悪徳の館 第1話

166 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 03:49:54.03 ID:oecT5ikD

「おはようございます、ミナ様」
「ごきげんよう、ミナ様」
「ごきげんいいかがですか、ミナ様」
「ミナ様」
「ミナ様」

 送迎のリムジンから人影が降りるや、校庭を埋め尽くす通学中の少女たちが、一斉に振り返る。
 自分に憧れる同級生や、下級生たちの熱い眼差しの中を、水無月千早は悠然と歩を進める。
 それらの憧憬の瞳に、最小限の所作で最大限の効果を伴う笑顔を返しながら、である。
 品行方性。
 眉目秀麗。
 容姿端麗。
 頭脳明晰。
 才色兼備。
 文武両道。
 スポーツ万能。

 この学園に於いて、彼女を賛美する言葉は枚挙に暇が無い。
 まさしく、学園のアイドルにして、カリスマ、マドンナにして、シンボル。
 その家門は、鎌倉時代から続く信濃源氏嫡流の家柄であり、旧幕時代は二万石の大名。そして現在では、多国籍企業・信州グループの総本家にして、筆頭株主。
 この名門お嬢様学校である、私立フローレンス学院理事長の孫娘にして、生徒自治会会長。学内定期テスト不動の首席にして、インターハイ女子テニス個人戦二連覇。
 そして、天保以来の古流剣術・東雲流の目録の腕前。
 まさに文字通り、当校創設以来のミラクルガールであり、彼女のファンクラブには、同級生どころか、上級生すら多数の会員がいるという。
 いまもまた、10人以上の取り巻きに、穏やかな笑みを返しながら校庭を闊歩する彼女は、まるで現実の女子高生には見えない神々しさに、満ち溢れていた。



167 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 03:52:24.80 ID:oecT5ikD

 その後方10メートルの地点を、古神秀彦とその双子の妹・姫子が歩く。
 双子と言っても、性別の違う二卵性双生児なので、さほど顔は似ていない。
 背まで伸びた亜麻色の髪を、赤いリボンでまとめた美少女と、その妹と同じ血を引いているとは思えぬほどに貧乏臭い相貌を持つ兄。
 そして兄は、先程から妹に何か言いたいらしく、妙にそわそわしていた。

「――なあ、姫子」
「ん、どしたの兄さん?」
「おまえ、今週の『ぴあ』読んだか?」
「『ぴあ』?」
「今度の日曜、日比谷で“ポイズン”のライブがあるんだ」
「え? 日比谷って、東京の?」
「そりゃそうさ。長野に日比谷はないからな」
「観に行きたいの?」
「ダメ、かな……?」
「ダメかなって、……そんなことアタシに訊いたって仕方ないじゃない?」
「訊いたって仕方ないじゃない、って――とことんサディストだな、お前は」
「あ、やっぱそう思う?」



168 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 03:56:39.95 ID:oecT5ikD

 彼ら古神家の一族は、先祖代々、数百年にわたって水無月家に仕えて来た家老の一族であり、その永年にわたって結ばれ続けた姻戚関係は、ほとんど分家筋と呼んでもいいほどに強固なものであった。
 だが天保年間に、当時の古神家当主・古神左京が東雲流という刀術を工夫し、以来剣術指南役に就いたことから、彼ら古神一族の役回りも、藩内政治の表舞台から、藩主家の警護役などの舞台裏に、徐々にシフトチェンジしていくことになる。
 そして、平成の現代においても、家老どころか、運転手兼ボディガード兼秘書といった、やはりスポットライトのあたらない役割を担いつづけている。
 都内一等地に広大な敷地を持つ水無月本家の一角に居を構え、本家当主護衛の任に就く彼ら古神兄妹の父も、例外ではなかった。
 しかし、現在この二人は長野県の水無月家の別邸に、兄妹で一室を与えられていた。
 このフローレンス学院に登校する千早の“御学友”という名目で、彼ら兄妹は東京から呼び寄せられたためである。


「“ポイズン”かぁ……。随分聞いてないなぁ。まだ活動してたんだねえ」
「おいおい、一時期あんなにハマってたじゃないか」
「一時期って言っても、もう昔の話よ。まだアタシらが東京にいた頃の話じゃない」

“ポイズン”とは、もう三年も前に、この兄妹の間だけで流行っていたロックバンドで、『こいつらはいつか必ずメジャーになる』という秀彦の予想によって、CDの類いなども全て、彼の少ない小遣いから購入されていた。
 だが、あにはからんや、彼の予想に反し、そのバンドは、みるみるうちに消えていったのである。



169 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 03:58:29.08 ID:oecT5ikD

