『きっと、壊れてる』第15話

208 『きっと、壊れてる』第15話(1/7) sage 2011/01/21(金) 23:53:32 ID:wt9N695S
「私さぁ、言わなかったっけ? 『次はないよ』って」
街灯に照らされる位置ではないのに、その冷たく無機質な瞳が黒く光った気がした。
お互いの距離感が少しは縮まり、交渉の余地があるのではないかと考えていた巧は、
自分の甘さを呪い、辟易とした。震えが抑まらない。巧は自分の太股の裏側を左手で強く抓った。
疲労しているであろう仕事帰りというタイミングが悪かったのか、
美佐は隠すつもりがないその敵意で巧を覆っていた。

病院から駅まで1本道である事を利用して、途中に開かれているファーストフード店の窓際の席に夕方から陣取った。
美佐が通り過ぎるのを待ち声を掛けた瞬間、巧は今回が最後である事を歓喜し、
逃げ出そうとしていた自分の足を拳で殴った。

「俺にも目的があるんです。これで最後ですから」

水分が枯渇しているのか、枯れた声に自分でも驚く。
人間と対峙しているだけでここまで畏怖する事が出来るのであれば、
例えば熊や虎等の猛獣と一緒の檻に入れられた際には、どこまで人は恐怖に慄く事が可能なのか。

「目的ねぇ……マーライオン君は……」
「名前、白石巧です」
「そうだっけ? じゃあお詫びにその主人への忠誠心を讃えて『ハチ君』って呼んであげる」
口調は軽いが目がまったく笑っていない美佐は、口角だけを少し上げた。
「……なんでもいいです。もうこれで二度と会わない」
「ふうん……じゃあ近付き過ぎないように私について来て」
ヒールをコツコツと鳴らし、美佐は駅の方向へと歩き出した。
病院の近くのため、同僚や患者に目撃されるのを防ぐためだろう。
特に渡す場所の指定は受けていない。巧は見失わない程度に距離を取り、美佐の後を追った。

電車に乗り、4つ先の駅で降りた。
駅の北口から繁華街を抜け、7分程歩いた住宅街の中にある比較的狭い公園で二人は対峙していた。
首を横へ向けると、遠目には犬の散歩をしている者や、
ベンチでお喋りをしている学生風のカップル等が視界に入る。
さらに周りはマンションが立ち並び、窓が公園側へと向いている。

密談する事が可能で、もし巧が何かしらの理由で美佐に危害を加えようとした場合は、
大声を出せばすぐに人が気付き、助けに入れる場所。
すべての可能性を見逃さず対処する美佐に、巧は複雑な心境で苦笑いをした。

「ここら辺でいいかな。で? ハチ君はまた、ご主人たまのお使い?」
「そうです。これを渡すように言われました」
巧は持参したクリアケースからA3サイズの封筒を取り出し、美佐の前に差し出した。

「何が入ってんの? これ」
「知りません。 俺は中を見ていないので。さぁ、どうぞ」
当然だが全く信用されていない。
差し出した封筒を手には取らず、美佐は眉間に皺を寄せて封筒の表面を凝視していた。
「爆弾入ってる?」
「入ってませんよ……多分。重くはないし、封筒の厚み的にも無理でしょう?」
封筒は風で飛んで行ってしまいそうな程軽く、薄さも紙が数枚入っているだけのようだ。
「じゃあ、カミソリでしょ? 少女漫画で見た事あるもん」
「知らないですよ。俺はこれをただ届けるようにと言われただけですから」
発言だけ見ればとても機嫌が悪い人間とは思えない。
その心と分離させた二つ目の脳でもあるのではないか、と巧は思った。

「開けろ」
「は?」
「開けてみてよ。それで大丈夫そうなら受け取るから」
なぜか勝ち誇った顔をしている美佐は腕を組み、巧から半歩離れた。
「い、嫌ですよ。何で俺が……」
黒髪の美女はできれば手荒な事はしたくない、と言っていた。
そこから推察すると物理的な危害は加えようとしないはずだが、『できれば』というのが引っかかっていた。


209 『きっと、壊れてる』第15話(2/7) sage 2011/01/21(金) 23:54:13 ID:wt9N695S
「じゃあ、受け取らない。持って帰って」
「困りますよ」
「でしょ? じゃあ開けて。ほら……男らしくパパッと」

