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三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 16:53:18 ID:a+y96avJ
今のような日差しの強い季節でも中庭に人は多い。
中庭は緑が多いせいか涼しげで日差しを遮る物にも不足しないせいや。
俺と幸一と美奈子ちゃんは木の下のベンチに座った。
木漏れ日が眩しい。
「ささ。どうぞ召し上がってください!」
美奈子ちゃんが得意げに大きな弁当を開いた。
いや、弁当箱って言うか重箱。
中にはうまそうな惣菜がたくさん入っていた。
「おいしい物をでお腹いっぱいになれば、悩みなんて吹き飛びますよ!」
おい。悩みがあるって言ったんなや。
幸一は少し困ったように俺を見た。
「せっかくやし、いただこうや」
「そうだね。よかったら僕の弁当もどうぞ」
そう言って幸一も弁当を開いた。
鳥の照り焼きが入った弁当。これもうまそうや。
「自分、魚が好きやなのに、弁当は鳥が多いな。何でなん?」
「…お魚だと、おかずが単調になるから」
幸一の顔に微かに影が差す。あかん。この話題は失敗や。
話を逸らそう。
「美奈子ちゃんのお弁当、すごいな」
「そうでしょう。けっこう時間かかりましたよ」
偉そうに胸を張る美奈子ちゃん。ぺっちゃんこやな。
てか美奈子ちゃん、料理できるんや。以外っちゃ以外や。料理できるような子に見えへんし。
「一口もらうで」
俺は行儀悪く鳥の唐揚げを手でつまんで食べた。
うまい。
「あー。田中先輩、行儀悪いですよ。お箸ありますから使ってください」
美奈子ちゃんはそう言って俺に箸を差し出した。
ありがたく受け取る。
「めっちゃうまいやん。自分、料理得意やねんな」
「作ったのは弟です」
おい!さも自分が作ったような事言ったやろ!
俺は重箱に視線を落とした。結構な量。
「弟さんが可哀そうやろ」
「大丈夫です。弟は私の事大好きですから、何でも言う事聞いてくれます」
そうかいな。ええ弟さん持ったな。
「このお弁当も昨日、一時間ぐらいお願いしたら快く承諾してくれました」
「めっちゃ嫌がってるやん!」
あかん。突っ込まずにはいられへん。
「美奈子ちゃん、弟さんが少し可哀そうやろ」
「加原先輩。一口いただきますね」
スルーかよ!
俺の心の叫びを無視して(そりゃそうや)美奈子ちゃんは幸一の弁当から鳥の照り焼きを食べた。
「うんめー!めっちゃおいしいですね!」
「ありがとう」
「弟の次ぐらいにおいしいです!」
「…ありがとう」
微かに困った表情で俺を見る幸一。俺に振るなや。
「加原先輩もどうぞ召し上がってください!」
幸一は困った表情で食べ始めた。
「どうです?」
「とてもおいしいよ。ありがとう」
美奈子ちゃんはニッコリ笑った。
「たくさんありますし、遠慮せずにどうぞ!」
俺と幸一は顔を合わせて苦笑した。
この子、空気読まれへんし、突っ込まずにはいられへん言動も多いけど、根は悪い子やない。
悪気も悪意も無い。だからこそ厄介やけど。
他愛もない事を話しながら、のんびりと食事を続けた。
幸一に村田の事を聞きたかったけど、聞かなかった。
それは幸一と村田の問題。
67 三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 16:53:45 ID:a+y96avJ
俺が出しゃばってええ問題やない。
「報告することがある」
食事を食べ終えて、幸一は真剣な表情で口を開いた。
「あの、私、席はずしましょうか」
遠慮がちに口を開く美奈子ちゃん。
「別にいいよ。でも、他の人には黙っていてほしい」
頷く美奈子ちゃん。
報告すること。一体なんや。
「夏美ちゃんにプロポーズした」
幸一の言葉をすぐには理解できなかった。
「夏美ちゃんは承諾してくれた。もちろん、正式な結婚は当分先だ。今は婚約という形だ」
幸一は真剣な表情で冗談を言っているような雰囲気ではない。
美奈子ちゃんは呆然としている。
疑問が解け新たな疑問が生まれる。
幸一と村田がショッピングセンターに行ってたのはプロポーズの指輪を選ぶために違いない。
村田が誘ったにしろ幸一が誘ったにしろ、幸一は直前まで村田に指輪の事を言わなかったんやろう。
だから今日の村田はあんなに元気が無かった。
幸一が夏美ちゃんにプロポーズしたなら村田に結果を報告するはず。いや、プロポーズすること自体を報告するやろう。
多分、村田は幸一のプロポーズの話を聞いて結果を聞くのを拒否したんやろう。
だから幸一は今日のお昼に教室で村田に報告しようとした。
それで村田は教室を出ていった。それがさっきの事や。
疑問は解けた。けど新たな疑問が生まれる。
いや、疑問というより違和感。
何で幸一は夏美ちゃんにプロポーズした?
