108 名前:
Rescue me ◆hA93AQ5l82 [sage] 投稿日:2011/04/14(木) 18:45:05.70 ID:/ctPF5UA
1話 後悔先に立たず
僕は不幸の星の下で生まれたのではないか、と最近思う。
小学校に上がってから欠かさず書いてきた日記を開くと、
汚い字で、学校や家での出来事が少ない語彙で書かれていた。
主語も述語も滅茶苦茶だが、そこから怒りと絶望が感じられた。
その日記の中で、最も多く登場する名詞が、羽生累(はにゅうかさね)。
姉の名前だった。
弟の僕が言うのもなんだが姉は完璧超人だ。
目鼻立ちやスタイルが良いのは当然として、なにより目を引くのは、
腰まで伸びる、しっとりとして光沢のある黒髪だ。
頭の方も、生まれてすぐに言葉を話し、三歳で大学レベルの数学の問題を解いた、
という触れ込みでテレビに出た事があると親が自慢げに言っていた。
一方で、僕は容姿も頭も褒める所など一つもない、ただの一般人だ。
それだけのはずだった。だというのに、姉に虐められた。
日記を書く以前から姉に虐められていた。
幼児に分かるはずのない多彩な語彙による罵倒、
外からでは決して分からない部位への殴蹴、
親に言っても信じてもらえず、それが姉にばれて更に酷い目に遭った。
幼稚園、小学校、中学校に上がっても、姉の取り巻きや同級生達に毎日のように、
たまに姉も加わってリンチを受け、逃げ道などどこにもなかった。
僕はいつも一人だった。一人だったから、読書や勉強が、唯一の楽しみだった。
高校だけは姉とは違う所に行きたかったから他県の高校進学を希望した。
でも駄目だった。担任からは、君ほどの学力なら、都内の名門校に入れる、と、
親からは、寮生活をさせられるほど家にはお金はない、と説得され、
結局、姉と同じ高校に進学した。
この頃になると、流石に苛めはなくなったが、
過去の経験から、周りの人間が信じられなくなっていた。
唯一の救いは姉が暴力や罵倒を言われなくなった事だったけど、
そんなのは気休めにもならなかった。
ただ椅子に座って勉強していただけなのに、
僕の周りには、いつも人だかりが出来ていた。
友達にならないか、部活に入らないか、生徒会に入らないか。
皆口々にそう言っていた。全部断った。
こいつを虐めて学内での暇を潰そう、そういう下心が見え透いてならなかった。
虐めるならば、他を当ってほしい。僕は勉強と読書で忙しいのだ。
関心を示せば漬け込まれる。無関心の型を出せば、その内相手は消える。
これまでの経験で学んだ事だ。誇れる事ではないけれど。
十八年間を顧みてみたが、本当に碌な思い出がない。
それがあと最低でも四年は続く。
僕は今年、大学に進学する。姉と同じ大学に。
109 名前:Rescue me ◆hA93AQ5l82 [sage] 投稿日:2011/04/14(木) 18:45:59.91 ID:/ctPF5UA
高校生活の全てを勉強に費やした甲斐もあって、
国立大学の理科二類に合格する事が出来た。
嬉しかったが、最難関といわれる理科三類に進学した姉の時に比べれば、
親の喜び具合はおざなりだった。期待はしていなかったが、やはり悲しかった。
そんな折、自分の大学進学を一番喜んでくれたのが姉だった。
豊かな胸を顔に押し付け、頬ずりしながら、
「合格おめでとう。これでまた一緒に通学できるね、佑(ゆう)ちゃん」
佑、僕の名前だ。今まで名前ですら呼ばれた事がないのに、いきなりのちゃん付け。
まるで今までの行ないを忘れたような言い方だった。
大学では、二年間は教養学部に所属し、後に後期の専門学部に進級する事になっている。
科目選択によっては上級生とかぶる事もあるので、
最悪、姉とかち合うかもしれないが、それは考えない事にしよう。
こんな事ってあるのだろうか。取った科目の一部(必修科目など)を除いて、
全ての科目になぜか姉がいた。
それも僕を見付けると、
「佑ちゃん、一緒にお勉強しよ」
と言って、隣に座ってきた。監視されている。確信だった。
「ここの数式はね、こうやって解くと楽なんだよ」
嬉々とした声で、先生よりも詳しい解法を教えてくれる姉が、
僕には危機としか感じられなかった。
110 名前:Rescue me ◆hA93AQ5l82 [sage] 投稿日:2011/04/14(木) 18:47:19.96 ID:/ctPF5UA
大学生活も二ヶ月もすると慣れた。
今は第二外国語の授業中、隣の席に姉はいない。
安らかに授業に没頭できる時間であるが、辺りは騒がしい。
来月には前期試験があり、それが終われば夏休みに入る。
長い夏休み、学生達はなにをしようか、という話で盛り上がっているのだ。
友達もいなければ、部活、サークルにも入らず、
アルバイトもしない僕にとって、全く関係のない話でしかない。
だから、小声で喋っている学生が煩わしくてならなかった。
学生の仕事は勉強なのだから、夏休みなど必要ない、と僕は思う。
授業中に隣と喋っていたり、眠っていたりする奴を見ると、
なんのために大学に来たのか、と問い詰めたくなる。