先日の黒髪の美女の顔を思い出す。
今、自分の目の前にいる変な女が何をしでかしたのかは知らない。
ただ一つ言える事、それは黒髪の美女にとってこの女が邪魔で仕方ないという事だ。
自分の姉の恋人を取られたぐらいで、普通の人間がここまでするだろうか。
やはり自分が抱いた印象通り嘘の可能性が高い、他に大層な理由があるのだろう。
そして、爆弾は冗談としても、カミソリ程度ではそれは埋められない、か。

「……わかりましたよ。じゃあ、開けます……ちょっと! なんでそんなに離れるんですか!」
「気にしないでぇ!」

巧が封筒の開け口に手を掛けると、美佐は小走りにその場を離れ、手に持っているバッグで顔を覆った。
背筋も凍る程の目を見せたかと思えば、小学生のような行動を取る美佐に、巧は心底ため息をついた。

封筒に手を掛ける。
警察の爆発物処理班が実務で爆弾を解除する際、全身から血が抜けるような緊張を伴う事が容易に想像できた。
たかが、封筒ごときでこれほどの冷や汗をかくと思っていなかった巧は、
封筒の開け口の辺りを軽く指でなぞり、固形物がない事を確認すると、少しずつ封筒を開封口ののりを剥がした。

「……ほら、何も入ってませんよ。紙が数枚入っているだけです」
「ん、御苦労」
美佐は土を踏みしめ、ゆっくりと巧に近付くと、封筒を巧の手から奪い取った。

「何が出るかな~何が出るかな~」
どこかで聞いた事のある歌を歌いながら、
美佐は中に入っていた紙を取り出し、真剣な顔つきで目を通し始めている。
白い紙が2枚入っていたようだ。
向かい合って立っているので、巧の位置からは紙に書いてある文字は読めない。

以前自分が玉置美佐へと伝えた内容と同じような事を、文字にしただけだろうか。
いや、違う。そんな事をしてもあまり意味がないし、この人には通じない。
巧はおそらく美佐以上にその内容が気になっていた。

封筒を開封してから、時間にして3分程度だろうか。
美佐は紙から目を離し、巧の目を見つめた。
その目は冷たく無機質な瞳から、いつか居酒屋で見た気さくな美佐の瞳にいつの間にか戻っていた。

「……プッ」
「プ?」
「ハハハハハハハハハッ!」

何が可笑しいのか。
腹を抱えて転げまわる様な笑いを見せる美佐に、巧はどう反応して良いのかわからず、その場を微動だにしなかった。
「ハハハッ……あぁ、面白かった」
「何がそんなに面白いんですか?」
紙に4コマ漫画でも描いてあったのか。
そんなわけはない、この状況で笑える玉置美佐はやはり異常だと巧は思った。
「ハチ君は、ご主人様の事ほとんど何も知らないんだっけ?」
顔を上げた美佐は、まだ笑みを浮かべていた。

「えぇ、知らないです」
「知りたい?」
首を傾げ、わざと可愛らしい顔を見せる美佐に異質な物を感じ、巧は嫌悪感を抱いた。


210 『きっと、壊れてる』第15話(3/7) sage 2011/01/21(金) 23:54:40 ID:wt9N695S
「いいですよ。いずれ本人から聞きますから……って、誰かわかったんですか?」
「うん。特定したと言うか、消去法と言う方が正しいけど」
今渡した紙に、黒髪の美女なる人物を特定付ける要素があったという事か。
玉置美佐はある程度予想できていたらしい。
「ある程度絞り込めていたという事ですか?」
「そりゃそうでしょ。前にも言ったけど、こんな事するのは浩介にある程度近い人物だし。
それに君と最初に話した時、容姿を聞いておいたでしょ?」
言われてみればそうだ。
黒髪のロングで若い女性という情報を以前伝えたような気もする。
一つ理解できないのは、黒髪の美女は容姿を玉置美佐に知られる事を嫌がっていなかった。
なぜか。

「この子ね……」
「はい?」
美佐はいつの間にか巧から背を向け、集中していなければ聞き取れない声で呟いた。

「きっと、根は良い子。私と違って」
「良い子?」
「そう、一生懸命なんだけど空回りするタイプ」
気のせいか、美佐の肩が少し震えている気がする。
嫌がらせをしている犯人を良い子と言える。
そんな内容があの数枚の紙に書いてあったのか。