幸一は常識も良識もある真面目な男や。高校生の分際でプロポーズするなんて幸一の発想やない。
それなのにプロポーズした。何でや。
幸一がプロポーズすることが他の者にためになるから。
なら誰や?
村田か?
考えられない事やない。
もしかしたら、村田が幸一に告白して、幸一はそれを断った。
それやのに村田が諦めなかったとしたら、村田に分かってもらうためにプロポーズした。
いや、あかん。これやと夏美ちゃんに迷惑がかかる。
幸一は自分のごたごたに他の者を巻き込む男やない。
ならば誰のためにプロポーズした?
夏美ちゃんか?
何故?
普通ならプロポーズする理由は何や?
一生傍にいると誓う?
あるいは一生傍にいて欲しいと頼む?
いや、どちらにしてもおかしい。
幸一が夏美ちゃんにべた惚れなんはどんな奴でも見たら分かる。
恋人の夏美ちゃんが分からへんはずがない。
あかん。分からへん。理由が思いつかへん。
…いや、違う。
もしかしたら夏美ちゃんは俺が知らへん状況で相当追い詰められてたとしたら?
それならば幸一がプロポーズした理由も分かる。
父親を殺され、教師に迫られ、濡れ衣を着せられかけ、恋人と釣り合わないと噂を流されて精神的に追い詰められていた夏美ちゃんが不安になっていたとしたら?
幸一がどれだけ夏美ちゃんを好きかを伝えるためにプロポーズしたとしたら?
一応筋は通る。だからってプロポーズってのは行き過ぎやけど。
いや、ある意味幸一らしいかもしれない。どこまでも真面目でその癖どこか抜けた発想を持つ男。
どこまでも一途でまっすぐな俺の親友。
その親友が決意した事なら俺は幸一の味方をする。
「幸一。おめでとう。夏美ちゃんをしっかりと守りや。幸せにしたり」
「ありがとう」
幸一はそう言ってほほ笑んだ。
その笑顔を見て俺の推測は間違っていない事を確信した。
美奈子ちゃんも慌ててお祝いを述べた。
「あ、ええと、おめでとう?ございます」
何で疑問形やねん。まあ気持ちは分かるわ。
68 三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 16:54:09 ID:a+y96avJ
「ええと、私、何も聞かなかった事にします」
変に気を遣う美奈子ちゃん。これが普段通りやったらええのに。
村田はどんな気持ちやったんやろう。
好きな男とデートしていると思っていたのに、その男がプロポーズのための指輪を選んでほしいと頼む。
眼中にないとこれ以上ない形でつきつけられる。
俺ならきっと耐えられない。
それぐらい失恋は辛い。
自分の気持ちが相手に届かない悲しみ。
好きな相手が自分を必要としてくれない悲しみ。
耐えがたい痛み。
俺は美奈子ちゃんがいたから今もこうして何とか元気にいられる。
村田にとっての美奈子ちゃんはいない。
俺は時計を見た。昼休みはまだ少し余裕がある。
「幸一。俺、用事があるから先に失礼するわ」
「ああ。また後で」
「美奈子ちゃん。お弁当うまかったわ。弟さんによろしく伝えといて」
「え?はい」
不思議そうに俺を見上げる美奈子ちゃん。
俺はその頭をポンポンと軽く叩いた。
「え?ええ?」
焦ったように俺を見上げる美奈子ちゃん。ちょっと可愛いかも。
「耕平。年頃の女の子の頭を撫でるのは良くないよ」
「そら失礼」
俺は中庭を後にした。
村田はどこにおるやろう。
多分、生徒会準備室。
村田と幸一はここでよく飯を食っていた。
生徒会準備室に行くにつれて人が少なくなってくる。
こっちの校舎には使われる教室がほとんどない。
俺は生徒会準備室の扉をノックした。
返事は無い。
でも中から微かに泣き声が聞こえる。
胸が痛い。
惚れた女が泣いている。それだけで胸が張り裂けそうになる。
「村田。田中や。入るで」
返事は無い。俺は扉を開けた。
村田はベッドに突っ伏して泣いていた。
枕に顔を押しあて押し殺した声で泣いていた。
