__(仮)第9話

82 __(仮) (1/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:33:27 ID:ZdQ1twML



 鈴虫の鳴き声が小さく木霊する深夜。満月に程近い月明かりが柔らかく差し込む自室で、
葉槻透夏は電燈もつけずにベッドに腰掛けていた。
 傍らには壁にかけられたコルクボード。秋巳と一緒の写真、カモフラージュのための椿や両親と一緒の写真に混じって、
新たに一枚打ち付けられたそれを、彼女は負の感情を詰め込んだ冷たい瞳で見つめる。
 柊神奈のスナップ。目線はこちらを向いたものではない。明らかに本人に気づかれずに撮影したもの。撮影者は葉槻透夏。
 先日の柊神奈との邂逅にて、葉槻透夏は確信した。
 この女は自分と同種の感情を、あの秋巳に抱いている。
 もちろん葉槻透夏は、自分の情念に比べれば、あの女の抱くそれなど取るに足らない矮小なものだと思い込んでいた。
 それでも目障りなことには違いない。自分と秋巳の『幸せ』を阻害する可能性のあるものは、僅かでも排除する。
 それが昔日から不変の、葉槻透夏の意志だった。

 かつてより、秋巳に言い寄ろうとした女子が、全くいなかったわけではない。
 秋巳の境遇に興味本位で好奇心を持ち、彼にちょっかいをかけようとした酔狂な人間は過去に何人かいた。
 それでもそういう女子たちは、基本的に秋巳自身を見ているわけではなく、物珍しさや自己満足からそういう行動を
起こしていたため、葉槻透夏は大した労無く退けることが出来ていた。
 彼女がちょっと仕掛ければ、我が身可愛さからそういう人間たちはあっさり身を引いた。

 それも当たり前だ。
 葉槻透夏は思う。
 自分と秋巳との深い絆の中に入り込む余地など無いのだから。だから、ちょっと現実を見せてやれば、慌てて引き下がっていく。
 そもそも、秋巳自身が撥ね付けるのだ。赤の他人との関わりを。
 ――自分以外の人間との関係を。
 葉槻透夏は、なんの迷いなどなく、そう信じている。
 それは、決して間違ってはいなかった。確かに秋巳は必要以上に他人と関わろうとしなかったし、
恋愛感情にも満たないものを抱いて彼に近づいたとしても、あっさりかわされる。
 哀れみや同情を付随して秋巳をある意味『下』に見ているそういう人間たちは、秋巳の反応に自分たちの思うような満足が得られないため、
すぐに興味をなくす。
 そこに葉槻透夏が駄目押しをするだけだ。

 写真を睨みつけながら思考する葉槻透夏。
 椿から得た情報だと、柊神奈は、学校ではいわゆる『男子の人気者』らしい。男どもにちやほやされて、いい気になって、
秋巳にも手を差し伸べてあげる優しい『私』、に浸っているのだろうか。
 ――いや違う。いままでとは性質が違う。
 頭を振る。
 秋巳に深い愛情を抱く人間として、明確な根拠を伴った理論的なものではないが、柊神奈と会ったときの態度を見て
葉槻透夏は直感で理解していた。
 あの女が、秋巳に抱いているのは、おそらく恋心。普通の女の娘があたりまえに抱く感情。
 秋巳との関係に上も下もなく、純粋に彼自身を見ているのだろう。自分と同じように。
 非常に厄介だった。
 なにより、葉槻透夏の足元を揺るがすかのごとく頗る動揺させたのは、秋巳の柊神奈に対する接し方であった。
 普段の赤の他人に対するそれとは若干異なる接し方。どちらかと言えば、自分や椿に対するそれに近いもの。
 柊神奈と知り合ってから後日、秋巳からそれとなく聞き出した柊神奈の情報。
 それを彼が話す雰囲気で伝わった。秋巳自身にとって恋慕といえるまでの情意を向けている相手ではないが、
少なくとも好悪の区別でいえば、好意を抱いていることを。
 それは、誰よりも秋巳を見つめてきて、誰よりも秋巳だけを想ってきて、どんな人間よりも秋巳を愛していると自負する
彼女だからこそ、感じ取れたこと。
 柊神奈自身が、に加えて、秋巳の態度もいままでとは異なる。そうまざまざと実感させられた。




83 __(仮) (2/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:35:44 ID:ZdQ1twML

(なんで――?)
 葉槻透夏は懊悩する。
 秋巳は、妹の椿を『妹』として大事にして、それで自分も含めて三人だけいればいいじゃない。
 椿がいずれ誰かと結婚すれば、そのときは自分とふたりで。
 ふたりだけで幸福な人生を送れるじゃない。
 他の人なんていらないでしょう。
 幸い、秋巳が柊神奈に向けているのは、恋愛感情ではない。高々友達としての好意だろう。
 だが、葉槻透夏にとっては脅威である。
 自分が秋巳に捨てられるなど想像だにしないが、一時の気の迷いということもある。
 例え一時であっても、秋巳の情が自分以外の誰かに向けられるなど、葉槻透夏は我慢できなかった。
 だから、なんとしてもいまのうちにあの女を自分と秋巳の人生の舞台から退場させる必要がある。
 彼女はそう考えていた。

