325 三つの鎖 31 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/02/02(水) 22:02:58 ID:o6sBa/R4
三つの鎖 31
お昼休みが終わり、午後の授業が始まっても耕平君は帰って来なかった。
耕平君に告白された後、気がつけば私は教室に戻っていた。どうやって戻ってきたのか、全然覚えていない。
それぐらいに私は動揺していた。
思えば、 告白されたのはこれで二回目だ。
一回目は中学一年生のとき、幸一くんに。
それ以外に告白された事は一度もない。
周りのみんなは、私はモテると思っているけど、実際にはそんな事は無い。実際、今までの人生の中で私に交際を申し込んだのは幸一くんと耕平君だけ。
私がモテない理由は、冷たい人間だからだと思う。幸一くんと梓ちゃん以外の同世代の親しい友達はいないし欲しいとも思わない。他は広く浅い交遊関係しかない。
それだけに、耕平君に好きと言われて自分でも信じられないぐらい動揺している。
幸一くんに好きと言われた時は、全く動揺しなかった。幸一くんが本気じゃないのは分かっていたし、幸一くんは私に恋していたのではなくて恋に恋していただけ。
耕平君は違う。胸が痛くなるほどの気持ちが伝わってきた。
私を好きって。愛しているって。
ここまで男の人に求められたのは、生まれて初めて。
耕平君がそんな風に想っているのを、私は全く気がつかなかった。
そんな素振りは全く無かった。それに耕平君にはいつも恋人がいた。すぐに恋人が変わるとよく噂になっていた。それに耕平君は女子に人気がある。見た目はけっこう格好いいし、話も上手いけど、妙な所で紳士的な男の子。成績も運動神経もいい。
私、耕平君にひどい事をした。耕平君の前で、幸一くんにべたべたしていた。
今なら分かる。好きな人が、他の人にべったりなのが、どれだけ辛いか。
「村田さん?」
クラスメイトに声を掛けられて私は顔をあげた。
気がつけば授業もホームルームも終わっていた。放課後のお掃除のために掃除当番の人たちが机を動かしている。
私は慌てて荷物をまとめて席を立った。クラスメイトは机を運んでいった。
一体どうしたのだろう。私はどうかしている。
耕平君も幸一くんもいない。
私は家に向かって歩き始めた。
耕平君は私のどこを見て好きになってくれたのだろう。
分からない。私に男の人から好きになるようなポイントはあるのだろうか。
私に交際を申し込んできた人は幸一くんと耕平君だけだけど、手を出そうとしてきた人はいた。
中学校や高校での先輩や教師。
みんな立場をかさに迫ってくるような、下劣な男ばかりだった。
もちろん、丁重にお断りした。場合によっては脅迫に近い事もした。
男の人ってなんてつまらないのだろうと思っていた。
相手より上の立場じゃないと、女の子にアタックできない人ばかり。
でも、耕平君は違った。
他にも大勢の女の子がいて、その中には耕平君を好きと言ってくれる女の子もいるに違いないのに、私を好きと言ってくれた。
分からない。何で私なんかを好きになってくれたのだろう。
私が幸一くんの好きになったのは、気がつけばだった。理由なんて分からない。ずっと一緒にいて、それで好きになっていた。
そんな事を考えていると、家に着いた。誰もいない。
自分の部屋に戻り、制服を脱いで私服に着替える。
鏡に映る自分の顔。微かに頬が赤くなっている。
ふいにお昼の事が脳裏によみがえる。
私を抱きしめ、頬にキスする耕平君。
顔が熱くなる。
信じられない。
私は幸一くんを好きなのに、他の男の人に抱きしめられて、頬にキスされて、その事を嫌だと思っていない私がいる。
訳が分からない。私は幸一くんを好きなのに。
今まで、私に似たような事をしてきた男の人はいる。その時は嫌というより、怒りを感じた。付き合ってもいないし、交際を申し込んでもいないのに、
自分の立場をかさにきてそんな事をしてくる男の人に腹が立って仕方が無かった。それ相応の報復をしたけど、心は全く痛まなかった。
耕平君の表情が脳裏に浮かぶ。真剣な瞳で私を見つめ、好きと言う耕平君。
他の人に好きと言われるのが、こんなに恥ずかしく、そして嬉しいなんて。
私の足元に黒い何かが微かに動く。
気がつけばシロが私の傍にいた。つぶらな瞳で私を見上げている。
「シロ。私の事好き?」