授業終了のベルが鳴った。今日の科目はこれで全て終了だ。
姉が来る前に、さっさと図書館に避難しよう。
本が大量に詰まり、歪に変形している鞄を手に、図書館に足を向けた。
大学図書館は、地上五階地下三階建ての大規模なものだ。
地上階が一般学生や院生がレポート作成のために使っているのに対し、
地下階は本棚に入りきらない蔵書を保存する階のため殆ど人がいない。
静かで空調も整っているので、読書や勉強をするには最適の場所だ。
僕はここを気に入っていた。
111 名前:Rescue me ◆hA93AQ5l82 [sage] 投稿日:2011/04/14(木) 18:47:52.17 ID:/ctPF5UA
この階には時計がない。なので、どれくらい本を読んでいたのか分からない。
後ろから声を掛けられなかったら、いつまでも本を読み続けていただろう。
「なんて本を読んでるんだ?」
声の大きさは普通だけど、静かだったのでとかく響いた。
振り返ってみると、見知らぬ男が立っていた。
僕が目を細めて睨み付けても、その男は構わず本の表紙を覗き、
「ロボット工学……、ガンダムでも作りたいのか?」
と、冗談めいた事を言ってきた。
茶色に染められた髪に、ピアス、着崩した服装から、
高校時代に見た中途半端な不良を思い出した。
「あんた、誰?」
「誰って、お前と同じクラスの聖尊(ひじりみこと)だよ。
最初の授業で自己紹介しただろ?」
「……そうだったな」
とは言ったものの、全く覚えていなかった。誰とも親しくなるつもりもないので、
自分の自己紹介を終えた後は、テキストを読んで上の空でいたから、
当然といえば当然だろうけど。
「それで、その聖尊が一体なんの用?」
「俺と友達にならないか、佑?」
またこれか。大学に入ってからこれで何度目だろう。
携帯の液晶を見ると、既に二十時を回っていた。もう帰ってもいい時間だ。
「悪いけど、その件は断るよ。それじゃ、また」
「ちょっと待てよ!」
強い力で腕を掴まれ、無理やり向かい合わされた。厳しい顔がそこにあった。
「お前、どうしていつも悲しそうな顔をしてるんだよ!?」
腕を掴む力が緩んだ。振り払って尊を睨み付けてやった。
「なにを訳の分からない事を言ってるんだ。そんな顔一度も……」
「今だってしてるだろ!本を読んでいる時だってムスッとした顔で……、
俺はお前が楽しそうにしている顔なんて、一度も見た事がないぞ!」
「生憎、これが生まれついての顔なんだ。文句を言われる筋合いなんてない。
……だからなに?それが友達になるのとどう関係があるんだ!?
頼むから一人にしてくれよ!」
ここが地上階だったら、間違いなく利用者に白い目で見られるであろう、
大きな声を出してしまった。
冷静になって、感情をむき出しにしてしまった自分にいささか後悔したが、
尊は、先ほどよりも柔らかい表情になっていた。
「関係だったらあるさ。困っている人がいたら助ける、小学校で教わらなかったか?
俺はそれを実践しているだけだよ」
「意味が分からない」
「分からなくてもいいさ。好きでやってるんだから。それと……」
急に話を切らされたと思ったら、携帯を強奪された。
慣れた手付きで携帯同士を向かい合わせ、しばらくすると返された。
「俺のアドレスと電話番号を交換したから。消したって意味がないからな。それじゃ」
満足したという声でそう言うと、尊は帰ってしまった。
112 名前:Rescue me ◆hA93AQ5l82 [sage] 投稿日:2011/04/14(木) 18:48:27.88 ID:/ctPF5UA
自転車を停めて家に入ろうとした時、受信音が鳴った。
尊からだった。
早速メールをしたぜ。
明日授業が終わったら一緒に遊びに行くから、何時に授業が終わるのか教えて。
金だったらこっちが負担するから、なくても大丈夫だぜ。
それじゃ、お休み。
勝手にメールアドレスと電話番号を交換されなければこんな事にはならなかった。
無視すれば、次には電話が来るに違いない。
言い訳をしても、あの男には通じなさそうだ。
仕方がないので、本当の事を送る事にした。
明日は三時限目で授業が終わる。
送信完了の文字を見て、玄関の鍵を開けた。
突如、柔らかい物に顔が圧迫された。またこれか、とうんざりしてしまう。
「佑ちゃん、こんな時間までなにしてたの!?お姉ちゃん心配したんだよ!」
ここのところ、姉のスキンシップが度を越しているように思えてならない。
起床、就寝時のチューを、家の中では腕組、外では手を繋ぐのをねだるなど、
明らかに姉弟の一線を越えている。全て断ってはいるけど。
「今晩のご飯は、佑ちゃんの大好きなハンバーグだよ。早く食べようよ」
そして、なぜか僕の料理だけは姉が作るというのも異常といえば異常だ。
正直、肉よりは野菜の方が好きなのだけれど、
それを言うと姉になにをされるのか分からない。
「うん……、着替えたらすぐに食べるよ」
いつになったら姉から解放されるのだろう。お先は真っ暗だ。
最終更新:2011年06月08日 14:23