 そして、そのためにはどうしたらよいかの策を練っていた。

 一番手っ取り早いのは、あの柊神奈とかいう女が、別の誰かに恋愛感情を持つことだ。
 どうせ柊神奈自身も、一時の気の迷いみたいなものであろう。だったらさっさと別の人間に、それを向ければよい。
 その相手は。
(……ええっと、そう最初に会ったあそこで一緒にいた男)
 名をなんと言っていたか。
 葉槻透夏は思い出す。
 そう。水無都、とか言っていた。そこでふと思い当たる。
(ああ。水無都って、秋くんの前からの友達だったっけ……)
 あの男だ。
 その態度から、柊神奈に好意があるような素振りを見せていた。
 あの男を間接的に嗾けて――なんならレイプまがいのことでもいい――あの柊神奈とかいう女を秋巳のまえから
消し去ってもらえないだろうか。
 だが、葉槻透夏は、水無都冬真がどんな人間か全然知らない。
 うまいことそんな方向に持っていけるとは、思えなかった。少なくとも容易いことではない。
(まあ、一案として持っておけばいいかな……)
 葉槻透夏は、まず思いついた案をそう結論付ける。

 そしてまた、次の思索の海へと潜る。
 まずは、あの柊神奈という人間を調べるべきだろう。
 あの女の抱く情がどれほどのものなのか。自分がプレッシャーをかけて、引っ込んでくれるならそれに越したことはない。
 いちいち第三者を絡ませれば、それだけ思い通りにいく確率は下がっていく。
 葉槻透夏は決して単純思考の持ち主ではなかった。むしろ、かなり頭の切れる人間といって差し支えなかった。
 それでも。
 それでも、考えておかなければならない。
 最悪の場合の、最終手段を――。
 葉槻透夏は、いままでとは違った意味で、眠れない夜を過ごした。






84 __(仮) (3/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:39:32 ID:ZdQ1twML


 明けて翌日。葉槻透夏は、昨夜決めたとおり、まず柊神奈に関する情報を集めるために動くことにした。
 ただ、最悪の場合、万が一にも自分が疑われる可能性をなくすために、秋巳や椿に訊ねるという形で直接それらを得ることは
これ以上控えることにした。
 大学は長期の休みに入っているため、時間はある。大学関係の人間のわずらわしい誘いもなにかと理由をつけて断っているので、
自由に動くことは可能である。
 基本は、自らがひとりで行動する必要がある。
 彼女はそう考えていた。
 変に柊神奈の周囲を嗅ぎまわっていることを誰かに知られれば、それが全く関係ない第三者であっても、
そこから糸がほつれる可能性がある。
 だから、他人に知られる場合や、他人を利用する場合であっても、本来の目的とは違う意味を持たせなければならない。
 かつ、本来の目的に合致する行動であることも要する。

 表向きの意味を与えるのは、娯楽。必要なのは時間と機会。両方に役立つのが、金銭。

 葉槻透夏は、夏休みに旅行する計画を立てることとした。
 それは最終手段の行動のため。それを行う時間を得るため。勿論、表向きは誰でも考える行楽のためという理由。
 最後の手を打つ段階になって、いきなり時間を取ろうとすれば、あとあと周囲に余計な疑念を抱かせる怖れがある。
だが、もともと計画していた旅行を実行するだけであれば、なんの問題もない。
 もし、柊神奈が簡単に引いてくれるようならば、単に旅行は中止したことにすればよい。
 さらに旅行するにはお金がいる。だから、バイトをする。それはごく自然の理に適った一般的な行動。
そのアルバイトを、機会を得るためと、本当に必要な意味でのお金を稼ぐことに利用する。
それにより、柊神奈と個人的に接する機会を作り、彼女のことを詮索する。
 であれば、なんの仕事をするべきか。
 それを決めるためには、柊神奈の行動半径、生活様式を知る必要がある。さらに、『結果』に対する合理的な理由を与えるためにも、
その情報は必須である。

 そう考えて、葉槻透夏は行動を開始した。
 まずは、周囲に旅行することと、そのためにアルバイトをしてお金を稼ぐことの宣言。それと平行して、柊神奈の情報収集。
それは、ひとりで彼女の後をつけ、監視することもあったし、柊神奈と一緒にいるときの秋巳たちと合流し、
なにげない会話の中から探ることもあった。そんななか葉槻透夏が特に注目したのは、柊神奈の休みの日の行動。
 もうすぐ、秋巳たちの高校も夏休みに入る。そのとき、柊神奈がひとりで行動する先に、『たまたま』自分がいる必要がある。
だから、その行き先を自分が事前に知っていることになってはいけない。たまたまバイト先に選んだところに、柊神奈がお客として来る、
それが理想であった。
 そうして、彼女の行動は、まるで自らを犠牲に善行を積み重ねた人間が最後に報われるかのように、その努力に見合った実を結んだ。