顔をあげる村田。その顔は涙でぐちゃぐちゃやった。
「幸一くんは?」
胸が痛い。
村田の眼には幸一しか映っていない。
形のええ綺麗な唇が呼ぶのは、俺の名前やない。
「あいつは来うへん。分かっているやろ」
村田の顔が歪む。
幸一は誠実な男や。
例え自分の事を好きと言ってくれる女でも必要以上に優しくはしない。
優しさが偽りの希望を与えてしまうかもしれないから。
まだ可能性があると勘違いさせるから。
だから幸一は来ない。
自分の姉ともいえる親しい幼馴染が泣いていても、幸一は来ない。
一見、冷たいように見えるかもしれへん。
自分で振っといて、自分で泣かせて、それなのに傍にいない。慰めない。
でも俺は分かる。
失恋できる事はまだ幸せな事や。
だって、失恋すれば次に進める。
幸一はその事を分かっている。
だから幸一は来ない。
村田に表面上だけでも優しくできるのに、そうしない。
それが幸一の優しさ。
69 三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 16:55:00 ID:a+y96avJ
村田は幸一の気持ちを分かっているはず。
きっと俺なんかよりも幸一の事を知っている。
「幸一くんが田中くんに来るように頼んだの?」
「ちゃう。幸一は何も言ってへん。俺が勝手に来ただけや」
村田の目尻からとめどなく涙がこぼれる。
こんな村田は見た事ない。
いつも村田はニコニコと笑っていた。
幸一をからかうときだけ村田はいつもの笑顔やなくて、嬉しそうな、楽しそうな、幸せそうな笑顔をしていた。
その笑顔に魅かれた。
その村田が泣いている。
声をあげ肩を震わし涙を流している。
でも俺には何も言えない。
村田が望んでいるのは俺やない。
「何でなの!?何で幸一くんは来てくれないの!?」
村田の問いに俺は答えなかった。
だって村田はその答えを知っている。
その答えを認められへんだけ。
「私の方がずっと傍にいた!!ずっと一緒だった!!ずっと好きだった!!」
知っている。村田ほどの付き合いやないけど俺も幸一の幼馴染や。
俺もずっと村田を見てきた。幸一の事を好きな村田を見てきた。
「なのに何でなの!?何で夏美ちゃんなの!?何で私じゃないの」
俺もずっと思っていた。
何で俺やなくて幸一なんやと。
俺の方が村田の事を好きやのに。
それなのに何で村田は幸一を好きなんや。
幸一は村田の事を女の子として好きやない。
俺は村田の事を女の子として好きや。
せやのに何でや。
何で俺やなくて幸一なんや。
「ずっと、ずっと好きだったのに!!何で私じゃないの!?」
俺もそうや。
ずっと好きやった。
せやのに何で俺やないんや。
恋は甘酸っぱいなんて言うけど俺はそんな風に思った事は一度もない。
俺にとって恋は残酷なだけやった。
それは村田にとっても同じ。
「分かってるやろ」
俺はハンカチを取り出して村田に差し出した。
村田は俺の手を乱暴に振り払った。
ハンカチが地面に落ちる。
「何で幸一くんは私を好きになってくれないの!?」
村田の拳が俺の胸をたたく。
悲しいぐらいに非力。それなのに心に響く。
「何で!?何でなの!?何で私を好きになってくれないの!!私は好きなのに!!ずっと好きなのに!!何でなの!?」
村田の拳が何度も俺の胸を叩く。
痛くもかゆくもないのに心に亀裂が入りそうな苦しみが生まれる。
村田の白くてほっそりとして手。
いつかその手を握りたいと思っていた。
それやのに今はその手で叩かれている。
俺は何も言わなかった。
何を言っても村田には届かへん。
村田が納得する答えなんて無い。
人が人を好きになるのってそういうことやと俺は知っている。
嫌になるほど知っている。
今の俺に出来る事は受け止めることだけ。
「何でなの」
村田は崩れ落ちた。膝をついてうつむく。
「何で、私じゃないの」