わうっと頷くシロ。
326 三つの鎖 31 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/02/02(水) 22:04:27 ID:o6sBa/R4
「私っておかしいのかな。私ね、幸一くんを好きなのにね、他の男の人に好きって言われて嬉しいと思う自分がいるの。これって変だよね」
わうっと首を横に振るシロ。
「どうして?だって私は幸一くんを好きなんだよ?それなのに他の男の人から好きって言われて嬉しく感じるなんて、おかしいでしょ?」
シロはしばらく私を見つめた後、部屋を出ていった。
少しして階段を上る足音が聞こえてくる。
シロの足音じゃない。人の足音。
「春子。入るわよ」
お母さんが部屋に入ってきた。いつ帰って来たのだろう。時計を見ると、もう遅い時間。
いけない。やっぱりおかしい。
「どうしたの。変な顔して」
お母さんはそう言って私の隣に座った。
「シロが私を引っ張るから、春子に何かあったのかと思ったけど。何があったの?」
そう言ってお母さんは心配そうに私を見た。
お母さんは綺麗だ。きっと昔は男の人に人気があったに違いない。
相談したら、今の私が変な理由も分かるかもしれない。
「お母さん。相談したい事があるけどいい?」
「あら。珍しいわね。もちろんいいわよ」
お母さんはそう言って微笑んだ。確かに、私がお母さんに相談した事は数えるほどかもしれない。自分で言うのも変だけど、私は何でもそつなくこなす方だ。私に迫るろくでもない男の人も、全部自分で処理した。
「で。何を相談したいの?」
ええと。何から言えばいいのだろう。
「あのね、今日、告白されたの」
「あら。交際を申し込まれたの?」
「うん。断ったけど。告白してきたのはクラスメイトの男の子。私ね、その男の子が私を好きって知らなかった。そんな素振りも全く無かったし。だから、すごくびっくりした」
思い出すだけで頬が熱くなる。
「私、その男の子の事は好きでも何でもなかった。意識した事も無かったし、ただのクラスメイトだった。それなのに、好きって言われて、何だか変な気分なの」
お母さんは不思議そうに私を見つめる。
「変な気分って?気持ち悪いってこと?」
「ええと、そう見える?」
「全然。むしろ嬉しそうに見える」
微かに胸に痛みが走る。
幸一くんを好きなのに、他の男の人から好きと言われて嬉しく感じている自分。
「これって変だよね?好きでもない人から好きって言われて嬉しく感じるなんて」
お母さんは呆れたように私を見つめた。
「この子は何を言っているの。そんなの普通でしょ?好きって言われたら、ろくでもない男でもない限り嬉しいに決まっているじゃない」
「だって、私、その男の子の事、好きでも何でもないんだよ?」
お母さんは額を押さえてため息をついた。
「春子。あなた今まで告白された事はある?」
「一応、あるよ」
「幸一君を除いて」
「…無い」
「じゃあ告白した事は?」
私から告白。
幸一くんのあれは、カウントしていいのだろうか。
「一応、あると思う」
お母さんは呆れたように私を見つめた。
「手間のかからない出来た子だと思っていたけど、やっぱりまだ子供ね」
お母さんの言い方に私は少しムッときた。
「そんな事ないよ」
「おおありよ。あのね、好きな人に気持ちを伝えるってね、すごく勇気がいる事なの。それは分かる?」
どうなのだろう。
「春子が幸一君を好きって言うのとは訳が違うわ。好きって気持ちを伝えるのはね、今までの関係が別の関係になるの。より良い関係になるとは限らないわ。相手に拒絶されるかもしれないし。
だから告白するのってすごく勇気がいるの。それだけの勇気をふるって好きって言ってくれるのよ?ろくでもない男でもない限り、嬉しくないわけないじゃない。
私に言わせてみれば、その男の子は結構見どころあるわ。少なくとも、自分の気持ちを伝える勇気がある子だもの。断るなんてもったいない事したわね。付き合ってもよかったのに」
「でも、私、その男の子の事、好きってわけじゃないよ。それなのにお付き合いするなんて、不誠実だよ」
「あのね、春子は男女交際を勘違いしているわ」
私はムッときた。
「何でよ。好きでもない人と付き合うなんて、不誠実だよ」
「そんな事言っていたら、相思相愛じゃないと恋人になれないでしょ。世の中、最初から相思相愛の恋人なんていないわよ」