「いらっしゃい、って、あれ? 柊さん?」
 そこは西洋風のアンティークをモチーフにした小洒落た喫茶店。女の娘なら多くは気に入りそうな小奇麗な店で、
お客として来た柊神奈を、従業員としての葉槻透夏が迎えた。
「え? あ、あれ? 葉槻さん……?」
 柊神奈は、まさかこんなところで葉槻透夏に出会うとは思ってもみなかったのであろう、驚いた表情を顔に浮かべて、
店のドアを押し開けたまま立ち尽くしていた。
「うん。奇遇だね。実はあたし、このお店で働くことにしたんだよ。いらっしゃい、柊さん」
 まるで「似合う?」とでも言いたげに、店の制服のスカートの端をちょっと持ち上げて、お辞儀をする葉槻透夏。
 お洒落なカフェでバイトすることを、秋巳含め柊神奈たちに伝えていたので、そう応える。
「え、ええ。びっくりしました。まさか、ここでお店の人として葉槻さんにお会いするとは
 想像もしてなかったので」
「うん。あたしもビックリ。柊さんは、よくここへ来るの?」
 葉槻透夏は、すでに判明していることを敢えて訊ねる。
「ええ。休みの日は、ちょくちょく」
「へぇ。いいところだよね。ここ。あたしも、この雰囲気が気に入って、ここで働くことにしたんだ」
「そうなんですか。私も、ここ、気に入ってるんですよ」
 そうにっこりと笑みを浮かべる柊神奈。




85 __(仮) (4/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:42:53 ID:ZdQ1twML

 その柊神奈の表情を見つめながら、葉槻透夏は彼女の言葉に対して思う。
 それもそうであろう。でなければ、休みの日にあれほど頻繁にここへ来たりはしないだろう。
なんておあつらえむきの状況があったものだ。
 秋巳たちの学校が期末考査終了後の試験休みに入ってからの四日間のうち二日、その店に通いひとりで本を読んだり
勉強をしている柊神奈の姿が見受けられた。
 だから、葉槻透夏は、監視を始めてから一週間としないうちに、その店でのアルバイトに応募することを決めた。
 葉槻透夏としては、もう少し時間がかかると踏んでいただけに、これだけ早期に柊神奈に個人的に接触する機会を
得られたのは僥倖であった。
 幸い、店のほうでは、緊急ではないが常時アルバイト従業員を募集している状況であったし、
葉槻透夏の容姿も相まって、そのカフェの店長はあっさり彼女の採用を決めた。

「あ。そうだ! 忘れてた。いらっしゃいませ。お客様、何名様でしょうか?
 おタバコはお吸いになられます?」
「ふふ。見てのとおり、ひとりです。禁煙席で」
 葉槻透夏のマニュアル通りの対応が可笑しかったのか、鈴の音が転がるような笑い声を洩らす柊神奈。
 葉槻透夏がどういう意味を込めて言ったのか推し量ることなど当然しない。
「はい! おひとり様、禁煙席にごあんなーい!」
 葉槻透夏は元気良く受け答えする。
 一生おひとりでね。


 案内された席で、柊神奈が一時間ほどひとり本を読んでいると、テーブルを挟んだ目の前の席に人が座る。
 その気配に気づいて、彼女が面をあげると、私服に着替えた葉槻透夏がにこやかな微笑を湛えていた。
「お邪魔だったかな? あたし、今日はもう、これで上がりなんだよね。
 だから、柊さんとお茶でも一杯飲んでいこうかなって」
「いいえ。邪魔だなんてとんでもないです」
 本に栞を挟みながら、柊神奈はふるふると首をふる。
「ほんと? やった、ナンパ成功だね! お嬢さん、ついでに、
 このあとホテルにでもどう?」
「あはは。遠慮しておきます」
「うーん。やっぱり性急過ぎたかな。こういうのはじっくり攻めないとね」
 まあ、あまりゆっくりもしていられないけど。葉槻透夏は、内心思う。
 そこへ、葉槻透夏の同僚のウェイトレスが、紅茶をふたり分もってきて給仕し、空になった柊神奈のカップを引き上げる。
「あ、あの。私は、注文してないですけど」
 そう言って、去っていくウェイトレスを呼び止める柊神奈を、葉槻透夏が押しとどめる。
「あー。いいのいいの。あたしのサービス。この店に良く来てくれるんだったら、
 柊さんはお得意様だしね。ま、ここは年上のおねーさんに花を持たせてよ」
「あ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
 奢られた者の義理を果たさんとばかりに、目の前に置かれた紅茶に口をつける柊神奈。
「うんうん。そういう素直なとこは、おねーさん好きよ」
 だから、その調子で、秋くんからは手を引いてね。
 頷きながら、葉槻透夏は、柊神奈に質問をする。
 知り合ったばかりで、あまり共通の話題がないことによる、当り障りのない会話を装って。
「柊さんは、よくここにひとりで来るの?」
「ええ。こういう静かなところが好きなんで」
「そうなんだ。でもね、働いてて気づいたんだけど、ここ、確かに騒がしくないけど、
 こういうお洒落なとこって、結構カップルで来るんだよね。
 寄り添ってひそひそいちゃいちゃ、いい加減にせい! って感じ」
「あはは。私も、良く見かけます。でも、ウェイトレスさんが、
 そんなこと言っていいんですか?」
「いまはお客だもーん。アイアムゴッドなのです。ところで、柊さんには、
 そういう人はいないの?」