「だって、考えた事ない? その気になればこの子は私の職場に来て暴れまわるとか、
私の生活をめちゃくちゃにする事って容易でしょ?」
確かに、職場を知っているという事はその人間の生活基盤をいつでも崩せるという事だった。
いち職員の個人的な問題から守ってくれるほど、組織は温くない。

「……そうかもしれないですね」
「うん、それなのにこの子はあくまで私のプライベート内で、今回の要求を飲ませようとしている。
それを意識的にやっているのかは知らないけどね」

黒髪の美女が激昂した時の事を思い出した。
自分が姉の話を嘘ではないのか、と問い詰めた時の反応。
最初に会った時とは大分印象が違った。
あの時の黒髪の美女は、感情はどうあれ何かを守る為に必死になっている人間。
曲がってしまっている純粋で素直な人間だった。

「ハチ君って、ご主人様の事は好き?」
「は?」
「嫌いなわけはないよね? ここまでしてあげといて」
やはり周りから見れば自分は滑稽な男なのだろう。
しかし、当初の目的と違い今は黒髪の美女の望みを叶えてあげたい一心で動いている巧にとって、
周りからどう思われようとも気にはならなかった。
「はい、恋愛の『好き』なのかはよくわからないけど……いや、恋愛の好きかな、
誰かの為にここまで何かしてあげたいと思った事はこれまで一度もない」

綺麗だと思っている事は事実だ。
ただそれ以上に何か保護欲を掻き立てる魅力が黒髪の美女にはあった。

「ひゅぅ! 青春してるねぇ。じゃあそんな恋する青年にお姉さんからアドバイス」
「いや、いいです」
「なんでよ! 有り難く聞けばいいじゃん!」
「あの……1つ聞いてもいいですか?」
恋のアドバイス等どうでもいいが、巧にはどうしても玉置美佐に聞いてみたい事があった。
「何? 3サイズはオール100だけど?」
「……あなたは……怖くなかったんですか? 今まで」
「何が? 体重計に乗るのは今でも怖いぜ」
美佐はわざと肩を震わせ、凍えるような素振りをしてみせた。
濁さず、正々堂々と質問しろという意思表示だった。


211 『きっと、壊れてる』第15話(4/7) sage 2011/01/21(金) 23:55:41 ID:wt9N695S
「その……確かに俺の依頼主は、現状あなたに判断の余地を残しておいてくれているし、直接的な危害は加えていない」
黒髪の美女は、この封筒を渡しても効果がないなら別の手を考える、と言っていた。
自分はこれで最後だが、また別の誰かを雇うという意味合いにも取れる。
黒髪の美女に玉置美佐への嫌がらせをやめさせ、
あわよくば自分との距離を縮めるという目的で説得を試みようと考えてはいるが、
必ず成功するとは限らない。

「うん」
「でも、あなたを良く思っていない事は確かですよね?」
「そうだね」
「怖くはないんですか? 次は実際に危害を加えてくるかもしれない」
あまり考えたくはない。
しかし、彼女が自分の説得にどう答えるかがわからない。
黒髪の美女の事をあまり理解できていないような気がした巧は、足元の砂を強く踏みしめた。

「いいの? ご主人たまをそんな風に言って? あっ一度『おやび~ん』って言ってみて? そんな麻雀ゲームあったよね」
あの麻雀ゲームは脱衣麻雀だったような気がするが、なぜそんな事を知っているのか。
美佐についてはあまり深く考えても意味がない事を知っていた巧は、自然と後半部分を流した。
「……もう仕事は終わりましたから。それに……本当はこんな事俺だってしたくない」
何時頃からだろうか。
玉置美佐への嫌がらせに疑問を感じ始めたのは。

「ふぅん、じゃあ答えてあげる。『問題ない』よ」
美佐はハッキリとした口調で言い切った。
「怖くない、と?」
「あぁ、ごめん。質問の答えになっていなかったね、『怖いか』どうかなら怖いに決まってるじゃん。
私はか弱い乙女だし。おしっこちびっちゃう」
全くと言っていいほど、怖がっているようには見えなかった。
自分にとってはあなたの方が怖い、と言いそうになったが巧は思い止まった。
「……それでも自分達は引き裂けない、愛し愛されている、と?」
「愛かぁ……『そうよ! 愛よ!』と言いたいところだけど、少し違うかもね、私と浩介は」
何かを悟っているよな美佐の表情に、巧は引きつけられた。
男女の関係など、恋や愛、最終的には情しかないものだと思っていた巧は、美佐の発言が妙に気になった。

