「結構なお手前でございましたわ、深雪ちゃん」
半ばウットリしながら春菜が、空になったティーカップをテーブルに置く。
「アールグレイ、でしたか? お茶を淹れるのがまた上手くなりましたね?」
「え?」
突然の春菜の誉め言葉に、深雪も驚きを禁じえない。彼女としては普通に、いつも通り淹れただけに過ぎないのだから。だが、特に意識もせずに淹れた茶を誉められたという事は、すなわち、普段の技術そのものが向上しているという評価に他ならない。
深雪にとって、その喜びは深い。それは、ほぼ存在の肯定と同義な程に。
「お茶の心得はワタクシもありますが、やはり紅茶となれば、深雪ちゃんにはまだまだ及びませんわ」
「そんな……、春菜ちゃんたら、お世辞はヤマトナデシコには似合わないですの」
「いいえ、ワタクシは世辞など申してはおりませんわ。――“もてなしの心”を味に込められるようになれば、その方は、もはや一流と呼ぶに恥じない料理人だと、ワタクシは思うだけですもの」
「いっ、一流だなんて……そこまで言われたら、逆に姫も困っちゃうんですの……!!」
そう言いながらも、当の深雪は嬉しそうに頬を染め、上体をくねらせる。
そして、そんな妹を、美しい和服に身を包んだ春菜が、穏やかな笑顔で見守っている。
いま春菜を“大和撫子”と深雪は呼んだが、確かにその通りだ。
彼女は自身の最終目標を“大和撫子”への到達に置き、そのためのあらゆる努力を惜しまない。
自身を“ワタクシ”と呼び、喜十郎を“兄君さま”と呼ぶのも、その『和の精神』への憧れが為さしめるものであろうか。
だから彼女の本貫は、あくまで茶道、華道、日本舞踊といった、貞淑なる日本女性の表芸たるものばかりであり、その身に叩き込んだ体術も、元来ただの護身術――つまりは“日本女性のたしなみ”から学び始めたに過ぎない。
――まあ、喜十郎が家に来てからはその武芸も『兄君さまを御守りする!』という、よく分からない目的にすりかわってしまっているが。
そんな春菜だから、当然家庭料理のウデも、そこいらの主婦以上であり、深雪にとって春菜に料理を誉められるのは、喜十郎とはまた違う、格別な喜びがあるのだ。
65 淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/04(日) 13:51:59 ID:iLOpR3Km
「あの、――そろそろ本題に入っていいかしら?」
春菜の艶然たる笑顔とはまるで対照的に、苦虫を噛み潰したような桜が、二人の雰囲気を破壊する。
「ごっ、ごめんなさい桜ちゃん。姫ったら、つい興奮して……」
つい今しがたまで、ムフンムフンと鼻を鳴らして喜んでいた深雪も、そんな長姉の顔色に、水でもぶっ掛けられたかのように素に戻ってしまった。
「まあまあ、申し訳ありません桜ちゃん――では、どうぞ」
それに比べて、さすがに春菜は姉の不機嫌に慣れているのか、顔色一つ変えずに議題を姉に戻す。
しかし、一度火のついた桜のヒステリーは、容易なことでは収まらない。そういう意味で桜は、母の道子に、文字通り生き写しのごとく似ている。
「どうぞって……!! 春菜っ!! アンタいま私たちが置かれた情況が分かってるのっ!?」
「……桜ちゃん」
「いいえっ、春菜だけじゃないわっ! あなたたち全員っ、今の情況を正確に理解しているのっ!?」
怒声の勢いのまま立ち上がり、彼女は四畳半の居間に居並ぶ妹たちを睨みつける。
いま現在、綾瀬家にいるのは春菜と真理、深雪に、彼女たちを睥睨する桜の四人。
――つまり喜十郎、詩穂、比奈、そして新たに姉妹に加わった凛子と麻緒の五人が、この家を留守にしているという事になる。
彼女たちの両親、つまり和彦と道子はすでに東京にいない。
あの晩、凛子と麻緒を連れ帰った和彦が、土下座混じりの謝罪を述べ立て、二日間にわたって揉めに揉めたあげく、なんとか夫婦そろって博多へご帰還のみぎりとなったのだ。
――元来この夫妻は、道子の側からの熱烈なアタックにより、交際・結婚という道程を歩んだという過去もあるため、一度和解が成立すれば、その後もスムーズなものだった。
桜をはじめ、このときの六人の姉妹たちの喜びっぷりはもう、筆舌に尽くせぬ程であった。なにしろ両親の離婚の危機が回避されたと同時に、彼女たちの“愛の巣”の唯一の邪魔者が消え失せたのだ。彼女らがはしゃぐのも当然と言えた。
だが“妹”たちのその喜びも、長くは続かなかった。
凛子と麻緒が綾瀬家に来て二日目の夜、父と母は博多に帰り、そして、今日はその晩からさらに三日後の昼――喜十郎と凛子、麻緒と詩穂、そして比奈の五人は遊園地に出かけている。
