ひきこもり大戦記 第四話

499 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:23:35.35 ID:aYZA9M5g (2/11)
「……会いたくない」
 僕の呟きは、六畳間に拡散し、やがて溶けていった。ボロアパートは相変わらず通気性抜群で、室内は絶対零度もかくやという気温を保っている。呼吸する度に、ちろちろと白い煙が口元をうろついた。なんか幻想的。綺麗。
「…………会いたくない」
 僕は下半身だけをコタツの中に入れ、上半身は畳の上に投げ出すようにしていた。ジイィ、とコタツの稼働音が辛うじて耳に届く。そろそろ上半分の身体も冷えてきた。首根っこまでコタツに浸かろうと思うのだか、気力がわかない。軽く寝返りをうつ。
「………………会いたくない」
 卓上で起動しっぱなしのノートパソコンは、焼け付きを防止するために一定時間毎に壁紙が変化している。お気に入りのラノベのヒロイン、お気に入りのアニメのヒロイン、お気に入りのエロゲのヒロイン。スクリーンの嫁達は、笑顔で僕を見ている。マジ天使。
「……………………会いたくない」
 あゝ、やっぱり二次元はいいよなあ。三次元なんてもうアレだよ。クソゲーですよクソゲー。
 ていうかさあ、前々から疑問に思ってたんだけど、どうしてまわりの奴はせいぜい人生ノーマルモードくらいだってのに、僕だけは人生エクストリームウルトラベリーハードモードなんだよ。
 難易度設定ミスりすぎだろ神様。すぐにでも抗議文書を天界に提出したい。武井ヒロシの大幅なスペック変更を希望する。
 まずはコミュ力から、次に顔、次に身体、次に知力、ていうかもう全部最初からやり直してしまいたい。次は最新OS搭載のハイスペックな仕様で頼むぜ。
「…………………………会いたくない」
 新たに生まれ変わった武井ヒロシは、恵まれた家庭に生まれて、恵まれた環境、恵まれた友人を持つ。
 隣の家には同い年の幼馴染みなんかが住んでいて、小さい頃からお互いを意識しつつも、なぜだか素直になれない。
 そして、いつも変態的な行動ばかりをして痛い目みてる悪友がいて、無口な先輩やら元気ハツラツな後輩がいる。ついでに生徒会長とか、文学部の部長もいたりする。なんとハーレムルートまで用意してある。
「………………………………会いたくない」
 あれ? 最高じゃね、この世界。どうやったら行けるんだよ、誰か教えてくれ。頼みますから。
 しかしながら、こんな素晴らしきユートピアが地球上に存在するのだろうか。甚だ疑問である。


500 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:26:05.68 ID:aYZA9M5g (3/11)
 あれかな、死ねば行けるのかな。俗世から解脱すればいいのかな。どうよ僕、涅槃とか目指しちゃう? ようし、なんかやる気がわいてきたぞ。そんな桃源郷に行けるのなら、明日から頑張っちゃうぜ。目標は仏陀クラスだ。さあ、いざ行かん、理想郷!
「……………………………………会いたくない」
 ──うん、そろそろ現実逃避は止めようか。
「会いたくなあああああああああああいいいいいいぃぃぃ!」
 絶叫しながら、水揚げされた魚のようにビチビチと畳の上を跳ねる男がひとり。もう誰だか言わなくてもわかるよね。そうでーす。僕でーす。
 僕はしばらく頭を掻きむしり、もんどりを打った後、電池の切れたロボットみたいに停止した。
 疲れた。それに、あんまりうるさくすると大家さんに怒られるかもだし。冷静になろう。クールになれヒロシ。うん、落ち着いた。
 ふはぁ、と溜め息とも深呼吸ともとれる息を吐き出して、上半身を起こす。そして、卓上のノートパソコンを手早く操作して、一件のメールをクリックした。
 ──明後日、午前一時に伺います。
 僕のキャラが崩壊しかかってる原因はこれだ。この前に僕の妹、武井涼子から届いたEメール。そして、メールでいう明後日というのが、今日のことだったりする。つまり、後一時間ほどで、涼子は僕の元を訪れにやってくるというわけだ。
 涼子が何をしにこのボロアパートへやってくるのかは、僕がひきこもりであることを鑑みると、容易に答えを導き出せるだろう。答えは、ズバリ生活費。妹に寄生している兄に月に一回、こうして当面の生活費を渡しにくるってわけだ。
 なら、なぜ妹と会うの嫌がるのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。妹から金をたかってるクズのくせして、言うことが少し生意気じゃないか、と。全くもって、その通りだと思う。反論のしようがない。
 しかし勘違いしないで欲しいのだが、僕自身、涼子にはいたく感謝している。彼女というパトロンがいなければ、僕は生きていけないのだから、ありがたいと思わないわけがない。
 けど、こればっかりは理屈じゃないのだ。だって、涼子は──
「…………」
 僕は暗い気持ちで、差出人欄の武井涼子の文字を見つめた。


