あなたがいないなら何もいらない 第7話 酔余と悲憤と

94 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/06/05(水) 14:15:34.52 ID:DpPl31m1 [2/7]
 まだ空も明るくなっていない彼誰時(かわたれどき)、清次は酒の酔いによる短い眠りから醒めた。
 翼から馳走になったジョニーウォーカーだけでは足りなかったのか、彼は自室に戻ってからロイヤルハウスホールドを呷っていたのである。
 だが、疲れもあって、やがて寝込み、起きた時には氷がすっかり融けていた(彼は、ウィスキーはオンザロックにするのを好んでいる)。
 酒が勿体ない――彼は金持ちの御曹司らしくない、しみったれた根性を持ち合わせていた――と、すっかりぬるくなり、薄まったRHHをちびりちびりと口の中に運び始める。
 そうこうしていると、充電器に差し込んでいたBlackBerryが「月光花」を奏ではじめた。操からの着信である。
「八雲清次です」
『キヨ、俺だ。操だ』
「どうしたんだ、こんな朝早くから?」
『いや、昨日は俺はすぐ寝てしまったから。姉貴は何て言ってたかと思って』
「その話は、今日、授業が終わってからしよう」
『ああ、わかった。
 ……それとだな、夢を見てなあ』
 懐かしむような、揶揄うような口調で、清次は応じた。
「あれだろ、篠崎が出てきたんだろ」
『ああ。それだけじゃなくて、お前も出てた。
 声はキヨだったんだけど、姿は龍でな』
「龍か。確かに干支は辰年だが、むしろトラだと思うがな。
 帰ってからも飲んでたしな」
 冗句を口にしつつ、それに自分で苦笑いした。
 親友を電話越しに相手にしながら、水っぽくなった酒をなおも口にする。
『亜由美が虎に一度食い殺されて、その後で俺を乗せて雲の上にいる亜由美の所に連れて行ってくれたんだ』
「そうか……」
 沈黙することしばし、ようよう清次は返事を続けられた。
「まあ、しばらくは夢を見るごとに篠崎との逢瀬を楽しむといい。
 だが、また会いたいからって二度寝するなよ」
『わかってる』
「学校で会うのを楽しみにしてる」
『じゃあ、また』
 会話を終えてから、彼はグラスに残っていたそれを不味そうに飲み干した。
「まずいな。実にまずい」



 通話を済ませ、電話を切ると、フットマンが扉をノックし、操を迎えにきた。
「お坊ちゃま、朝餉の用意ができました。食堂にお越しください」
「わかった。すぐ行く」
 相槌を打ち、パジャマを制服に着替え、部屋を後にした。



 人が、それも自分の恋人が殺された直後だけあって、今日の彼は朝食の席では本当に無口であった。
「会社のことも早く手綱を握っておく必要があるし……」
 代わりに、今朝は翼が饒舌だった。
(こういう時に脂っこい食事は堪えるな)
 操は厚切りのパンチェッタを胃の中に押し込みながら――彼はずっと食欲が皆無に近い状態だった――、適当に聞き流そうとして、
「……それで、明日は会社の方の用事で学校を休むから、一緒に登下校できないの」
 危うくその一言を捉えた。
「今日は?」
「いつも通りよ」
 いつも通り、つまりは翼のリムジンで、一緒に登校し、そして一緒に下校する、この二人にとっての当然の習慣。
「本当は操と一緒にいたいんだけど、ごめんなさいね」
 あとは彼女がまた止め処なく話し続ける。
「でもこれから操と二人三脚で仕事をしていくなんて本当に想像しただけでわくわくしちゃう。……」
 彼もまた黙々とフォークを動かし、口にミラノ風リゾットを運んだが、サフランもブイヨンもオリーブオイルも、バターや塩胡椒の味さえも、この日は全く感じられなかった。

95 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/06/05(水) 14:18:51.24 ID:DpPl31m1 [3/7]
 休み時間を利用し、二人は話し合う。
「で、話の続きだが」
 その様は、一見すると何かの謀議のようにも見える。
「ああ、それか。
 いや、本当は東京に帰ってくるまでに言っておきたかったんだが、言いそびれていたことがある」
「?」
「耳貸せ」
 口を耳に寄せて、囁く。
「当日のマリオネットホテルのロビーの防犯映像を持ってる。
 篠崎を装ってチェックインした女が映ってるものだ」
「本当か!」
「声が大きい」
 清次は逸る操を誡めた。
「悪い」
「今日来てくれるな?」
「わかった」
「放課後な」
 そうして、彼らは一旦離れた。