俺は膝をついて村田と視線を合わせた。
あれだけ激しく泣いていたのが嘘のように虚ろで疲れきった瞳。
70 三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 16:55:47 ID:a+y96avJ
「好きになる人間は選べへん」
好きになる人間を選べたらどれだけいいのだろう。
「幸一は夏美ちゃんを選んで好きになったんやない。惚れる人間は選べへん。分かっているやろ」
村田の表情が歪む。
「だからって諦めろって言うの。ずっと好きだった幸一くんが、他の女の子のものになるのを、指をくわえてみろって言うの」
「そうや」
俺は即答した。
「そんなこと、できないよ」
「難しいのは分かる」
「勝手な事言わないで!!」
悲鳴じみた村田の声がこだまする。
「耕平君に何が分かるの!?私の気持ちなんて分からないでしょ!?」
俺を睨みつける村田の瞳から涙がこぼれる。
「好きな人が振り向いてくれないのがどれだけつらいかなんて、耕平君に分かるの!?分からないでしょ!?」
「分かる」
「嘘言わないで」
「嘘やない。俺は村田が好きやから、よく分かる」
びっくりしたように俺を見上げる村田。
「ずっと好きやった。今でも好きや。べた惚れしてる。誰よりも村田を好きな自信がある」
「わ、わたし、その」
面白いぐらいに慌てている村田。いつものんびりとしている村田がここまで慌てているのは初めて見た。
「誰よりも村田を大切にする。幸一の事を忘れるぐらい愛する。だから、俺の恋人になってくれ」
ずっと秘めていた気持ちを伝えているのに信じられないぐらい落ち着いていた。
多分、結果が分かっているからや。
村田は見ていて可哀そうなぐらい慌てている。落ち着きなくきょろきょろし、うつむく。
何となくやけど想像つく。きっと村田は告白された経験が少ないんやろう。
少なくとも俺が知る限り村田に告白した男って言うのは聞かない。
村田はもてる。美人やし、愛想もええ。せやけど、いつも幸一にべったりやった。せやから誰も告白せんかったんやろう。
男は根性無しや。手が届かないと思ったら手を出せない。気持ちを伝える事すらできない。
俺もそうやから、嫌なほど分かる。
「そ、その、私、耕平君の気持ちは嬉しいけど、あ、えっと、嬉しいって言うのはOKって事じゃなくて、その」
村田はうつむいたまま早口に喋る。
「わ、私、好きな人がいるの。だから、その、ご、ごめんなさい」
「な?分かったやろう?」
「え?」
不思議そうに俺を見上げる村田。
「どれだけ好きでも、相手も応えてくれるわけやない。自分が好きな分だけ、相手も好きになってくれるわけやない。自分が好きやから、相手も同じぐらい好きになってなんて、そんな風になるとは限らへん」
きょとんとする村田。
「幸一を責めたんな。幸一は村田に惚れてないかもしれへん。でも、それは幸一が悪いからやない。好きになる人間は選べへん」
村田の顔が険しくなる。
「何なの。そんな事を言うために私の事を好きって言ったの」
怒ったように俺を見上げる村田。
「私がどれだけびっくりしたと思っているの。そんな事を言うために嘘の告白をするなんて、最低だよ」
村田の言葉に胸が痛くなる。
俺の気持ちは何も届いていない。
村田は何も分かっていない。
何も。何も分かっていない。
「きゃっ!?」
村田の悲鳴が聞こえた気がする。
「え?ええ?こ、耕平君?」
俺の腕の中で村田がもがく。
気がつけば俺は村田を抱きしめていた。
思ったより華奢で小さな背中。
それなのに温かくて柔らかい。
鼻をくすぐる村田の匂い。
今まで抱きしめたどんな女よりも甘い香り。
「こ、耕平君。お願い。離して」
村田の声はか細く震えていた。
「嘘やない」
「え?」
71 三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 16:56:13 ID:a+y96avJ