「あのね、私達ってお互いが『居場所』なの」
「居場所?」
「そう、『居場所』。恋とか愛ってさ、一般論で言えばお互いがお互いの事を思いやってホニャララ、とかでしょ?
そんな事まったく考えていないもの、私達」
確かに無償の心という言葉を、男女の到達点に挙げる人間は多い。
相手の立場に立って考え、相手が最良の人生を歩めるようにするのが、愛と言われている物のような気がした。
「どういう事ですか?」
「ただ自分が楽だから、自分が楽しいから、自分が気持ち良いから」
「はい……えっ、それだけですか?」
「うん、それだけ。ただね、そういう相手って意外に少ないのよ?」
考えてみれば、確かにそうかもしれない。
今までの人生で自分が心を許した人間は何人いるのか、その内同性を省けば僅少になるのは明白だった。
「……そうかもしれないですね。男女なんて結局それだけなのかもしれない」
「まぁ、他にも利害が一致したとか、理由は人それぞれだと思うけどね」

利害。
黒髪の美女にとって、自分は道具にしか過ぎない。
道具から人間への昇格は巧にとって雲を掴むような話だった。
「あっ、今の話誰にも話しちゃ駄目だよ? もし喋ったら君のお墓にアニソンの歌詞彫って歌碑にしてやる」
掴み所のない捨てゼリフを残した美佐は「じゃあね」と一言発すると、街灯の灯る少し明るめの道へと消えていった。

公園のベンチに腰を下ろし缶コーヒーの蓋を開けると、ほのかな甘い香りが鼻をくすぐる。
男と女。黒髪の美女と自分の関係。
考えれば考える程、底なしの沼に引きずり込まれ、思考の迷路に突き落とされる気がする。
「自分が何したいのか、よくわからなくなってきた」
巧は黒い雲に覆われている空を見上げ、砂上に置いてあった空き缶を蹴飛ばした。


212 『きっと、壊れてる』第15話(5/7) sage 2011/01/21(金) 23:56:29 ID:wt9N695S
廊下を小走りする音に振り向くと、スーパーの袋を持った茜が目をぱちぱちとさせリビングへ姿を現した。
時刻は20時。
定時に仕事を終えた浩介が帰宅してから1時間が過ぎようとしていた。

「ごめんなさい。遅くなってしまって」
浩介は食事が遅れても茜を叱った事など一度もない。
寧ろ、仕事をしながら家事もこなしてくれている茜に感謝し、
そろそろ自分で料理を作るようにする、と提言した事すらあった。
しかし、何か自分の中でプライドがあるのか、
茜はそれを良しとせず「私が作るのが一番美味しい」と一言呟いただけだった。

「別に良いよ。仕事だろ? それよりも焦って帰ってきたら危ないから気を付けろよ」
自宅から駅まではそれなりに歩く。
道中には横断歩道が少ない割に、交通量が多い。
茜にもしもの事がある方が浩介にとっては断食を超える苦行だった。

「ふふっ、優しいのね兄さんは。さすが婚約者がいるだけの事はあるわ」
「……あっ、あぁ」
茜の嫌味とも取れる発言を流し、浩介はテレビのリモコンを手に取り、スイッチを点けた。

「そういえば、楓は?」
今朝から姿を見ない。
夏期講習というのはこんなにも多忙だったか。
浩介の記憶には講義の合間に食べた茜の手作り弁当の味しか残っていなかった。

「忙しいみたいよ? お友達と食べながら勉強するからいらないって」
楓は遺伝学を学びたいと言っていた。
それから推測すると志望学部は医学部を除外したとして、理工学部になるのか。
「そっか」
簡単な受験ではない事を悟った浩介は、妹に夕食を作らせテレビを見ているだけの自分が少し恥ずかしくなった。
美佐がこの家で結婚の報告をした時の、楓の表情を思い出す。
般若の仮面を被り、もう太陽の欠片さえ見せないその濁った瞳は、
自分がそうさせてしまったのかと思えば思うほど、嘔吐物が浩介の喉元にまで上ってきた。
徐々に自分の中の不安や葛藤が肥大化していってるような気がする。