86 __(仮) (5/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:45:34 ID:ZdQ1twML

「え?」
 訊き返す柊神奈。
「寄り添ってひそひそいちゃいちゃする人」
「い、いませんよ! そんな!」
「そう? 意外だね。ひょっとして、彼氏は作らない主義?」
「そんなこと……ないですけど」
 柊神奈は少し躊躇って応える。
 彼氏になって欲しい人はいるのだ。その人と仲良くなってきている実感も得られている。しかし、彼氏彼女の関係には
まだまだ遠いように思える。
「柊さんみたいな可愛い娘だったら、望めばすぐできそうだもんね」
「そんなこと、ないですよ」
 その言葉どおり、そんなことない現実と照らし合わせたのだろうか、柊神奈は僅かに苦笑した表情を浮かべる。
「この前、一緒にいた男の子は? 彼氏じゃないの? 水無都くん」
「ち、違いますよ! 彼は、誰にでもあんな感じで接するんですよ」
「そう? その割には、もうひとりいた女の娘に対する態度とは違ってたけど」
「弥生は……。まあ、あんな感じの娘ですから。むしろ、水無都くんは、私なんかより、
 弥生の方を気に入っているんじゃないかな」
 その感情は恋ではないかもしれないけど。弥生と接しているときの水無都冬真は、楽しそうだ。
 そう柊神奈は感じていた。
「あらら。でも、あの年頃の男の子だと、好きな娘のまえでは、怖くて真面目になれなくて、
 軽口に逃げてるだけかもよ? もし、その彼が、キミのこと好きだったら、
 そんなこと言われたらショックじゃないかな?」
「え! それは……。でも、私も、水無都くんのことは良く知っているわけじゃないですけど、
 水無都くんって本当に好きな相手には、あんな態度とらないんじゃないかなって思いますよ」
 柊神奈は思う。
 そうだ。表面上だけなら、自分に好意を持っててもおかしくないと言える態度ではある。
 それでも。
 柊神奈が水無都冬真に友達以上の好意は向けていない事情を差し引いても、
彼は柊神奈に恋愛感情を抱いていないだろうと思える。
 秋巳が自分に恋心を抱いていないのが判るのと同じく。
「ふーん。まあ、彼の気持ちは別として、柊さんはどうなの? 彼のこと良く思ってないの?
 あたしも数回しか会ったことないけど、格好良くて陽気で楽しくて、
 高校生くらいの女の娘ならほっとかないんじゃない?」
 自身は微塵も受け取っていない印象を、一般論に押し込めて訊ねる葉槻透夏。
「えーっと……」
 柊神奈は困ったように手を擦り合わせて、返答に詰まる。
「ひょっとして、他に本命がいるとか?」
 葉槻透夏は、もうすでに判りきっていることを、いまさらのように予定通りの会話の流れで。
「え……あの、はい」
 こくん、と微かにその穏やかな空気を揺らすかのごとく頷く柊神奈。
 おそらく、彼女が秋巳の従姉弟でなければ、加えて、秋巳にあれほど親しげに接していなければ、
柊神奈は、そう本心を出さなかったであろう。
「あ! そうなんだ。いやーいいね! 恋する乙女!」
 眼前に座する柊神奈の恋する瞳を即座に抉り出してやりたい気持ちを押し殺し、そんな心情を微塵も表情や声色にのせずに、
葉槻透夏は笑顔で応える。

「そ、そういう、葉槻さんはどうなんですか。葉槻さんこそ、
 それこそ選り取りみどりじゃないですか?」
「え? あたし? うーん。あたしも好きな人はいるんだけどね」
「ど、どんな人なんですか?」
 柊神奈は、息を呑むように少し身を乗り出して質問する。先日の葉槻透夏の秋巳に対する態度から、ある種の予感を抱く様子で。




87 __(仮) (6/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:48:31 ID:ZdQ1twML