「告白は嘘やない」
村田は驚いたように俺を見上げる。
顔が近い。
綺麗なまつ毛。大きな瞳。柔らかそうな白いほっぺた。紅い唇。
「好きや。誰よりも村田を愛してる」
村田の白い頬が朱に染まる。
「じょ、冗談はやめてよ」
「冗談やない」
俺は村田を抱きしめる腕に力を込めた。微かに身じろぎする村田を押さえつける。
「何度でも言う。好きや」
「や、やめて。離して」
「幸一の事を忘れるぐらい大切にする。愛する。だから俺の恋人になってくれ」
うつむき震える村田。
その顎に手を添え、上を向かせる。
うるんだ瞳が目の前にある。
恥ずかしそうに眼を逸らす村田。
「こ、耕平君。その、お願い。は、離して」
「答えを聞かせて」
顔をそむける村田。微かに朱に染まった白くて柔らかそうな頬。
俺はその頬に口づけした。
「ひゃひっ!?」
変な声をあげて飛び上がる村田。
信じられないように俺を見る。
「い、いま、わわ、私に」
「好きやからキスした。それだけや」
顔を真っ赤に染める村田。
顎に手を添え俺の方を向かせる。
「答えを」
村田は恥ずかしそうに視線を逸らした。
「そ、その、私、突然だし、すごく困ってるし、その、でも」
早口で話す村田。
「で、でも、耕平君の気持ちは嬉しいけど、その、やっぱり、私、幸一くんが好きなの」
村田ははっきりとそう言った。
胸に微かな痛みが走る。
俺は村田を離した。
村田は申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんなさい」
「気にせんといて」
一方的な片想い。俺の気持ちをぶつけただけ。村田は正直に応えた。それだけの話。
気まずそうにうつむく村田。
予鈴がなる。もうすぐ授業が始まる。
「俺、先に行くわ」
「う、うん」
「じゃあな」
さよなら。俺の好きな人。
俺は村田を置いて生徒会準備室を出た。
微かに胸に走る痛みを除けば信じられないぐらい穏やかな気持ち。失恋したとは思えない。
きっとこれ以上悩む必要が無いからや。
それなのにどこか落ち着かない。
胸に大きな穴が開いた様な感触。
俺は屋上に向かった。途中で授業開始を知らせるベルが鳴る。
授業を受ける気にはなれなかった。屋上でさぼろう。
屋上には誰もいない。ただでさえ夏が近づき日差しがきつい上に暑い。
俺はベンチに腰をおろした。ぼろくて塗装のはげかけたベンチ。
ふとショッピングセンターでの事を思い出す。あの時の休憩所もしけたベンチやった。
あの時は美奈子ちゃんが慰めてくれた。
あかん。無意識のうちに誰かに傍にいて欲しいと思っている。情けない。
俺は空を見上げた。うざいぐらいに晴れ渡った蒼穹。
「…あー」
思わず声が漏れる。
72 三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 16:56:37 ID:a+y96avJ
雨が降る様子は全くない。気がきかない空や。盛大に振られたんやから空ぐらい泣いてくれてもええやろ。
そんなあほな事を考えていると出入り口に足音が聞こえてくる。
まずい。見周りの教師か。
ただでさえ教頭に目をつけられている。これ以上、問題になるような事はしたくない。
かといってこの屋上に隠れられる場所は無い。
しゃあない。逃げることも隠れることもできないならせめて寝ておこう。
チャイムに気がつかず寝過してしまいました。うわっ。しょうもない言い訳。
まあええ。今の俺にはぴったりや。
俺はベンチに横になった。太陽がまぶしい。顔にハンカチを被せる。少しは眩しさがましになる。
錆びたドアが開く音と共に足音が近づいてくる。ぱたぱたと軽い足音。
「田中先輩」
俺は思わず起き上った。
そこには美奈子ちゃんがいた。心配そうに俺を見下ろしていた。
信じられない。
幻覚か?俺の願望の生み出した幻か?