「でも、意外ね」
「ああ、多分一度解散して再結成したんじゃないかな」
「違うよ。アタシが意外だって言ったのは、彼らがまだ活動してたってことじゃなくて――いや、それも意外だけどさ――未だに“ポイズン”なんか聞きたがる兄さんの趣味よ」
「……悪かったな」
「もっと、クラシックとか無難なの聞いてた方がいいんじゃないの? 最近になってようやく目立たなくなって来たんだからさ」
「……………」

 そう、彼はある意味、前方を歩く千早以上に――いや、この校舎にいる誰よりも目立つ存在だった。
 何故なら、この私立フローレンス学院は、いま現在の名目上は『共学校』であるとは言え、本来はバリバリのお嬢様学校――女子高だったのだ。
 そして彼、古神秀彦は、この学校に籍を置く現在唯一の男子生徒であった。

「――頼むよ! 協力してくれよ姫子。どうしても行きたいんだよ。アリバイ工作に一役買ってくれよ」
「え~~、またぁ?」
「週末は、また例のメイド軍団の相手をしなきゃならねえんだ。ふらっといなくなるわけにはいかねえんだよ」
「でもさあ、それって、結果的にはアタシがメイドさんたちに恨まれるってことでしょう? そんなのワリに合わないわよ」
「そこをホラ、なっ? お前ならあいつらを言いくるめられるだろ?」
「え~~~~、どっしよっかな~~~~」
「何でもするから、この通り! なっ!?」


170 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 03:59:54.37 ID:oecT5ikD

 秀彦がそう言って頭を下げた瞬間、姫子の目がニヤリと笑った。
「いいのぉ? またそんな約束を気安くしちゃって~」
 そう言って、何かを見透かすような目で兄を見つめる妹。
「また、身体で払ってもらうことになる、かなぁ~?」
 一方、兄は、そんな妹の、意味ありげな眼差しを避けるように、顔をそらす。
「――仕方ねえだろ?」
「嘘ばっかりぃ」
 そう笑いながら、姫子は兄の尻を撫でる。
「ひっ!?」
「兄さんの――へ、ん、た、い」
「~~~~~!!」

 ここは校庭だ。
 しかも今は予鈴直前、通学時間としては最も人が多い時刻だ。
 そして、秀彦はこのお嬢様学校において、ただでさえ珍しい(というより唯一の)現役の男子生徒である。
 つまり、だれが、どこで、彼を見ているか知れたものではない。


171 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 04:02:08.69 ID:oecT5ikD

「っっっ!!」
 姫子の囁きに、うなじまで真っ赤にしながら、秀彦は妹の手を払いのけた。
「報酬の支払いは、段取りがキチンと済んでからだ。いいな?」
「ふふっ、そういうことなら任せといて。あさってには話をつけておいて上げる。でもその前に……」
 姫子は兄の腕にしがみつくと、耳元で囁いた。
「“手付”が欲しいなぁ……」
「……今晩、例のところで待ってろ」
「えへへ~~、まいどありぃ」
 溢れんばかりの笑顔で、彼女は兄に敬礼をかまし、そのまま校舎に走り去って行った。
「ミナ様ぁ~~、おはようございますぅぅぅ~~」
 走りながら追い抜いたお嬢様、水無月千早にそう声をかけながら。


「でね、そのときアイツは、私に向かってこう言ったの。『そんな程度の予算案では、何も活動できません。会長はわたしたちに解散しろっておっしゃるんですか』って。私、よっぽど言ってやろうかと思ったわよ、『だったら今すぐ解散しなさいな』ってね」
「で、千早ちゃんは言ったの? その科学部の部長さんに、その一言を」
「言えるわけないでしょう。言ってたら今頃、こんな風にのんきに弁当なんかつついていられないわ」
「そりゃ、まあ、相手は一応、最上級生だからねえ。いろいろやりにくいこともあると思うけど」

 今は昼休み。
 ここは生徒会室。
 そこに集まって弁当を食べているのは、水無月千早と古神家の双子ふたり。
 その話題は、昨日の放課後、この生徒会室で行われた、今年度下半期の各部活との予算会議の話である。
 年に二回の予算会議が紛糾するのはいつもの事だが、昨日はそれが更に酷かったらしい。
 千早は、腹にたまりまくったストレスを、これでもかと言わんばかりにぶちまける。


172 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 04:03:14.33 ID:oecT5ikD [8/11]