「うん? あたしの好きな人? 柊さんは知らない人なんだけどね。
 でもね、ずっと想ってるんだ」
 そう。柊神奈など知るはずない。
 精々学校で接しているだけの秋巳しか知らないこの女が、自分の好きな『如月秋巳』を知るはずがない。
 そう思いを込めて彼女に返答する。
「え……? そ、そうなんですか?」
 拍子抜けしたように、柊神奈の強張った肩からかくんと力が抜ける。
「え? 意外? あたしが一途に想っていたら?」
「い、いいえ! そういう意味じゃないんです。ひょっとしたら、葉槻さんって、
 如月くんのことが……なんて思ってたもので」
 慌てた柊神奈は、ついつい本音が洩れてしまう。
「秋くん? 秋くんは、従姉弟だよ?」
 単に事実のみを述べ、葉槻透夏は、だからどうだとは触れない。勝手に柊神奈がその先を推測するよう仕向ける。
「あは、は。ごめんなさい。如月くんと葉槻さんが、あんまり仲良さそうだったんで」
「ということは、ひょっとして~?」
 葉槻透夏は、にやりという表現が相応しい面持ちで、左人差し指を突き出し柊神奈の女の娘らしく柔らかい頬をつつく。
「え!? ええっ!? あ、あの?」
「柊さんの本命は、秋くんなのかな~?」
 その愉快そうな眼差しとは裏腹に、柊神奈との会話が進むにつれて、葉槻透夏の内心は、
それこそ不愉快さが募り募って大フィーバー状態であった。
 その彼女のイライラがテーブルに置いた右腕から伝わったのだろうか、微かにテーブルが振動する。
「あ、あの。えっと、その……はい」
 下を向き、まだ半分以上カップに残っている紅茶が小さく波立つのを見ながら、柊神奈は応えた。
 柊神奈が直接はっきりと「秋巳が好き」ということを伝えたのは、これで二人目となる。一人目は当然、秋巳本人。
 その事実をはっきり知っている者として、秋巳から伝えられた水無都冬真が加わり、
確信に近い推測で理解しているものが春日弥生に椿と、さらにふたり追加されるが。

「ふーん。ほー。なるほどー」
 ある程度予測はしてたといはいえ、ここまで苛立つとは予想しなかった葉槻透夏は、その心内をなんとか表面に出さずに続ける。
「いやー。秋くんも果報者だねぇ。こんな可愛い娘に想われるなんて。
 ちなみに、秋くんのどこに惚れちゃったのかな?」
 どうせ、なにかへんな思い込みでもして、勘違いしているのだろう、そう見当をつけながら葉槻透夏は訊ねる。
「え、えっと。他の人には言わないでくださいね……」
 葉槻透夏が秋巳のことを好きでないと判ったためか、胸の中に渦巻く痞えがとれたかのごとく安心した柊神奈が、
そう前置きをしながら話す。かつて、秋巳に語ったときと同じ内容を。
 柊神奈が如月秋巳のことを気にするようになり、そして、恋心を抱くまでになる過程を。



「…………」
 柊神奈がひととおり話し終わったあと、葉槻透夏は二の句が継げなかった。
(なんでなんでなんで――!)
 この女がなにを知っているというのだ! この女など秋巳の苦しかったときをなにも理解していないではないか!
 おまえの惚れた秋巳になるまでに、自分がどれほど時を費やしたか、どれほど心血を注いできたかなにも判っていないくせに!
 貴様なぞに秋巳に惚れる資格などあるものか!
 だのに――。
 なのに、なんで、秋巳のことを理解しているのだ。秋巳のことをそこまで把握した上で慕っているのだ。
 理に適っていないではないか。後からしゃしゃり出てきた者などに、自分と秋巳の仲に入ってこられて堪るものか。
 いますぐ、秋巳を好きだというこの女の口を塞いでやりたい。秋巳を慕うその瞳を潰してやりたい。
二度と秋巳のことを考えられないようその息の根を止めてやりたい。





88 __(仮) (7/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:50:41 ID:ZdQ1twML

「あ、あの……? 葉槻さん?」
 さすがに平静を装えなくなったのか、苦渋の胸中が滲み出してきた葉槻透夏に対し、
その様子を不審に思ったのだろう、柊神奈が問う。
「え……? あ、ああ。ごめん。その、キミがあんまり熱心に話すもんだから、
 思わずその世界に引き入れられちゃったよ」
 葉槻透夏は、そう取り繕ったが、その語調はわずかに震えている。
「え……? や、やだ。私、そんなに真剣に語っていました?」
「うん。もう、真剣も真剣。本気と書いてマジってやつだったよ」
 それこそ、真剣でその喉を掻き切ってやりたいくらい。
 煮え繰り返る腸を、卓の下に隠しきつく握り締めた右拳で、なんとか押し殺す葉槻透夏。
 これはもう――。
 これ以上、この女を調べる意味などあるのだろうか。
 『答え』は決まっているのではないか。
 葉槻透夏はそう自問自答する。
「あ。ごめんね。長々と読書の邪魔しちゃって。
 とりあえず、飲み物は頼み放題にしといたから、ゆっくりしていってね」
 いまの精神状態で、これ以上柊神奈と普通に会話が出来ないと悟った葉槻透夏は、若干歪んだ微笑を浮かべると、席を立つ。
「あ、あの!」
 そんな葉槻透夏を引き止めるように、柊神奈が呼び止める。
「うん? なに?」
「そ、その。葉槻さんは、如月くんのことをよく知っているんですよね」
「うん。まあ、そうかな」
 すでに、感情を押しとどめるために、そう応える葉槻透夏の口調は平坦に近いものとなっている。
「あ、あの……。その、こ、これからも、相談にのってもらってもいいです、か?」
 おずおずとそう申し出る柊神奈。
 自分の気持ちを暴露してしまったこともあり、さらに最近の閉塞感を無意識に自覚しているためか、葉槻透夏にそうお願いする。