「大丈夫ですか?」
美奈子ちゃんはそう言って俺の頬にそっと触れた。
温かくて柔らかい手が俺の頬をゆっくりなでる。
夢でも幻でもない。確かな感触。
来てくれた。
あかん。これ以上甘えたらあかん。
みっともない姿を見られたくない。
「あほ。もう授業はじまっとるやろ。はよ教室に戻り」
「嫌です」
そう言って美奈子ちゃんは両手で俺の頬を包んだ。
「先輩をほっておけません」
「俺は大丈夫や」
「嘘です。ふられたんでしょ?」
胸に鈍い痛みが走る。
「うっさい。俺が失恋しようが美奈子ちゃんには関係ないやろ」
「はい。関係ないです。でも、放っておけません」
「何でやねん」
美奈子ちゃんの瞳が俺をとらえる。憂いを湛えた澄んだ瞳が俺を射抜く。
「だって、先輩、泣きそうな顔してます」
「うっさいわ」
俺の声は嫌になるぐらい震えていた。
「一つ言うけどな、俺はふられて良かったと思ってるねん。だってやで、もう苦しまんでええねんで。わずかな可能性に縋って、苦しい希望を見ないでええ」
「そんな泣きそうな声で言っても説得力無いです」
「うっさいわ」
俺の声はどうしようもなく震えていた。
視界がにじむ。
「頼むからどっか行ってえな。お願いやから。俺、これ以上自分に泣いているとこを見られたくないねん」
「一人で泣いている先輩をほっておく事なんてできません」
そう言って美奈子ちゃんは俺の頭をそっと抱きしめた。
俺は拒めなかった。
美奈子ちゃんの心臓の鼓動が微かに聞こえる。
温かくて柔らかい感触。
その感触に信じられないほど安心してしまう。
「泣ける時に泣けないとだめです」
「お願いやからどっか行って。このままやと美奈子ちゃんに甘えてまう」
「別にいいです。それぐらい受け止めてあげます」
「もうええやろ!!」
俺は美奈子ちゃんを振り払って立ち上がった。
「お願いやから一人にしてえな!!今は何も考えたくないねん!!」
目頭が熱い。涙が頬を伝う。
辛い。悲しい。苦しい。痛い。
村田の答えが頭に何度もこだまする。
俺はふられた。
村田は俺を拒絶した。
それが、こんなに苦しいなんて。
73 三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 16:59:51 ID:a+y96avJ
「言いたい事があるなら、ため込まずに言ってください」
美奈子ちゃんはそっと俺の両手を握った。
小さな子供みたいな手。それなのに温かくて柔らかい。
「何で村田は俺を見てくれへんのや!?」
気持ちが言葉となって溢れ出す。
「ずっと村田を好きやった!!幸一よりも村田を見ていた!!好きやった!!せやのに何でや!?何で俺を見てくれへん!?何で俺を好きになってくれへん!?」
こんなこと美奈子ちゃんが答えられるはずがない。
それなのに言葉は止まらない。涙も止まらない。
「今やってそうや!!幸一には夏美ちゃんがおる!!幸一も村田をふった!!せやのに何で村田は諦めへん!?おかしいやろ!!あれだけ夏美ちゃんにべた惚れな幸一を見て、何で好きって言えるんや!?」
俺も村田と同じって分かっている。
好きな相手には好きな異性がおる。
それなのに諦められへん。
美奈子ちゃんは何も言わない。
黙って俺の言葉に耳を傾けるだけ。
「何で俺は村田の幼馴染やないんや。何で幸一のポジションに俺はおらんかったんや。何で今まで村田と同じ教室になる事が無かったんや」
せめてもう少し近くにいれば少しは違った結末だったかもしれへん。
くだらなくて情けない言い訳。
「変やねん。ふられたのに、諦めがつくと思ったのに、ぜんぜんそんな事ない。もう可能性は無いって分かっているのに、村田に振り向いて欲しいって思っている俺がおる。意味が分からへん。ふられたのに、無理やのに、それでも好きや。村田に惚れてる」