 本来、この学園に於ける千早のキャラは、それほど能弁でおしゃまなものと認知されていない。
 学園のカリスマは、あくまでもクールで物静かで、いつも笑顔を絶やさない。
 彼女の取り巻きにも、それ以外の不特定多数の“ミナ様原理主義者”も、それが千早の真実だと信じて疑わない。――というより、疑いたくないようだが、当然、千早にも年齢相応の騒がしさや、子供っぽさがある。
 もっとも、この学園生活でそれを発散できるのは、昼休みの、この3人だけでのランチタイムだけなのであるが。

「でも、あれだろ? 予算を削る以上に、その部長さんにはしっかり恥かいてもらったんだろ?」
「当たり前でしょ。後でしっかり言い負かしてやったわ。個人的に二人だけで、だけど」
「怖いね全く、この生徒会長さんは」
 弁当を掻きこみながら秀彦が笑う。
「しかし、公衆の面前でやらなかっただけ、まだマシだ。で、予算はいかほど削ったの?」
「削らないわ。無能な人員から予算を削ったら、ますます何も出来なくなるでしょう? だから尻を叩くだけ叩いて恩を着せてやったわ」
「――さすがだな」
「当然の結論よ」

 そう言いながらも、千早は秀彦に評価されたことが嬉しいのか、頬を染めて彼から目を逸らす。
 千早本人は隠しているつもりなのだろうが、姫子の目から見ても、そのあからさまな態度は奇妙なほどだ。
 元来、自分の弱音など、そのアルカイックスマイルに包んで、全く他人に見せようともしない千早が、この兄にかかれば、子供のように素直になる。



173 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 04:04:22.84 ID:oecT5ikD [9/11]

(ああ、千早ちゃんって……ホント、兄さんのことが好きなんだなぁ)
 姫子は、ずきりという痛みと共に、暗い優越感が胸に走るのを感じた。
(でも、千早ちゃんは知らないんだよね……。そんな兄さんが、千早ちゃんにすら見せない顔を持っているってこと……)

「そうだ、千早ちゃん」
 目を輝かせて秀彦と会話を弾ませる千早の流れをぶった切るように、姫子は話に割って入る。
「今度の週末、ちょっと頼まれてくれないかな」
 秀彦が、目で『おい、一体お前何を言い出す気だ』と訴えてきたが、姫子は気にもしなかった。
「今度の日曜、兄さんったら日比谷にライブを観に行きたいらしいんだけど、ちょっと、アリバイ工作を手伝って欲しいの」

「二人で……行くの?」
 千早は、目をしばしばさせて聞いていたが、姫子は笑った。
「兄さんがって――言ったじゃない。いちいち兄さんなんかにくっついて東京に行くほど、アタシはヒマじゃないわ」
「ああ……そう、そうなの、そうよね? 古神の息子が勝手にそんなことしてるって、本家にバレたらえらいことになるからね」
 千早は、やや安心したような表情を作ると、優しい瞳を秀彦に向けた。
「いいわよ。久しぶりにじっくり羽を伸ばしてらっしゃいな。何かあったら、責任は私がとってあげる」


174 名前:悪徳の館[sage] 投稿日:2011/04/18(月) 04:05:32.85 ID:oecT5ikD

 千早のその返答には、むしろ秀彦がうろたえた。
「おいおい、何かあったらって、何も起こらないよ。東京行ってライブ見て帰ってくるだけさ。責任もクソも関係ないって」
「だから、万が一よ。万が一本家にバレたら、私が許可を出したって言ってくれればそれで済むし――」
「おいおい何言ってるんだよ千早。それならそれで『そんな許可を要するようなお願いを千早お嬢様にしたのか』って言われるだけさ。黙って脱け出してきましたって言うより、そっちの方が怒られるよ。結果としてお前を共犯にしちゃってる分だけさ」
「……それは、そうかもね」

 秀彦は、実情はどうあれ、千早の警護役という任を負って、この地にいる。つまり、彼が、護衛されるべきお嬢様に許可を取って遊びに行ったなどということが露見すれば、彼は父親に日本刀で叩き斬られかねない。
「だから、むしろ本家の親父たちがどうっていうより、屋敷のメイドさんたちに隠したいんだ。東京に行く情報の半数は、あの連中のおしゃべりがもとだって言うからな」
「うん、わかった、いいよ。私に出来ることなら何でも協力する」
 嬉しそうに千早が自分の胸をドンと叩く。秀彦の役に立てるのが余程嬉しいのだろう。
 しかし、秀彦がメイドさんたちを警戒する本当の理由を千早が知ったら、一体どういう顔をするだろうか。
 姫子は、いつかそうしてやりたいと思う欲望が、胸の奥でもぞり、と動くのを覚えた。


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最終更新:2011年04月29日 14:50
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