(この女は――)
 自分を挑発しているのだろうか。それほど、己の考えうる最悪のパターンをとらせたいのか。
 そんなつもりは彼女にないのだろうと理性では判っていても、燎原の火のごとく噴きあがる胸裏を抑えられない。
 ならば――。
 それならば。
 いいだろう。望みどおりにはしてあげる。
 おそらくはそうなるだろう。
 いまこの段階で結論を得たわけではないが、葉槻透夏は、おそらく行き着く先であろう終着点を確信する。
「うん。いいよ。あたしなんかで役に立つなら」
 そうだ。ある意味都合が良いではないか。
 葉槻透夏は思う。
 十中八九この女は言いふらしたりしないだろう。己が、葉槻透夏に恋愛相談を持ちかけているなどと。
 だったら、好都合。自分の制御下の範囲にあるほうがよい。
「あたし、基本的に、毎日この時間くらいには、ローテに入っているから」
 それは彼女自身がもともと狙って希望を出していたこと。この眼前の不愉快な人間のことを探るために。
この忌々しい女を排除するために。
「あ、ありがとうございます!」
 ぺこりと頭を下げる柊神奈。
「そう御礼を言われることじゃないよ。秋くんが幸せになってくれるなら、
 それは、あたしの本望だし」
 だからね。消えてね。
 葉槻透夏は、血の滲む右手を後ろ手に隠し、左手をひらひらと振ると、柊神奈と別れた。








89 __(仮) (8/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:54:46 ID:ZdQ1twML


       *  *  *  *  *  


 リビングの窓の向こうから油を揚げる音のようなアブラゼミの忙しい鳴き声が反響し、聴覚的な効果も相まり、
朝から日差しの強さを漂わせる夏の陽気のなか。
 いつもと変わり映えなく朝の支度をし、秋巳が朝食を摂りながらテレビのニュースを見やっていると、先に朝食を終え、
登校の準備を整えた椿が、彼に話し掛ける。
「ねえ。兄さん」
「うん? どうしたの?」
 いつもなら、そろそろ椿が家を出る時間だ。そして、その十分後が自分の玄関の扉を開く時間。
 なにげない調子で返した秋巳に対し、同様になにげない口調でこともなげに提案する椿。
「一緒に登校しませんか?」
「は……?」
 秋巳は手にしたパンを取り落とす。
 なにを言われたか理解できなかった。椿はいまなんと言ったのだろう。
 自分の聞き間違いでなければ、一緒に学校に行こうと提案した気がするのだが。
 まだ、寝ぼけてるのだろうか。
 ぶんぶんという擬音が相応しく頭を振ると、秋巳は椿に問う。
「ごめん。もう一回いいかな?」
「一緒に学校に行きませんか、と言ったのです」
「…………」
 空耳ではなかった。確かに、椿は、一緒に登校しようと申し出たみたいだ。
「ど、どうしたの? なにかあったの?」
 動揺を押し隠せない秋巳は、椿の登校途中になにかあるのだろうかと心配し、訊ねる。
「いえ、なにもありませんが」
「じゃあ、なんで……?」
「おかしいですかね?」
「え?」
「同じ家から、同じ場所に通うのに、一緒に行くのっておかしいのでしょうか? 
 それとも、妹と一緒に登校するのって恥ずかしいですか?」
「な……。いや……、え? そ、そんなわけないよ!」
 逆だ。椿こそ、自分と登校するのは恥ずかしいのだろう。嫌なのだろう。秋巳は困惑する。
「ごめん。急にだったから、びっくりしたんだよ」
「兄さんにとっては、急にだったかもしれませんけど。私にとっては、急ではないですよ。
 兄さんは、私に一度も言ってくれたことないですよね。一緒に学校に行こうって。
 私が、初めて登校する日でさえも」
「それは……」
 口篭もる秋巳。
 椿は、自分なんかと一緒に歩きたくないだろうって思ってたから。自分のような人間が兄であることを、
周囲に知られたくないだろうって配慮してたから。
「兄さんが、妹なんかと一緒に登校することが恥ずかしいのかなって思っていたので、
 あえて口には出しませんでしたが。でも、今日は終業式ですから。万が一、
 変な噂が立てられたとしても、夏休み明けに登校するときには、皆忘れてますよ」
「っていうか、椿は嫌じゃないの?」
 秋巳は恐る恐る訊ねる。
 それもそうであろう。秋巳の希望としては、一緒に通えるものならしたい、一緒にいろんなことを話しながら
通学路を歩きたいのだ。
 普通の家族ならば、それは当たり前のことではないのか。日頃のいろんなことを話し、いろんなことを共有するのは。
「兄さん。冷静に考えてください。そもそも私が嫌だったら、
 こんなこと言い出すと思いますか」
「いや……。誰かになにか言われたのかと……」
「なにか、ってなんですか?」
 なんだろう。
 椿の質問に、間抜けにも心の中で問い返す秋巳。