66 淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/04(日) 13:53:46 ID:iLOpR3Km
「兄上様は、ああ見えて結構アタマの切れる方ですから、まあ、こうなる事も予想できなくも無かったんですけど、ね……」
真理が呟く。
そう、せっかく邪魔者の両親が居なくなったというのに、姉妹たちは“兄”に、一指も触れ得ずにいた。
原因は言うまでも無く、新たなる“妹”……凛子と麻緒である。
といっても、彼女たちが何かをしたり言ったりしたわけではない。
むしろ、逆だ。
喜十郎が、この二人を最大限に利用したのである。
『せっかく家族になったのだから』という大義名分の元、その優しさを発揮して二人の面倒を見始めた喜十郎に、凛子も麻緒もすっかり懐き、今では彼にべったりになっていた。
無論、六人姉妹たちも“兄”の――
『子は親を選べない。義母さんはともかく、お前らがあの子たちを白眼視することは、“兄”として、このオレが許さん』
という言に従い、可能な限り二人を歓迎した。
ベッドや風呂場でこそ、“妹”たちの玩具に成り下がっているが、喜十郎が真顔で吐いた言葉をないがしろにするほど、彼女たちは“兄”を軽く見てはいない。
それはいい。
“妹”たちも一個の人間として、“兄”の言葉は正しい、と思うだけの常識はあるからだ。
“愛人の娘”“隠し子”と、これまでそしられ続けた二人が、形はどうあれ一家の本籍地に乗り込んできたのだ。内心その緊張は、余人の想像を絶するものがあったろう。
だから、最初は頑なで挑戦的だった凛子も、人見知りで無口だった麻緒も、徐々に態度を軟化させ、今では、本来の陽気で元気な少女の顔に戻っている。
だが、やがて“妹”たちは気づく事になる。
たとえ、道子ほどの拒絶反応を示さないとしても、この一家に於ける“兄”と“妹”たちの“関係”を知らない二人の存在は、自分たちの触手を遮る、母以上の邪魔者なのだということに。
自分たちの関係性や行為が、世間的にいかに異常なものであるかは、姉妹の全員が承知している。だからこそ、まだ何も知らない二人の前で“兄”に悪戯を仕掛ける事は、心理的に大きなブレーキがかからざるを得ない。
喜十郎も、そのことは充分理解しているはずだ。にもかかわらず、彼は二人の世話をするという名目のもと、必要以上に彼女たちの傍を離れなかった。
――これは、意図的だわ。分かっててやってるんだわ。
“兄”が、陰ながら、彼女たちとのスキンシップを避けているのは、もはや確実だった。
67 淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/04(日) 13:55:35 ID:iLOpR3Km
桜が焦るのも、或いは無理はない。
想い人から避けられているという歴然たる事実。
……まあ、彼が“妹”たちの調教を内心嫌がっていたのは彼女たちも知っているし、そんな“兄”をイジメるのが楽しかったと言えなくも無かったので、これはいい。
だが、可苗という悪霊のような強敵を前にして、これ以上の調教の遅れは、彼女たちにとって致命的な事態を呼びかねない。
桜には分かる。
今でも“兄”は、実家に帰ることに抵抗はあるようだが、その話題を振っても、あのときの旧校舎の屋上で見せたような恐怖は見せてくれない。
(つまり、こないだの帰宅で、それだけ可苗に対する免疫がついたって事じゃないの……!!)
恐怖というのは拒絶に直結する。
“兄”の、可苗に対する拒絶反応が薄まり、自分たちのスキンシップに対する回避の意図が明確になり始めた。……これが一体どういう事態か、考えるのほどに桜は背骨が寒くなる。
「兄君さまは……やっぱり最初から何もかも計算して二人の面倒を見たのでしょうか……?」
誰に聞かせるでもなく、春菜が呟く。
しかし、その疑問はこの場に居る全員が等しく抱いていた事だった。
必要以上に二人の世話を焼く喜十郎。
そんな彼に懐き、必要以上に喜十郎にまとわりつく凛子と麻緒。
しかし、彼女たちが知る喜十郎は、他者の利用を目的に自分の優しさを切り売りするような小賢しさは、少なくとも持ち合わせていないはずだった。
しかし、初志はともかく、喜十郎が二人を“妹”たちに対する防波堤として利用しているのも、いまや明白な事実だ。
詩穂や比奈といった年少組の少女たちは、新しく増えた家族に素直に喜んでいるが、上の三人娘――とくに桜のストレスは、そろそろ頂点にさしかかろうとしていた。
「“歓迎会”をしましょう」
ぽつりと真理が言う。
68 淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/04(日) 13:58:36 ID:iLOpR3Km
「「「……?」」」
――歓迎会?
