中を気持ち良さそうに飛んでいるトンビがなぜだか神々しく見えた。
右方に目を向けると、江の島が見える。山が夕日に照らされていて、無骨な美しがそこにはあった。
波がすぐそこで、一定のリズムで奏でるBGMが心地よかった。
チュッ・・チュッ・・・
「ぶはっ・・・変わらないね、浩介」
「何が?」
「キスする時、目を閉じないクセ」
美佐は浩介の頬を愛しそうに撫でた。
「変かな?」
「普通・・ではないよね。でも変わってないのが逆に嬉しい」
そう言うと、美佐はニコリと笑い、軽くキスをしてから浩介の腕の中に再び収まった。
「確認だけど・・・本当に良かったのか?」
「・・・うん、いいよ。今日からは私だけの物だけど」
顔を浩介の胸に埋めたまま、美佐は答えた。
表情は見えない。
本当は嫌悪感を抱えて、無理しているのかもしれない。
時間が経って、美佐が冷静に物事を判断できるようになれば、やはり美佐は浩介を捨てるのかもしれない。
それでも美佐が、例え一瞬でも自分の過去を受け入れてくれた事が、浩介は嬉しかった。
浩介は美佐に、茜との今までの関係をすべて打ち明けていた。
美佐と再び歩き始めるなら、すべてを話すのが筋、と浩介は結論を出した。
それに加え、浩介と茜の関係を第三者が知る事で、『事実』となる。
その『事実』と認める事が、自分を愛してくれた茜への贖罪に少しでもなれば、とも考えていた。
ただ、茜にもこの先、共に歩む人物が見つかるだろう。
浩介は、自分が美佐に話す事で茜の将来に傷がこれ以上つかないように、
自分勝手な願いである事は承知で、『誰にも言わないでくれ』と頼み込んでから、美佐に打ち明けたのだった。
いつ頃から関係を持ったのか、その時はどんな心境だったのか、美佐に質問されるがまま浩介は答えた。
そして、美佐と昔付き合っていた期間も茜と関係を持っていた事を正直に告白した。
流石に最初は驚いた表情を見せていた美佐だったが、次第にいつもの表情に戻っていった。
全てを話し終えた浩介を抱きしめ、頭を撫で、「よく話してくれたね」と美佐は言った。
全てを知った上で、浩介を抱きしめる美佐の体温を感じて、浩介は美佐を教会の銅像かなにかのように崇高に感じた。
浩介は、何も答える事はできなかったが、美佐が離すまで、そのまま身を委ねるように抱かれたままでいた。
自問自答を繰り返し、出口なんて最初から存在しない闇の中を、必死に脱出しようとしていた。
自分の弱さは知っている。
自分がどこか壊れている事も自覚している。
自分の判断の誤りで、茜と美佐の気持ちや人生を台無しにしてしまった事は、どう謝っても許される事ではないと思っている。
それでも、人の温もりを感じて生きたかった。
「あっ人に見られてる」
いつの間にか顔を上げていた美佐が、浩介の顔の横から遠くの方を覗いていた。
「そりゃ、こんな所で男女が抱き合っていれば、好奇心で見ちゃうだろ」
「恥ずかしい?」
「少し・・いや、かなり」
「ハハハッ、昔は人前でなんかイチャつかなかったもんね?じゃあそろそろいこっか?」
「どこに?」と聞こうとした浩介だったが、今の二人にはこのまま帰宅という選択肢はあり得ない、と思い無言で美佐の手を取った。
二人は絡む指と指の間から、この気持ちが溢れてしまわないように、しっかりとお互いの手を握った。
8 『きっと、壊れてる』第6話(3/8) sage 2010/09/18(土) 12:54:16 ID:T/nJk0Bm
横浜駅で電車を降り、繁華街へと来た。周りには夏休みの学生だろうか、若い人達で溢れかえっていた。
なぜだか、みんな顔が輝いて見える。
自分は学生時代あんなに良い顔ができていただろうか、と浩介は思った。
「なんか・・社会人になって一気に歳取った気がするね」
美佐も同じような事を感じていたのだろうか、浩介は笑いながら返答した。
「みんな若いよな。『おっさん』とか言われても反論できないかも」
「うんうん、わかる。 じゃあ若くない私達は大人のカップルが行く場所に向かおうか」
「・・・前から思ってたんだけど、よくそういう事をストレートに言えるよな。いや、悪いわけじゃないんだけど」
「『恥ずかしくないのか?』って?」
「あぁ」
「別に~。女だって性欲あるし。自分がシたい時に我慢するなんて馬鹿みたいじゃない?
