女王の不在

237 女王の不在 sage 2008/01/23(水) 15:42:46 ID:VIX6NqTO
「これで終わりですね」

木彫りの駒が盤上に置かれ、カツン、と部屋の壁に乾いた音が反射された。

「む・・・」

平面を走る縦横の線で構成された升目。
その一つに配置された騎士の役割を頭の中で計算し、
相手の布陣を加味して突破できるかシミュレートしてみる。
結果は、不可能。

「相変わらず容赦ねえな」

駒の一つを移動。
一番手放したくない駒を生贄にして昇格した兵隊を下げる。

「ふふ。悔しがる兄さんの顔も素敵ですから」

上品に笑いながらも対岸の軍師が軍配を降り、配された駒が差し出した犠牲者と重なった。
唯一の女王が僧侶に討ち取られる。
思わず溜息が出たのに遅れて気付き、せめてもの抵抗と相手を軽く睨み付ける。

「そんなに怖い顔をしないで下さい」

そう言うくせに顔は笑ったままだ。
ひょいっ、と上げられた首級を摘んでぷらぷらの俺の前で降ってみせる。

「見せ付けてるのか」

「はい」

にこりと笑ってから勝ち取った女王をあっさりと背後に放り投げる。
からからと、升目のない床を黒色の女王が滑って行った。

「おい、やめろよ。壊れたらどうするつもりだ。
 大体、何だっていつもいつもお前はそう俺のクイーンばっかり狙うんだよ」

「別にいいじゃないですか。あんなもの」

遊戯の道具にする仕打ちではない。
チェス盤から投げ出された自軍の駒に、盤面を挟んで向かい合う妹を咎める。
が、相手は悪びれた様子もない。

「そもそも、チェスに女王の駒があることがおかしいんですよ。
 唯一の女性でありながら他のどの配役よりも強力で万能な割り当てだなんて不公平じゃないですか。
 おまけに王が同じ盤面に存在する以上、この場合の女王は君主じゃなくてただの王の妃という意味ですよ?」

言いながら、視線は開始早々に俺へとプレゼントした自軍の白色の女王へと向いていた。

「孤閨を守っているのか妊婦なのか一児の母なのかまでは知りませんが、そんな駒が最強というのは間違っています。
 まだ王子か宰相、軍師や将軍の駒でも入れておけばいいのに」

腰を回し、後ろに伸ばした腕で転がった女王を拾う。


238 女王の不在 sage 2008/01/23(水) 15:44:39 ID:VIX6NqTO
「こんな女、兄さんには不要なんですよ」

憎憎しげに呟いて、
既に討ち取られて相手側で屍を重ねている俺の駒達の中へと顔の高さからそれを突き入れた。
女王に踏み付けられた兵士達が散らばり、からからと四方へ転がって行く。

「チェス盤の上にまで女は要らないんです。
 いえ、そもそも盤上にはたった一人、王様だけが立っていればいい・・・・・・そうは思いませんか? 兄さん」

「それじゃチェスにならねえだろ」

覗き込むようにじぃっと視線を向けてくる妹に、呆れが吐息になって口を出た。
妹の女王嫌いは今に始まったことでもないが、何故こうも上手いくせにズレたことばかり言うのか。
最初に女王を吶喊させて差し出すように討ち取らせ、
その癖に最強の駒を失ったハンデ付きのままにこっちの同じ駒を取り、最後には圧勝。
自分で言うのも何だが俺だって結構やり込んでいるのにまるで勝てない。
女王を使わずに女王を狙うという変なこだわりを持たずに指せば果たしてどれだけ上手いのやら。
想像するだに溜息が出る。

「まあいいでしょう・・・・・・ふふ。まだ肩を落とすには早いですよ、兄さん。
 チェックはかかってないんですから、ちゃんと対戦相手の私に集中して下さい。
 この間はそれなりにいいところまで行きましたから、頑張れば勝てるかもしれませんよ?」

「わかってるよ」

何度か似たようなことを言われているが、ここ暫く勝ったためしはない。
いっそ諦めれば楽かもしれないが、こっちにも兄としてのプライドがある。
妹が止めるか、俺が妹に勝つまでチェスは止めない。
密かに決めていることである。
駒を一つ、手にとって敵陣へと進めた。兵の足が戦場に触れ、かつんと再開の合図が響く。
そして俺が手を離すとすぐに妹の手が伸びた。見ると、何が嬉しいのかくすくすと笑っている。

「それでこそ兄さんです」

言いながらの一手に早速、呻きそうになった。
こっちとしてはなかなか厳しい手だ。

「それでは、勝負が付くまでは私に付き合ってくださいね? 兄さん。私は幾らでも待ちますから」

腕を組んで長考の体勢に入った俺に、にこにこと笑顔を向けてくる。
妹は俺がどれだけ長考しようと文句を言わない。
うんうん唸っている俺を見るのが楽しいとかで、
長ければ一局を指し終えるまでに合計で数時間もこちらを観察していることもある。
勝てないことに加えてスパっと切り返せない自分の実力が恨めしい。
適当に返すとちょっと凹むくらいに負かされるので、安易な手は打てないのだ。

「むう・・・」

「ふふふ」

渋面の俺を楽しげに見詰める妹。
非常に悔しいが、この対面の図はすぐには終わりそうもなかった。

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最終更新:2008年01月27日 20:10
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