502 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:28:17.68 ID:aYZA9M5g (4/11)
 ま、どっちにしろ、僕に選択肢はない。なぜなら、ひきこもりに逃げ場はないからだ。昔から、あーだこーだ文句をたれながらも、しっかりと涼子との面会は行ってきた。たとい死ぬほど嫌でも、我慢するしかない。ひきこもりである僕は。
 降参だ、とでも言うように両手を高く上げ、仰向けに倒れこむ。電灯の光が思いのほか眩しかったので、目を瞑った。仄白い光が、眼底に残る。
 そんな時だった。大家さんの言葉が頭をよぎったのは。
「ヒロシは、もう変われてるよ、か……」
 彼女の言葉を反芻する。
 大家さんの口車に乗せられて、僕自身も初めは乗り気になってたけど、実際はどうなんだろ。僕は、本当に変われているのだろうか。イマイチ実感がわかない。
 僕は今でも絶賛ひきこもり中だし、心理的にも経済的にも自立していない。どこに出したって恥ずかしくない、絵に描いたようなひきこもりニートだ。
 けれども、と僕は考えてしまう。イフストーリーを。
 もし大家さんが言うように自分が変われているのなら、いやしくもひきこもりニートから脱出していれば、今夜はどんな選択肢を選んでいたのだろうか。いつもとは違う、大胆な選択を選びとったのだろうか。
 そうだな、と僕は考え込む。
 そしたら多分、僕はきっと──
 閃いた。
 僕は閉じていた瞼を剥くようにして見開くと、起き上がって、手早くキーボードの上に指を滑らせた。
 ──私事で申し訳ないのですが、急用を思い出しました。今夜は帰宅できそうにありません。今月の生活費は、ポストの中に投函しといてください。追伸・いつもお仕事ご苦労さまです。
 そしてカーソルを送信のところに合わせ、躊躇した。
 勢いに任せてこんな文章を書き綴ったはいいが、本当にやれるのか。
 やめとけよ。
 弱気な僕が、魅力的な忠告をしてくれる。
 面倒臭いことしてないで、おとなしく涼子を待ってようぜ、と。
 が、僕はメールを送信した。送信完了、とディスプレイのゴシック体を見て、改めて決意。
 僕は一息ついてから、重々しい動作でパソコンをシャットダウンした。
 そして立ち上がると、顔を洗うために洗面台へ向かった。洗顔料は使わずに、水のみで洗う。手のひらで顔面を擦り、清潔なタオルで力強く拭うと、幾分かサッパリ出来た。