…確かに、そうかもしれない。
お母さんは諭すように言った。
327 三つの鎖 31 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/02/02(水) 22:05:53 ID:o6sBa/R4
「男女交際ってね、お互いの事を知ってもらって、お互いの気持ちを伝えあうの。最初は片想いでも、付き合っていたら両想いになるかもしれない」
「…分からないよ」
私には分からない。好きって言ってもらったのが、今日が初めてだから。
「例えばね、お父さんいるでしょ?私も最初はお父さんの事、男の人として意識した事は全く無かったわ」
そう言えば、お父さんとお母さんの馴れ初めは余り知らない。
「確か大学で同じ部活だったっけ?」
「そう。体育会の合気道部だった。部活は上下関係がすごく厳しかったわ。お父さんとは同じ学年だった。
お母さんね、かなりモテたの。でもね、全然嬉しくなかった。私の先輩は根性無しが多くて、女の子をデートに誘うのも先輩の立場でしか言えない人ばかりだったから。
本当にひどいわよ。お酒に酔わせてホテルに連れて行こうとする人もいたわ。交際を申し込んでもいないのに
あの頃は男の人が大嫌いだった。高嶺の花って言葉があるでしょ?高嶺の花だから止めておけって男の人はいうじゃない。全員とは言わないけど、男の人には努力して女の人に合わせるっていう発想が無いの。
少なくとも大学時代の部活の先輩はそんな男の人ばかりだった。自分じゃ手が届かないと勝手に勘違いして、上下関係を使うの。本当に腹が立ったわ」
すごく親近感を感じる。お母さんも私と同じ苦労をしていたんだ。
「もちろんそんな先輩ばかりじゃなかったわ。私に助け船を出してくれた先輩もいた。素敵な男の人だったわ。でもね、素敵な男の人って希少価値が高いから、そういう人に限って彼女がいたわ。
私、すごく残念だったわ。私が素敵と思う人は恋人がいるのに、魅力を感じない人ばかりにろくでもないアプローチされるし。
でもね、お父さんは違ったの。まっすぐに私に交際を申し込んできたわ。
はっきり言って全然スマートじゃなかったわ。すごく緊張していたし。でも、そこまで勇気を振り絞って気持ちを伝えてくれたのが嬉しかった。
だから、お父さんの気持ちに応えたいって思ったの」
気持ちに応える?
一体どういう事だろう。
「気持ちに応えるってどういう事?付き合うって事?」
「それもあるけど、本質は違うわ。
気持ちに応えるって言うのは、その人を好きになるって事よ。この人を好きになりたいって思ったの。
男女交際ってのはそういうものよ。交際を申し込んだ側からしたら相手を好きにさせる期間で、交際を申し込まれた側からしたら相手を好きになる期間」
「でも、付き合ってはみたけど相手の事を好きになれなかったらどうするの?」
「別れたらいいじゃない」
「そんなのひどくない?好きでもないのに付き合って好きになれないから別れるなんて」
「あのね、何も交際を申し込まれた人間すべてと付き合えって言っているわけじゃないわ。この人なら好きになってもいい、そう思える人とだけ付き合えばいいじゃない。
それにね、付き合うってことは相手にチャンスを与えるってことなの。交際するから私を惚れさせてみろって事よ。チャンスを活かしきれず惚れさせることができなかったら、それは相手の責任よ」
「なにそれ。すごく上から目線じゃない」
「恋愛ってそういうものよ。惚れたら負けって言う言葉もあるぐらいだし」
「…やっぱり納得いかない」
お母さんは呆れたように私を見た。
「春子ってすごくピュアね」
「だってお母さんの言っている事は分からないよ。好きって言われただけでその人を好きになるなんて、やっぱり変だよ」
「あのね、幸一君を見てもそう思う?」
胸に微かな痛みが走る。
「幸一君って一つ下の後輩と付き合っているんでしょ。梓ちゃんと同じクラスの」
「…うん」
「あの幸一君が妹のクラスメイトに手を出すような男の子だと思う?」
「幸一くんはそんな男の子じゃないよ。幸一くんは紳士的だもん」
「でしょ?仮に幸一君がその子に惚れていても、幸一君はその気持ちを秘めると思うわ。だって幸一君は優しすぎるもの。妹やその友達に迷惑をかけたり困らせたりしたくない。そう思う子だわ。