 放課後、二人は八雲邸の清次の部屋にいた。
「で、ちゃんと翼さんの方は断ったか」
 普段、半川姉弟は登下校を共にしているが、今日はイレギュラーな形になった。
 一緒に帰宅することを断ったかと清次は訊いているのである。
「ああ」
「そうだ、何か出さなきゃな。飲むか?」
 室内に取り付けてあるバーカウンターを指差す。
「まだこんな時間だぞ」
「そうか。じゃあ、紅茶にしよう。
 紅茶なら俺の帰宅に合わせて淹れさせておいたから、すぐ出てくる」
「最初からそっちにすればいいのに」
「まあ、そういうなよ。俺の楽しみといえば酒と煙と愛液を飲むことだけなんだから」
 彼は手を叩いてメイドを呼んだ。
「おーい、持って来い!」
 間もなく戸が開き、既にビューリーズが注がれた2客のティーカップを持ってきた。
「失礼します、紅茶をお持ちしました」
「入れ」
 操と清次のそれぞれに1客づつ置かれる。
「どうぞ、お召し上がりください」
 だが、その中身は、一つはストレートの紅茶だったが、もう一つは、生ホイップクリームを浮かべたものであった。
「それは……?」
「アイリッシュティー。アイリッシュウィスキー入りの紅茶さ」
「何が何でも酒を飲みたいんだな」
 半ば呆れるように操が言った。
「そうだ、俺は何が何でも酒を飲みたいんだ」
 と言って、ブッシュミルズ21年をステアされた紅茶を啜る。
「それで、物を見る前に、これをどうやって手に入れたか一応説明しておく」
「警察から流してもらったんじゃないのか」
「そうだ。愛知県警の幹部に流してもらった。
 捜査で何か進展があれば、そいつから連絡があることになっている」
「そうか。その連絡はいつ来るんだ?」
「早ければ今日、と言ってたな。
 だが、いつ来るかもわからないし、取り敢えずはこれを見よう」
 DVDを手にする。先に焼き増した防犯カメラの映像だ。
「そうだな」

96 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/06/05(水) 14:22:35.71 ID:DpPl31m1 [4/7]
「どうだった?」
「やはり違うな」
 見終わった二人は、早速その正体を評しはじめた。
「まあ、俺にわかるんだから、ソウにだってそりゃわかるわな。
 ちなみにこの女の特徴は、若い女性で、篠崎とそこそこ雰囲気が似ているが、もう少し吊り目気味で、鼻は高くて、唇は薄くて、面長で、セミロングだそうだ」
「それも警察が?」
「うんにゃ。俺が、その時受付をしていた女から自分で聞き出した。お前らが警察で取り調べを受けていた間にな」
「さすが、手が早いな」
 手が早いと言われて、ついつい別の意味に聞こえたのは、彼の日頃の言動への世評を彼自身が認識しているからだろう。
 その受付嬢との逢瀬が、片時彼の脳裏に呼び起こされた。
 頭がピンク色に染まるのを避けようと、彼は話を変えた。
「ところで、昨日の翼さんとの話をソウにも伝えようか」
「ああ、頼む」
「篠崎の死が自殺ではない、と伝えた時、彼女は『まあ、誰がそんな恐ろしいことをなさったのかしら』と俺に返してきた」
「何か問題か?」
「俺は自殺じゃない、と言っただけで他殺だとは言ってない。事故死したという可能性を彼女は想定しなかったということだ」
「確かに。
 でも、姉貴がそう合点しただけじゃないのか」
「かもな」
 一応の首肯の後、清次は更に続ける。
「俺が、ソーメンまでポリの疑いの目が、つまり警察は犯人を逮捕するまで篠崎の周りを疑い続けると言ったら、彼女は『警察が結果を出すまでは、ということね』と微妙に意味を変えてきた」
「それは姉貴がそういう用語を理解してなかっただけじゃないのか」
「理解してなかったら聞き返すだろ。理解して、それで警察が犯人を逮捕する以外の結論を出すことを想定した、そう考えてもいいんじゃないか」
「うーん……」
 唸り、考え込む操。
「それで、翼さんに何か変わったことはあったか?」
「何……、あっ。
 明日、姉貴は学校を休むらしい」
「どうして」
「会社の都合らしい」
 顎をさすりながら、清次は考える。
「気になるな」
 暫く経って、一つの発意を操に伝えた。
「明日、俺たちも休もう」
「えっ? どうして」
「厚重に俺らも行って、彼女の真意を探ろう」
「行ってって、俺はともかく、キヨはどうやって入るんだ」
「策がある。明日の朝、ここにまた来てくれ」
 その時、清次のブラックベリーが鳴った。
「The Best is Yet to Come」は、警察関係者からの着信である。
「お、早速来た」
 案の定、それは黒木からのものであった。
「八雲清次です」
『私だよ』
「どうなりましたか?」
『自殺ということで断定したよ』
「どうにかなりませんかね」
『自殺というのが支配的な意見だからね、もうどうこうしようもないよ』
 清次は嘆息するように言葉を継ぐ。
「わかりました。この件ではお世話様でした」
『それでは失礼』
「ありがとうございました」
 通話が切れる。
「警察が自殺と断定したそうだ」
「何てことだ……。正義も糞もあったもんじゃないな」
 操は清次にも増して長嘆息する。
「まあ、それを打ち破るためにこうして動いてるんだ」
「ああ、踏ん張らなきゃな」
「また明日の朝な」
 操は一旦八雲邸を退いた。