503 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:30:24.89 ID:aYZA9M5g (5/11)
 鏡で自分の顔を見る。顔の腫れはスッカリひいていて、今では面影すら残っていない。怪我は完治。完全復活だ。相変わらずのブサイクフェイスは変わらないけど。
 次は押し入れに向かい、中から数少ない衣服を取り出した。ニット帽と厚手のコート。前回の夜と、同じ組み合わせ。着替えるのが億劫だったので、スウェットの上に直接コートを羽織り、ニット帽を目深にかぶった。これで準備は完了。
 僕がこれからしようとしていることは唯一つ、武井ヒロシの常套手段、逃走であった。
 生活費がなくては生きていけない。だけど、涼子と会うのは嫌だ。それなら、生活費だけ置いてもらって、涼子には帰ってもらえばいい。こんな素敵アイディアが思いつくなんて、ヤバい僕超天才。
 ただし一見完璧にもみえるこの作戦には、大きな穴があった。作戦達成の必須条項に、僕の外出が含まれてるってことだ。ひきこもりに居留守は使えない。なら、実際に家を出て、留守の状態を作り出すしかない。
 たぶん、無理だろうな。僕は思った。自分はきっと、外に出れない。
 今までも、ずっとそうだった。今日こそは外に出てやると意気込んで、勇猛果敢に外出の準備をするのだが、いざドアの前に立つと、固まってしまう。ドアノブを握りしめるだけで、押し出すことが出来ない。
 そして結局、また着替えなおして、しとどと枕を濡らす。いつも、その繰り返しだった。
 今回もまた、同じことを繰り返すのだろう。限りなく確信に近い予感。だが、それでもいいと思った。今夜だけは、とことん大家さんの戯言に付き合ってやる。そう決めていた。
 それに、ダメだったらいつも通り部屋で涼子の到着を待ってればいいだけだし、気持ち的には非常にお気楽だった。優柔不断な自分があっさりと決断出来たのも、失うものがなにもない駄目元前提という要因が一番おおきかった。
 滞っている世界に、一石を投じれるだけ御の字。それぐらいの気概でいかなくちゃね。
 僕は踵の潰れたスニーカーをきちんと履きなおし、ドアの前に立った。こっからが正念場である。
 すぅー、はぁー、と一度おおきく深呼吸。
 行くぞ。
 僕は冷えきったドアノブを握って、押し出し、外に出た。扉を閉めて、施錠する。赤く錆びた階段を降りて、通りに出た。
 あれ?
 思わず振り返って、背後のボロアパートを見つめる。闇の中に佇むその姿は、さながら幽霊屋敷のようだった。
 それを見て、漸く実感。
「……出れた」


504 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:31:59.24 ID:aYZA9M5g (6/11)
 出れてしまった。いともたやすく。特に葛藤もなく。赤子の手を捻るが如く。
「は、ははは……」
 自然と、笑いがもれる。
 タララッタッタッター。ヒロシは、ひきこもりニートからノーマルニートへレベルアップした。
 イヤッホー、と歓喜の快哉をあげたくなるが、近所迷惑を考慮して、小さくガッツポーズするにとどめる。
 久しぶりに踏みしめる地面の感触が新鮮で、意味もなくたたらを踏んでみた。固い。いつも足裏に感じている畳の柔らかさとは大違いだ。それだけで楽しくなる。
 ぶっちゃけ大家さんの言ってた事は、今の今まで全て半信半疑だったけど、総じて撤回させていただこう。
 僕は、変われている。昨日までのうじうじしてた自分とは、もうオサラバだ。外出のひとつやふたつ、お茶の子さいさいだぜ。楽勝楽勝。ヒャッホー。
 人目がないのを確認してから、路上で小躍りする。最高の気分だった。今の僕なら、空を飛ぶことだって、就職することだって容易にこなせる気がする。三次元なんてもうアレだよ。ヌルゲーですよヌルゲー。
「って、興奮しすぎだろ僕」
 ここら辺りで、さすがに自省する。達成感に酔いしれるのは勝手だが、本来の目的を忘れてはいけない。とっととボロアパートから退散しなくては、涼子と邂逅してしまう。今の自分は、遠足前の小学生のようにそわそわしていて、妙に落ち着きがなかった。
 気持ちを静めなくては。
 冬の冷たい空気を、肺が痛くなるほど吸い込み、吐き出した。それでも、マグマのようにたぎってくる高揚感は抑えられなかった。嬉しさのあまり、勝手次第、にまにまと頬が緩んでしまう。
 が、此処で立ち往生していても話が進まない。とりあえず、僕は歩き出すことにした。具体的な行動計画はたてていなかったが、構わないだろう。涼子が帰るまで、適当に街を練り歩いていればよい。
 それでは、出発進行。
 通行人も車両も通らない静かな道路を、ひとりぼっちで歩き始めた。
 空はおののきたくなるほどに真っ暗で、砂粒みたいな星が、ちらほらと散らばっている。僕はそれらを眺めながら、ぼんやりと歩を進める。
 最初こそ、雲の上を歩いてるような、現実感のない白昼夢を見てるような、フワフワとした足取りだったけど、次第にしっかりしてきた。
 そして、僕はなんとなく手持ち無沙汰になったので、お気に入りの中二妄想を開始した。