「どうしたの? 真剣な顔をして」
いつの間にかエプロンを纏い、スーパの袋から野菜を取り出すと、
茜はソファに座っている浩介の真向かいに立った。
「何でもないよ。少し考え事をしていただけだ」
「具合でも悪いの? 熱はないみたいだけど」
浩介の額に当てられた茜の手は、夏だというのに少し冷たかった。
「大丈夫。本当に何でもないんだ」
楓の自分への想いで悩んでいる等と、言えるはずがない。
献身的に良気妹を貫き通そうとしてくれている茜に、
これ以上精神的な負担を掛けるわけにもいかない。
茜の優しさが、今の浩介にとっては苦痛だった。

「そう、ならいいけど。もう一人の体ではないのだから、健康には気を付けてよ?」
美佐の事を言っているのだろうか、茜は注意を終えると台所へ姿を消した。
思えば、茜の表情が最近豊かになった気がする。
それでも人並みには遠く及ばないが、10代の頃に比べ飛躍的な進歩を遂げた妹を喜び、
逆に自分の前では冷ややかな笑いしかしなくなった妹を悲しんだ。
自分が結婚する事で、楓があれだけ悲しみ、憎しみを募らせるのなら、いっその事やめてしまおうか。
そんな考えが浩介の脳裏に過ぎる。
だが、やめたところで楓の気持ちには答えられず、結局同じ事の繰り返しになる事だけは避けなければいけない。
限りなく近い将来、自分の判断に村上兄弟の命運が掛っている事を感じた浩介は、茜に気付かれないようにため息をついた。
テレビに視線を送り、お笑い芸人が自分の嫁との馴れ初めを面白おかしく喋っている。
すぐさまテレビを消し、晩御飯が出来ればどうせ茜が起こしてくれると、ソファに横になった。
耳に届く茜が生み出す生活の音を聞いていなければ発狂しそうな音。
浩介の胃の中に急に巨大な腫瘍が出来上がり、粗暴に喚き始めていた。


213 『きっと、壊れてる』第15話(6/7) sage 2011/01/21(金) 23:56:57 ID:wt9N695S
茜が作ってくれたハンバーグは不思議と何の味もしなかった。
浩介は自室に戻ると、普段はまったく触らないゲーム機を取り出し、
適当に選んだソフトを夢中でプレイしていた。

瞳に眩い閃光が走る。
必殺技を使い、数十体のモンスターを同時に倒せた証だ。
次のエリアは確か雑魚が同時に何百体も襲いかかってくる。
装備の準備を整え、いざ行かん──。

「まだ、起きているの?」
画面には6本の手が生えたモンスターがテレビ画面の中を所狭しと動き回っている。
「兄さん?」
銃で捉えるには相手の動きが早い。
しかし、剣で切ろうにもスキがあまりない。
ゲームの中ですら自分の考えた通りに動けない浩介は、苛立ちをボタンを押す力に込めた。
「兄さん、聞こえているなら返事をして」

どいつもこいつも蠅みたいに鬱陶しい。
この大剣で全員斬る。
自分以外は全員敵だ。
敵は倒さなければ自分がやられる。
弱肉強食。
社会も弱肉強食。会社も弱肉強食。
恋愛も弱肉強食。友情も弱肉強食。
すべてが俺の敵だ。
敵は倒さねばならない。

やっつけろ。やっつけろ。
顔には仮面を。
体には鎧を。
心に鎖を。

穴を掘り、そいつらの亡骸をそこへ埋めれば誰も俺がやったとは気付くまい。
穴を掘ろう。
しかし、穴を掘るにはシャベルがいる。
シャベルを得るには、金がいる。
金を得る為に、働こう。
働くには、健康な体がいる。
健康な体には栄養のある食事が必要だ。

こいつらを食えば良い。
モンスターの肉はうまいのか。
倒してから考えばいい。
俺がいつまでも温厚だと思っていたら大間違いだ。
少し力を込めればチビで筋肉の衰えた老人達など一網打尽にできる。
まだ成長しきれていない子供達など片手で十分だ。
元々筋力差がある女達など数人掛かりでも俺は止められない。
問題は若い男達だが、知恵を絞れば有効な戦い方はあるはずだ。
それを考えるのも後でいい。