それでわざとらしくサイン出すとか合理的じゃないよ」
偏見だけど実に理系っぽい考え方だな、と浩介は思った。
「もちろん、彼氏もしくはそれに準ずる者にしか言えないけどね」
「そこら辺の人に言ってたら、痴女の部類だぞ、それ」
「ハハハッ確かに。で?だめ?」
答えはわかっているクセに、と浩介は言いたくなったが、美佐は美佐なりに気を使っているのだろうと思った。
「いや、いいよ。俺もそのつもりだったし。行こうか」
「へへへっやった~。あっ3時間の所ね!散々焦らしたんだからいっぱいヤらせろよ~」
今まで以上に密着した二人は、ホテル街へと消えた。
エレーベーターを降りて、フロントで手渡されたキーに書いてある部屋の前まで着いた。
靴を脱ぎ、部屋に入る。あまり特徴のない普通の一室だ。
浩介と美佐は適当に荷物を置くと、ベッドの横に置いてある茶色のソファーに座った。
ソファーの前にある小さなテーブルの上には、ガラスの灰皿とホテルの名前が入ったライターが備え付けられていた。
浩介は、そのライターを手に取り、タバコに火を付けた。白い煙が部屋の上へと昇る。
浩介はなぜだか緊張していた。
「あ・・とりあえずテレビでも見るか?」
その緊張を紛らわそうとテレビをつけようとしたが、リモコンを持った手を美佐の手が包み込んだ。
「緊張しているの?」
「・・してる・・・美佐はしてないのか?」
「めちゃくちゃしてるよ。なんでだろうね」
浩介と美佐は、初めて付き合った時のような自分達に呆れ、そして目を合わせ笑い合った。
そしていつの間にか、抱き合いキスをしていた。
部屋に入ったばかりだというのに二人は既に夢中だった。
ソファーの上で、体をねじり、夢中でお互いの唇を貪った。
「・・ん~・・チュッ、こうすけぇ・・舌をべっと出して」
「ん?・・べっ」
言われたまま舌を出すと、美佐がその舌を食すかのように吸いつく。
「はむっ・・ジュル・・ジュル・・ん、おいしぃ」
美佐は挑発的なセリフを吐き、浩介に馬乗りになるような形で、圧し掛かった。
ソファーに仰向けになった浩介の上に、美佐が上から被さる様な形で、二人は絡み合う。
「おい、俺落ちそうなんだけど」
「我慢して・・・ぴちゃ・・・」
「・・・う・・く・・ベッドに・・・行こう」
「だーめ、時間が勿体ない・・はむっ・・ん・・ちゅ・・」
3秒とかからない移動距離を勿体ない、と言いきった美佐はさらに激しく浩介の唇を吸った。
張り裂けそうなほど膨らんだ浩介の股間を、左手で擦りながら美佐は妖しい笑みをこぼす。
「苦しいの?」
「い・・色んな意味で」
美佐が落ちないように両手しっかりと支えていなければならず、浩介は身動きが取れない状態だった。
「しょうがいなぁ浩介は。じゃあベッド行こう?連れてって」
「はいはい。姫、掴まって」
美佐が浩介の首に両手を巻きつけ、浩介が美佐の身体を抱えながら持ち上げる。
軽口を叩いている二人だったが、欲情は既に臨界点を超えていた。
先程、ベッドに行くまでの時間が勿体ない、と言った美佐の気持ちが、浩介には理解できた。
9 『きっと、壊れてる』第6話(4/8) sage 2010/09/18(土) 12:54:58 ID:T/nJk0Bm
ベッドの上に美佐を降ろし、服を脱がす。
ノースリーブを捲ると、小さすぎず、大きすぎない美佐の胸の谷間が見えた。
ピンクの下地に、黒いアクセントが入った下着に包まれた美佐の乳房に、浩介は自分でも驚くほどの欲情に駆られた。