505 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:33:36.02 ID:aYZA9M5g (7/11)
 妄想の中の僕は、日本政府のシークレットエージェントだった。表沙汰に出来ない秘密裏の事件を政府から依頼され、僕は毎回、それらの任務を鮮やかに達成する。
 僕はファンタジー系の妄想よりも、むしろこういうハードボイルドな妄想を好んだ。学校にテロリストが侵入してきて、その日たまたま屋上で居眠りをしてた僕は、みたいなのは大好物である。
 政府から与えられたコードネームはH。僕は、いやHは、古今東西の武術を組み合わせた独自の格闘術をあやつり、肉弾戦ではもはや無敵の部類に入った。
 銃の扱いもピカイチで、ハンドガン、ショットガン、アサルトライフル、スナイパーライフルと種類を問わず、高い精度の射撃能力も有している。優秀という言葉が、ピタリと当てはまるような男だった。
 だが、有能でプロフェッショナルなHにも、弱点と呼べるものがひとつあった。それは、突発的な不幸体質。Hの任務はいつも、突然のアクシデントと共にやってくるのだ。
 たとえば、あそこの角を曲がったら、逃げ惑う黒髪の美女がHに抱きついてきて、こう嘆願する。私を助けて、と。
 彼女の背後からは、黒服の、いかにも怪しげな男達が駆けてきている。手には大口径の自動拳銃。銃社会と無縁の日本じゃあ、到底拝めそうにない代物ばかりだ。
 やれやれ、とHはいつものように軽く肩をすくめてから、いぶし銀な苦笑をひとつ見せた。そして、誰にとでもなく呟くのだ。今回も難しい任務になりそうだぜ、と。そして、黒髪の美女の手をとって、夜の街を走り出す。
 きっと、今夜もそんな展開になるに違いない。
 脳内の妄想を加速させながら、Hは角を曲がった。
「あっ」
 そこで、OLさんと鉢合わせた。
 踵を返して、逃げ出した。
「ちょっと──」
 OLさんが僕の(もうHはいいや妄想終了)背中に言葉を投げかけるが、当然無視。僕は全速力で駆け出した。
 すいません。正直、調子に乗ってました。やっぱり、外は怖い!
 しばらくの間、無我夢中で走った。冷えた夜の空気が目にしみて、涙が出そうになったが、それでも速度は緩めなかった。一歩でも多くOLさんから逃れるため、僕は必死だった。
 ここまでくれば、もう大丈夫だろう。そう言える地点まで来ると、近くの電柱に体重を預け、火照った身体を冷やした。ぜえぜえと息が荒く、額からは汗が噴き出している。
 さて、どうしようか、と僕は考える。


506 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:35:53.79 ID:aYZA9M5g (8/11)
 家に戻る訳にはいかない。あちらはもう涼子が到着しててもなんらおかしくない時間帯だし、これでもし顔合わせでもしてしまったら、まさに本末転倒であろう。
 やはり、当初の計画通り、このまま街を歩き続けるのが賢明か。OLさんと出くわす危険性は継続してしまうが、多少のリスクはやむを得ないだろう。OLさんと出会わないように最大限の注意をはらいながら、街を徘徊するしかない。
 そう結論を出して、額の汗を拭った時だった。
「待ちなさいっ」
 闇夜を切り裂く、鋭い声。発声源を追いかけると、そこには小走りで近づいてきているOLさんがいた。なぜだかは知らないが、OLさんは僕のことを追いかけているらしい。
 なんでだよ!
 反射的に、僕も再び駆け出す。爽やかとは程遠い汗を振りまきながら。
 深夜の閑静なベッドタウンに、二人の足音がこだまする。追う者と追われる者、深淵すら見えない、深き夜の追走劇。
 へたに休憩を入れてしまったせいか、足がだるくて重い。僕はヘロヘロになりながらも、逃走経路を模索した。
 走りながらで気づいたのだが、この街は曲がり角が非常に多いため、迷路のように複雑に入り組んでいる。住宅の数が多いからだろうか。原因はわからないが、なにはともあれ、この地形を利用しない手はない。
 僕はOLさんを振りきるために、角を曲がったり、曲がらなかったりと、とにかく無作為に走った。彼女の視界から消える回数が増えれば、そのぶんT字路などの分岐点の時に、迷いが生じる。僕が走った方向は、右なのか左なのか。
 けれども、OLさんはホーミング機能でも付随してるのかってくらいに、正確無比に追いかけてきた。まるで神の視点から、この住宅街を俯瞰してるかのように。結果的に、僕の目論見は外れ、二人のいたちごっこは続いた。
 あまつさえ、僕の運動神経は最低の部類に入る。いくら相手が女性とはいえ、このままでは追いつかれるのも時間の問題だった。そろそろ年貢の納め時か、と誰もが思ったに違いない。
 しかし、勝利の女神は僕に微笑んだ。
 僕は目一杯に足を動かしながら、首だけを軽く後ろに回して、OLさんの足元辺り、正確には彼女の履いている靴に目をやった。
 OLさんの履いている靴は、いかにも社会人の女性らしい、ヒールの高い靴だった。当然のことながら、僕の履いているスニーカーみたいに、運動性に富んだ靴ではない。OLさん自身も、非常に走りにくそうにしていた。