この場に居合わせた全員が、この文学少女然とした三女の言葉を計りかねた。
「真理ちゃん……カンゲーカイって……いったい何を言ってるんですの?」
かなり遠慮の無い質問を深雪が投げかける。
真理は周囲の視線の冷たさに気付くと、改めて口を開き始めた。
「つまり、ですね。あの二人――凛子ちゃんと麻緒ちゃんがいる事で、兄上様への手出しが難しくなっているのは事実です。でも、そもそも、それは何故だと思います?」
「……いや、その、真理?」
「なぜって訊かれても、困るんですけど」
桜と春菜は、あくまで勘で行動するタイプなので、真理と違って理屈でモノを考えるのが苦手だ。
「あの二人が私たちの“関係”を御存知無いからです。兄上様は私たちの“奴隷”であり、“恋人”である実態を。何も知らないからこそ、彼女たちの前で私たちは、普通の“義妹”を演じなければならない。……と、なれば話は簡単です」
真理は、そこでぬるくなった紅茶を一口あおると、
「彼女たちに教えてあげればいいのです。兄上様の存在の本当の価値を。兄上様の感触を。快感を。体臭を。お味を。悲鳴を。兄上様がブザマに悶え泣く姿が、どれほど惨めで、美しいかを――」
「なるほど」
桜が笑った。
「“歓迎会”、……ね」
学校で見せている、万人を魅了する明るい笑顔では、当然ない。
「おもしろそうじゃない」
ニヤリとした、口元を亀裂のように薄く歪ませたような、たまらなくいやらしい笑み。
それは“兄”と“妹”たち、つまり“身内”の前でしか決して見せない、淫らな笑い。
69 淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/04(日) 14:04:51 ID:iLOpR3Km
「――でも真理ちゃん、問題もありますわ」
春菜が、少し不安げに言う。
「凛子ちゃんはともかく、麻緒ちゃんなんかは、かなりのネンネさんに見えますけど、もし、お二人が“こちら側”に来る事を拒絶したら、いかがなさるつもりです?」
「――それならそれで問題ないわ」
桜が斬り捨てるように言葉を返す。
「あの子たちが私たちについて来れない時は、それこそ追い出せばいいのよ。もともと住んでた家が都内に在るはずなんだから、二人とも、今さら住むところに困ったりはしないでしょう? それに――」
「凛子ちゃんと麻緒ちゃんが、姫たちの側に来れるかどうかは問題じゃないんですの。重要なのは、姫たちとにいさまとの“関係”を、きちんと既成事実を踏まえて確認させることですの。――そうですわね、真理ちゃん?」
いつになく興奮した表情で、深雪が桜の言葉を引き継ぐ。
さすがにそこまで説明されれば、春菜とて馬鹿ではないので理解できる。
「確かに……。お二人がワタクシたちの“関係”を一度知ってしまえば、もうあの子たちに遠慮する必要は無くりますわ。いや、それどころか、眉をひそめる二人の前で、嫌がる兄君さまを無理やり……あんなことや、こんなこととか、させたり言わせたりとか……」
きゃ~~、ぽぽぽぽっ、と悲鳴をあげつつ頬を染めて妄想を遊ばせる春菜。
そんな姉を見ながら、やはりムフンムフンと鼻を鳴らして妄想に身悶える深雪。
暴走する妹たちの様子を傍目に見ながら、桜は真理を振り返った。
「それじゃあ真理、さっそく準備に取り掛かりましょうか」
「はい。……今夜は、とてもとても長い夜になりそうですね、桜ちゃん」
「長いだけじゃないわ。とても楽しい夜よ」
「はい。兄上様に、御自分の“奴隷”という立場を理解してもらう、いい機会になるでしょう」
「立場だけじゃないわ。私たちのラブを、いやと言うほど味あわせてあげるのよ」
“妹”たちは、その瞳に五日ぶりの潤んだ光を輝かせ、うっとりと今宵の宴に思いを飛ばしていた……。
最終更新:2007年11月07日 17:04