4年前、数えきれないほど触れた美佐の身体、あの頃と決定的に違うのは、浩介の心情だった。
下着を焦るように剥ぎ取り、その綺麗な形をした美佐の乳房に食らいつく。
その乳房は柔らかくも張りがあり、先端に付いたピンク色をした乳首は、その周りを舐めてほしいかのように直立していた。
「・・んっ・・・こう・・すけ・・シャワー・・浴びないの?」
乳首を舌で溶かすように舐める。
「なんで・・こんなに気持ち良いんだろ・・」
目を瞑った美佐が呟いたが、浩介はそれを無視して今度は口を蹂躙した。
「あむ・・・ずちゅ・・びちゃ・」
浩介は美佐の口を貪るのに、わざと大きく音をたてた。
「じゅる・・はぁ・・はぁ・・じゅる・・浩介・・シャワーは・・後でいい・・よね?・・・びちゃ」
二人はアイコンタクトで意思疎通を行うと、より激しく、官能的にお互いの耳や口を犯した。
右手を美佐のジーンズへ伸ばし、ボタンを一つずつ丁寧に外す。
ブラジャーとお揃いの装飾が浩介の目に入ってくる。
美佐に腰を浮かせてもらい、ジーンズを脱がした。
右手で、肉付きが良い白い太ももの内側を指先で撫でると、美佐は『ヒャウ!』という声を出した。
何年経っても弱い部分は変わらないものだな、と浩介は思った。
焦らすように、美佐の陰部の周りを愛撫し続ける。
まだ陰部には触れない。
浩介は美佐が『触ってほしい』と言ってくるまで、触れないつもりだった。
美佐は焦らされると盛り上がっていくタイプで、浩介も必死になって自分に懇願してくる美佐に対し、ある種の征服感を覚えていた。
「・・ヒウッ・・・イジワルされてる・・・・そろそろ・・コウスケェ・・・」
縋る様な顔で浩介を見つめ強請る美佐を確認し、浩介は自分の人差し指を舐めよく滑るように濡らす。
そして、美佐の秘部にそれをそっと押し当てた。
そこは、貯水池になったようにおびただしい程、湿っていた。
押し当てた指を少し動かしただけで、ピチャと卑猥な擬音を立てて美佐の身体がピクッと反応する。
香りがする。美佐の愛液から発せられる媚薬のような香り。
シャワーを浴びていないためか、少しだけ酸味がかったその香りは、不快感はせず、むしろ浩介の欲情を一層に駆り立てた。
左手で優しく美佐の頭を撫でながら、右手は痛くならない程度に激しく、美佐のクリトリスを刺激し続けた。
「アンッ・・フゥ・・フゥ・・」
両腕を浩介の首に回し、美佐は目をトロンとさせ、吐息と媚声を浩介の耳へと届けた。
反応で相手へ自分の快楽点を伝えるという行為をよく理解している二人は、
その行為を美佐が背中を仰け反らせるまで続けた。
1度イった美佐は吐息が荒く、その興奮を耳から伝染されたかのように浩介の男性器はいきり立っていた。
「・・すごい・・久しぶりに見たけど・・こんなに・・だったっけ?」
「自分ではよくわからないよ」
そう言いながら、浩介は美佐の身体を自分の方に引き寄せた。
後は、浩介が腰を深く落とし、美佐の中に入っていくだけだ。
「・・・コウスケェ」
「ん?」
「チューして」
「あぁ」
浩介は、甘えた声を出す美佐の唇に躊躇なく唇を押し付けた。
「ぷはぁ・・・あと・・注文付けていい?」
「まだ何かあるのか?」
「耳貸して」
「うん?」
美佐はいたずらな笑みを浮かべ浩介の耳元で囁いた。
「・・・4年振りに・・繋がるんだね・・今日は・・めちゃくちゃにして?」
美佐の一言を聞いた浩介は、有無を言わさずその剛直を美佐に突き刺した。