91 __(仮) (9/11) sage New! 2008/03/09(日) 14:57:44 ID:ZdQ1twML

「ご、ごめん。変なこと言ったよね。いますぐ準備するから、ちょ、ちょっと待ってて」
 秋巳は、慌てて残りのパンを口に押し込むと、それをコーヒーで流し込む。
「兄さん。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。
 いつも兄さんが家を出る時間でも間に合うのでしょう?」
「――げほっ。あ。うん。そうだね。すぐ準備するから」
 答えになっていない返答をかえすと、秋巳は浮き足立って洗面所へと向かう。
「あ。待ってください」
 秋巳を呼び止める椿。
「え?」
「ほら。ネクタイがずれていますよ」
 椿は、そう秋巳の元へ歩み寄ると、彼の首もとへ両手をやり、その歪んだネクタイを締めなおす。
「…………」
「はい。大丈夫です。じゃあ、兄さんの準備が出来たら出ましょうか」
「あ、ああ……」
 椿は、穏やかな笑みを浮かべて、洗面所へふらふらとした足取りで向かう秋巳を見送る。




「おいーす。秋巳……って、椿ちゃん? ど、どうしたの? 寝坊でもした?」
 秋巳が椿とともに玄関を出て、椿が戸締りを確認していると、門の前を通りかかった水無都冬真が挨拶とともに
驚きの声を上げる。
「おはようございます。水無都さん。今日はいつもどおりの時間に起床しましたよ」
「お、おはよう、冬真」
 ぎこちない態度と声色で挨拶を返す秋巳。
 水無都冬真は、状況がよく把握できずに、固まったまま門前で出てくるふたりを迎えた。
「お、おい! 秋巳、おまえ、どういうことだよ! なんで椿ちゃんと一緒に、
 家を出てくるんだ?」
「水無都さん、落ち着いてください。私が誘ったのです、一緒に行きましょう、と」
「なに? あ、秋巳……。おまえ、ついにそこまで堕ちたか……。
 いったいなにを握ったんだ? 恥ずかしい写真か? 恥ずかしい声か? 
 恥ずかしい過去か? 俺にも共有しろよ!」
 秋巳に掴みかかり、がくがくと揺らす水無都冬真。
「ちょ、ちょっと冬真、落ち着いてよ。言ってる意味が判らないよ」
「だって、椿ちゃんだぞ? あの椿ちゃんが、おまえと一緒に登校するって言ってるんだぞ? 
 おまえ、なんか弱みを握って脅してるんだろう? そうなんだろう? 
 『言うこときかないと恥ずかしさで二度と表を歩けないようにしてやる』とかなんとか言って」
「水無都さんまで。そんなにおかしいですか、一緒の家に住んでて、
 一緒の高校へ通う兄妹ふたりで登校するのは」
「…………」
 水無都冬真は、なにか思考を巡らせているのか沈黙する。
「椿ちゃん、本気?」
「ええ。真面目ですよ」
「そ、か」
 それだけ呟くと、水無都冬真は、一転、気を取り直したのか、秋巳に向き直る。
「いやいや。からかって悪かったな。おかしくない。全然おかしくないよ。
 兄妹が仲良いことは、良いことだもんな。椿ちゃんがそう決めて、
 秋巳も異存がないんだったら、俺が口出しすることじゃないもんな。それに俺も、
 椿ちゃんと一緒に登校できて嬉しいし。さて、じゃあ、
 時間にそれほど余裕があるわけじゃなし、学校に向かいますか!」
 そう言って、秋巳の隣に廻り込んでその肩を組むと、秋巳を押し出すようにして歩き出す。
 秋巳は気づかない。
 その水無都冬真の行動が意味するところを、椿が推し量ろうとして、ふたりの後ろから冷たい視線を送っていたことを。