楓はどうする。
考えるのが面倒だ。
やっつけろ。今はとにかくやっつけろ。
美佐との結婚の準備を進めなくては。
考えるのが面倒だ。
やっつけろ。今はとにかくやっつけろ。
何もかもが面倒だ。
やっつけろ。今はとにかくやっつけろ。

やっつけろ。今はとにかくやっつけろ。


214 『きっと、壊れてる』第15話(7/7) sage 2011/01/21(金) 23:58:21 ID:wt9N695S
コントローラーが奏でるカチャカチャという音しか聞こえなくなって、もうどれくらい過ぎたのか。
画面にはモンスターの死体の山。
奥には角を生やした大型の鬼を模したモンスターが立っている。
そして中央には、英語で書かれた『GAMEOVER』の文字が浮かび上がっていた。
瞼の重さからしておそらく夜中の2時頃だろうと予測を立てた浩介は、
渇ききった喉を潤す為に台所へ行こうと立ち上がり、そして振り向いた。

「少しは気が済んだ?」
ドアに近い、部屋の隅っこ。
茜は文庫に栞を挟むとそれを閉じ、正座した柔らかそうな膝の上に置いた。
「まだいたのかよ? ストーカーかお前」
こんな言い方で人に悪態をつくのは何年振りか、浩介はわざと大きくため息をつきながらその場に座り直し、
そしてクッションを枕に寝そべった。
「えぇ、いたの。でも驚いた。最初に声を掛けてからもう3時間よ?」
浩介には数年に一度陰に籠り、何か一つの事に集中し外界から自分を隔離する癖があった。
きっかけは大抵の場合対人関係のストレスであり、過去には電話帳に登録されている友人のメモリを片っ端から削除した事もあった。
誰にも知られたくないと願う浩介の傍にはいつ頃からか、茜が付き添うのが習わしになっていた。
「……治ったと思ってたのにな、この癖。今回はゲームか」
「気にする事はないと思うわ。滅多に見られるものでもないし、知っているのはこの世で私一人」
「そういう問題じゃないんだよ」
「ふふっ、そうかしら? 兄さんはここ1,2ヵ月で一気に色んな事があったから、疲れてただけよ」
思えば、美佐との再会からか。
自分を取り巻く環境が目まぐるしく変化する。
再会、別離、復縁、結婚。
何か大きな力が陰で動いているように、物語はこの夏にすべてが始まっていた。
「今、何時だ?」
時計を見るのも億劫な浩介は傍に転がっていたクッションを枕に寝そべり、呟いた。
「夜中の3時」
「お前、寝なくていいのか? 明日も仕事だろ?」
「兄さんもじゃない。……さぁ、いらっしゃい」
茜は正座したまま、距離にして半歩分浩介に近付くと、自分の膝の上を手で軽く叩いた。
「……楓は?」
「もうとっくに帰ってるし、今は寝てる。夜遅くまで勉強するだろうからコーヒーを入れてあげたのに、
飲んだらあっという間に寝てしまったわ」
楓は確か寝付きが悪かったはずだが余程疲れていたのか、隣の部屋とを隔てる壁に耳をあてると微かに寝息が聞こえた。
「だから心配しないでも大丈夫。誰にも見られない。私だけ」
もう半歩分近付いた茜は、そっぽを向く浩介の頭を優しく撫でた。
「……物好きな奴」
体を反転させ、頭をクッションの上から茜の膝の上に移動させた。
丁度食べ頃の果実を彷彿とさせる柔らかい茜の膝の上は、今は何も考たくない浩介にとって最高の居場所だった。
「俺さ」
月明かりで部屋にできた一筋の線を指でなぞる。
頭上にあるはずの茜の顔は気恥ずかしくて直視できなかった。
「どうしたの?」
「美佐との結婚の話、進めるよ」
「……そうね、それがいいわ」
茜の手は優しさが溢れたままだ。
横を向いていたのをさらに反転し茜の太股に顔を埋め、手は腰に回した。
「それと」
「なに?」
「俺……ロクな死に方しないよな」
楓の事、美佐の事、茜の事。全ての事を考えた上で、美佐との結婚を選んだ。
今もその結論に間違いはないと確信しているし、変える予定もない。
それでも、茜は誰にも渡したくないと思った。

「ふふっ、そうね。兄さんはロクな死に方しないわね」
茜は微笑み、浩介の頭を一晩中愛で続けた。

第16話へ続く

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最終更新:2011年01月24日 22:53
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