10 『きっと、壊れてる』第6話(5/8) sage 2010/09/18(土) 12:55:29 ID:T/nJk0Bm
「ねぇ、こうちゅけ~」
美佐はそう言いながら浩介の腕を取ると、自分の頭の下に敷き、ピタッと体を密着させた。
懐かしい体勢。
浩介の左腕を枕にし、美佐が横向きに抱きしめ、足を絡める。
時間は経っても二人の習慣は変わっていなかった。
「なんだよ、その呼び方」
「甘えてるだけだから気にしないで?いくつになっても女は少女よ?」
「ハハッなんだそれ。『男はいつまで経っても少年』なら聞いた事あるけど」
「腰、大丈夫?」
「・・・多分」
「あはは、いっぱい頑張ったもんね?いい子いい子」
美佐はそう言うと手を伸ばし、浩介の頭を撫でた。
「・・・ねぇ・・・私、どうだった?」
「何が?」
「4年前と比べて。・・・いい女になった?」
「美佐は昔からいい女だけど・・・予想以上にいい女だった。俺には勿体ない」
「やーだー!!何口説いてるの~!事が終わった後で!」
美佐は浩介の胸を掌でバシバシと叩いた。
「い、いたっ、痛いからやめろって!」
浩介は自分の胸を叩く手を掴むと、美佐を睨んだ。
「へへへっ、ごめんね?ちょっと興奮しちゃって」
「・・・でもさっき言った事は本心だ」
本当に浩介はそう思っていた。
世間一般的に、実の妹と関係を持っていた男など、相手にされなくて当然だと思っていた。
それを受け入れてくれた美佐には、文句の付けようがなかった。
「『浩介には勿体ない』?」
「あぁ」
浩介がそう言うと、美佐は浩介のおでこに人差し指を押し当てた。
美佐が浩介に説教する時のクセだった。
「くだらないなぁ」
「は?」
「くだらないよ浩介」
「何がだよ?」
「あのね、自分の価値なんて自分で決める事じゃないの。私が選んだんだからそれでいいじゃん」
「それはそうだけど」
「今浩介が言っているのは『私はこんなに努力しました!けど誰も認めてくれましぇ~ん!』ってのと同じだよ?」
「『努力したかどうか、認めるか否かは相手が決める事』だろ?」
浩介には美佐が言いたい事など最初からわかっていた。
それでも、『自分には勿体ない』と思ったのだから仕方ないだろう、と呟いた。
「うむ、わかっていればよろしい。あぁ久しぶりの幸せぇ・・」
そう言うと、美佐は再び浩介の胸に手を置き、しがみ付く様に浩介の体を抱いた。
浩介は肘から先の左腕で、美佐の頭を撫でた。
「時間ギリギリまでどうぞ、お姫様」
そして、心の中で美佐に感謝をした。
11 『きっと、壊れてる』第6話(6/8) sage 2010/09/18(土) 12:56:01 ID:T/nJk0Bm
人は誰ひとりとて、自ら進みて悪事を行う者なし
かの有名なソクラテスの言葉だ。
悪事とは人が人であるための手段だと私は思っている。
理由がなければ、行動に移す発想がないし。
発想がなければ欲はないという事になる。
欲がなければ、生きている意味があまりない。
私はただ、大事な人と一緒に暮らしたかった。
それだけで良かった。
多くは望まなかった。
私は望める立場にはいないから。
何でもない日常で。
何でもない会話をして。
たまにはケンカもするし。
私だって嫉妬する。
それが私の幸せだった。
けれど、壊された。
いとも簡単に壊された。
私はただのオブジェにしか過ぎなかった。
自分の存在に懐疑心を持つ事など初めてだった。
その懐疑心はとても厳しい先生で。
私に休む事を許さない。
世の中に不必要な物なんてない。
私の大切な人の言葉だ。