92 __(仮) (10/11) sage New! 2008/03/09(日) 15:00:00 ID:ZdQ1twML


 そうして、三人で登校している背後から。
「おはよー。如月くん、水無都くん、椿ちゃん」
 柊神奈が小走りで寄ってきて、三人に挨拶を交わす。その表情は、明日から始まる夏休みへの期待だけではないのだろう、
晴れやかな笑みを浮かべて。
「おお。柊ちゃん。おはよー。今日も眩しいほど輝いてるね!」
「おはよう。柊さん」
「おはようございます」
 三者三様の挨拶を返す。
「えへへ。明日から、夏休みだね」
 そう嬉しそうに三人に微笑みかける柊神奈。
 期末考査、試験休み、テスト返却日とこなして、本日は終業日。周囲を歩くまばらな生徒たちも、彼女と同様、
明日からの長期の休みに期待をかけているのか、楽しげな雰囲気が伝わってくる。
「おお! 明日から、ボクと柊ちゃんの甘酸っぱいラブラブストーリが始まるってわけだ。
 ひと夏の経験をして、ふたりはさらなる大人の階段を上る、と」
「水無都さんは、最初の一段目にまず足をかけないといけないのでは?」
 目を閉じ頭の中に広がる壮大なストーリでも妄想しているのか、両腕を広げながら語る水無都冬真に、
椿がつっこみをいれる。
「お? 椿ちゃん。なに? 嫉妬? 妬いちゃってるのかなぁ?」
「ええ。胸が」
 やけます。水無都冬真の妄想に。とは口に出さない椿。
「え? 胸がドキドキするって? いやー! モテる男は辛いね。
 いや、大丈夫、俺は懐の深い男だから。どんときなさい」
「そうですね。いけるものならいきたいですね。ドン、と」
「あの? なにか、別の意味込めてないよね?」
「なんでしょう?」

 柊神奈が合流してから、自然と、前を歩く秋巳と柊神奈、少し離れて後ろに続く椿と水無都冬真、とペアに分かれる。
「ねえ。如月くんは、なにか、夏休みの予定とかってあるの?」
「うーん。いまのところないかな」
「そうなんだ。じゃあ、また、弥生とか、水無都くんと一緒に、どっか行こうか」
「うん。まあ、そうだね。行けたらいいね」
「うん! きっと行こうよ! あ、そうだ。私、如月くんのメールアドレスとか、
 携帯番号知らないんだけど、教えてもらってもいいかな?」
「うん……。いいけど、冬真のは?」
「水無都くんには、大分前に教えてもらってるから」
 そう言って携帯を開く柊神奈。
 実際、水無都冬真が柊神奈にアプローチをかけるようになった頃に、ふたりは連絡先の交換をしていた。
 といっても、半ば押し付けるみたいにアドレス等を渡してきた水無都冬真に対して、一応の礼儀として、
自分も教えたという事情ではあったが。
 そして、アドレス交換はしていたものの、お互いの携帯にそれぞれ相手の履歴が載ったことはなかった。
水無都冬真が彼女を誘うときは、つねに学校で口頭ベースであった。





93 __(仮) (11/11) sage New! 2008/03/09(日) 15:02:16 ID:ZdQ1twML


 そんなやり取りをする秋巳と柊神奈から、若干距離をとって後ろを歩く椿と水無都冬真。
「いやー。初々しいねえ」
 水無都冬真は、なにが、と主語は言わない。かつ、前方には聞こえないよう椿に語りかける。
「ええ。そうですね」
 特に感慨を含めないように追従する椿。
「ところで、椿ちゃんは、どういう心境の変化かな?」
「なにが、です?」
 水無都冬真がなんのことを触れているのか判らないとでも言いたげに、椿は訊き返す。
「この状況が」
「前を歩く兄さんが、柊先輩と、初々しい中学生カップルのようなやり取りを
 していることですか?」
 椿は、判っていながら態と恍ける。
「うーん……。そういえばさ、前に喫茶店で椿ちゃんとふたりで会ったときに、
 俺、訊いたことあったよね」
 一見いままでの流れと関係ないような話を、水無都冬真は始める。
「なんでしたっけ? というより、いつのことでしょうか?」
「俺が付き合いたい人がいるって、話したとき」
 それは、水無都冬真が秋巳から柊神奈の告白の件を相談されて、その後、椿をメールで喫茶店『ユートピア』へ
呼び出したときのこと。
「ああ」
「思い出した?」
「おぼろげながら」
「あのとき、訊いたよね。いや、椿ちゃんが言ったんだよね。
 秋巳が変わるかもしれないって」
「そうでしたっけ?」
 詳しいやり取りなど、まったく覚えていないというように椿。
「あのときの想像はあってた?」
 椿の恍けた態度など微塵も歯牙にもかけずに、水無都冬真は幼い子に問い掛けるように穏やかに優しい口調で質問する。
「…………」
 椿は憂鬱げに瞳を細め、沈黙する。
 水無都冬真はそれ以上言葉を紡がない。
 それが三十秒ほど続いただろうか。椿は、水無都冬真の方へ向き、薄く笑みを浮かべた。

「――はずれました」




タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年03月09日 22:47
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。