507 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:40:12.60 ID:aYZA9M5g (9/11)
 靴のハンディーというのは、思ったよりも大きかったらしい。僕と彼女の距離は、徐々にではあるが、確実に離れていった。
 勝った。僕は確信する。天は自分に味方していると。
あまりにも距離が離れてしまえば、OLさんの魚雷みたいな追撃も機能しないはず。この調子で走っていれば、自動的に僕の勝ちが約束されるのだ。
 恨むのなら僕じゃなくて、そんな踵の高い靴を履かなくてはならない社会人になった自分を恨むんだな、と心の中で的外れな悪罵を送り、目の前にぶら下がっている勝利の二文字に、僕は思わずほくそ笑んだのだが、
「だから、待てって言ってんでしょうがっ!」
 OLさんが、まさかの行動に出る。このままでは追いつけないと見切りをつけたのか、履いている靴を脱ぐと、それを両手に持って、素足のまま駆けだしてきたのだ。なんたるバイタリティ。おいおい人生全力投球すぎんだろ。
 楔から解き放たれたOLさんは、先程とは雲泥の差だった。もともと、運動神経も良い方なのだろう。ぐいぐいとスピードを上げて、離れていた間隔をみるみると縮めていく。白星が一転、黒星に変わる。
 ちくしょう、捕まってたまるか。
 僕は全力稼働中の足に鞭うって、更にスピードをあげた。筋肉痛も辞さない、鉄砲玉の如き勢いだった。のだが、
 デレていた勝利の女神が、ツンに変わった。


508 :ひきこもり大戦記 [sage] :2011/11/09(水) 08:41:28.08 ID:aYZA9M5g (10/11)
 運動不足が祟ったのかもしれない。激しく地面を蹴りつけて進んでいた僕の足が、空中でもつれてしまい、空回りして、そして、
「へぶしっ」
 道路の上に、顔から滑り込んだ。
 顔全体満遍なくアスファルトにズルズルとすれて、熱を帯びたような痛みがじわじわと襲ってくる。
 痛い。やっと前回の傷が完治したってのに、またもや顔面を負傷するとは。なんなのですか。僕には常に顔に傷がないとダメな呪いにでもかかってるのですか。ちくしょう、これ以上キモメンになったらどうするんだよ。責任とって養ってくれよ。
 って、そんなことを憂いている場合じゃない。早く逃げなくちゃ。
 僕はすぐさま立ち上がろうと、両腕に力を込めたのだが、
「ぐえっ」
 物凄い力で、上に引っ張られた。猫のように首根っこを捕まれ、ぐいと上昇した目線の先には、OLさんの顔。全力で走った所為か、頬が上気していて息が荒い。肩が激しく上下している。
 彼女は乱れた息を整えることもせずに、僕に対して冷然と言い放った。
「少し、付き合ってもらえるかしら。武井くん?」
 果たして首肯する以外に、僕に何が出来たというのだろうか。是非、皆に問いたい。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年11月18日 13:23
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。