真意はよくわからないけど。
あの人が言うなら、きっとそうなんだろう。
その言葉はまるでシャボン玉のように私の心の中をフワフワ彷徨っている。
公園で遊んでいる子供達がいた。
一生懸命シャボン玉を風に乗せて。
空に浮いているシャボン玉はとても綺麗だったけど。
私の中にあるシャボン玉は。
何かにぶつかって。
今にも弾けそうだった。
12 『きっと、壊れてる』第6話(7/8) sage 2010/09/18(土) 12:56:50 ID:T/nJk0Bm
時刻は夜の11時前になっていた。
美佐に「今日は泊まっていきたい」と強請られたが、明日の午後、浩介に資格試験の予定が入ったため、帰宅する事にした。
ホテルを出た浩介と美佐は、駅まで腕を組み寄り添って歩いた。
今までは茜だけに許していた腕。
その腕はもう茜の物ではなく、美佐の物なのだと浩介自身が決めていた。
自宅のドアの前まで着くと、浩介はカバンにしまってある家の鍵を取り出そうとした。
しかし、少しの違和感があった。
ドアの内側から微かに話し声がしたような気がしたからだ。
こんな時間に誰だろうか、茜にはこんなに遅くまで夢中になってお喋りするような、親しい友人はいないはずだ、と浩介は思った。
何かの緊急事態なのではないかと考え、すぐに鍵を開け、玄関のドアを開いた。
「あら、帰ってきたみたい」
パタパタとスリッパの足音がして、廊下からリビングへと続くドアが開かれた。
「お帰りなさい」
出迎えてくれた茜の表情に異常はない。むしろの声のトーンからして機嫌が良さそうだ。
自分の足元を見る。女性物のサンダルが綺麗に並べられて置いてあった。茜の靴ではない。
「ただいま、お客さんか?」
「えぇ、きっと驚くわ」
「?」
浩介は一体誰が来たんだ、と不思議に思い、茜に質問しようとして思いとどまった。
茜の表情が何かに感付いた物になっていたからだ。
おそらく先程ホテルで風呂に入ってきたのがバレたのだろう。
しかし、二人はもうその事を弁解する事も、問い詰める事もできなかった。必要もなかった。
浩介は気付かないフリをして、廊下側のリビングのドアを開けた。
椅子にこちらに背を向けて一人の女性が座っていた。
テーブルの上には、クッキーなどの洋菓子とお茶が2人分置かれている。
どうやら、茜と二人で話しこんでいたようだ。
その女性は、白いブラウスに長めの黒のスカートを履いている。後ろ姿だけでも雰囲気から美人であることがわかった。
『・・・茜?』
浩介は一瞬そう感じた。
髪型や服装、そして何より身に纏う雰囲気が茜と酷似していたのだ。
しかし、茜は浩介の後ろに付従うように立ち、浩介がリビングへ入るのを待っている。
戸惑っている浩介の気配を感じたのか、その女性はこちらを振り返り、浩介の姿を見ると、立ちあがった。
そして小走りに近寄り、浩介の胸へと勢い良く飛び込んだ。
一瞬、見えた顔、やはり茜だった。
そして浩介の脳裏にはもう答えが出かかっていた。
茜と容姿や雰囲気が似る可能性がある、そして浩介の知っている人物と言えば、この世で一人しかいなかった。
浩介は自分の腕の中にいる女性の肩を押し返し、その女性の輪郭、瞳、鼻、口元、余す事無くまっすぐに見た。
「・・・楓?」
もうこの名前を呼ばなくなってからどれくらいだろうか。
「久しぶりだね、お兄ちゃん」
楓と呼ばれた女性は、花のようにニコリと笑い、浩介を兄と呼んだ。
浩介は、その表情だけは、例え何年会っていなくとも、忘れる事はなかった。