97 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/06/05(水) 14:24:14.10 ID:DpPl31m1 [5/7]
 翌朝、再度清次を訪れ、部屋に入った操は、彼の姿を見て言葉を失った。
 カールロングのウィッグを被り、スリットの深いネイビーブルーのチャイナドレスを身に着けていた。
「……」
「おお、来たか。俺も丁度メイクアップを終えたんだ」
 唖然としていた操は、やっと言葉を取り戻した。
「一体どうしたんだ、それは」
「普通なら会社の中にはIDカードがなければ入れないだろうが、ソウの親父さんは時々女を連れ込んだりするからな。
 警備も父親にいつもやってるように、息子に対しても同じように『配慮』してくれるかもと思って」
「そんな、他に方法ないのかよ、それはいくら何でも」
「あるかもしれんが、思いつかなかった。
 まあ、失うものもなかろうし、やってみるだけならタダだ」
「人として大事なものを失っているような気もするけど。
 それに、女装なんて誰得だよ」
「分かってないなー、最近はこういう『男の娘』がブームなんだよ」
「背も高いし、どっちかと言ったら大人の女に近い気がするけどな。
 それにしても、なんでチャイナドレスなんだ?」
「俺の趣味だ。
 本当は、某大阪市長みたく、スチュワーデスのコスプレの方が好きなんだが、それだと流石に不自然だろうから」
「それも十分不自然だろうけどな」
 操は失笑した。
「ま、行こう」
「そうだな」
 首肯した清次はドレスアップを手伝っていたメイドに向かい、手短に用を告げる。
「車を回すよう、赤城に伝えろ」
「畏まりました」
 メイドが部屋を出るのに従うかのように、清次と操も部屋を出る。
 二人が駐車場に向かい、キャデラックDTSに乗り込むと、そのリムジンは厚木に向けて、出発した。

98 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/06/05(水) 14:25:44.11 ID:DpPl31m1 [6/7]
 神奈川県厚木市、厚木重工業本社。
 高さは150mを超し、人口20万余の都市には似つかわしくないほどの荘重な超高層ビルである。
 威風堂々たるその姿は、日本経済の隆盛を誇示するかのようでもある。
 その本社の脇に、清次のストレッチリムジンは停車した。
「ご苦労さん、帰りにまた電話する」
「承知しました」
 車は二人を降ろすと、そのまま走り去っていった。
「ここだな」
「ああ」
「やはり大きいな」
 ビルディングを見上げる清次に、操はひとりごちるかのように声を掛けた。
「さあて、上手くいくかどうか」
「恋人に見えるように、なるべくイチャイチャした感じで」
「了解」
 操は清次の腰に手を回し、爛れた雰囲気を演じつつ、エントランスに入っていった。
 間もなく、警備員が近付き、声を掛けてきた。
「操様、そのお方はどなたですか」
 返答の代わりに、無言で小指を立てる。
「失礼しました、お通りください」
 それを聞き、昂る内心とは裏腹に、平然たる態度でエレベーターホールに向かっていった。



 エレベーターは、順調に上昇している。
「まさかそれで成功するとは……」
 操は清次の女装した姿をしげしげと見る。
「ああ、結構異性に化けるのってやれるもんだな」
 得意気な清次が可笑しくて、彼は心にもない冷やかしを入れる。
「いや、わからんぞ。ニューハーフと思ってるかもしれないだろ」
「それでも所期の目的は達成したわけだから、別に構わんさ」
 そうまで言ったところで、目的の階に着き、彼らは降りた。
「俺の部屋に来るか?」
「いや、もう真っ直ぐ行こう」
 二人は、目的の部屋に向かって歩を進めはじめた。

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最終更新:2025年04月08日 03:20
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