だからね、きっと梓ちゃんのクラスメイトから告白したんだと思う。春子は知っているの?」
知っている。だって、夏美ちゃんに惚れていく幸一くんを傍で見続けたから。
「知っているなら分かるでしょ?」
分からない。分かりたくもない。
お母さんはため息をついた。
「まだ納得してないわね」
「だって、分からないもん」
「そうね。幸一君の恋人ってどんな子なの?勘だけど、どちらかと言えば見た目は子供っぽい女の子じゃない?」
「…何でそう思うの?」
328 三つの鎖 31 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/02/02(水) 22:07:32 ID:o6sBa/R4
「幸一君の後輩になるわけだから年下でしょ?それに幸一君はどちらかと言えば落ち着いた父性溢れる男の子だから、年上に甘えたい女の子から人気がありそうな気がするの。となれば子供っぽい女の子かと思って」
お母さんの言う事は当たっている。
夏美ちゃんは芯はしっかりしたいい子だけど、普段の言動は子供っぽい。
「幸一君の好みってどちらかと言えば年上のリードしてくれる女の子だと思うわ。だって女の子に対しては奥手だし。それなのに恋人は年下の子供っぽい女の子。何でか分かる?」
分からない。
そんなの、分からない。
幸一くんが夏美ちゃんを好きになった理由なんて、分かりたくもない。
「その女の子が幸一君を好きって言えたからよ。人に好きと言われるのはそれぐらい破壊力があるの」
そんな理由で?
好きって言った。ただそれだけの事で、幸一くんは夏美ちゃんを好きになったの?
だったら私はどうなの?
私は毎日好きって言っていた。
それなのに幸一くんは私を好きになってくれなかった。
「真剣に好きって言ってくれる人と一緒にいたら全部とは言わないけど好きになる可能性はあるわ。好きなタイプに関係なくね」
だったら、何で私を好きになってくれなかったの。
そんなの、おかしいよ。
「春子も分かっているでしょ。今日、男の子に真剣に好きって言われて動揺しているじゃない」
「違うよ」
「違わないわ。相手にもよるけど、求められたら応えたいって思うのが普通よ」
「変だよ。じゃあお母さんはお父さん以外の人から好きって言われたら、応えたいと思うの?」
「お父さんより先に言われたらそう思ったかもしれないわ。でも、お父さんの方が先だった。それに今はお父さんを愛している。お父さんも私の好きって気持ちに応えてくれる。もしお父さんが私の気持ちに応えてくれない人なら、他の人を好きになるかもしれないけど」
「なにそれ。順番なんかで決まるの。そんなのへんだよ」
「何言っているの。恋は早い者勝ちよ」
私はその言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。
恋は早い者勝ち。
私に、チャンスはあった。
幸一くんが好きって言ってくれた中学生の時。
あの時、幸一くんと付き合っていれば違った結果になったかもしれない。
幸一くんは私に恋していなかった。恋に恋していただけだった。
私も幸一くんに恋していなかった。あの頃の私にとって、幸一くんは弟でしかなかった。
でも、付き合っていたらその過程でお互いに好きになっていたかもしれない。
私にチャンスはあった。
でも、私はそのチャンスを活かしていなかった。
だから夏美ちゃんに奪われた。
私に幸一くんを好きにさせるチャンスはあった。
あったのに私は何もしなかった。
ただ、幸一くんのお姉ちゃんとしての立場が心地よくて、そのままでいた。
お母さんの言っている事が分かった気がする。
好きって気持ちを伝えるのってすごく勇気がいる。
今の心地よい関係が壊れるリスクを冒してまで自分の気持ちを伝えるなんて、私にはできない。
私にできたのは、子供のように好きって言う事だけ。脅迫して傍に縛り付けただけ。
夏美ちゃんも耕平君は違った。
自分の気持ちをまっすぐに伝えた。
それがどれだけ勇気を必要として、尊い行為なのか。
「春子?」
お母さんは心配そうに私を見つめていた。
「どうしたの。もしかしたら、交際を申し込んできた男の子に変なことされたの」
「うんうん。ちょっと考え事」
「そう」
お母さんはそれ以上何も言わなかった。
心配そうに私を見つめるだけだった。
最終更新:2011年02月21日 20:31