浩介と茜が実家を出てから、一度も会っていない。
会わす顔がない。
村上家の次女、村上楓だった。
13 『きっと、壊れてる』第6話(8/8) sage 2010/09/18(土) 12:57:48 ID:T/nJk0Bm
浩介と茜と楓。
数年ぶりに揃った村上家の兄妹がテーブルを囲み、談笑していた。
浩介は、楓と再び会えた事が本当に嬉しかった。ヘタをすれば一生会えない可能性もあると考えていたからだ。
しかし、驚きを隠せない事もあった。
楓の容貌が茜と瓜二つだった。
いや、おそらく昔から似てはいたのだが、気付かなかったのだ。
茜と楓は6歳離れている事もあり、よく見れば楓の方がまだ幼い顔をしているが、
髪型や服装を一緒にされると、二人の兄である浩介でさえ、遠目から見ただけでは判別できる自信がなかった。
「しかし、大きくなったな楓。髪も伸ばしたのか?茜によく似てきたな」
「・・・うん!似合う?あっ『似合わない』って言ったら怒るから」
「ハハハッ、あぁよく似合っている、でも性格はあまり変わっていなさそうだ」
楓は茜とは真逆の性格だった。
よく喋り、よく怒り、よく泣き、よく笑う。感情を包み隠さず表現できるところが、茜とは違った。
小学生の頃など、女の子と言うよりもヤンチャな男の子のようだった楓は、浩介や茜、両親にいたずらをして、よく叱られていた。
だが、おとなしい性格の人間が多い村上家では、楓はある種、太陽のような存在だった。
当時の浩介もゲームや漫画の話ができる楓と会話する事に、茜との会話とはまた違った楽しさを感じていた。
「そういえば、お兄ちゃん」
「何?」
「楓が何でいきなり訪ねてきたのか聞かないの?」
楓は心底不思議がっている表情を浩介に向けた。
「??あぁ・・つい嬉しくてそんな事気にしてなかったな。泊まっていくんだろ?明日でいいよ」
「そう?なら明日話すね。そんな事より・・お兄ちゃんすごい笑顔」
「そりゃ、妹と再会したんだ。嬉しいに決まってるさ」
「フフッ兄さんと楓は仲良かったものねぇ」
茜が微笑みながら、二人を見つめた。
「そうかなぁ?なんだかんだいって、お兄ちゃんはおねーちゃんに構ってばっかだった気がする」
「そうか?まぁ、とりあえず今日は遅いから、話は明日にしよう」
壁に掛けてある時計を見ると、既に時計の針は夜中の1時を回っていた。
「うん、あっ楓どこで寝ればいい?」
「私のベッド使っていいわよ。隣に布団敷くから」
「ベッド使っちゃっていいの?」
「えぇ、私は布団でも寝れるから大丈夫」
「やったー!おねーちゃん好き~!」
「フフッ、懐かしいわねそのセリフも」
「はははっ」
自分の部屋に戻る途中、浩介は心の中が暖かくなっていくのを感じていた。
自分がずっと望んでいたのは、きっと先程の風景なのだと。
茜も自然な笑顔で楓と会話を楽しんでいた。
家族とは、こんなにも幸せな気持ちになれるものなのだ。
俺と茜との関係も順調に健全な兄妹に回復していると思う。
自分の根底にある茜への異性としての愛を封じ込めれば、
ここまでうまくいく物なのだと、言葉に言い表せない程の感激を浩介は胸に秘めた。
浩介は自分の部屋に戻り、カーテンを少しだけずらして、空を見上げた。
東京の空は排気ガスで汚れてしまっていて、数える程の星しか見えない。
目を閉じる。
この先もずっと、この幸せが続きますように。
浩介は自分の瞳に映る満点の星空へと祈った。
第7話へ続く
最終更新:2010年09月19日 22:48