はっきりとふられたのに、今でも村田に惚れている。
「もう嫌や。この苦しみから解放されたい。村田の事を忘れたい。村田に惚れてなかった頃に戻りたい。せやのにできへん。どうしたらええか、分からへん」
村田の姿が脳裏に浮かぶ。
艶のある黒い髪。白い肌。子供みたいに輝く瞳。美人やのに笑うとびっくりするぐらい子供っぽい笑顔。
好きや。惚れとる。忘れたいのに、忘れられへん。
はっきりとふられた今でも好きや。
これだけ好きでも村田は振り向いてくれへん。
村田が見ているのは幸一だけ。
涙がとめどなく溢れて頬を伝う。
俺は膝をついて泣き続けた。立つ気力すらなかった。
そんな俺を美奈子ちゃんは抱きしめてくれた。
「美奈子ちゃん。教えてえな。俺、どうしたらええんや」
「知りません。自分で考えてください」
美奈子ちゃんの言葉が胸に突き刺さる。
びっくりするぐらい、ドライな言葉。
「私、先輩みたいに人を好きになった事ないですから、ふられる辛さが分からないです。だから何も言えないです。ごめんなさい」
美奈子ちゃんは真剣な瞳で俺を見つめる。
俺は自分を恥じた。
美奈子ちゃんは誠実に俺の疑問に答えてくれた。
一途に思っていたら振り向いてくれるみたいな、薄っぺらい事を言わへんかった。
当たり前といえば当たり前。
俺の事は俺の事。俺自身がどうにかするしかない。
他の人間にできるのは助ける事やない。
見守ることと受け止めること。
俺は美奈子ちゃんの腕から抜け出した。袖で乱暴に涙をふく。
「ごめんな」
「いいえ。私、これぐらいしかできませんから」
小さな声で答える美奈子ちゃん。
「いや、ほんまに感謝しとる。ありがとう」
美奈子ちゃんは俺を見上げた。綺麗で澄んだ瞳。
その瞳が潤んだかと思ったら、突然涙があふれ出した。
美奈子ちゃんは俺を見上げたままぽろぽろ涙を流す。
「ど、どないしたん?」
俺は慌ててハンカチを取り出した。
美奈子ちゃんは何も言わない。顔をくしゃくしゃにして涙を流す。
「美奈子ちゃん。どないしたん?俺、なんか言ったらアカン事言った?」
「ひっく、違いますっ、ぐすっ」
美奈子ちゃんは泣きながら口を開いた。
「わたひっ、先輩がこんなに苦しんでいてっ、泣いていてっ、悲しんでいるのにっ、何もできなくてっ、それが申し訳なくてっ」
うつむいたまま泣き続ける美奈子ちゃん。
涙が頬を伝い地面に落ちる。
「ごめんなさいっ、ひっくっ、私、何もできないですっ、ごめんなさいっ」
74 三つの鎖 30 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2011/01/09(日) 17:00:59 ID:a+y96avJ
俺はほんまもんのアホや。
こんなええ子を泣かせて。
年下の女の子に縋って。甘えて。
俺は美奈子ちゃんをそっと抱きしめた。
美奈子ちゃんは泣きながら俺の背中を抱きしめる。
信じられないぐらい非力な力。それでも精いっぱい抱きしめているのが分かった。
俺も美奈子ちゃんの背中をそっと抱きしめた。
小さい背中は震えていた。
こんなに小さかったんや。
「ひっくっ、ごめんなさいっ」
「美奈子ちゃんは何も悪くない」
美奈子ちゃんの髪をそっとなでる。
何も言わずに泣き続ける美奈子ちゃん。
強くなろう。
美奈子ちゃんが心配しなくてもええぐらいの、強くて立派な男になろう。
失恋ぐらいで泣いてられへん。
いつまでもうだうだ言ってられへん。
美奈子ちゃんは俺の胸に顔をうずめた。
そのまま体を震わせて泣き続ける。
俺は美奈子ちゃんを抱きしめた。
温かい美奈子ちゃんの体温が、どこか頼りなく感じた。
最終更新:2011年01月24日 22:28